33.The match has just started.


健康的な肌の色と比べるとずいぶんと不健全な大声が彼らから上がっていた。全国大会の初戦に赴いた青学テニス部レギュラー陣を取り囲んだのは、すなわちそういう群衆であった。ノースリーブの特徴的なユニフォームをまとった少年たちは、昨日波乱含みであった六角中の試合で応援を買って出た青学をすっかり敵と見なしたようだ。彼らの止まらない罵声に青学レギュラーたちの表情はどんどん険しくなる。やり込められる鬱憤というには辛いものがあって、試合で晴らせばいいとは思っても腹の底のむず痒いようなじれったさが全員を襲う。大人しい気性のものが多い青学メンバーはしばらくの間、黙って目の前の対戦者たちを見守っていたが、それもいい加減痺れが切れてくる。揉め事に首を突っ込みたがる武や薫の唇はへの字に曲がり、限界のようだ。カンカン照りの日差しと照り返しの熱で身体的にも程よいヒートアップを迎え、いよいよ彼らのどちらかが口を開こうとしたときだった。
「こういう奴ら、黙らせるの楽しくないッスか。」
例え後ろ姿しか見えなくても、その言葉を発した彼女の表情は手に取るようにその場の誰にでも分かった。にやりと釣り上った口角、僅かに下ろしかけた瞼は冷静そうなのに、その淵に張り付いた瞳は奥のほうで何かをぎらぎら滾らせている。かわいい顔が台無しと思えるくらい挑戦的な顔つきが思い浮かべば、全員の腹の底のむず痒さが一斉に愉快さへと変わるから不思議である。調子に乗った武がいつもの口癖で煽ると闘志の火に風が吹きすさんだ。テンションの右肩上がりをはっきり感じて意気揚々と彼らはコートへ歩みだした。
思わず隣の武とリョーマは顔を見合わせてほくそ笑んだ。燃え盛る心で戦いの場へ向かう先輩たちは、大人びているから武やリョーマのような大胆不敵な真似はしない。けれどその実、歴戦の友である六角中テニス部のための仇討戦ともいえる今日の試合に挑む以上、攻撃的な気持ちを前面に出したがってもいた。そういうわけで火付けの役目を果たせたという意味で、実際試合の出来ないリョーマとしては上々の働きをした気持ちであった。そしてそんなリョーマの思いを汲んでくれる武と笑い合っていたら、すり抜けざまに厳しい声が小突いてきた。
「今日はまともにウチの応援する気みてぇだな。」
その一等低い声にガラ悪く答えたのは武であったが、笑顔をやめてしまったリョーマが見上げるとやはり険しい表情の薫と目があった。
「今日は、ってのは何だよマムシ。」
食ってかかろうと武が身を乗り出す。しかし、あ、と声を上げてそれを制止するために手をかざしたのはリョーマだった。
「いいッスよ、桃先輩。」
「けどよ、越前!」
「みんな気遣いすぎッス。俺が真田さんの応援したのは本当なんだから。」
そうリョーマ自身が言ってしまうともう武に出る幕はない。フン、と鼻を鳴らした薫はと言えば、肩をいからせてぼそりとこぼした。
「分かってりゃいいんだよ。幼馴染だからって肩入れしすぎんじゃねーぞ。」
それからズンズン歩きだしてしまった彼を見送ると、リョーマは小さく笑った。
「海堂先輩、あれはあれで気遣ってるみたいだね。」
「はあ?どこがだよ。」
常に気に食わない男に今回はうまく言い返せず、若干立腹したまま武が尋ねる。
「あの人も言葉下手なんスよ。」
人差し指を唇に押し当てて、まるで内緒ごとを話すように答えたリョーマが一際うっとりとほほ笑む。それがあまりに脳を直接揺すぶるような甘さであったので武が目の前をくらくらさせていると、最後に残っていた国光が、早くコートへ迎え、といやにがびがびした様子で武を叱りつけた。

「部長もうまい言い訳するもんッスね。」
シューズの紐を縛りなおしていた国光は、それを終えてからゆっくり立ち上がった。そして斜め上を睨むとコートの作りのために少し高いところにある応援席で、手すりにもたれかかった白帽子が機嫌よく国光を覗き込んでいた。
「何の話だ。」
「とぼけなくていいじゃん。お礼言おうとしてんのに。」
つま先を二、三度鳴らして靴の具合を確かめる。新調してみたシューズの馴染みはなかなか悪くないようだ。
「そんな嬉しくない礼は遠慮する。」
「…人がせっかく……あーあ、部長のそういうとこ嫌いッス。」
試しに言ってみた、という感に溢れていたが、浴びせられると心にぐさりと来る一言であった。つい国光が唸ると少し慌てたようすのリョーマがこのくらいでショック受けないでよ、と緊張した声を上げた。
「…試合前にからかうな。」
「はあ…、すんません。…ていうか部長も大概ッスね。」
対戦相手の準備も済んだようだ。その気迫に誘われて歩みを進め始めていた国光は、思わず分かりかねる言葉に振り返ってしまった。結局リョーマはその発言の詳しいところを聞かせなかったが、ほんのわずかにあきれた様子で肩を竦めると、さっき武に向けたような極上の微笑を浮かべた。
「ま、とにかく頑張って。応援してますから。」
そんな安い言葉ひとつで現金な、とコートを急いで振り返った国光はそう自分の心に訴えてみた。しかしながらどんなに安っぽい言葉でも、あの笑顔が合わさると話は別なのである。
つまるところ、かわいい。
自覚してしまった分、なおさらあの娘が恐ろしいほどかわいく見えてしまう。六角の仇討がどうとか、比嘉中テニス部大将の実力や如何とか、国光の中で今から臨む試合は最早そういう次元でなくなってしまった。あの猫かぶりなおねだりを、そうだと分かっていても聞いてやらねば男が廃る気でもするようだ。ラケットのグリップテープをぎゅうっと鳴らす。完全勝利を収めたら、あの気ままな少女はご褒美に笑顔のもうひとつでもくれるだろうか。治療を繰り返した末、すっかり回復した彼の左腕に余分な情熱が注がれる。そのせいで彼の左腕が殊更猛威を奮うようになるまで、そう長くはかからなかった。

「久しぶりだ、手塚のあれを見るのは。」
肩に羽織ったジャージが熱風にさらわれてふわりと揺れる。一等高いところから見渡すコートは小さな箱庭のようだが、その中でやや過剰なほど気合を入れて戦う彼はやはり強大な存在感を持っている。あれが本来の手塚国光だ。ここ数年泣かず飛ばずである青学テニス部の栄光を取り戻すため、己の全てを賭してただひたすら高みだけを目指して登り続けている青学の柱たる男。完全に復調した仇敵を見下ろして幸村は穏やかなほほ笑みのまま瞳をささやかに、しかしながら険しく細めた。そしてさらにその瞳をぐるりと青学のスタンドに巡らせる。この中のどこかに幸村にとってのもう一人の敵がまぎれているはずだ。しかしながら傍目ではそれらしい人物が見つけられない。おかしい、とかすかに眉を顰めたとき、一番小さな背格好の青学ジャージがひとり振り返った。


――――――
はいはいこっから修羅場るよー。
ということで第三部開始です。



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