無垢色の祭壇 | ナノ


▼ 10.翻弄

「こんな所で書くものじゃないよ」

軍の食堂で。
大っぴらに広げた書類に向かうナマエを一瞥して、ピークは気だるげに顔を歪めた。

「部屋じゃ落ち着かなくて」

どこか得意げに、ナマエは笑って見せる。隠すつもりは無かった。

書類は転属願いだった。

諜報部から二等兵へ移らせて欲しいというもの。いわば、軍に於ける一番最下位の兵士にしてくれというものだ。通常、エルディア人の転属願いなんて通るものじゃない。

「……理由は?」

「やっぱり私に諜報は向いてないから……かな。戦士候補に戻れるわけでもないし、そうなればもう、最前線で戦うのが一番いいと思って」

「自殺行為だよ。ナマエには」

「かもね」

「マガト隊長が許さないと思う」

「出すだけ、出してみるから」

聞く耳を持たない調子に、ピークはため息をひとつ。

心境の変化が、ナマエにはあった。それはリヴァイからの返事がきっかけ。

リヴァイが装丁し直してナマエに送ってきた本には、ナマエの知らない物語が挟まれていた。ちゃんと、ナマエがヴェロナの物語を挟んだページに。男性の台詞がいくつかあって、それを繋げれば──

『私は貴女をとても心配している』

『出来るなら今すぐにでも会いたい』

『唯一想うのは貴女のことだ』

『助けたいと思う。貴女が私を、拒まなければ』

『私の気持ちもまた、貴女と共にある』

ナマエの安否を伺う台詞の繋ぎに、ナマエはリヴァイを想った。今すぐにでも会いに行きたい思った。

ただ本そのものが、どうしてナマエに返ってきたのか。それはきっと、イェレナやジークらといった反マーレ派が、ナマエとリヴァイの関係に目を付けているのだ。利用価値があると。だから本が、マーレに届くことが可能であった。

リヴァイの言葉を受け取ることが出来たのは素直に嬉しく思ったが、これ以上誰にもナマエのリヴァイに対する想い、そしてリヴァイがナマエを想うことに、触らせたくはなかった。大切にしたかった。だからナマエは、駆け引きの効かない世界へ行こうと決めたのだ。

諜報員を退いて、真っ直ぐと、ただ戦える場所へ。

「ポッコも怒ると思うなぁ」

未だ癪全としないピークに対して、ナマエは誤魔化すように笑うことしか出来無い。ピーク達にはもちろん、全てを話すことなどは出来無いから。

「そうね、ポッコも怒りそう。ピークからもフォローしてね?」

「……今最前線は大変だよ」

「近いうちに戦士候補生も連れて行かれそうなんでしょ?ガビ達が前に出るのに、私1人が鉄砲に当たらない場所にいられないよ」

「ナマエの仕事も必要なことだよ。情報は、重要な戦力なんだから」

こうやって、ピークはナマエを励ますことが上手いのだ。一番、ナマエが欲しい言葉をくれる。貴女は必要とされているのよ、と。

「……ありがとう」

「私の車力を、ナマエが継ぐ日がくればと思ったこともあったけれど」

「ううん。それは、また別の候補生に託して」

テーブルの向かい合わせ。ナマエは少し腰を上げ、軽くピークに抱擁を求めた。

「あのねピーク。私守りたいものが増えたの。私自身の力で守れるものじゃないんだけれど……」

「どういうこと?」

「変な話しよね。でもその存在を思うだけで、不思議と力が湧いてくる」

なんでも出来そうな気がした。例え慣れない戦地に赴いても、どうにか帰って来れるような。そんな途方も無い確信を得る程の。

「そう……私にはよくわからないけど。でも、ナマエがそんな風に思うなら応援するよ」

2人は顔を見合わせて微笑む。長い時間過ごしたからこその空気感が、そこには在った。

昼食時分は過ぎてしまっているので、食堂内の人はまばらだ。ぼそぼそとした人の声が小さく響くそこへ、途端に大きなノック音が響く。食堂内にいた全員がそちらに視線を移し、立ち上がった。

「マガト隊長!」

数人の声がかぶる。ナマエとピークも立ち上がり、姿勢を正してマガトの方を向いた。

「おい、ここにナマエはいるか」

「はっ!ここにおります」

「何をしている。さっさと来い」

ナマエはピークと目配せをし、食卓の上の書類を持ち上げた。すぐに行きます、と大声で返事をすると、食堂を出て行くマガトの背中を追いかける。

(転属願いを出そうとしているのが、マガト隊長の耳に入ったの?)

通された先は当局内でも一番奥まった場所にある小さな会議室で、中には質素なテーブルと椅子が数脚あるだけ。マガトは部屋に入るなり椅子に腰掛け、ナマエにも座るよう視線で促した。

「あの、マガト隊長……」

「俺が言うまで口を開くな、エルディア人」

「は……」

機嫌を伺うようにナマエは小さく目をしばたたかせ、上目遣いでマガトを見やった。

「その書類、俺が受け取るとでも思ったか?」

「いいえ……あの、これは」

ナマエは一瞬で、話の雲行きが良くないことを悟った。マガトに、転属願いを見てもらうことは出来無いだろう。すでに書類の存在を知っていたのだ。

「ジークから話しは聞いている。ナマエ、お前には会議で特別任務が下った」

「特別任務……ですか」

心臓の音が煩い。血が立ち上り、耳が熱い。こんな状況をナマエは知っている。「嫌な予感」というやつだ。平常を装っていられるのは、まだ諜報員としての矜恃だけれども。


「ああ、別命だ。来週から北の方に行く任務があったが、それは無しだ」

(あ……嫌だ。駄目、言わないでマガト隊長、それ以上)

「お前にはまた島に、パラディ島へ戻ってもらう。そこでの任務となる」

(折角見つけたの。自分の気持ちの置き場を、見つけた所だったの)

「現状マーレには、パラディ島へ調査船以上の兵は割けないが」

(もう嫌なの。私は彼を想って、自分の道を行きたいの)

「戦況の先を見据えると、奴らとの戦闘は避けられん日が来るだろう」

(お願い……お願いだから!)

「そこでジークが懸念する、リヴァイ=アッカーマンだが」

(もう……)

「巨人の力を持っても、奴の戦力は我が軍の障害になることが見受けられる。よって、奴の暗殺命令が出た。ナマエ、島の事情に明るいお前が行って、リヴァイ=アッカーマンを暗殺せよ」


ジークの報告によると、調査兵団内では、獣の巨人に対し、たった1人で──

その後もマガトの口からは、リヴァイに関する事が淡々と述べられる。あれだけ焦がれていたのに。彼の名が、誰かの口から出て来ることを。どこか呆気に取られて、ナマエはリヴァイの名を口にするマガトを見つめる。

マーレに生まれた、エルディア人のナマエ。命令に背くことは出来無い。

マガトが次に口を噤んだ時、上手に「了解しました」と口に出来るのだろうか。「りょうかい」はどんな風に発音するんだったか。静かに過ぎていく時間の中、ナマエはそんな事を思った。

終幕へ


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