それからあっという間に月日が過ぎ去り、中学三年生の夏。初めて彼女の名が柳井ナツミだと知った。至ってシンプルでありふれた名だったが、それがとても彼女らしく相応しくて、知った時はつい笑みが零れた。

オレと彼女は相変わらず奇妙な関係を続けている。柳井ナツミは今でもオレの姿を目で追っていたし、オレも彼女の後ろ姿を見つめていた。オレ達は二年前のあの夏と変わらない、ずっとそのままだった。

別に変える気なんてなかった。この関係性が丁度良いと思っていたし、柳井ナツミは何を想いながらあの黒い瞳にオレを映しているのかと、想像を膨らませるのがとても楽しかった。
そしてもう一つ。一年の頃と変わらずオレは女子が苦手だった。今でもクラスの女子の騒がしい声は苦手だ。仲が良いと思えば友人の陰口を叩く彼女達の行動も理解できなかった。柳井ナツミもそうだ。何を思ってオレの視界に現れるのか、どうしていつもオレの帰りを待つのだろうか。彼女の行動全てが分からなかった。だが、彼女が纏う雰囲気や仕草を見る限り、なんとなくクラスの女子とは違う気がした。彼女には、不思議な魅力がある気がした。

「おい、聞いてるのか?」

カカシ。強い口調で名を呼ばれてハッと我に返った。声のした方へ顔を向けると、眉間に皺を寄せたオビトが隣にいた。

「なに?」
「だから!お前の好きな奴の話!」

オビトの張り上げた声が長い廊下に響き渡った。驚いた生徒達が訝しげにこちらへ目を向ける。周りの目を気にすることもなく平気で大声を出すオビトに呆れて、溜め息が漏れた。

「…そんなこと聞いてどうするの?もしかしてオレのこと好きなの?お前」

冗談を返すとオビトは「そんなわけないだろ」と声を荒げて反論した。急に足を止めたオビトを無視し、オレは構わず昇降口まで向かう。
今日も柳井ナツミがオレを待ってる。あの小さな片隅で壁に寄り掛かりながらオレの帰りを待っているんだ。そう思うと何故か胸が弾んだ。

「なぁ」

一際大きくなったオビトの声が日の当たらない冷たい廊下に響いた。やけに鼓膜に響くその声にしつこいなぁと心の中で呟く。
無視を決め込もうとしたが、また突拍子もないことを大声で言われたら困るので、仕方なく足を止めて振り返った。オビトは珍しく硬い表情を浮かべていた。

「なぁ、カカシ。お前やっぱりアイツのこと好きなんだろ」
「は?何言ってるの?」
「この前、アイツとお前が仲良く話しているの見たんだよ」

オビトの口から出た「アイツ」とは隣クラスのリンのことだ。こいつの頭の中はいつもリンのことで埋まっているからそれしか考えられない。
そして「この前」とは、昨日の昼休みのことだろう。たまたま図書室で居合わせたリンとオレが話しているところをオビトは目撃したのだ。リンとの会話だって、大したことではない。リンがオレに勧めたい本があると言って、貸してくれただけだ。それだけでオレがリンを好き?こいつの頭のなか、単純過ぎでしょ。

「お前ねぇ…それだけでオレがアイツを好きだと決めつけるのやめてくれない?」

心底うんざりして答えればオビトはムッとした顔付きに変わった。

「じゃあ、誰なんだよ、お前の好きな奴」

オレの好きな人ねぇ。何故かこのときふっと頭に浮かんだのは、オレを待つ彼女の後ろ姿だった。
ーーいや、それはさすがにありえないでしょ。
浮かんだものを咄嗟に振り払い、どう上手く交わせばオビトから逃げられるか、それだけに集中した。
好きな奴などいないと言えば、そんなはずがないとまたしつこく付き纏われる。かといって、リンを好きだと嘘を吐けば話がややこしくなる。だったらもう、これしかない。

「オレの好きな奴はーー


お前の知らない奴」

さすがに自分の知らない奴だと答えられたらこれ以上催促することは出来ないだろう。仮に「そいつは誰だ」と聞かれても、そこまで答える道理はない。
「じゃあね」呆然と立ち尽くすオビトにオレは背を向けた。一瞬だけ窺えたオビトの顔はまだ納得できない表情だった。案の定、背後から「おい待てよ」とオレを引き止める声が聞こえる。結局、何を答えてもアイツは黙ることはない。これ以上会話を続けても時間の無駄なので、今度こそオレは何も言わずに歩き出した。

昇降口に着いてまず探してしまうのは、彼女の後ろ姿だった。彼女の定位置は日が当たらないあの小さな片隅。いつもそこで彼女はオレの帰りを待っている。少しばかりの優越感に浸りながら、今日もオレはその場所に目を向けた。

ーーだが、彼女の姿はなかった。

慌てて靴を履き、外へ出て彼女を探す。しばらく辺りを見回してみたが、見慣れた後ろ姿はどこにも見当たらない。何故。どうして。いつもならどんなに帰りが遅くたってそこで待っているはずなのに。焦りと暑さで背中からジワリと汗を掻く。夏の生温い風が余計に暑さを加速させ、不安を煽らせた。

当たり前が、当たり前ではなくなった。

ずっとこのままでもいいと思っていた彼女との関係が、少しだけ変わり始めた瞬間だった。

はじめましての夏


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