ティーポットフィッシュ | ナノ


▼ 5.飴が弾けて

先に目を覚ましたのはナマエの方だった。腰にはゆるくリヴァイの手が巻き付いていたのでそっと間から抜けだそうとしたが、体を起こしたとたん、リヴァイの手に力が入った。

「……どこへ行く」

珍しい眠そうな顔をしつつもドスの効いた声で言うので、ナマエはそれがなんだかおもしろかった。

「ただのトイレだよ」

「本当だろうな」

「ねぇ行かせて。すぐ戻ってくるから」

「あ?あんだけヤったのにまだ足りねぇか」

「そうじゃないってば!もう」

頭の上の枕をリヴァイに投げつけると、リヴァイも笑っていた。

破れたカーテンの隙間からは昼間の日差しが差しこむ。薄暗いモーテルの部屋の中は外との時間差が曖昧だ。

ミネラルウォーターを飲みながらベッドへと戻ると、再びベッドの中へと引き込まれた。寝そべったままナマエのボトルを奪い取り、キャップを閉め、満足げにナマエを抱きしめたリヴァイは長いため息を吐いて目を閉じる。

「腰が痛い」

ナマエが呟くと、リヴァイはすぐに彼女の腰のあたりを撫でる。昨夜は少しひどかったかもしれないという罪悪感は、彼の中で多少なりにあった。

「……お前が悪い」

「人のせい?」

「俺から逃げようとするからだ」

「どうしてそんなに私のこと、かまってくれるの」

ナマエはそっと、リヴァイの頬をつねってみた。唇が変に横に広がったので笑うと、リヴァイは不服そうに口の端から息を吐き出し。

「好きだからに決まってるだろ」

「たまたま誘拐しただけの女なのに」

拗ねたように言ってみれば、リヴァイはナマエの前髪をかき上げて額にキスをした。彼からの返事はない。

「私がかわいそうだったから?」

追い打ちのように、問いかける。

「いや、違う。そうじゃねぇ。例えるなら……そうだな。いつかお前と一緒に暮らして、でかい水槽と金魚を買ってやろうと思った」

「どういうこと?」

「ティーポットは上等な茶葉を淹れるためのもんだからな。そういう、普通の暮らしがお前となら」

楽しい、幸せ、素敵。リヴァイの中にいくつか単語が浮かんでいたが、どれも口に出すのが気恥ずかしく。誤魔化すように、今度はナマエの唇にキスをした。

「そういえば……金魚の名前」

「ヒミツか?」

「昨日、ヒストリアが言ってたでしょ?」

急に切り替わった話題に、リヴァイはうんざりした様子で体を起こした。

「ああ。どうやらその辺に、聖典のヒントが転がってるらしい」

「金魚が聖典だったとか?」

「馬鹿言え、もう死んでるんだろ。どの道エレンのとこには行かなくちゃならねぇ」

まだ時差のある、まどろみの空間に身をまかせていたいけれど。

次の行き先はすでに決まっているのだ。二人は重い体をベッドから起こして、モーテルを出る準備へと移る。

天気の良い午後。

渋滞のないフリーウェイは速度制限の標識もなく、軽快に車は進んでいた。助手席はあたたかく、ナマエは途中からうつらうつらと船を漕ぐ。

エレンに聞くことや、聖典の意味を考えないと──そう思うのに、隣にいるリヴァイが言ったことが気になって仕方ない。

いつか一緒に暮らせるような未来があるとしたら、彼はナマエに水槽と金魚を買ってくれるのだろうか。毎朝あたたかな紅茶を淹れてくれるのだろうか。話しの腰を折ったのはナマエの方だ。あのままリヴァイの言葉に耳を貸していたら、現実と向き合えなくなるような気がしたのだ。

(まだ……何も解決してない)

特にジークとのことになると、リヴァイはジークからナマエを引き離そうとする。殺されかけたので当たり前かもしれないけれど、一度兄ときちんと話したいという、ナマエの願いは届かないだろう。

「ナマエ、そろそろ市街地だ。教会から少し離れた場所に車を停める」

「ん、わかった」

ナマエは後部座席に身を乗り出して、荷物の中から黒いパッケージを取り出した。おもむろに封を切って、口に含む。

「何食ってる」

「ポップロックス」

人差し指に粉状になったキャンディを取り出し、ナマエはリヴァイの口の前に差し出して見せる。オレンジの絵具をすくったようにあざやかだ。

「なんだ、こりゃあ」

と言いつつも、リヴァイはナマエの人差し指を舐める。

「パラディ島の方にはないの?」

リヴァイはひどく眉をしかめる。口の中でパチパチと弾けるタイプのキャンディなのだ。

「島にはねぇな。ガキが食ったら完全にキマるぞ」

「あは。美味しいでしょ」

口の中を弾けさせながら、車はパーキングメーターに停まる。教会のある通りからは二つの離れた大通りのパーキングメーターだった。もし逃走するとなった場合、一旦身を隠してからの方が車での逃走は有利だ。

