レオナ・キングスカラーと嫌われ令嬢(上)

 嫉妬深い緑の瞳がどこまでも印象的だった。
 仮にも婚約者となるはずのこちらを睨め付ける荒んだ目元に、幼い少女の心は耐えきれなかったらしい――我が身可愛さに「私」を呼び出した。直後目の前の少年の顔には未だ傷はないと思った己の思考に、どうやら捩れた世界に生まれ変わったらしい事実を認識した。あたりの情報収集のためか、本能的に思わずピルルと動いた頭上の耳に幼い彼の視線が細まったのがわかった。後のトップモデルをして顔だけはと言わしめた均整のとれた御尊顔が、そして、次の瞬間にはため息を溢しそうなほどに歪んだ。同時にプツンと糸が切れた――そうだ、私は短気だった。
「ライラ、自己紹介を」
「初めまして、レオナ殿下。ライラ・オーヴァルと申します――この度はご愁傷様ですわ!」
 何を――と隣の父親の顔が驚愕に見開かれるのがわかったが、周り出した口は止まらない。止めるつもりもなかった。「殿下の綺麗なお顔にはこんな女との婚約など不満だと堂々と書いてありますけれど、これは王冠を保つための勢力均衡に由来する政局戦略ですから、お早く諦めてくださいましね」
「ライラ!――し、失礼をいたしました!娘は、そう、きっとこの場にすこし混乱しておりまして……普段はこのような――」
「ハ、ついさっきまで怯えていたくせによくいうぜ」
 青ざめた婚約者の父親の言葉を、その立場でもって容易く遮ってみせた少年は確かに少女を嘲笑った。これは喧嘩だ。
「あら、婚約者に怯えられて、傷付いておられたのならば大変申し訳ございませんわ。わたくしか弱い乙女ですから、そのような鋭い眼で睨みつけられては……ねえ?」
 確かに「わたし」は怯えた目をしただろう。呼び出された直後に耳を動かしたのも無作法だったろう――しかし、腹に積もった鬱憤を、苛立ちを、怯えた少女にぶつけてくる第二王子殿下[クソガキ]にただ頭を下げる謂れはない。視線に刃があればきっと無惨に切り裂かれていた程度には鋭い視線が私を刺したが、何も気にならなかった。
 
 こうして、周囲は青ざめ、父親が頭を抱え、国王は困ったように笑い、当事者は睨み合う。そんな中で夕焼けの草原 第二王子レオナ・キングスカラーと、同国貴族 ライラ・オーヴァルの婚約は締結されることとなった。
 

 
「お前は自分が嫌いなのね」
 初対面で明らかに怯えていたはずの少女は、数回の逢瀬(というにはあまりに義務的である)の後、毎回の如く王宮の広い室内で不干渉で読書をしていた中で突如としてそう口を開いた。「グルル」と咄嗟に喉が鳴ったのはきっと図星をつかれたからだと、聡いレオナは自分の心のありようを理解していたが、それを飲み込むには彼はあまりに子供だった。
 「お前に何がわかる」と。反射的に飛び出した言葉に、しかし、少女は顔色ひとつ変えなかった。
「何も」
 パチリと女のまあるい目が瞬く。
「私は見えるように、見ているだけだもの」
 女はそうしてレオナに言葉を突きつける。いつも、いつだって、顔を合わせれば黒い眼が吸い込むようにレオナを見ている。
「――うるさい」
 弾き出された己の言葉かと思った。違和感のないそれが、柔い少女の声で室内に再生されていく。
「どうして俺ばかり」
「妬ましい。妬ましい」
「どいつもこいつも」
「愚鈍なくせに」
「兄のせいだ――」
 嫌にゆっくりと、柔い声が鳴る。耳を塞ぐことができないのは、暗い目玉がこちらを睨め付けているからだ――ああ、嫌だ。続く言葉をレオナは知っている。
「“俺も、ああなりたかった”」
 ガゥと、ただの獣のように[いで]た咆哮に、しかし、少女は決して顔を歪めはしなかった。黒い眼には獣ではなく、チョコレート色の肌の上等な服を着た王子様が映っている。
「誰も俺を認めてくれない――ですって!」
 そう、心に秘め続けてきたレオナの言葉を女は正確にトレースしてみせてなお。「違うわ。全てお前のせいよ」
 言葉を続けた少女をレオナが噛みつき殺さなかったのは、単に目前の机に拒まれたからだ。ガン!とマホガニーのデスクが大きく位置をずらし、ひび割れるがそんなことはどうでもよかった。
「殺されたくなければ黙れ……!」
 しかし、その言葉さえも鼻で笑い、少女は薄桃色の唇を釣り上げる。「なあに、慰めてほしかった?」と続ける黒い眼は、やはりミリ単位とずれずにレオナを捉えている。「くだらないわ!」
「それをなんて言うか知っているかしら」
 黒い眼が豪と燃えている。
「傷の舐め合いよ」


 そういった少女をレオナは二十歳を迎えてもなお夢に見る。無論、こんなものはただの悪夢だ。
「レオナさーん……顔がいつもの5億倍は凶悪っスよ……」
 思わず耳慣れないイグニハイド生の誇張表現がラギーの口から飛び出す程度には、酷い顔をしているらしい。寝起きのレオナの大きな舌打ちにラギーは飛び上がり、寮生は股の下に尾を隠した。
 
[] | []
×
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -