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▽ ディスタンス


ナマエは5メートル級の奇行種に食べられる寸前だった。

初めての壁外調査。班員からはぐれた場所で突如襲われた上、馬には逃げられ、ブレードは刃毀れしたものが残り1対。

(ああ。もうダメだ、今度こそ死んだ……)

奥歯は噛み合わずに震えるし、足にも力が入らない。ただ瞳を閉じてその時を待つしかないのだろうか。間もなく訪れるであろう、その最たる恐怖……

今わの際かと思ったが、ナマエの視界の隅を緑の点が横切った。巨人の項目掛けて、それは直線を描き、周囲の民家だった建物の間を往復する。

「な……」

刃に太陽が反射する。大きな地響きと共に、倒れた巨人の上に降り立ったのはリヴァイ兵長だった。

「オイ、無事か」

「あ……はい」

「お前、新兵か。こんなとこまではぐれちまって、痛い目見たようだな。馬はどこだ」

逃げられてしまって───そう口に出そうとしたが、ナマエは言葉がつっかえてしまった。代わりに首を横に振り、リヴァイに意思表示をする。それを見たリヴァイは小さく舌打ちを零すと「立てるのか」と呟いた。

使い物にならなくなった刃を落とし、立ち上がろうとしたがナマエにはそれが出来無かった。腰が抜けてしまっていたのだ。今度はリヴァイから小さなため息が漏れる。

巨人の上に立っていたリヴァイは素早い動作でブレードを仕舞い、ナマエの目の前まで飛んで来る。そして有無言わず、ひょいとナマエを抱き上げた。肩に担ぐ要領で。

「あ、あの!」

「本隊に合流したら救護班に渡してやる」

ナマエを担いだまま、リヴァイはアンカーを放って器用に飛ぶ。

「すみません……」

「すまないと思うなら、次から壁外で迷子になるような馬鹿はしねぇこった」

「仰る通りです」

普段は後ろ向きに飛ぶことは無い。リヴァイに担がれたままだと、ナマエの視界は景色が逆流しているように見えた。

「刃はもう残ってねぇようだが……俺が行くまでに倒した巨人がいたのか?」

「はい。なんとか1人で、1体を討伐しました。でも刃を駄目にしてしまって」

「それで2体目のあの奇行種に手こずってたのか」

「助かりました」

は、とリヴァイは鼻で笑う。
初陣の新兵がここまで動けたら上等だと彼は思った。

***

壁外調査での初対面を交わしてから、リヴァイは何かにつけナマエに話しかける様になっていた。とは言っても、兵士長と新兵という立場。長く会話をする機会は少なかった。それでも会えば挨拶以上の話しもしたし、ナマエからリヴァイに声をかけることも稀にあった。しかし。

「……最近、あいつの顔を見ねぇな」

朝食の最中、リヴァイはぽつりと呟いた。向かいにはペトラを初めとした、リヴァイ班の面々が並んで食事をしている。

「あいつって誰ですか?」

まだそこまでリヴァイの口真似をしていないオルオはきょとんとしてリヴァイに尋ねた。

「新兵の……ナマエだ」

その瞬間、ペトラは飲んでいた水を盛大に喉に詰まらせた。あからさまに動揺してむせるペトラに、リヴァイは「どうした」と尋ねる。

「っいえ!あの、兵長からナマエの名前が出てきたのがとても意外で」

「ああ?」

意味がわからない、と顔に書いて疑問符を浮かべるリヴァイに、エルドとグンタが続ける。

「ナマエってちょっと変わってるんですよ。口下手が過ぎる……というか」

「立体起動や座学の腕はよかったらしいですが、協調性にマイナスをつけられたのは彼女が初めてだとかで」

そうだろうか、とリヴァイはナマエのことを思い浮かべる。最初に壁外で会話を交わした時でさえ、そんな印象は受けなかったのだ。

リヴァイが「よぅ」と挨拶をすれば、ぱっと笑顔を見せて敬礼を構えてくる新兵のナマエ。伸びしろもあるし、努力家な面も垣間見えるそんな彼女を、リヴァイは可愛い部下だと認識していたのだが。

