▽ お約束でもいいじゃない
外はまだ雨が降っていたけれど、ナマエが扉を開いたその先の部屋の中はほんわりと温かかった。
「リヴァイ兵長!何してるんですか!」
窓際に置かれたテーブルと椅子、その椅子に腰かけたまま、リヴァイは腕を組んで静かに船を漕いでいる。
「あ……?」
「ちゃんとベッドに入ってくださいよ」
「馬鹿野郎。こんな時だからこそ、警戒が必要だ」
「ここは兵舎内です、しかも調査兵団の!超大型巨人が攻めて来たとしても、とりあえず一番に貴方に連絡は行くんですから。ちゃんとベッドで休んでください。だから風邪なんて引いちゃうんですよ」
「風邪を引いたわけじゃねぇ。ただ平常時より体温が高いだけだ」
「そういうのを風邪っていうんです」
ナマエの勢いが留まらないのを見て、リヴァイはため息を吐いて椅子から立ちあがった。
昨日は久方ぶりの野営訓練があった。
班ごとにわかれて、ウォールローゼの北の方まで馬で駆け、森で水や食料を摂り、野宿をして帰還してくる行程。しかし後半から大雨に見舞われ、今日は体調を崩す兵士がちらほら。その中に珍しくもリヴァイが含まれていたのだ。
「温かい物を食べて、ゆっくり休めばすぐに良くなりますから」
ナマエがそう声をかけても、リヴァイからの返事は無い。リヴァイはベッドに腰掛け、靴を脱いで布団に潜り込もうとしていた。
「あ、ちょっと待って下さい。一度寝間着を変えましょう?きっと汗をかいてますから……体も拭いた方がいいです」
「ああ……それもそうか」
いつもの彼なら、一番に着替えをしそうな所だけれど。それすらが億劫な程、辛いのかもしれない。
ナマエは手早く洗面所からタオルと洗面器を用意して、彼のクローゼットから着替えも取り出した。勝手知ったる仲ではある。
リヴァイはぼんやりと、ベッドに腰掛けたままだった。
「お待たせしました。体……拭くので」
熱っぽさをもったリヴァイの瞳は、じっとりとナマエを見上げている。いつも以上に目が座って見えるのはご愛敬だ。
「あの、体……」
じと、とリヴァイは眉間の皺を深くする。
「脱がせて……いいですか」
「ああ」
部屋の温度が3度くらい上昇したようだった。しかしこれは看病。潤んだリヴァイの瞳に惑わされないように、ナマエはリヴァイのシャツのボタンに手をかけた。
「なんで風邪引いている人が、こんなにカッチリしたシャツ着てるんですか……」
「俺の勝手だろうが」
ぷち、ぷち、ぷち。
1つずつボタンを外していく様はどうしてこんなに官能的なのか。しかも相手はリヴァイである。1つずつボタンが外されていくごとに、その逞しい筋肉の乗った肌質が露わになるのだ。
最後のボタンを外すのは、流石のナマエも勇気が必要だった。てのひらの裏に、ズボンのベルトのバックルが触れるのだ。
(きわどい……!)
しかしリヴァイは相も変わらずの表情で、ただナマエを見下ろしている。
「か、体!体拭きますから!」
「頼む」
リヴァイは全く動く気配が無い。
ナマエは真っ直ぐ立ちあがり、彼の肩に手を伸ばした。抱きしめるような恰好になってしまうけれど、これはあくまでシャツを脱がせるためだ。
(わわわ!)
「オイ、どうした。お前の方が熱っぽい顔してんじゃねぇか」
「気のせいです、気のせい!」
熱を孕んだリヴァイの半裸の威力は絶大だ。余計な邪念がナマエを襲う。無駄に首を横に振りながら、ナマエは洗面器に手を伸ばした。
「……冷たくないですか?」
「いや……」
首周りの辺りから、肩、背中にかけて順番に拭いていく。改めて明るい場所で彼の体をまじまじと見ると、ナマエの知らない小さな傷がいっぱいだった。少しだけ、それに切ない気分になる。
胸板の方を拭こうと両のてのひらを彼の胸の手にあてた時だった。ぎゅっと、不意打ちで抱きしめられる。
「リ、リヴァイ兵長っ!」
「下まで拭いてくれんのか?」
「熱で冗談がおかしくなってますよ!下は脚だけしか拭きませんから!他に気持ち悪い所があればご自分で!」
「俺は下のどことは言ってねぇが」
ナマエの方が発熱したような顔になってしまう。もちろん、ただ揶揄われているだけなのはわかっているが。
そんなやり取りを挟みながら、どうにかリヴァイに寝間着になってもらい、ベッドに入ってもらうまでは出来た。シーツの上には洗いたての大判のバスタオルも敷いてある。病人を寝かせるには万全なはずだ。
「何か食べたいものはありますか?」
「……食欲はねぇな」
「そうですか。じゃあ、あとで何か食べられそうなもの、私が作ってきます。食べられなかったらそのまま置いておいて下さい。私が片付けますから」
「もう行くのか?」
片手をのてのひらを額にあて、物憂げにリヴァイはナマエを見上げていた。
「え?ええ……まだ、行かない方がいいですか?」
「そこにいろ」
はぁ、と長いため息が響く。
