Davis Crewel and Homme Fatale #1

「これは、珍しい客人だ。」
 熱砂の国でも随一の賑わいを見せる絹の街において、何処からも眺めることのできる豪邸の主人の席にその男は座していた。この街の熱帯な気候のためにいつもの特徴的なファーコートを脱いだ軽やかな装いで、デイヴィス・クルーウェルは男の前に立つ。クルーウェルがこの場を訪れたのは、目の前にいるこの男の息子が、ロイヤル・ソード・アカデミーから編入することが正式に決まったためであった。
「こちらに来て頂けて助かったよ、デイヴィス――失礼、ミスター・クルーウェル。正直なところ、私はあれがどちらに通おうと構わないのだが……」 コツリ、コツリと男の整えられた爪先が肘掛けを打つ。
 「向こうには愚息の世話ができる奴がいなかったらしい。通っているのが王族の府系に偏っていれば、マァ妥当なところであろうが」と、続けた男をクルーウェルはよく知っていた。射干玉のような髪、エメラルドのような鮮やかなグリーンの瞳は最後に彼を正面から見たあの日から変わらない。
「……結婚していたのか」
 だからつい、クルーウェルはそう溢してしまった。それが目の前に座すアジーム家の当主というVIPに対して、ナイト・レイヴン・カレッジの教師の領分を超えた質問であるのは明白だった。しかし、止めることができなかったのはクルーウェル自身がその知らせを受けたことがなかったからだろう。目の前の男が逃げたものを追うような人物でないことは知っていた。それでも、心のどこかが軋んで音を立てる――俺を愛していると言ったくせに。
 あの少年の髪はパールグレーだった。あの頃よく似合うと、男が目じりを下げて見つめたクルーウェルの片側の髪の色を宿した少年だ。同じ髪色の女を抱いたのかと――それはまごうことのない憐憫であった。「愚かしい質問をするものだな。ミスター・クルーウェル」
 言葉のチョイスに反した柔らかな声だ。男は表情ひとつ変えずに淡々と言葉を紡ぐ。
「私の婚姻が世界に広がらぬわけがあるまい」
 コツリと爪が音を立てる――あの頃と変わらぬ男の癖だ。
「ッ、だが、彼は長子で嫡男だと」
「そうさな。あれは私が15の時に閨を共にした踊り手の子らしいが――」
 コツリ。男は今日の予定を告げるように当然な口振りで言葉を続ける。「私の子だとして女が“あれ”を持ってきたから受け取って育てているだけだ」
「な」
「どうせ使えぬものは淘汰される家だ。幾らあっても問題あるまい」
 私が有象無象に興味がないことなど、お前は知っているだろう?と。まるでそう言うかの如く視線は、デイヴィス・クルーウェルをあの仄暗い優越感に浸らせた青い日々を思い出させてやまなかった。年を重ねても尚、その男は──アンワル・アルアジームは美しい。



 男を認識したのは、入学式のことだった。デイヴィス・クルーウェルは自身がポムフィオーレ寮に入ることになるとの確信を持っていたが故に、ただ静かに周りの値踏みを行っていた。式典服のベルトを足の長さを考えずに腰で結んでいる者、姿勢の悪さによって見合わぬ皺が寄っている者、下品に着崩している者――小さくないため息をつきそうになった時、その男は現れた。
「アルアジームくん!」
 まるでミドルスクールの生徒が憧れるような(つまりは不審者じみた)姿の学園長が後方へと向けて声を荒げた。神聖な式典を中断させた愚か者を周り同様、クルーウェルも見てやろうと静かな動作で顔を向けた。そして、その男が目に入った瞬間、目を奪われた。
 それは「美」を形容した生物だった。その歩き方も気怠げながら様になる堂々とした振る舞いも、式服の着こなしも――何をとっても完璧[PERFECT]以外の言葉が出ない。男が持つ美しい黒髪と人ならざる者の色として嫌われるはずの嫉妬色の瞳ですらも、その美しさを増さんばかりであったのだから。男が一歩踏み出せば、主役であるはずの新入生の波が自然と道をを開けている。
