▽ 銀色の麒麟
最近視線を感じる、とナマエは思っていた。
今も、そう。意味も無く寄ったコンビニエンスストアで、雑誌をめくっていた最中。どことなく背筋に冷たいものを感じたので、ナマエは雑誌を棚に戻すと、適当にジュースとお菓子を選んでレジへと向かう。買い物袋をぶら下げて、トラックの赤いブレーキランプや看板のネオンが眩しい外へ踏み出すと、ナマエの視界の端に一層眩しい銀色が瞬いた。
(……彦星様?)
自動ドアをくぐってすぐの場所に。その銀髪の少年はナマエの方を向いて座り込んでいた。
(綺麗な男の子。それにしても変わった恰好だな)
ナマエが彦星様、などと思ってしまうのも無理はなかった。彼はまるで絵本の挿絵に出てくるような、中国風の古い袷の着物を着ていたのだ。最近甚平の代わりに着るのが流行っているのかな、と思いつつ少年の側を通りすぎようとしたが。
「ねぇ!」
「え、私?」
「うん。あんた以外いないだろ?その袋の中って、何?」
「これ……?お菓子とジュースだけど……」
ふぅん、と一瞬思案したような表情を浮かべ、少年はぴょんと勢いをつけて立ちあがった。
「俺キルア。家まで送ってってやるからさ、そのお菓子ちょーだい」
小柄な少年といえど、唐突なその申し出にナマエは身じろいだ。
「ちょ、ちょっと何言ってるか……わかんないんだけど。私急いでいるから」
颯爽とキルアに背を向け、ナマエは早足でその場を通りすぎる。走った方がいいかもしれない。
「なぁ!」
遠くなりかけたナマエに向かって、キルアは叫ぶ。
「あんた、名前は?」
その瞬間、キルアの背後に強い風が吹いた。ふわふわの銀髪が、夜の街中にくっきりとしたコントラストを作り出して。丸い、紺色の印象的な瞳。どれをとっても、キルアを象る全てが浮世離れして見えた。
「……ナマエ」
ナマエは小さく呟くと、今度こそ全力で走り始めた。何かに、飲み込まれてしまいそうだった。
***
次にキルアと出会ったのも、夜だった。
ナマエは友人と待ち合わせをしていたのだが、奇しくも土壇場でキャンセルを食らって、なんとなく1人で夜の公園のブランコに腰掛けていたのだ。
「何やってんの」
ずっとスマートフォンを扱っていたナマエは、聞き覚えのある声に慌てて顔を上げた。
「びっ……くりした……えっと、キルア……だっけ?」
「お!覚えててくれたのな。あ、こっちはゴン」
今日は友達も一緒のようだ。深く帽子をかぶった少年が「よろしく!」と白い歯を見せて笑った。
「ゴンは俺の女怪なんだぜ」
「にょかい?」
聞き覚えの無い単語に、ナマエは首を傾げた。よく見るとゴンもキルアと似た服装をしている。かぶっている帽子だけがサイズオーバーの野球帽のせいで妙な印象を受けるけれど。
「こう見えて、犬と猫と兎がまじってんだぜ!すっげぇだろ」
何がどうすごいかわからなかった。更に疑問符を増やすナマエをよそに、当のゴンは「えへへ」と言いながら何故か照れている。
「でもさ、今日はちゃんと近くで初めて見たけど。ナマエってすっごく可愛いね!キルア!」
「まぁな」
どうしてかキルアは得意そうだ。完全に置いてきぼりの状態で、ナマエは茫然と2人を見やった。
「キルアってさ、あんまり天変しないけど麒麟なんだよ。ナマエを王様にしようと思って、蝕で来たんだ!」
「そうそう。結構大変なんだぜ、アレ。あっちの世界じゃこっちの世界でいう所の大嵐よりひどいモンだっつーの。だからさ、さっさと」
更にわけのわからない会話が続く。ナマエは思わず立ち上がり、2人を睨んだ。
「ごめん。もう夜遅いし、君達の遊びには付き合えないから……私、帰るね」
「え、ちょっとナマエ?まだ誓約が……」
ゴンが何か言いかけていた。しかしナマエは走り始める。
初めてキルアを見た時のように、胸が高鳴っていた。さっき2人が口にしていたのはまるでお伽話か漫画の中の話しか。しかしそれがどうしようもなく、リアルに心に響くのだ。キルアという存在を介して、ナマエはすでに非日常に片足を突っ込んでいる気分だった。
ただ、それら全てが怖くて。
今目の前にある道路や、信号や、電線。遠くに見える電波塔。そんなものが、1つずつ消えていくような……
「っはぁ、はぁ……」
息の切れたナマエは、しばらく走った先にある森林公園へと辿りついていた。ここを抜けると自宅への近道なのだ。もう暗くて視界は不明瞭。しかし今は一刻も早く、家に帰りたかった。
───木々が茂る暗い夜道へと向かって歩き出す。
背筋に冷たいものが通った。それは先日からずっと気になっていた視線だった。じっと、ナマエを見ている誰かの視線。
(何なのこんな時に……それとも、キルア達が私を……?)