教会は車通りに面した入口が、階段でのアプローチになっている。アーチ状の観音開きの扉の上には、天使の彫刻や美しい真鍮の装飾で飾られていた。扉の先からは深い赤の絨毯が敷かれ、一歩中に踏み込むと、足音ですらが吸収される。祭壇のまわりにだけ、蝋燭が灯されていた。

「私が育った孤児院は、礼拝堂の裏側にあるの。あそこに扉があるでしょ?そこから外に出ると中庭になってて」

自然と小声になって、ナマエは人差し指を指した。爪の先にポップロックスが残っていたので、リヴァイは無言でハンカチを取り出してやんちゃな粉を拭き取る。彼女が昔の話しをしているせいか、爪の先のポップロックスのせいかわからないが、いつもより横顔が幼い。

「あとで案内してくれ」

「うん」

教会の人間はいないだろうかと、二人の視線が同時に左右に動いた時、背後から声がかかった。

「何かご用でしょうか?」

真っ黒な祭服に胸にはロザリオ。神父に違いない男であったが、ナマエには見覚えがなかった。

「あの……私たち、ヒストリアから言われて。エレンに会いたくて」

「エレンの。そうですか」

神父は笑顔ではあったが、何か思案している様子を見せる。そして。

告解コンフェッションは?」

「いえ、私たちは」

リヴァイには告解コンフェッションの意味がわからなかった。それはなんだ、と彼はナマエに耳打ちする。

「懺悔室のこと。自分の悔いを改めるの……あの、私たちお祈りにきたわけじゃなくて」

「教会にきたのなら、まずは告解コンフェッションを。貴方なんかは、沢山ありそうだ」

手順を踏まないと先には通してもらえない雰囲気だった。神父から曇りなき眼を向けられたリヴァイは、ナマエに向かって肩をすくめてみせる。

「懺悔室はこちらです」

「一人ずつ行くのか?」

ナマエはうなずき、礼拝堂で待ってるねと微笑む。懺悔室は礼拝堂からも見えている。中が見えなくて、音も聞こえないだけで。

リヴァイはどこか釈然としない様子だったが、しぶしぶ神父のあとについて懺悔室に入っていった。

一人きりになった礼拝堂は余計に寒々しく感じた。古く重い造りなのに、空気は澄んでいる。どこまでも静謐な中に身を置くのは落ち着かないが、ナマエは一番後ろの長椅子に腰掛けた。

孤児院にいたときも、日曜はここでミサに参加していたのだ。自然と懐かしい思い出が蘇る。

ぼんやりと祭壇の方を見つめていると、孤児院に続くドアの近く、ステンドグラスの窓に人影が映った。

「うそ……」

慌てて振り返る。懺悔室の戸をノックしようとしたが、一瞬それをためらったのは幼い頃からの慣習のせいもあった。懺悔室の中はブラックボックス。悔いを改める人間と神父以外、触れてはならない場所だから。

そうして次に取り出したのがスマートフォンだった。一度もコールしたことのない電話番号をタップする。耳を澄ませば、遠くから着信音が聞こえた。

「ナマエか?」

コール音を待たずして相手は。ジーク・イェーガーは、電話に出た。

「お兄ちゃん」

「電話してきてくれるのを待ってたよ、お花ちゃん」

「お兄ちゃん、待って……私」

次の瞬間、ナマエは走り始めた。孤児院の方へと続く扉を開くが、さっきまであった人影はそこにない。

「ひどいじゃないか。俺よりもリヴァイの方に付いて行くなんてさ」

「だって……だって、お兄ちゃんが!ねぇ、どこにいるの?」

「教会だよ。昔よく一緒に遊んだだろ」

中庭に飛び出すと、むせ返るようなミモザが咲き乱れていた。眩しい黄色が甘い香を放つ。

色のない白木のブランコや小池の前を通り抜けると、孤児院の入口に突きあたった。いつもは子供たちの声で賑やかなはずなのに、人の気配はまるでない。

「お兄ちゃん、私お兄ちゃんときちんと話がしたかった。リヴァイのことも信頼してるけど、一度でいいから、お兄ちゃんの口から聞きたかった」

「そうだね」

右にあてていたスマートフォンと、左の耳から。声は同時に聞こえた。ナマエは振り返る。

「本当は俺も辛かったんだ」

ナマエの手からスマートフォンが滑り落ちてゆく。兄からの抱擁は優しかった。視界の端に溢れるミモザのように、柔らかな暖色でナマエを包んだ。

それなのに。

どこか、ナマエの口の奥や頭の隅や。わずかに残っている冷静な部分が、キャンディのように爆発している気分だった。危ない、このままではいけない。目を覚ませ、思考を正せ。今すぐリヴァイの所に戻った方がいい。

しかしジークは黙ってナマエの手を引くと、歩き始めた。行き先も告げずに。ミモザの間をかきわけて。


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