▼ 3.『青い鳥』
今日はヒストリアの戴冠式だった。
「ナマエ、祝砲の件でリヴァイ兵長が壁上にいるから……そっちに行ってもらえるかい?」
「祝砲?壁の上から?」
雑多とする人混みの中を歩きながら、アルミンに言われたそれにナマエは首を傾げた。そんな予定は初耳だったのだ。
「う……うん」
「おいアルミン、やっぱり」
何か言いたげなエレンが横から口を出そうとするのを、ミカサは「エレン」と言って黙らせた。
「早く行きましょう。ヒストリア、待ってますよ」
「おう!さっきの姿かっこよかったって、言ってやらなきゃあ、なぁ!」
どこか白々しいサシャとコニー。不思議そうにするナマエに「さっさと行けよ補佐官」とジャンが追い打ちをかけた。
「じゃあ私、壁上の方に行ってるね!」
新米兵士長補佐官は兵士長がいる所とあればどこへでも飛んでいく。それを利用しようと言い出したのはヒストリアだ。
人混みをかき分け、一目散に壁を目指す小さな背中を見送りながら、エレンは「よかったのかなぁ」と呟く。
「ヒストリアの頼みだし……」
「だよなアルミン。女王陛下には逆らえないっつーの」
ジャンとサシャとコニーは興味本位。ミカサは本気。アルミンは困惑。エレンはまだ迷っている。
「ナマエがいては、実行できない」
「ミカサ……お前、意外と薄情だな。ナマエとは親友なんだとばっかり思ってたけどな、俺は」
「仕方ない。こうする他、なかった」
エレンの大きなため息は喧噪に掻き消える。ナマエを除いた104期兵はヒストリアの待つ王城へと向かった。
***
壁上は静かだった。ヒストリアの戴冠式の関係で、ほとんどの兵士はそちらへ派兵されている。遠くに数人の見張りの兵はいるものの、いつもよりずっと数は少ない。
(リヴァイ兵長……どこだろう)
トロスト区が見渡せる壁上の一番南の位置に着いて、ナマエはそこに座り込んだ。太陽が東に傾きかけている。青い空の色が移ろう時間帯だ。ぼんやりと空を眺めるのは、久しぶりだった。
ここ数日は帰還してきてからの中でも、特に忙しい日々が続いていた。エレンは硬質化の実験に励む毎日で、ハンジは新しい武器の開発も始めた。それに伴い、104期兵はエレンやハンジの補佐的な役割を担っていたし、いなくなった先輩兵士の穴を埋めるのにも精一杯だ。
ナマエとリヴァイは、言葉にするならば「いつも通り」だった。
上官と部下としての関係性を尊重しながらも、時に兄と妹のような。それでいて恋人のような。それは最初から、ケニーに筋書きされていたものなのかもしれない。けれどあれ以来、2人はそのことについて話すことはなかった。話す必要はなかった。2人はいつも通りでいいのだ。
太陽は、遠い山間に差し掛かろうとしていた。その先にあるのは地平線ではなく、ウォールマリアの壁だ。
(結構、時間経ったな)
一旦戻ろうかとナマエが立ちあがった時、ちょうど壁の遠くからナマエの方へ歩いてくるリヴァイの姿があった。
「リヴァイ兵長!」
ナマエの目の前まで歩いて来て、リヴァイは夕陽の方へと視線を移した。眩しそうに目を細めてから、またナマエの方へと向き直る。
「アルミンが、祝砲のことがって……」
「一発殴られたぞ」
「え?」
「おおかた、ヒストリアかミカサの発案だろうな。俺に絶対服従のお前は、仲間外れにされたわけだ」
そこでナマエはやっとピンときた。ヒストリアの一発殴ってやる宣言について。
「……やられた!」
「やられたのは俺だが」
は、とリヴァイは笑う。心底、楽しそうな笑顔で。
「企画段階で私が察して図るべきでした」
「次からはそうしてくれ」
「……エレン達は先に帰ったんですか?」
「ああ」
「じゃあ、私達も帰りますか?」
「そうだな」
もう少し、此処に2人でいたい気もした。
山間に掛かった太陽は、青い空と黒い影、それから薄紫に彩る夕方のコントラストを作り出していた。壁内は今混乱の中にある。けれど。
「綺麗ですね」
「壁に遮られてなかったらな」
ナマエはポケットに突っ込まれていた、リヴァイの腕に手を伸ばした。繋いでくれ、という意味ではない。その手の先に、ケニーから託された巨人化の薬があることを知っていた。
「私、思う事があるんです」
リヴァイはじっとしたまま、ナマエの次の言葉を待った。
「前は……自由になりたくて、この壁の外に出たくて……それは今も変わりないけれど。でも、本当に大切なものは壁の中にあったんだなって」
夕陽は暮れ始めると沈むのは早い。世界は、速度を増して暗くなっていく。
「だから、今在る幸せを守るために戦います。これからも、リヴァイ兵長の下で」
返事の代わりに、リヴァイは薄く微笑んだ。稀な笑顔が背負う重荷がせめて少しでも、自分の存在で軽くなればいいなとナマエは願う。
全てが叶ったとして。
戦いの果てがあるとして。
「……帰るぞ」
「はい」
少し先を行く背中はいつもナマエが求める背中だ。ちゃんと着いてきているか、確認する必要も無いのにリヴァイは時折振り返り、横顔だけでナマエを見ていた。
次リヴァイが振り返ったら、リヴァイにまた「愛している」と伝えよう。そう思いながら、ナマエはリヴァイが振り返るのを待った。
fin
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