42.It gets hader and harder to say just ' Soory.' as you grow up.


景吾が選んだ場所は繁華街でも有名なホテルの前だった。そこには野外劇場にも使えるよう何段にも渡って座席に見立てた階段が窪んだ中心にある舞台に向かって孤を描いて並んでいる設計になっており、さらに奥のホテルに近い方には立派な噴水と、辺りをぐるりと蔦植物で作ったアーチが囲んでおり、夜の今はライトアップもされている。晴れの日ならばカップルの戯れ場なのだろうが、生憎の天気で人気はないに等しかった。当然それを見越して馬鹿野郎二人を連れ込んだ訳であるが、そこでやっと重い荷物二つを景吾は放り出した。
「跡部…。」
「跡部、貴様、何を…。」
国光と弦一郎がほぼ同時に締まった首を押さえて咽ながら尋ねてきた。それをじろっとねめつけて、景吾はふざけんな、と一喝してやった。
「お前らが全国大会中に喧嘩沙汰で潰し合おうが何だろうが俺様には関係ねえがな、俺様の惚れた女を俺様が預かり知らぬところで泣かせるのはどうしても許せねえ。」
言いたいことを盛大に言って、はっ、と高々に景吾は一笑した。普通に考えれば今のように主張する景吾の乱入は、さらにこの喧嘩をややこしくして然るべきなのだが、不思議とこうもすっきりするほど言い切られては逆に景吾の存在は蚊帳の外になった。つまり景吾は完璧なる仲裁者で、彼がもたらした仲裁を必要とする現状をやっと国光と弦一郎は意識し、さらには恥じることまで出来た。思い返せば凄まじく利己的な喧嘩であった。お互いがお互いとも我を忘れ、周りを忘れ、本能のままに掴みあった。おかげでそっと窺いあった互いの格好は笑うに足る惨状だ。国光のシャツはとうとう二つ目までボタンが失せているし、弦一郎も最早ネクタイは首に引っ掛かっているだけで、シャツもボタンこそ取れなかったが襟元は鎖骨が大幅に見えるくらいには開いていた。そして同じ渋い顔を突き合わせる。と、景吾もその様を見ていたようで、さて、と促してくる。
「ひとまず言っとくことがあるよなあ。」
言われて、う、と二人が唸る。が、子供じみたことこそ実は大人びてやるべきことなのである。そういう訳で、ぼそりとではあるが、国光と弦一郎はちょうど同時に、すまない、と謝罪の意を表した。
「今日は、越前と会わない方がいい。」
苦い謝罪後の気まずい沈黙の中で、国光がそっとそう提言した。途端目を剥きかけた弦一郎に慌てて、悪意はない、と付け足した国光は、確かに随分と申し訳なさそうな顔をしていた。怒りを治めた弦一郎は静かに低く、どういうことだ、と問いただす。けれど国光はまたしばらく黙った後、ただ首を横に振った。
「それは、悪いが言えない。」
「リョーマに会っていたのか。」
しつこく問い詰めてくる弦一郎が鬱陶しい。どうにかかわしたい国光はにわかに思考し、あっさり格好のネタを思いついた。
「…お前のことを怒っていたぞ。」
案の定、この一言に動揺した弦一郎が黙り込む。それを見届けて背を向けた国光は、すり抜けざま景吾にも、悪かった、と声をかけた。
「怒ってた、ねえ。」
跡部が流し目に国光へ言ってみると、思った通り、すっかりいつものストイックさを取り戻した国光の横顔がさらっと答えた。
「ただの惚気だったがな。」
そう言い残してさっさと歩き去った国光の背から視線を外すと、跡部の目の前には俯いて、やはり俺のせいなのか、などと呟いて悩みぬいている憐れな弦一郎が突っ立っていた。景吾はそんな彼にはっきりと小馬鹿にした眼差しをくれてやった。
「おい、そこのうすら馬鹿。」
「…だ、誰がうすら馬鹿だと!」
「テメエ以外に誰が居やがんだ。手塚の言うとおり今日は大人しく帰りやがれ。」
