▼ 昔話もほどほどに
受話器を取る受付嬢と、それに対峙するカウンターに立つ派手な女、そしてエレベーターの扉が開いた瞬間やや驚いたリヴァイ。三者の視線が放物線を飛ばし、空中で交わった。
「アッカーマンさん、今内線でお繋ぎしようと……」
「あー!リヴァイくんいたー!」
「会社には来るなっつったろうが」
甲高い声はまるで親猫を呼ぶ仔猫のようで、社のエントランスホールに響き渡る声は一瞬で周囲の人の注目を集める。
リヴァイの後ろには偶然ペトラが控えていた。鮮烈すぎる上司の彼女との初対面はまだ記憶に新しいペトラは、あからさまに嫌な顔をして見せる。しかし当の彼女はどこ吹く風。受付嬢が静止するのも聞かず、リヴァイの方へ駆け寄って来た。今日も鋭利なピンヒールをはいているので、かかとが床を打つ音は警告音のようだった。
「ナマエ、せめて連絡してこい」
「違うの。買い物に出てきたんだけどお財布忘れちゃって。お金ちょうだい」
「来るときタクシー乗っただろ?どうやって金払った」
「タクシーはチケットあるでしょ!バカだな〜リヴァイくんは」
リヴァイは背後にいたペトラを一瞬見やり「少し外す」と言ってナマエの腕を引いて距離を取る。それからスーツの内ポケットに入っていたスリムな長財布を取り出し、適当に数枚の万札を手渡したのだ。しかしその万札を見るやいなや。
「これだけ?」
「あ?テメェ、何買う気だ」
「わかんないよ。買い物だから」
「せめて買う目的を決めろといつも言ってるだろ。いらねぇもん増やすな。ゴミが増える」
「ゴミとかひどい!」
ふたりの言い合いはしばらく続いたが、そのうちナマエの方が折れてしおしおと項垂れつつも手を振りながら帰ってゆく。その場から去ることが出来なかったペトラは、気遣うようにリヴァイに声をかけた。
「あの……大丈夫ですか」
「ああ。いつものことだ」
「そう、ですか」
一体全体、このふたりの関係はどうなっているのだろう。
尊敬する上司のプライベートに踏み込むのは気が進まなかったが、ペトラはリヴァイと別行動になったあと、おそらく何か知っているのではないかと思われる男に聞いてみることにした。エルドだ。彼ならペトラよりも長くリヴァイと働いているし、ふたりで飲みに行くこともある。彼女のことも知っているはず。
「……ってことがあったの。何か知ってる?エルド」
ブランドまみれで水たまりに落ちていたのも十分衝撃的だったけれど、今日のお小遣いをせびる光景も十分衝撃的だった。
「ああ、ナマエちゃんか」
「エルドは会ったことあるの?」
「何度か。ちょっと強烈なキャラだな」
「ちょっとどころじゃないわよ。どうしてつき合ってるのかしら?」
ペトラの口調には嫌味というよりは不思議な気持ちであふれていた。確かに見た目はちょっとかわいい方ではあるけれど、やることなすこと度が過ぎている。リヴァイであればもっと高望みしても、両手に余るくらい相手に不自由は無いはずなのに。
「そうだなぁ……リヴァイさん、もともとあの子の後見人だったから。世話焼く癖が抜けてないんだろうな」
「後見人?」
「そ。ご両親がどっかの大会社の社長だったとか?なんでかあの子がリヴァイさんに懐いてて……まぁ、親族間で後見人とか立てるとモメそうだからって、リヴァイさんがなったんだよ」
「ご両親、亡くなってるの?」
「ナマエちゃんが高校三年生の時、飛行機事故で。リヴァイさんはその時ちょうど、社会人二年目ってとこか」
ふたりの奇妙な同棲はそこからスタートし、現在に至る。
思わぬ昔話が飛び出して、ペトラは口をつぐんでしまった。
「でも、ま。強烈だよな」
「うん」
思春期の頃に両親を亡くして、お金はあるのに親戚は頼れなくて。どういう経緯でふたりが知り合ったかはエルドも知る由はないけれど、彼女はきっとさみしかったのだろう。だからリヴァイを呼ぶときもあんな風に鳴いて……
(やっぱりおかしいわ)
ふたりの「み」の応酬を思い出してペトラは頭を抱え込む。できることならもう二度と、彼女に出会いたくないものだと。
