▼ 1.見つけた、私の
リヴァイはその日、壁上固定砲のことで打ち合わせがあり、ハンジを伴って駐屯兵団に訪れていた。
1時間程で済んだ会議を終え、厩へ向かうために食堂を横切る。どこの兵団もその雰囲気は似ている。だだっ広い空間に、ずらりと並んだ粗末な卓子と椅子。古い建物の為、ずっしりとした石造りの柱が部屋の雰囲気を暗くする。
その暗がりの端で、男女の声が響いていた。男は数人で女は1人。
「あの、もう止めてくれませんか」
困惑した女の声が響き、それを冷やかすような男たちの声。
「痴話喧嘩かな?」
一瞬動きを止め、ハンジが声の方を見やる。
「他の兵団の奴らなんか知ったことか。行くぞ」
「うん、まぁ面倒事はごめんだしね」
ふん、と鼻を鳴らしリヴァイは踵を返す。ハンジもそれに倣い、リヴァイに続こうとした時だった。
「聞いてんだぜ、俺ら。お前地下街出身なんだって?俺たちの相手もしてくれよ」
カツカツと歩いていたリヴァイが、ピタリと立ち止まる。
「娼館で働いていたわけじゃないです。あの、私もう戻らないと」
「でもそんなモンなんだろ?どうやって地上に出て来たんだよ」
困惑しきった女の声。
リヴァイは大きく舌打ちすると、再び踵を返した。
「おや」と目を丸くしながら、ハンジも再びその後を追う。
「おい、貴様ら」
リヴァイの低い声が食堂に響いた。
男は3人いたようで、一様にリヴァイに振り返る。
「リっ、リヴァイ兵長!」
「貴様ら、何をしている」
するどい目つきが彼等を睨む。
「い、いいえっ。あの」
3人が揃って敬礼をすると、その背後に隠れていたような形になっていた女がリヴァイとハンジの視界に入った。胸には交差した剣の紋様。
「彼女、訓練兵じゃないか。そんな子捕まえて、駐屯兵団の先輩が関心しないね」
ハンジも諌める様に男たちを睨むと、3人は「自分達は仕事がありましたので失礼します」と、まるで脱兎の如く駆け出していく。
取り残された女ーーーというより少女は、ぽかんとその様を見送っていた。
「大丈夫かい?」
ハンジがそう声を掛けると、少女も慌てて敬礼をとった。
「あ、ありがとうございました。ご迷惑をお掛けして申し訳ありません」
「別に迷惑は蒙っていないよ。それで、どうしたっていうんだい?さっきの」
去って行った男たちの方を見やりながら、ハンジは困った様に微笑む。
「はい。あ、私は104期訓練兵、ナマエ=アッカーマンです。あの、私が地下街出身ということが先輩方のお耳に入ったようで。それでなんというか、まぁ、からかわれていました」
ナマエも困った様に目尻を下げた。ゆるやかに敬礼も降ろして。その様子を見ながら、押し黙っていたリヴァイも口を開く。
「そんなヘラヘラした面してっからナメられんだ。地下街を生き抜いてきたんなら、もっと毅然と対応しやがれ」
そのリヴァイの言葉にナマエは一瞬目を見開いたが、「そうですね」と、真っ直ぐにリヴァイを見ながら敬礼をし直した。
「でも、ナマエは地下街出身って感じがしないねぇ。ね、リヴァイ?」
「ああ?どういう意味だそりゃあ……」
「いやぁ?」
意味ありげに笑いを堪えるハンジ。
ナマエはきょとんと2人を見比べる。
「そういえば、ナマエはどうしてここにいるんだい?」
訓練兵が訓練の一端で駐屯兵団に訪れる事はある。しかし、こんな風に1人で歩いているようなことは珍しい。
「はい。壁上固定砲の整備の帰りだったのですが、掃除を手伝ってほしいと先ほどの先輩方に呼ばれまして……同期達はもう宿舎の方に帰っているかと思います」
「……ロクでもねぇ奴らだな」
掃除を手伝わせると言っておいて、とリヴァイは続けたかったがそこで黙り込む。
「そうか。それは災難だったね。今から訓練兵宿舎の方へ戻るんだろう?一緒に乗っていくかい?私達馬車なんだ」
序列をあまり気にしないトップツーの2人。ハンジはもちろん、リヴァイもそれに難色を示さない。
「と、とんでもないです!調査兵団の兵士長と分隊長と同じ馬車に乗せて頂くなんて」
慌てて両手を振って、頭を下げるナマエ。
「うるせぇな。俺達が声を掛けたせいで、お前が帰り道、またあの男たちに絡まれたらこっちは寝覚めが悪ィだろうが。つべこべ言わずついて来い」
