- ナノ -

T.P.O

新学期が始まって一週間が過ぎた。

うっかり靴箱を間違えたり教室のあるフロアを間違えたりすることもなくなり新しい教室にも馴染み始めた。

一年の時は私が倫太郎やめぐちゃんのいる3組の教室へ足を運ぶことが多かったけど、進級してからというもの、授業が終わると間髪入れずに倫太郎が訪ねてくるようになった。

今は昼休み、いつもの屋上手前の踊り場で倫太郎と昼食を取りながら先日中学生になったうちの弟の話で盛り上がっている。

たまに校内を探検中と思われるピカピカの制服を纏った新入生が登ってくるが、こちらを見るなり
「あ、お邪魔しました」
「いいえ」
とやり取りするのも新鮮で楽しい。

「かわえぇなぁ、新入生って。初々しいわ」
「全然可愛くない、俺のほうが可愛い」
「なに張り合ってんの?」
「別に?」

クラスが離れたせいもあるが、近頃倫太郎は少しだけ機嫌が悪い。かと言って彼の機嫌を取るために甘やかそうとすると返り討ちに合う事が多いのを私は痛いほど学んでいる。

なので「なんかして欲しいことある?」って聞く代わりに極力彼のそばにいることを心掛けている。

「そうそう、後輩といえばやねんけど倫太郎とこは入部希望者どれくらい来た?」
「んー……だいたい20人くらいかな?吹部は?」
「うちもそれくらい。でもまだまだ人欲しいからバンバン勧誘かけんねんて」
「ふーん、新学期早々忙しくなりそうだね」
「ほんまやで」

稲荷崎高校では4月末までの約一ヶ月間、新入生は仮入部期間とされている。それまでは大々的に勧誘活動が認められているため、どの部も部員獲得に躍起になっている。

中庭では各部が体験入部の受付を設け、新入生の教室前ではチラシを持った上級生が張り込み、下足室では帰ろうとする新入生をあの手この手で足止めしようと必死だ。

かく言う我が吹奏楽部も入部希望者もそこそこ集まりつつあるが、この仮入部期間に未経験者獲得にも余念がない。
目立つ場所で自主練をしたり、優しそうな人員を受付へ配置したり、すでに入部を決めた新入生を巻き込んで音楽室まで連れてきてもらったり。
挙げ句、外で合奏する日も設けて日々興味を持ってもらえるよう努力は怠らない。

「吹部の勧誘はえげつないって聞いたことあるよ」
ホッホと笑いながらひどいことを言う倫太郎に
「そんなことないですー、何もせんでも部員入ってくるバレー部に言われたないですー」と憎まれ口で返す。
「だってほら、うちは推薦とか監督が声かけたやつ中心だし」

私の嫌味をそのままスルーして倫太郎はいちごオレにストローを突き刺した。

別に彼の機嫌を損ねようとしているつもりはないが、じゃれ合いに応じてくれないのはちょっとだけさみしい。
とはいえ、機嫌がええのは良いことや。
この話題はここまで。
仕切り直して部活関連の別の話を切り出す。

「そうそう、新入部員やねんけどな、文化祭のゲリラ演奏覚えてる?」
「ん?ああ、食堂前とかで演奏したやつだよね、覚えてるよ?もちろん」

昨年の文化祭二日目に演奏会の宣伝活動として有志10人で神出鬼没のライブを行った。
演奏する曲はみんなの知ってるような曲やカッコいい曲にしたおかげで演奏は概ね好評だった。

「今年入部してくれるっていう子の中にな、あのときの演奏見て稲荷崎に進学決めたって言うてくれた子がおってん」
「へぇ、すごいじゃん」
「うん!ライブしてよかったわ」

わたしもバナナオレにストローを刺して口に運ぶ。その話を聞いたときの気持ちが蘇ってきて喉を潤しながらもへらりと頬がゆるんだ。

「そんなに嬉しかったんだ?」

倫太郎はすっと腕を伸ばして手の甲で私の頬をそっと撫でる。

「ふふ、うん!」

気持ちが高揚したまま、倫太郎とのスキンシップが加わってますます嬉しくなる。
少しだけヒヤリとした倫太郎の手がとても心地よい。その手に擦り寄ると
「なまえ、猫みたい」
と呟いて倫太郎は私の頭を片手で抱え込むように手を添えて頬にちゅっとキスした。

「なまえからすげぇバナナの香りする」
「そう?倫太郎はめっちゃいちごの香りするで?」

お互い直前まで口に含んでいたパック飲料の香りを漂わせているせいか私達の雰囲気まで甘ったるい。

「混ざったらどうなるんだろね」
「わからん、試してみる?」
「もちろん」

ふたりでクスクス笑い合いながらゆっくりと唇を重ねる。甘い香りと共に倫太郎の舌が口内へねじ込まれた時

「あっ」

誰かの声がして慌ててそちらへ顔を向けると顔を真っ赤にした新入生の女の子がこちらを見ていた。

「あ、ご、ごめんなさい!!!」

バタバタと逃げるように走り去る彼女の背中を呆然と見つめる。

「……なんか……悪いことしたな」
「そう?俺たちは悪くないと思うけど?」

相変わらず強気というか、怖いもの知らずというか。倫太郎は平然としながら再び唇を重ねようと近付いてくるので彼の口元を手のひらで覆った。

「……しばらく校内ではキス禁止な」

倫太郎の恨めしそうな視線を受け流して私はパック容器に残ったバナナオレを飲み干した。