その日の夜。
定時で仕事を終えたリヴァイはスーパーマーケットに寄って食材を買い込み帰宅した。ナマエの偏食は人並み外れてひどい部類なのでメニューも悩む。彼女が口にするものといえば、成人してからはアルコールがメインに、チーズ味のクラッカー、冷凍じゃないブルーベリー、コンビニエンスストアの肉まん、100円以下のミルクチョコレート。どれも手に入れやすい部類ではあるけれど、栄養は偏る。だからリヴァイはできるだけ手の込んだものを作る。今夜はチーズ味のクリームパスタ。具材はブレンダーにかけて痕跡を消す。
「ただいまー!」
「おかえり。先に手洗いうがいしてこい」
「もう。私子どもじゃないんだからいちいち言わないで」
「言わねぇとそのままソファに寝転ぶだろうが。部屋着に着替えろ。そうじゃねぇとおかえりのチューは無しだ」
「ちぇっ」
キッチンに向かっていたリヴァイはナマエの方へと振り返る。買い物に出ていたという割には荷物がなかった。持っていた小さなハンドバックがひとつ、ソファの上に取り残されている。
「洗った!着替えた!チューは?」
もこもこの部屋着姿になったナマエは、リヴァイの背中に巻き付き彼の肩にあごを乗せ、唇を突き出してキスをせがむ。おかえり、と軽く触れるだけのキスをすると、ナマエはにんまりと笑った。
「今日の買い物はなんだった?」
「んー……気晴らし」
「俺の顔が見たかったなら、最初からそう言えばいいだろうが。午前中に連絡してくれば、昼メシ食う時間くらい作れる」
変化球無しで図星を突かれ、ナマエはリヴァイの肩にぐりぐりと顔を押し付けた。あんまりにも強い力でするものだから、リヴァイは途中で「ナマエ」と怒る。
「だって今日起きたら」
「あ?」
「リヴァイくんのパジャマが洗濯されてて」
「今日は早くに起きたから洗濯回していったが」
「ふんふんできなかったんだもん」
は、とリヴァイは鼻で笑うしかなかった。
寝る時も家にいる時も。こんなにくっついて過ごしているのに、起きたらパジャマのにおいを嗅ぐ習慣があったとは。リヴァイも初耳である。
「メシできたぞ。座れ」
「パジャマは洗濯しないで!」
「わかった。もう朝に洗濯はしない。座れ」
「ブロッコリー入れたでしょ!小さくしててもわかるんだから!」
「座れ。そして食え」
ぶつぶつと文句を呟きながら、それでもリヴァイの作ったものは口にする。
「リヴァイくんの愛情の分だけおいしい」
「そうか。そりゃよかったな」
「うん」
無邪気に笑っていると高校生の頃から何も変わってないな、とリヴァイは思う。初めて出会った時、彼女はまだ制服を着ていた。リヴァイは大学を卒業して一年目の頃で、なんだか自分ばかりが年を取った気分になる。
一緒に暮らし始めたのは彼女の両親の急逝という悲しい出来事がきっかけだったけれど。暮らし始めた頃はそれはそれは大変だったけれど。
「ごちそうさまでした」
「食ってからすぐ横になるなよ。また消化不良起こして騒がれたら困る」
それなりに長く暮らしているふたり。彼女の次の行動は読めないけれど、面倒を見ることは出来る。
「そんなにいつもゴロゴロしてないわ。今日はお皿洗い、私がやる」
「あ?お前がやったら全部割れちまう。俺がやるからソファにいっとけ」
「私もやる!」
昼間リヴァイの長財布を挟んでやり取りした時のように、ふたりはチーズソースで汚れた皿を真ん中に、しばし攻防を繰り広げる。そのうちどちらからともなく一緒に片付けようとなり、並んでシンクの前に立った。
食洗器に入れてしまえば一瞬で終わるけれど、リヴァイはスポンジを使って泡立てる。ナマエは時折右手で輪っかを作り、シャボン玉を飛ばして楽しんだ。泡が弾けたと同時にリヴァイがナマエにキスをする。洗剤の味がすると、ナマエは笑いながら怒った。
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