ティーポットフィッシュ | ナノ


▼ 5.Drive-in theater

「……そろそろ起きろ」

布団の上に投げ出されたのは、すっかり乾いたナマエの着替えと帽子とサングラス。

「また出掛けるの?」

うんざりしたようにナマエが言えば、リヴァイは「今度は目を離さない」と肩をすくめる。

バスルームで着替えを済ますと、見覚えのない帽子をかぶった。臙脂色のニット帽子で、リヴァイがかぶるには違和感がある。

「趣味の悪い帽子」

髪は整えることもせずに帽子をかぶってダイニングに出ると、リヴァイは眉の端を吊り上げた。

「変装だ。サングラスもかけろ」

アパートメントの裏手が駐車場になっている。リヴァイの車は古いブラックのボディに、大きな丸い瞳に見えるヘッドライトが特徴的。鋭いリヴァイが、曲線の柔らかなクラシックカーに乗っているのがナマエには意外だった。

ナマエを助手席に促す前に、リヴァイはトランクからスペアのナンバープレートを取り出し、手慣れた調子で付け替える。それからバックミラーにバカみたいなウサギのマスコットをぶら下げた。

「なんでわざわざ目立つウサギつけるの」

「お前が隣に乗ってるからだ」

リヴァイなりにカップルを偽装しようとしているのだ。ナマエにはまだ、それが読み取れない。

最初にアパートメントに連れてこられた時を思うと、ずいぶんと好待遇だ。回転式のハンドル窓を回して開けると、吹き込む風が頬を撫でる。

「どこに行くの?」

左側に座るリヴァイに尋ねれば「下見だ」と彼はエンジンをかける。古いエンジンはオイルが擦れるような摩擦をたてて、クールに震える。

車が向かう先はディアボロ通り。

レベリオ地区でも一番人が多く行き交う通りだ。大きな公園に食べ物、雑貨、洋服、細々としたものがなんでも揃う路面店が続く。

廃墟になっているビルは、一カ月前までは会社の事務所になっていた。ナマエを誘拐する前からリヴァイは小細工を仕掛けているのだが、それはナマエが、またジークも、知る所ではない。

徒歩でも車でも地下鉄でも。いかなる場合でも聖典を持って帰還できるよう、リヴァイは最後の下見に余念がない。

ただしバックミラーにはやっぱりバカみたいなウサギが揺れているせいで、傍から見るとただのドライブなのだけれど。

「ナマエ」

急にリヴァイが鏡の中を覗き込んだ。ナマエは鏡越しに彼と目が合う。ウサギが鏡を飾るフレームみたいになっている。

「なに?」

「シートベルトしてるか」

「してるけど」

とたんに車が左に傾く。ナマエの体も勢いよくリヴァイの方へと斜めになった。車線を一つ跨いだ左折。大通りから、急な路地裏の狭い道へ。

「どうしたの」

「尾けられてる。一旦巻くから、しっかりつかまってろ」

スピードを上げて入り込んだ狭い道には、道路ぎりぎりにゴミ箱や街灯が立っている。跳ね飛ばした空き缶が、高い音をたてて遠い後ろへと飛んでゆく。

「クソッ!」

急ブレーキ。目の前に現れたのは、マジックミラーになっている黒塗りの高級車。

「回り込まれた」

リヴァイすぐさまシフトレバーをバックに入れて、振り返りながらハンドルを握った。スピードの勢いは変わらない。急な速度でバックしていくのに驚いて、ナマエも後ろを見ながら座席へと抱きつく。

「警察なの?私を保護しようと?なら、ちょっと待ってよ、リヴァイ」

「馬鹿野郎。警察なんかじゃねぇ!」

路地裏からバックで飛び出したリヴァイの車。待ち構えていたかのようにビルの上から発砲音。次いでナマエが、驚いて声を上げる。

「頭下げてろ!」

タイヤが道路に引きつって、悲鳴のように轟く。片側四車線の道路に飛び出したので、そこいら中からクラクションの嵐。

「っきゃあ!」

車体が揺れる。リヴァイのハンドルが小刻みに左右を行き来しているからだ。リヴァイは左手だけでハンドルをさばき、右手はナマエに添えていた。シートベルトをしていても、衝撃が激しい。しかし。

「ナマエ、十秒だけハンドル握ってろ」

「は?!え?無理だよ!」

「黙って握ってろ」

ナマエを守るように包んでいた右手が、ハンドルへと誘った。有無を言わせない誘導。体を半分運転席に乗り出して、ナマエは恐々と前を向く。

リヴァイはコートの内ポケットから二丁の拳銃を取り出した。どちらともベレッタだ。器用に銃を握ったまま窓をスライドさせ、上半身を窓から外へ。

「リヴァイ……!リヴァイ!」

「いいな、悪くない。もう五センチ右へ寄せろ」

「無理!」

リヴァイの照準は追って来る二台の車、それぞれに向いている。左手は真後ろ、右手は斜め後方。同時に仕留める気だ。

「いいぞ、そのままキープだ」

「怖い!早く、早くしてリヴァイ!」

「ああ……」

追ってくる黒塗りの高級車も、リヴァイに気付いている。リヴァイが発砲する前に、先に一発が飛んでくる。リヴァイは顎をしゃくってそれを避け、わずかに銃弾が頬をかすめた瞬間、両手の引き金を引いた。