コンビニの前で声をかけられるより以前から、キルアはナマエを見張っていたのだろうか。非日常へと、ナマエを引き摺り込むために?
(逃げなきゃ)
直感的にナマエは再び走り始めた。しかしナマエは数歩、走った所で動けなくなった。右手を掴まれていたのだけれど、それがあまりに唐突すぎて。予想外すぎて。ナマエが振り向いた先にはキルアでは無く、大柄なニット帽をかぶった知らない男。
「……っ!」
叫ぼうにも、あまりの恐怖にナマエは声を失った。暗い森林公園。そうそう、歩いている人なんて見当たらなくて。
「やっと俺の方を見てくれたね。ずっと君のこと、見てたんだ」
男は、ストーカーの常套句を並べ立てた。叫ばなきゃ、逃げなきゃ、走らなきゃ、そう頭では思うのに、ナマエは一歩も動けない。男はにやりと口角を上げ、ナマエに一歩近付いた。恐ろしい笑顔を携えて。
(誰か……!)
ぎゅっと瞳を閉じる。閉じた瞼の裏に、まばゆい閃光とキルアのよく通る声が響いたのは同時だった。
「
落雷!」
白く、柔らかく、それでいて逞しい手がナマエの二の腕を掴んでいた。
「ナマエ?大丈夫だった?怪我は?」
背後からは、ゴンがナマエを抱きとめた。ゆっくりとナマエが瞳を開くと、そこにはナマエを背にして立つキルアの姿。ナマエをストーカーしていた男は、地面に横たわっていた。キルアが人差し指をその男に向かって指すと、男の周りには雷のような光がぱちぱちと取り囲んでいる。
「何……あれ」
「キルアは雷の妖魔を使令にしているんだ。あいつをどこかへ連れて行ってくれるよ」
「どういうことなの」
ぽかんとしたまま立ち尽くしていると、ほどなくしてキルアは振り返った。両手を腰に当て、その大きな猫のような瞳でナマエを睨む。
「ぶぁーか!だからこの間も、俺が送ってってやるって言ったのに!俺らのこと無視して走って行きやがって!」
「私がストーカーされてること……」
「知ってたよ。もっと早くにこうするべきだった」
「だから俺が倒すって言ったのに!キルアがもう少し様子を見ようなんて言うからさー」
「あのな!お前があいつの返り血でも浴びてみろ?一番俺と過ごす時間が長い癖して、下手なこと言ってんじゃねーよ!」
「だって」
柔らかそうな頬っぺたを膨らませ、ゴンはおもむろにかぶっていた帽子を脱いだ。そこには人間には無いはずの、大きな猫耳がついている。
「ちょっ……それ、本物?」
「言ったろ。女怪だって」
さも当然のように、キルアは言う。ゴンはお尻をナマエに向けて「こっちは犬の尻尾なんだ」とふさふさのそれを大きく左右に振っていた。
「女怪……麒麟……」
ナマエがそう呟くと、キルアは真っ直ぐとナマエを見つめ───それからナマエのつま先に額が触れるか触れないか、それくらいの距離でもって跪いた。
「天命をもって主上に迎える。御前を離れず、詔命に背かず、忠誠を誓うと……誓約申し上げる」
「誓約……?」
未だ事情はわからない。困惑するナマエに、キルアはちらりと瞳を上げてナマエに言う。
「許すって言え。そう言いさえすれば、これから俺達はずっとお前を……王として慕い、敬い、守ってやれる。その分、働いてもらうけど」
王?王様?私が?そんな疑問を浮かべたまま、ナマエはゴンに振り返る。彼もまた、静かに頷いて見せた。
「……許す」
そう呟いた瞬間。キルアの額からは光が溢れ、キルアの姿はとても美しい銀色の麒麟となった。
こうして───
十二の国では珍しいという、銀色の麒麟と可愛い猫耳のついた女怪を伴って。私の王としての物語は幕を開けたのだ。
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