▼ 13.奇遇なる度々
冬期休暇が終わり、新しい年を迎えて春というにはまだ少し寒い頃。訓練兵団で3年の過程を終えた者達は解散式の後、各希望兵団へと配属される。全体的に兵団自体がどこかそわそわとした雰囲気を持つ、そんな時期。
「これで俺たちの天下ってわけだな」
駐屯兵団本部での大砲整備の実習中、ジャンがどこか得意げに口角を上げた。
「でも来年には私達新兵だよ。どうせまた一番下に」
「うるせぇなナマエ!今年だけでも威張らせとけよ」
「はいはい」
困った様にナマエが笑うと、ジャンはナマエの額を強く指で弾いた。
「痛いな、もう」
「ははは!今日はミカサが別の班だからな」
赤くなった額を手で押さえ、ナマエが抗議の眼差しをジャンに向けていると、反対側からナマエのジャケットを引っ張るサシャ。
「ナマエ、ナマエ」
「ん?何サシャ、私今ジャンに何か仕返しを……」
「そんなことよりですね!今日の昼食はこちらの食堂で出るらしいんですよ。昼食のメニュー、見に行きませんか?!」
食べ物のことになるとサシャの顔色は文字通り変わる。きらきらとした瞳、紅潮した頬。文字だけで並べてみると恋する乙女のそれと大差ないが、如何せんそれだけに残念だ。
「昼食のメニューたって、どうせパンとスープでしょ?そんな大差ないよ」
「それがですね、噂では駐屯兵団のスープには稀にベーコンが入るらしいんですよ?!今日、ベーコンが入っていたら?!」
「昼食の時に見ればいいんじゃ」
「昼食まであと2時間。この2時間をヤル気に満ちた有意義な2時間にするか否か……それは昼食にかかっています」
「ええー?」
それはサシャだけでしょ、とナマエが言おうとしたところでジャンが「お前ら喋ってねーでこっち手伝えよ」と2人に声を掛ける。
「ちょっとジャン、どの口がそれを」
「ジャン!私とナマエ、少しお花を摘んできますね!」
「あぁ?便所なら便所って言えよ、わかりづれぇな」
ジャンは2人に背を向けてひらひらと手を振る。
「いやサシャ、私は……」
「さ、行きましょうナマエ!」
問答無用で引き摺られるナマエ。本気を出せば振り払えないこともないが、先ほどデコピンをかましてきたジャンへの小さな反発心も手伝って、仕方なくそれに倣った。
駐屯兵団本部には、実習の一環でよく訪れている。
それでも1人でその中をウロつくことはあまりないし、基本的に団体行動が常だ。
サシャとナマエはなるべく人にみつからないよう、廊下の壁のくぼみなどに身を隠しながら食堂へと向かう。
(そういえば、リヴァイ兵長に最初に会ったのもここだったなぁ)
もうすでに半年前の出来事だ。
「あ、いい匂いがしてきました!」
そんな感傷的な雰囲気もぶち壊す、サシャの食い意地。
「ったくもう」
「とかなんとか言いながら、ナマエはいつも付き合ってくれますよね」
「サシャが強引なだけだよ」
ナマエが困った様に笑うと「そういう所です」と彼女は微笑んだ。
「最近は、ナマエも食欲が湧いてきたみたいですね」
「あ、うん。ちゃんと食べれてる。サシャに残りのパンをあげられなくて申し訳ないけど」
「いいんですよ。ナマエがきちんと食事を摂れるようになったのは嬉しいです。こうして、調査も同行してもらえますし」
訓練兵団に入って間もない頃、ナマエはきちんと食事が摂れなかった。
おそらく精神的なものと自己判断出来ていたので、食べられる分だけを口に運んでいた。しかしどうしても残ってしまう。当時はミカサ達ともいつも一緒にいるわけでなかったので、強烈すぎる「芋事件」を披露してくれたサシャに「食べる?」と声を掛けたのがきっけだ。
それからしばらくはサシャに残った食事を食べてもらっていた。ミカサに常々咎めれてはいたが、もともと体も人一倍華奢なナマエ。「もうお腹いっぱい」でなんとか押し通していた。
「はわぁー!この匂いは鶏じゃないですかね?!ダシ?!ダシでしょうか!肉が入っていればいいのに!」
しかしやっぱり、雰囲気はぶち壊し。
「もうわかったでしょ。サシャ、そろそろ」
「サシャ=ブラウス!」
廊下の端の方から、厳しく彼女を呼ぶ声。
「はっ!」
2人は食堂を覗き込んでいた間抜けな体勢から、慌てて立ち上がり敬礼を取る。
「ああ、そんなとこに居たのか。あっちで背の高いやつの手がいるんだ。ちょっと来てくれ」
呼ばれたのはサシャだけ。彼女は「わかりました」と言うと、廊下の先へと走っていく。
(背の高いやつってことは私は不要か。ジャン達の所に戻ろう)
ナマエはサシャが駆けていった方と反対側へ、くるりと踵を返す。と、そこには見覚えのある駐屯兵団の3人の男性兵士。
「久しぶりだな、ナマエ=アッカーマン」
忘れもしない、リヴァイと知り合うきっかけになった3人だ。今のナマエにとっては感謝したいような相手だが、それは時と場合による。
(あ、これひょっとしてハメられた?)
