June, 1943

00.
 
 惨めな女の泣き声がする。
 その歴史にふさわしく重厚で巨大なホグワーツ城の端、薄暗く人気のないバスルームにバンシーのような金切り声が反響している。
 秘密の部屋の入り口である鏡の前で、トム・マールヴォロ・リドルはあの忌々しいマグルの男(忌まわしきトム・リドル・シニアだ)に捨てられた母もこんなふうに泣いていたのだろうかとふと思った。
 
「“バジリスク”」
 
 掠れた息が漏れるような微かな音に従って、それは地上へと姿を現す。開かれた「扉」から這い出でたそれは蛇の王。トムの身長を優に越えた彼は音一つ立てずに隣へと降り立った。
 ――動じるな。これは、あの勲章に塗れた教師すらもなし得ていない死を超越する第一歩だ、と。革表紙の日記帳を握る手に力が入り、ただでさえ色が白いと言われる彼の指先が白さを増す。日記帳はマグル界の孤児院出身のトムが良家の子息子女で溢れたスリザリン寮生に認められた証だった。かつての監督生に贈られたそれは彼だけの所有物であり、それは自分の存在証明だ。しかし、どれだけ学生や教師に認められようとも、どれだけ知識を得ようとも、どれだけ己を記そうとも。スリザリンの系譜にあたる偉大な母を無惨に捨て去った男への憎しみと、偉大な血を引くはずの魔女が死に屈した事実は揺るがない。それは、トムの心根に強く張られた屈辱であり、恐怖だった。
 女子トイレの鏡に映る青白い自分の顔と、保護の魔法を掛けたことで一時的に白くなったバジリスクのまん丸な目が合った気がしたが、視界の封じされたバジリスクから反応はなかった。鏡に反射された色はピット器官では捉えられないのだから、バジリスクがトムの感情に気付くことはない。バスルームの金切り声は続いている。トムは微かに息を吐き、保護呪文を解除するために杖を持ち上げた。その瞬間――

「闇の鏡に導かれし者よ」

 鏡に生じた波紋とともに、世界は一転した。

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