▼ 6月の心臓
湿気た空気の匂いが立ち込める。
灰色の空から慌てる様に雨粒が降りてきて、それはあっという間に土砂降りになった。時刻はちょうど正午を過ぎた頃。室内は昼間の喧噪を残したまま薄暗い。
「先生、この雨で遅れているのかもしれないね」
窓の外を見ながらアルミンが呟いた。
隣に座っていたナマエも空を見上げ「こんな雨だものね」とため息をついた。
生き生きとするのは広場の隅に自生する紫陽花くらい。深い青色や紫色、隅の方は赤色に近いそれらが群生する。たっぷりの雨水を受けて彩りは艶を持ち、しんしんと葉を揺らしていた。
「……雨の中に咲く紫陽花って綺麗だね」
ナマエがそう呟くと「どうしたの?」とアルミンは笑う。
「うん……なんだか、戦っているみたい」
ーーー彼は、今頃どこにいるんだろうか。
***
酷い雨だ、とリヴァイは一瞬だけ空を仰いだ。
周囲には巨人を倒した時の蒸気が溢れている。視界はぼやけた赤。
「リヴァイ、天候が回復しそうだ。このまま進むぞ」
「了解だ。エルヴィン」
駆け寄ってきた馬に飛び乗り、空を見上げると雨の合間に雲が途切れていた。深い青が顔を出す。こんなにも世界は残酷なのに美しい。
壁外で心が擦り減っていくような時、リヴァイはナマエのことを思い出した。
必死で訓練を積み、この景色が見たいという彼女。せめてその初めての時、ほんの少しでいいから、彼女に触れるそれが優しくあればいいと思う。
馬の蹄が、森の入口で群生している紫陽花の葉を蹴飛ばした。リヴァイは一瞬だけそれに目を奪われる。
今しがたこの先を生きる兵士達のために散った心臓が、紫陽花の花弁と重なって見えた。雨に濡れた紫陽花は力強い。
(……今どこで、何してやがる。ナマエよ)
***
次に会えるのはいつだろうか。
こんな雨の日がいい。2人で、静かに部屋の中から雨を眺めたい。穏やかな心臓の音に耳を済ませて、生きていると感じたい。
6月の心臓が、お互いの存在で孤独を露わにする。
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