(人類最強でも、こんな時は心細くなったりするのかな)
ナマエからも自然に笑みが零れた。
「額のタオル、代えますね」
「ナマエの手の方が冷たい」
ぐい、と引っ張られる華奢な手首。リヴァイはナマエのてのひらを自身の頬にあてると、その冷たさを楽しんでいるかのようだった。
「……気持ち良いですか?」
「そうだな。タオルよりは悪くない」
少しだけ、幼い頃のリヴァイを思わせるような表情だ。こういう時はナマエも、女性としての母性本能のようなものが刺激されてしまう。自然と、空いたてのひら方でもリヴァイの頬や首を撫でていた。
「手が温まっちゃったら、水で冷やしてきますね」
「は……」
本当にナマエは、てのひらが温まったら洗面所の水で冷やし、またリヴァイの額を冷やすといった行為を繰り返した。丹念に丹念に、リヴァイの肌に自身のてのひらを這わせた。
(こんなにまじまじと、兵長の顔を触れる機会ってなかなかないもの)
男性、しかも年齢のことを鑑みると悔しいくらいに美肌だ。手入れが行き届いているのか彼の体質かは定かではないが、無精髭の類も無い。
ナマエがこの部屋に訪れたのは昼過ぎの頃だったが、気付けば夕刻に近い時間。昨日とは打って変わって空模様は晴天だ。優しい夕方の灯りが、カーテンの隙間から差し込む。時間はゆっくりと流れている。今日は調査兵団きっての兵士長が病欠なのだ。こんなのんびりした日があってもいい。休養だって必要だ。優しい時間も、必要だ。
気付けばリヴァイはナマエと手を繋いだまま、ぐっすりと眠り込んでいた。ナマエも、仰向けのままリヴァイが眠っているのを見るのは初めてだった。
(この様子……今すぐモブリットさんを呼んでスケッチしてもらいたいくらいの光景)
しかしナマエは出来る限りそっとその手を離し、音を立てないように部屋を出る。向かうは厨房だ。リヴァイは食欲は無いと言っていたが、何も出さないわけにはいかない。
ミルク粥あたりが病人食としての定番だが、ナマエにはどうにもミルク粥をつっつくリヴァイが想像できず、厨房にちょうど届いた新鮮な鶏肉を分けてもらい、チキンスープを作ることにした。具はシンプルに玉ねぎと卵。なるべく柔らかくなるように焼いたパン。
少し冷ました紅茶には生姜とハチミツをちょっぴり落として、ナマエはそれらをトレーに乗せてリヴァイの部屋へと戻った。
音を立てないように扉を開いたつもりだったが、ベッドを覗いてみると恨めしそうな視線がナマエを睨む。
「どこへ行っていた」
「すみません。よく眠っていらっしゃったから、その間に晩ご飯を準備していました」
困ったように笑いながら、ナマエはベッドサイドのテーブルにトレーを置く。
「気分はどうですか?」
「暑いな……」
ナマエはこつんと額を合わせてリヴァイの体温を計る。
「あ、でもお昼よりはお熱下がってます」
「そうか」
リヴァイがそう言った瞬間、強い力を持ってナマエの後頭部は動かなくなった。そしてそのまま、リヴァイの唇へと導かれる。普段よりもずっと熱い唇が、ナマエの唇に触れた。
「ん……ふぁ、へいひょ……」
「献身的な看病の礼だ」
「びっ……くりしますから、もう!」
「そりゃあ悪い事をしたな。そこのナマエが作ってきたメシとやらは、もちろん食べさせてくれるんだろうな?」
口をへの字にして、ナマエはリヴァイは横目で睨む。こんな人にこんな甘え方をされたら、断る術など無いだろう。
「ちゃんと、食べてくれますか?」
「ああ」
「じゃあ……はい、あーんして下さい」
ぱかり、とリヴァイは無言で口を開く。
「オイ、笑うんじゃねぇ」
「いえ。ふふ、いえ……すみません」
そう言いながらも、ナマエの手の中にあるスプーンはリヴァイの口の中とスープのボウルを往復する。
「全部ナマエが作ったのか?」
「はい。厨房の隅っこ借りまして」
「鶏をシめるとこからか」
「さすがにそこからしてませんよ」
そんな他愛の無い話しをしながら、静かな夕餉は進む。
もう一度リヴァイのお着替えイベントをこなした後は、なし崩しにナマエも彼のベッドへと収まった。そうしてお約束かな、翌日はナマエが自室のベッドへと籠ることになる。
あれだけぴったりと1日中リヴァイに付き添っていたのだ。仕方の無いことではあるが、早く風邪を治さなくては……ナマエがそう思っていた昼下がり。
トントン、と控えめなノックの後に返事を待たずしてナマエの部屋へ入ってきたリヴァイ。そして彼はワイシャツのボタンを外しながらこう言った。
「今度は俺が看病してやる番だ」
なんで服脱ぎながら入ってくるんですか──!ナマエのその叫びに近い言葉は彼の唇によって塞がれ、翌日にはやっと2人揃って元気になるのであった。
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