先ほどサシャを呼びに来た人も、彼等の仲間だったのかもしれない。背の高いやつなら、ベルトルトが一番だ。
「半年前はまさかあの、人類最強の邪魔が入るなんてなァ」
「続きをしようぜ。来いよ」
3人はじりじりとナマエに近付き、一番人相の悪い男がナマエの腕を掴んだ。
「私、もう持ち場に帰らないと」
「アンタの仕事は別にあるんだ。俺たち駐屯兵団の先輩が言ってんだぜ?黙ってついて来い」
引っ張って行こうとされている先は、食堂の裏のあまり兵士が通らない棟がある方だ。
この間は食堂の中だったから強硬手段は取られないと踏んでいたが、今回は結構危ないかもしれない。
「これ以上冗談には付き合えません。離してくれないなら、こちらも力で反抗せざる得ませんが」
毅然な態度で。
いつものリヴァイの表情を思いだしながら、ナマエは3人に向かって睨みつける。
「マジで調子に乗るなよ。大体、お前が呑気に兵士ヅラできんのもあとちょっとだぜ?」
「俺ら、あいつから様子を見るように言われてんだよ。なぁ?」
「あいつ?痛っ……本当にもう」
捕まれた手に痛みが走る。
もう限界だ、3人とも叩きのめしてやるーーーナマエが行動に移ろうとしたその時。
まるで視界がスローモーションになったように、目の前に緑のマントが翻った。高くあがった脚。その先に倒れていく、ナマエの腕を掴んでいた男の姿。
「ああ、すまん。虫がいたもんでな」
容赦無い顔面回し蹴りに、倒れた男の前歯はぐらついて出血が見える。
「リヴァイ兵長!さすがの貴方でも、他の兵団の兵士にこんな暴力は謹慎ものだ!」
倒れた兵士を見やり、左右の男2人は精一杯の勇気をもってリヴァイを睨み返した。
「あぁ?!だから虫がいたっつってんだろうが。こんな掃除を怠った汚ねぇ兵舎だから、そりゃ虫も湧くよなぁ?おい、聞いてんのか……虫ケラども」
しかし3人は小さく舌打ちすると、すごすごとその場を去っていく。リヴァイは威圧しながら、ナマエはぽかんとしたまま、その様子を見送った。
「俺がここに来る日は、お前が絡まれるっつー決まりがあんのか」
「そんなはずは……あの、すみません」
「対人格闘でも成績は良いんだろうが。あんな奴らのしちまえ」
「それが出来たら苦労しません。私が同じことしたら、訓練兵団追いだされちゃいます」
「面倒くせぇな……しかし、あいつらやけにナマエに固執しやがる。なんか心当たりはねぇのか」
3人が去って行った方を見ながら、リヴァイは腕を組んだ。気まぐれな口調でなく、それが本当に考え込んでいるようだったので、ナマエも必死に記憶の糸を手繰り寄せる。
「そういえば」
ーーー今期卒団していった103期生の中に、ヴィリー=フォン=ハーゼという貴族出身の訓練兵がいた。
ハーゼの家はヴィリーの兄、ヴォルフが継ぐということで、弟のヴィリーが憲兵団に入るために訓練兵に来たらしい。そのヴィリーが、やたらナマエに絡むきらいがあった。
ナマエの地下街にいたことや、地下から出てきてどうしていたか。そんなことを根ほり葉ほり聞いてくる。訓練兵団の中ではほとんど1人になることがない為、エレンやミカサが間に入ってくれていたのだが。
「その、ヴィリーという先輩と先ほどの3人が、ここの実習ではよく一緒の班になっていたような覚えがあります……あの3人、ほとんど面識はないけど102期生なんですよね」
「ハーゼ家か」
「ご存知ですか?」
「いや、俺が知るわけねぇ。エルヴィンあたりは知ってるだろうが」
団長が?とナマエも首を傾げたところで、ナマエの名を呼ぶ声が響いた。声の主はおそらくミーナだ。
「呼ばれてるな」
「はい。もう戻らないと」
折角リヴァイに会えたのに。
その一言を呑みこんで、ナマエはミーナの声の方へ行こうと足を踏み出した。
しかしカツカツと石畳を鳴らしながら、リヴァイはナマエを通り越した。
「おい、訓練兵」
ちょうど曲がり角から、おさげを揺らした彼女が顔を出す。彼女は突然現れた、目の前のリヴァイに目を丸くした。
「はっ」
ほぼ条件反射のように敬礼をとるミーナ。
「少しナマエを借りていく。持ち場の駐屯兵団の奴には俺が言ったといっておけ」
「は……?」
「リヴァイがそう言ったと、言え」
「は、はっ。了解しました」
リヴァイがくるりとミーナに背を向け、ナマエの方を見たと同時。
(見たわよ、見たわよナマエ!)
そんな好奇心丸出しの目で、ナマエの方を見てにやりと笑う彼女。
(……今夜の就寝前は質問攻めかな)
リヴァイはナマエの手首を掴むと、その小気味良い音を響かせながら歩き出す。
「あの、リヴァイ兵長。どちらへ?」
「少し早いが昼メシだ。あんな汚ねぇ場所で食えるか。付き合え」
「え?外ですか?」
「ああ……そうか。そのままだと目立っちまうか」
今日は訓練兵団の団服を着ているナマエ。
一度立ち止まり、リヴァイは着ていたマントを脱ぐとナマエへと被せた。ふわりと、リヴァイの匂いがナマエを包む。何度か知っているこの感触。
「……訓練の実習中に外食なんて、懲罰房にぶち込まれちゃいます」
「あぁ?これも実習のうちだ」
「それに私だけ贅沢を。サシャが聞いたらなんて言われちゃうか」
「またサシャか」
「はい、またサシャです」
(ん?私、そんなにリヴァイ兵長にサシャの話しをしたことがあったっけ?)
ぼんやりと考え込んでいると「行くぞ」と、リヴァイの急かす声。心の中でサシャに謝りながら、今夜の夕食のパンは彼女にあげようと、ナマエは思った。
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