そう言ってリヴァイはまた歩き出す。
「まぁ、ついでみたいなものだしさ。おいでよ」
ハンジがそう言って微笑んで見せると「申し訳ありません」と消え入りそうな声で呟きながら、ナマエもその後を追った。
***
リヴァイとハンジが先に馬車に乗り込み、続いて乗り込もうとした所でナマエは一瞬ぴたりと動きを止める。
(……私、どちらに乗れば)
4人乗りの馬車のようで、ちょうど2人は窓際に向かいあうように座っている。最後に乗ってきたナマエはどちらかの隣に座らないといけない。
「何間抜けな面して立ってやがる。さっさと座れ」
ぴしゃりとリヴァイの声が飛んできて、ナマエは慌ててリヴァイの方に腰かけた。一瞬のうちに悩んだ末の決断だったが、合理的に見ても小柄なリヴァイの席の方が広そうに見えたのだ。
「し、失礼します」
リヴァイからギリギリまで離れ、ちょこんと腰かけるナマエ。
「なーんか、初々しいねぇ。そういえば、ナマエは私達のこと知ってたの?」
馬車に乗る前、2人を兵士長、分隊長と呼んでいたナマエ。それを指摘され、ナマエははにかむように笑いながら頬を染めた。
「は、はいっ。あの、実は私、調査兵団志望で。お2人は憧れです」
ぐ、と拳を胸の前で作りながらナマエは顔を上げる。
「そりゃあ、酔狂な訓練兵もいたもんだな」
リヴァイは窓枠にひじをもたれ、視線だけでナマエを見やる。その瞳は希望や羨望を携えて、輝いて見えた。
「あはは。でも確かに珍しいね、同期の中でもあんまりいないんじゃない?」
「そうですね……今の所私ともう1人、か2人くらいでしょうか。でも私、調査兵団に入りたくて訓練兵になったので」
「……地下街から、か?」
リヴァイの視線がナマエを刺した。
「はい。壁の外に、出たくて」
そう言った後、「あ、人類の為に巨人を倒すことが目的ですが」と慌てて付け足した。
「……悪くねぇな」
リヴァイが呟く。
そこでナマエは、やっとリヴァイの方を向くことが出来た。少しだけ、口の端が上がったような表情が目に入る。
馬車内には西日が入って橙色に覆われていた。
淡い暖色の中で見る、ナマエにとっては非日常な空間。
(……夢でも見てるみたい)
一瞬ぼんやりとしていたナマエ。それは無意識に、リヴァイの横顔に見惚れていたのだ。
「じゃあ、そのうち一緒に壁外に行くことがあるかもしれないね」
ハンジがそう言うと、ナマエは慌てて「はい」と笑った。
「それまでに貴様が死んでなかったらいいがな」
「ひどいなリヴァイ。私はちゃんと生き残っておくからさ、今度は私の巨人の話しも聞いてくれる?」
「はい、是非!」
「おい、止めておけ……着いたぞ。ここだろうが」
少しほっとした様子のリヴァイが窓から外を眺める。馬が止まり、御者が「着きました」と中の3人に声を掛けた。ナマエは「はい」と、慌てて馬車の戸を開いて外へと降りる。
そして振り返り、リヴァイとハンジに敬礼をとった。
「今日は本当にありがとうございました。このご恩が返せるように、日々鍛錬に励みます」
「ああ、せいぜい死ぬなよ。ナマエ」
リヴァイがそう呟くと、ハンジが「待ってるよ」と言いながら扉を閉めた。程なくして、馬が走り始める。ナマエは敬礼をしたまま、しばしその場所から動けなくなった。
(……リヴァイ兵士長に、名前で呼んでもらえた)
途端に顔に熱が集まるのを感じた。
繰り返し、最後に自身の名を口にしたリヴァイの表情を脳内で繰り返す。
「ナマエ?よかった、遅かったから心配した」
兵舎の方から茫然とするナマエに駆け寄ってきたのは、同期のミカサとエレンだ。
「お前、今馬車から降りて来なかったか?何してたんだよ」
「ミカサ、エレン。私今……リヴァイ兵士長とハンジ分隊長に送ってもらってしまった」
「はぁ?」
どうして、という風にエレンは顔を歪める。
「ナマエ、顔が真っ赤だけれど。何かあったの?」
不思議そうにするミカサ。
ナマエはもう一度、馬車が去っていった方向を見やり「あった」と小さく呟いたのだった。
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