景吾がそう言ってやると、やっと国光が立ち去ったことに気がついたのか弦一郎はきょろきょろと辺りを見渡した。やれやれと景吾が肩を竦めていると、次第にまたうつ向き気味になった弦一郎が、今度は違った深刻さを湛えていて、それに多少景吾の興味が動いた。
「アァン?何だその浮かない顔は。越前が心配だってんなら…。」
「聞きそびれたな…。」
「はあ?」
もうひとつからかってやろうと思い立ったばかりの景吾は出鼻を挫かれて不機嫌に聞き返した。すると弦一郎は妙に漫然としたまま、ぽつぽつと語って聞かせる。
「手塚が言ったのだ…。リョーマのところに行くと言った俺を、罪滅ぼしのつもりか、だとか、忘れたふりをいい加減にやめろ、だとか、まだ何か言いかけていたようだが…。」
さっきの喧嘩の合間にあった奇妙なやりとりを弦一郎はただ思い返していたのだが、はっとするとどうやらわざわざ口に出していたらしい。証拠に景吾の怪訝な顔色が待ち構えていて、気まずくなった弦一郎は適当に咳払いをしてやり過ごそうとした。
「いや、何でもない。忘れて…。」
「手塚は知ってるって訳か…。」
弦一郎の発言を遮った景吾の声は冷静で、突然取り残されたような気がした弦一郎はさっと顔を上げて景吾を見つめた。
「知ってる、とは何だ。何の事を言っているのだ。」
明らかに狼狽している弦一郎の様子を、目の端で捉えた景吾は、さあな、と一蹴した。カッとなって弦一郎が詰め寄っても景吾に動じる風はなく、霧雨のようになってきたために前髪の毛先に溜まって震える雫をピン、と指で跳ね飛ばした。
「別に、俺様も委細まで知ってる訳じゃねえし、まあ、忘れたふり、ってのはドギツイ言い方だな。」
「おい、だから一体何の話を…。」
まだ食らいついてくる弦一郎に、景吾はあっさり背を向けた。けれども、すぐに立ち去ってしまうことはなく、そのまま微かに顔を上向けたらしい景吾は背後の弦一郎に尋ねてきた。
「真田。お前、越前のこと好きか。」
「は、な、そ、それとこれと何の関係が…。」
「あるから聞いてんだよ。」
姿を目に映さずとも、真後ろにいるあの強面な男がひどく照れて焦っている様相は簡単に想像がついた。笑いをかみ殺していたため、正直なところ、景吾の肩は震えていたがそれに気付く余裕もないらしい弦一郎は、相変わらずぼろぼろの格好のままで斜め下の地面を睨みながら呟いた。
「…好きに、決まっておろうが…。」
さすがに堪えきれなかった。ぶっ、と盛大に噴き出した景吾はもう我慢せず腹を抱えて笑いぬいたが、またカッとなった弦一郎が飛びかかって来ないうちに持ち直すと、清々しく両手を広げて役者ばりのよく通る声を辺りに響かせた。
「結構じゃねえの!俺様に向かって言えるんなら外野なんざ気にするだけ馬鹿だぜ。」
「…何だそれは。」
気圧された上、今一つ景吾の称賛を理解していない様子の弦一郎を景吾は、バーカ、と愉快そうになじった。
「過去も真実だ。だがその真実も、テメエが唯一無二である限りテメエの一部でしかねえ。全部は結局今だ、この時だ!揺さぶられるな、今のお前を信じればそれでいいじゃねえか。」
そう叫んだ景吾の木霊する高笑いをがいつまでも反響する野外劇場の淵で、弦一郎は彼の意味不明さに険しく眉を顰めた。前々からよく分からないし、決して相容れない男だろうとは思っていたが、殊更今晩の発言はさっぱり分からない。しかしながら、分からない割には景吾の言葉は頭の中にすんなり浸透し、電車の中や国光の言葉であれほど動揺していた心はさっぱりと落ち着いていた。一度劇場の中心を振り返ると、途中の段に雨にも関らず仲良く二つ並んだ傘があった。そこから空へ視線を映すとぼんやりと明るい曇天が広がっていた。
今夜は会えないのだな、と癪だが、何故だか素直に思えた。

――――――
べさまは一見破綻しているようでちゃんと自分の美学と筋がある最高の男前じゃねーの。



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