小さな銃口から描いた弾道が、到達したとたんに音をたて、二台の車は道路の真ん中でぶつかり合って回転する。

回転が止まると同時に、爆発。

クラクションの嵐は再び起こり、ハンドルはリヴァイの手に戻り、二人が乗ったクラシックカーはスピードを上げた。

「な……なんだったの」

「こういう仕事をしてると恨まれることが多い。気にするな」

「気にするなって流せる程度じゃない!だって……ひどい事故だよ!」

ナマエが窓越しに後方を見やると、すでに渋滞を起こしている。

「しかし、そうだな。すぐ家に帰るのは得策じゃねぇ。こういう時はどっかで張ってる奴らもいるときたもんだ」

「一体なんなのよ……もう……」

助手席に深く座り込んだナマエは、背もたれへと顔を埋める。ほんの少しハンドルを握っただけなのに、ひどく疲れていた。

急にウインカーが音をたてる。右へ曲がるらしい。段々と減速して向かった先は、中央公園セントラル・パークの駐車場。駐車料金と、それからもう一つ料金を支払って、急にラジオのチャンネルを回し出したリヴァイ。

「映画……?」

「寄り道して帰る」

ドライブインシアターだった。

中央公園セントラル・パークでは毎週木曜がドライブインシアターの日だ。一番大きな芝生の広場が解放され、映画館よりも大きなスクリーンが設置される。車に乗ったまま、公園で一本の映画を楽しむことができるのだ。

音声はラジオのチャンネルを合わせると、会場にいる間はそこから映画の音が拾える。

気付けば辺りは薄暗く、ナマエ達は後列の方へと車を停めた。すぐに車を出さなくてはいけない場合でも、出しやすい場所だ。

どれくらいの人が観にきているのかわからない。辺り一面が車で埋まっていて、フロントガラスからはでかでかとスクリーンが臨めるようになっている。

映像の前に始まりのアナウンスが流れると、一斉に公園の街灯の明かりが絞られた。入口に並んでいたフードカーやワゴンの電飾も、薄暗くなる。

「映画って気分じゃない」

スクリーンに映像が映った。風が吹いているせいもあるのかもしれない、映像は震えながら、数字をカウントしている。3・2・1──

公園中に響き渡るようなブザー。リヴァイがなにか言っていたが、ナマエには聞こえなかった。すぐにオープニングの柔らかな音楽が車内のラジオから流れ始める。

「少し座席を倒せ」

まだシートベルトもつけたままであったナマエは、怪訝そうにリヴァイを睨む。

「本気で映画を観ていく気なの?」

「すぐに帰るよりはマシってだけだ」

映画は異国の映画だった。

古い、遠い国のストーリィ。身分違いの恋をした二人が、冬の海に身投げをして心中する。二人は生まれ変わり、再び出会って恋をするけれど、また結ばれない運命を辿る。

最初は難色を示していたナマエだったが、気付けば映画に見入っていた。

「変なの」

「あ?」

「どうして私、誘拐犯と恋愛映画なんて観てるの?」

リヴァイが鼻で笑う気配がした。もう車内は真っ暗だ。スクリーンの映像の明暗で、かろうじて互いの表情が読み取れる。

映画は現代に生まれ変わった二人が、カフェで出会うシーンを映していた。グラスのきらめきが、リヴァイの瞳にも光を灯す。

「映画は嫌いか?」

「嫌いじゃないけど……」

その時だった。

ラジオのスピーカーから漏れ出る音よりも、耳の入口をざわつかせるような足音が聞こえた。車のすぐ側を、そっと歩く音だ。

リヴァイは視線を窓の周囲にやって、それからすぐに座席を倒していたナマエの上へと覆いかぶさった。

「どうしたの」

「シッ……静かに。少し様子を見る」

「さっきの?」

「ああ、多分な」

二人は同時に声を潜める。すう、と息を吸うと心臓の音が大きくなった。

足音は車の回りをうろついている。窓の中を覗き込んでいるようだ。リヴァイは視線を逸らす。

リヴァイの首筋がナマエのすぐ目の前にあった。これ以上ないくらい、肌が近かった。

どうしてか、あと五ミリでも体を動かすと、意図は別の所へ飛んでいってしまうような気がした。鼻先が触れてもいけない。呼吸ひとつ、迂闊にはできない。最新の注意を払って、この場をやり過ごさなくては。

二人ともが、そう思っていたのに。

「……行ったか」

足音が遠ざかって、リヴァイは頭だけを上げて窓の外を確認した。人の気配はない。左右の車もカップルで、薄闇の中では男女が溶けあっている。

リヴァイの視線が車内に帰ってくると、彼の腕の間で小さく縮こまっていたナマエが身をよじった。彼女の頬がリヴァイの手の甲にあたる。

探り合いをしているみたいだった。

リヴァイの顔が少し、ナマエに近付く。ナマエの瞳が少し、リヴァイを向く。視線が絡む。図っている。

言葉を発することはなかった。無言のまま五ミリだけ、体が動いた。

ちょん、と鼻先が触れた。気のせいだったかもしれない。ナマエから動かしてみると、リヴァイも動かした。ちょん、ちょん。確認する。互いが触れることを許可した動き。

そして同時に目を閉じると、唇は重なった。

「っんぁ……」

ナマエの埋まっていた両手を引っ張り出して、リヴァイは指と指を絡め合った。彼女の耳元の辺りで、指は唇に合わせて呼吸する。

なにを必死に探っているのだろう。

目の前にいるのがリヴァイなのか、ナマエなのか。自分自身ですらが、自分を証明するものをなにも持たない。だからキスをして探している。この行為がいきつく末を、求めてる。

答えなんて、映画が終わるまでに出るはずもないのに。

映画はあと五分でスタッフロールを迎える。二人はまだ、座席で唇を重ねていた。頬に触れ、首に顔を埋めたり、目が合えば見つめ合って。

エンディングの曲が流れてこなかったら、どうなっていたのだろう。スクリーンの大画面には、チェリーブロッサムの木の下で、キスをする二人が映し出されていた。

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