 クルーウェルの胸中に反して、周囲は「アルアジーム」という彼のファミリーネームに騒めいた。アジームといえば、熱砂の国に根付いた、世界最大の富豪の名であった。そうかあれがと認識すると同時に、その時点で彼がスカラビア寮生であることはおよそ疑いようがなく、クルーウェルは少しばかりの惜しさを感じた。あれほどまでの美しさを側で眺めることができたならば――いやいや何を負けたつもりでいるのだ俺様は、と。クルーウェルは無理やりその視線を途切らせ、大鏡へと視線を移した。数多がその男に見惚れるように眺めているのがヒト族でしかないクルーウェルにも手に取るように感じ取れた。
「全く!どうなっているんですか、あなた“ディアソムニア”の寮長ですよね!」
 その言葉にしんと、その場が静まり返った。ディアソムニアといったか、熱砂の国の富豪が――?その魂の質、精神性に由来しているとされているがおよそ分類される傾向というものがある。それを真っ向から否定する答えに、周囲からもボソリボソリと疑問の声が波のように生じていたが、しかし、それは男が微かに眉を顰めたことで消え失せた。どんな表情をしても美しさは揺るがず、男の視線は学園長を捉えている。
「そう声を荒げずとも聞こえている、クロウリー。少しばかり遅れただけだろう」
「休学前最後の仕事くらいちゃんとしてくださいよ!あなたただでさえ目立つんですから、こんな遅れて来られては新入生も萎縮してしまいますよ!」
 またしても気になる言葉が耳を掠めたが、それは新入生へと目を向けた男の視線がクルーウェルを捉えたことによって頭の隅へと追いやられた。エメラルドの瞳が広間の光に照らされて煌めき、男の長いまつ毛がゆっくりと閉じることで頬に影を落とす。それは一枚の絵画のようで、まるでその瞬間に時が止まったような感覚がした――が、刹那、再度覗いた緑色の宝石はツイとクルーウェルを過ぎ去って、クロウリーへと戻された。
「――いつもと変わらんだろう」と。クロウリーへと言葉を返した男の反応に、カッと顔に熱が上がったのがわかった。悔しさか、はたまた恥ずかしさからくるものなのか――クルーウェルは絶対に理解したくないと思いながらも、それを良しとするほど愚かしくはなかった。これが憧れ、あるいは羨望かと――自身がこれまでに向けられてきた感情を彼は初めて正しく認識した。幸運にも物思いに耽る間の顔の熱は、式典服のフードによって隠されたことで誰に見られることもなかった。
 男の言葉にため息を吐いたクロウリーの再開の合図によって、その後の入学式はつつがなく進行した。しかし、どこか皆が心ここに在らずの状態であったのは否めない。ディアソムニアへと数少ない生徒が振り分けられるたびに、チラリチラリと新入生が男を伺っているのがわかった。「くだらない」と普段ならば一蹴できたその凡人の思考が、今だけは手に取るようにわかってしまうのもクルーウェルには耐え難い屈辱に思えた――しかし、屈辱を感じたならば行うべきことは決まっている。道を定め、着実に歩みを進め、それを晴らすのだ――その精神性は正しく奮励であった。
「汝の魂は、ポムフィオーレ!」
 闇の鏡はクルーウェルの推測に正しく彼を組み分けた。小さな頷きとともに踵を返し、ポムフィオーレ寮の集団へと歩みを進める。その最中、クルーウェルは微かに男を覗き見た――自身のプライドと欲望が競り合った後に後者が僅かに勝ったその結果の先、男の視線は決してクルーウェルを捉えてはいなかった。その時の感情を何と言語化したものか。グと手を握りしめ、しかし、背筋を伸ばし、顔を上げて堂々と――クルーウェルはポムフィオーレ寮へと合流した。
 クルーウェルへと忘れられない屈辱を与えた男との再会は、それから一年後のこととなる。
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