「そうそう!その協調性の無さが原因で、この間の壁外調査の時も迷子になっちゃったとかで」

思い出したかのようにペトラが言うと、リヴァイは優雅に持ち上げた紅茶をぴたりと止めた。

「……それは本当か」

「え?あ、はい。一度陣形が乱れて、進行を緩めた時があったじゃないですか。その時に班員が集まって話しをしていたらしいんですが、ナマエはそれに入りそびれた……とかで」

口の前で止めていたティーカップを、リヴァイはソーサーへと戻した。そして無言のまま、立ち上がる。

「へ、兵長どちらへ?」

オルオがそう尋ねると、リヴァイは「お前達は先に訓練を始めていろ」とだけ言い残して、食堂を出て行った。

***

(そういえば、食堂であいつの顔を見た事はなかったな)

班や役職によってバラつきはあるが、大抵……特に新兵辺りはまとまった時間に食事を摂ることが多い。しかしいつだって、その中にナマエはいなかった。

「だからといって、んなとこで飯を食う奴がいるか」

厩の裏。あまり匂いもよろしくないそこで、ナマエはパンをかじっている真っ最中。

「むぐっ!りはいへいひょう!」

「オイ、聞いたぞ。てめぇ、この間の壁外での迷子……ありゃあ、お前の協調性のなさが原因らしいな」

「わたひだってほんなつもりは」

「食え。さっさと飲み込め」

リヴァイの米神に青筋が立ったのを見て、ナマエは慌てて水でパンを押し流した。

「俺には普通に話してるじゃねぇか。何が問題なんだ」

腕組みをしたリヴァイはナマエを見下ろしている。ナマエはぐるりと瞳を一周させて、誤魔化すような、それでいてバツの悪そうな表情を浮かべた。

「……同じなのかなと思いまして」

「ああ?」

「リヴァイ兵長も。私と同じで、あまり人と話したりするのが得意じゃなさそうなので……私も話せるのかなって」

瞬間、ナマエの頭のてっぺんにはえらく重量感のあるてのひらが落ちてくる。

「上官に向かって貴様、いい度胸だ」

「だってだって!」

「ナマエ。お前が俺としかまともに会話も出来無いというのなら、上官としてもっともな機会を与えてやろう。明日からお前は俺の班員だ。訓練もうちの班のものに従え」

「えっ……!」

それからリヴァイの行動は早かった。その足でエルヴィンの元へ向かい、ナマエの所属班移動の申請。それからまたナマエの所へ戻り、嫌がる彼女の手を引いて訓練中のリヴァイ班の元へと向かった。

「リヴァイ兵長、どうしてナマエが」

2人の姿に気が付いたエルドがそう尋ねながら飛んでくる。グンタ、オルオ、ペトラも続々とエルドに続いて集まってきた。

「今日からナマエはうちの班員だ。コイツの性根を鍛え直す」

動揺の声が方々からあがる。ナマエはリヴァイの影に隠れ、ふるふると首を横に振っていた。が。

「そもそもはてめぇが巻いた種だ。おら」

ちらりと視線を送り、リヴァイはナマエに班員に自己紹介しろと目で威圧する。

「ナマエ……です」

かろうじて敬礼は構えていたが、やや猫背気味でナマエは小さく呟いた。

「ちょっとびっくりしました……けど。同じ班員になるなら、一緒に頑張ろうね!ナマエ」

「俺達が鍛え直してやるよ!」

眩しい笑顔のペトラとオルオ。しかしナマエはそんな他人の表情にこそ尻込みしてしまう。

「ナマエ、返事は」

「は、はい!」

リヴァイの厳しい号令と共に、ナマエはようやくリヴァイ班の方へと進み出た。グンタとエルドも「よろしくな」とナマエに右手を差し出す。

そこにいるナマエは、リヴァイが知っているナマエより余程挙動不審な人間だった。おろおろとして視線は定まっていないし、どこか不安でいっぱいな様子。

(……初めての壁外で巨人を討伐できるような奴が)

