▼ ラプンツェル
その日の午後は座学の予定だったのだが、急遽自習と申し渡された104期生達。アルミンやマルコは真面目に教科書に目を落としていたが、そうでない者もちらほら。
いつもならミカサも真面目な方の1人なのだが、この日は何を思ったのかハサミと鏡を手にベランダへと出ていた。
「何やってるの、ミカサ」
「ナマエ。髪を切ろうと思って」
「え、今?」
「夜は見え辛い」
ベランダの手すりに鏡を置いて、タオルを一枚首に引っ掛けてミカサは髪にハサミを入れようとしていた。
「毛先だけなら切ってあげようか?」
「少し不安」
「失礼だなー。結ぶのは苦手だけど、こういうのは結構器用だよ、私」
ナマエはジャケットを脱ぐと、シャツの袖をまくってミカサの背後に回った。いつも見下ろされがちな関係だが、今はミカサの形のいい頭が視線の下にある。
「ミカサの髪って、まっすぐで綺麗だよね」
「私は……ナマエの髪の方が好き」
「そぉ?」
ナマエがミカサの髪を梳いていると、教室の中にいたアルミンがひょっこりと顔を出した。
「あ、散髪してるの?」
「うん。アルミンも切る?」
「ナマエ出来るの?じゃあお願いしようかな。僕も結構伸びてきたんだ」
「じゃあついでに俺も切っちまうかな。夜は切りづれぇもんな」
「エレンのは私が切る」
ナマエの下でぼそっと呟くミカサにナマエは苦笑する。4人がわいわいと髪をいじっていると、気付けばクリスタやサシャ、関係ないコニーも集まってきていた。
「なんだよ、お前ら散髪屋にでも転職する気か」
「ジャンもそのほわほわの髪切ってあげようか?」
ナマエが冷やかすように言うと「結構だ」とジャン。
「つーか、ナマエは切らねぇのか?」
文句を垂れながらもミカサに髪を切られるエレンが、一同の中で一番髪の長いナマエに視線を送った。
「私はいいよ。たまに前髪は自分で切ってるし」
「邪魔じゃねぇか?そんだけ長いと、立体起動の時も引っ掛かったりするだろ」
同じ理由で、ミカサに髪を切らせたことをナマエは知っている。が、ここは譲るわけにはいかない。
「立体起動のときはきちんと結んでいるよ。いいの、私はこれで」
「コニーみたいな髪形も似合いそうだけどね」
「ユミル、ハサミ置いて言って。そういうことは」
どこまで本気かがわからないが、シャキンシャキンと音を鳴らしながらハサミを握っているユミル。隣ではクリスタが諌めているが油断は禁物だ。
「でも見てみたいね。髪の短いナマエ」
悪気なく言うアルミンに「そのうちね」とナマエは誤魔化すように笑った。
***
その翌日、調査兵団に手伝いの予定があったナマエ。そして偶然にも、リヴァイの髪の毛がいささか短くなっていた。
「リヴァイ兵長も散髪されたんですか」
「そういうお前は変わってねぇようだが」
あははと笑いながら、ナマエは前日の散髪屋ごっこの一部始終を話した。そしてそのままなんとなくの流れで、エレンが入団して間もない頃、ミカサに髪を切るよう促した話題になった。
「で、その男の子は幼馴染の女の子の髪の毛を切らせちゃったんですよ。綺麗だったのに」
「しかしそいつの言う事には一理ある。調査兵も、あまり長髪の女はいねぇからな」
リヴァイは書類から視線を上げて、ソファの方に座って作業をするナマエを見つめた。彼女の髪は確かに長い。
「……やっぱりリヴァイ兵長も切った方がいいと思いますか?」
「それでヘマしねぇのなら問題ない。少しでも邪魔になるようなら切った方がいい」
「そうですか」
急に上官としての顔をしてアドバイスをするリヴァイに、ナマエはしゅんと俯いた。
「長い髪になんかこだわりでもあんのか」
「こだわりと言うほどでもないんですが……」
ナマエは一呼吸置いて、緩く結ってあったシニヨンを解いた。彼女の髪形はいつも様々だ。今みたくシニヨンだったり、2つに分けて結われていたり、三つ編みだったり。
「髪の毛って、獣の体毛と同じ感じがしませんか?」
「あぁ?」
てっきり見てくれの問題で長くしていたように思っていたリヴァイは、斜め上からきた返答に首を傾げた。
「湿度とか風向きとか……そういうのがわかりません?なんとなく天候も予測できる気がして。絶対気のせいだとは思うんですけれど、何か危険が迫っていたらわかる気もするんですよね。だから切れないんです」
緩い癖っ気のナマエ。
本当ならばユミルやアニくらいに短くするのが一番楽だ。けれどどうしてか、髪が長くないと不安になる。
「お前の危機回避能力はアテになったもんじゃねぇが」
「そ、それもそうですね……」
言い返せる理由が1ミリも無いナマエ。リヴァイに対しては特に、だ。
「しかし、まぁ……そのままでも悪くねぇ」
ゆっくりとリヴァイが立ち上がる。休憩の合図だ。
「立体起動には邪魔にならないように注意します。それに、そのうち証明してみせますよ」
リヴァイと入れ替わりでソファを立つナマエ。お茶の準備をしなくてはならない。
「なんの証明だ」
「壁外に出たら、私の髪の毛で巨人の出現の予測をしてみせます」
「馬鹿言ってんじゃねぇ。そんなんでわかりゃ苦労しねぇよ」
「ほら、ミケさんもにおいでわかるって言ってましたし!同じ感じですよ」
リヴァイは鼻で笑う。しかしナマエはごく真面目な顔で、部屋を出る間際に振り返った。
「私の髪が短くなる時は、巨人がいなくなるって時です。なので、その時はリヴァイ兵長が私の髪を切ってくれますか?」
「そりゃ随分めでてぇ話しだな……お互い生きてたら、やってやるよ」
「約束ですよ!」
今度は大きく笑顔を見せて、ナマエは振り返る。給湯室へ行くために執務室の扉を閉めた。
(いっぺんでも壁外に出てから言いやがれ)
心の中でそう思うリヴァイだったが、途方もない希望と願いが込められた彼女の髪が、また一層特別に感じられたのだった。
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