どうして、とリヴァイは思う。しかしそこはさすがリヴァイ班、ペトラを筆頭にナマエを4人の輪の中に引き込んでいた。

「先に訓練を初めておけ」

そう言ってマントを翻すリヴァイに、一同は「は」と敬礼を構える。ナマエだけは、不安でいっぱいの表情でリヴァイを見つめていた。

***

執務室でいくつかの事務仕事を抱えていたリヴァイは、手早く書類に筆を走らせる。班員のことは信頼しているが、あの最後に見たナマエの表情は気がかりでもあった。

書類をエルヴィンの元へ届けるすがら、廊下の窓からは訓練中の演習場が見渡せる。そこへ視線を移せば、立体起動を使って飛び回るナマエの姿があった。

(やりゃあ出来るじゃねぇか……)

エルドに何か指示を出され、それに機敏に答えてグンタと共に巨人の模型へと向かう。むしろその姿は、今日入ったばかりの新米班員の姿にはとても見えなかった。

「兵長!」

そう呼ばれてリヴァイが振り返ると、そこには小走りのペトラの姿。

「どうした」

「すみません、ハンジ班に伝言を頼まれて。書簡を届けてきます」

手にはハンジ宛てらしい書類がある。そうか、とリヴァイは頷いた。

「あ……ナマエ、見えましたか?」

「ああ。うまくやっているようじゃねぇか」

「最初はガチガチでしたけれど」

困った様に笑うペトラ。そして一瞬思案したような表情を浮かべ、ナマエが見える窓の方へと視線を移した。

「ナマエ、もっと訓練したら良い兵士になりそうですね。って、私が言うのも烏滸がましいですけれど」

「いや。俺ももう少ししたらそっちに行く」

返事と敬礼を同時にして、ペトラは廊下を駆けて行く。

もともとナマエは、訓練兵でも少し浮いた存在だった。とにかく口下手で、他人との距離を測るのが下手なのだ。いつしかそれはナマエが自分で自分を孤立させ、少し浮いた存在はとても浮いた存在になってしまった。

そうなってしまえばナマエも、自然と他人を拒絶するようになっていた。関わりさえしなければ、面倒が起きることも無い。自分が浮いた存在だと、劣等感を抱くことも無い。しかし他人との間に築いた壁を、壊してくれるのもまた他人。

リヴァイが壊した壁の先には、ナマエを受け入れてくれる人達がいた。

***

ナマエが唐突にリヴァイ班に配属されてから一カ月──

「ようやく食堂で飯を食う気になったか」

ペトラの隣で食事を摂るナマエを見下ろし、リヴァイはその向かい側の椅子を引いた。

「むぐっ!りはいへいひょう!」

「食ってから話せ」

相変わらずパンを詰まらせたナマエ。
テーブルの空気は和やかだ。リヴァイが来る前から、ペトラとナマエ、2人で談笑しながら食事を摂っていたことが伺える。

「わ、ナマエ何やってんだよ!ほら、この水飲めよ」

ちょうどナマエの背後を通りすぎようとした男性兵士が、もう下げようとしていたトレーに乗ったコップをナマエに差し出した。

ナマエの方も何の疑問も抱かずに、そのコップを受け取り一気に水を流し込む。

「はぁ、息が出来無くなると思った」

「気を付けろよ。じゃあまた後でな」

「うん!ありがとね!」

その一連のやり取りを、リヴァイはじっと見つめていた。

「へ、兵長……?どうされました?」

急に空気の変わった上官の顔に、ペトラは恐る恐る尋ねる。

「いや。ナマエ、てめぇ随分余裕が出来たようだな」

「余裕……そうに見えますか?」

「壁外や野営訓練では別だが、日常生活で口をつけるモンを他人と使い回すのは関心しねぇ」

急にピリリとした空気を醸し出したリヴァイ。ナマエは目を見開いて、ペトラはどこか頬を染めてリヴァイを見ていた。

「……すみません、次からは気を付けます」

「そうしろ」

ナマエは慌てた様子でトレーを持ち上げ、何も言わずに席を立った。颯爽と立ち去って行くその小さな背中に、リヴァイは僅かな疑問を抱く。ナマエが他人と回し飲みをするくらい、心安く関係を築けているのは喜ばしいことではないか。

しかしその後、リヴァイが厩へと立ち寄ればオルオとナマエの姿があった。2人はリヴァイに気付いている様子は無く、楽しげに喧嘩をしている風である。

「オイ」

リヴァイがそう声を発すると、オルオとナマエは同時に姿勢を正してリヴァイの方を向いた。

「何をぎゃあぎゃあ騒いでやがる」

「いや、ナマエの奴がですね。俺の馬にニンジン食わせようとしてて。俺の馬はあんまりニンジン食わねぇって言ってんのにですよ」

そう言ってオルオはナマエの小さな頭を、そのてのひらで押さえつける。

「オルオさん痛い!離してください」

「あーもう、このわからずやめ。この間まで端っこで蹲って泣いてたクセに」

「泣いてたことなんてないでしょ?」

再びヒートアップしそうなオルオとナマエの掛け合い。

「もういい、黙れ」

ぴしゃりとしたリヴァイの声に、途端2人は大人しくなる。食堂でのこともあってか、ナマエはいつもよりしゅんと視線を地面に落としていた。

「ナマエ、来い」

「え、私だけですか?」

「さっさとしろ」

一瞬だけ、ナマエはオルオを恨めしそうに睨む。するとオルオはどこかニヤついて、肩をすくめてみせた。

リヴァイがナマエを連れてきたのや厩の裏手だった。以前、ナマエが1人でパンを食べていた場所だ。

他の兵士の姿はそこには無い。静かに揺れる若葉と、優しく振り注ぐ陽だまりだけがそこにはあった。

「リヴァイ……兵長?私、何かリヴァイ兵長に怒られること……しましたけど。何か、あの、その」

リヴァイは長いため息を吐く。

「いや。お前が他の奴らと交流が持てるようにしたのは、俺が指し向けたことだ」

この場所へ呼ばれた意図と話しの意図が掴めずに、ナマエは不思議そうに疑問符を浮かべる。

「ただ、ここで1人でメシ食ってたお前が可愛く思えたのも確かだ」

「へ?」

目の前の上官から発せられた「可愛い」という言葉に、ナマエはとてつもなく違和感を覚えた。しかもそれはナマエに対して、だ。

リヴァイは、先ほどオルオが触れていたナマエの頭の上にてのひらを置いた。ぐりぐりと、撫でつける様に。

「リヴァイ兵長は……私と2人でお話しがしたかったんですか?」

「お前が楽しそうにしているのを見るのは悪くない。が、節度は保て」

そこまで言われると、さすがのナマエにだってわかる。個人的感情を孕んだ、その言葉に。

どう返事をして、どうこの場を交わせばいいのだろう。そうナマエが思案したのもつかの間、リヴァイの両手はがっしりとナマエの両肩を掴んだ。そして。

「……消毒だ」

ちゅ、と触れる唇。

ただでさえ口下手なナマエは、余計に言葉に詰まってしまう。更にキスされた瞬間、そこに蓋がされたかのように。

でもナマエは伝えなくてはいけない。

リヴァイのお陰でこの調査兵団へ馴染むことが出来たという事。そしてリヴァイという存在のお陰で、ここで生きて行く意味が何倍も深くなったという事に。

しかしナマエがそれを言葉で表現する前に、シニカルに笑うリヴァイは2度目のキスを落としたのだった。

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