いつものように父親から手紙が届いた。

定期的に手紙が届いていた内容は仕送りの事だけで、金さえ送っておけば母と私を捨てた罪悪感が軽くなるのだろうか、手紙が届く度にそう疑いざるを得なかった。傲慢で安易な考えを持つ父のことがどうしても許せなくて、送られた金は絶対に手を付けないと初めて手紙が送られた日、そう固く誓った。

今回の手紙の内容も恐らくそのようなものだろう。

私は冷めた気持ちで封を開け、とりあえず便箋に目を通した。そこには癖のある見慣れた文字があり、やはり書かれていた内容は仕送りは足りているかの文字。仕送りなんて送られても意味ないのに。たまには違う内容の手紙を送る事が出来ないのか。呆れて溜息を吐いた。
用がなくなった便箋を閉じようとすれば、ふと便箋の片隅に追伸の文字が目に入り、手が止まった。

なんだろう?心臓が跳ね上がり、昔から変わらぬ文字を目でなぞれば、そこには疑う内容が書かれてあった。

今度、母さんとチフユに会って話したい事がある。

詳しい日時と場所が書かれた文字は頭には入っては来なく、私達に会って話したいの文字を何度も読み返した。
話したい。何を?私達に直接会って何を話すのだ。家族を引き裂いた張本人が。どの面下げてーー。
途端に怒りが込み上げてきて、便箋をぐちゃぐちゃに丸めてゴミ箱に投げた。しかし、放り投げたゴミは意に反して別の場所へ無残に転がっていった。それを見て益々苛ついた私は勢いよくベッドに寝転がり枕に突っ伏した。

ああ、嫌だ嫌だ。またアイツに振り回されるなんて。

父のことは大嫌いな筈なのに家族にまた会えるのを楽しみだと思ってしまう自分がいて。丸めた手紙と同様にぐちゃぐちゃな気持ちの感情をどう対処すれば良いのか分からなかった。

どうにか落ち着かせようと目を閉じ、うつ伏せで寝ていると隣の部屋から微かに物音が聞こえて来た。
カカシいるのかな?こんな時は誰かと話して気を紛らわせるのが一番だ。私は彼に借りたままのマグカップを思い出し、それを口実にしようとベッドから降りた。

キッチンに向かい、食器棚を開ける。引越しの際にと白を統一に買い揃えた食器の間から居心地が悪そうに紺色のマグカップが佇んでいた。
それを取り出し見つめてしばらく悩む。

何か飲み物を入れて返した方がいいかな。

空のまま返すのも躊躇したので、何か入れる物はないかと冷蔵庫を漁ったが、生憎それらしいものは無い。ふと調理台の端に目をやれば、寝付きが悪い日によく飲んでいた梅酒の瓶があった。

…まあ、これでいっか。

マグカップに梅酒なんて不格好だけど今は仕方ない。とりあえず私は誰かと話したいのだ。これは緊急事態だからと自分に言い聞かせて借りていたマグカップと自分のマグカップに梅酒と熱い湯を注いだ。おまけに瓶の奥底で浸っている梅まで入れれば、立派な梅酒割の完成だ。

コンコン、隣部屋と仕切る壁を軽く二回ノックしてみた。まだ起きていますように。微かな望みを託して返事を待つ。

「何?」

聞こえて来たのは淡白な返事だった。良かった。まだ起きていた。隣人がいてくれた事に嬉しくなった私は舞い上がらぬようにと気持ちを抑えて口を開いた。

「今からベランダに出られない?」

この前のマグカップを返そうと思って。そう言葉を付け足した。本当は玄関から返せばいい。でも、現在の時刻は夜の11時。いくら親しくなっても異性の部屋にずけずけ入るのを躊躇した私は控えめにベランダへと誘った。
マグカップなんて後ででもいい、そう言われるだろうか。誘ったのはいいもの断れるかと心配した私は今更になって焦り始めた。

「いいよ」

了承を得て安心した私は部屋着の上に長めのカーディガンを羽織った。湯気の立つ二つのマグカップで両手が塞がれていたのでサッシ窓を開けるのが困難だった私は行儀が悪いが誰も見ていないからいいやと肘で開けた。

「こんばんは」

ベランダ用の冷たいサンダルをスリッパから履き替えている途中、カカシの声が耳に入った。こちらが先に誘ったのにも関わらず、自分より早くベランダに出ていたカカシに驚いて思わず「え」と小さく声が漏れた。

「チフユから誘っといて驚くことないでしょ」
「ごめんね、つい」

えへへ。誤魔化し笑いながら隣のベランダを仕切る壁に向かう。相変わらず冬の空気は冷たい。息を吸い込めばツンと鼻の奥が痛くて思わずしかめっ面になった。ベランダの手摺りから少し背伸びして壁越しのベランダを窺うとそこには月に照らされて一層輝く白銀の髪があった。カカシだ。

「…なに、それ」

カカシの目線の先には両手に持っていた梅酒の入ったマグカップ。まだ湯気が立つそれはほのかに梅の甘い香りを漂わせていた。

「梅酒」

問い掛けに答えるとカカシは眉間に皺を寄せていた。そういえば今日は額当てをしていない。
カカシはマグカップから私の目に視線を移すと色違いの双眸が私を捕らえた。

「オレ、甘いの苦手なんだよね」
「そう言うと思ってお湯で割って来たから大丈夫だよ」

カカシは甘い物が苦手だと以前、話していたのを覚えていた。だからお湯で割れば甘さを緩和出来ると思い、作ったのだ。
それでも飲めないのならば自分で飲むしかない。私はカカシに渡そうとしたマグカップを引っ込めようとした。

「飲まないとは言ってないでしょ」

言いながら引っ込めたマグカップをグイと引っ張り、ちゃっかり受け取ったカカシは本当に天邪鬼だ。

「マグカップに梅酒が入ってるなんて見たことないね」

もう一つ嫌みを口にしたカカシは意地悪く笑っている。じゃあ飲まなくていいよ。そう言い返せば、だってこのマグカップはオレのでしょ、と反論した。

「カカシって、ああ言えばこう言うっていうか、口が達者だよね」
「そう?褒め言葉として受け止めておくよ」

皮肉を込めて言ったのにあっさり笑って返すカカシを恨めしそうに睨んでやった。敬語を使わなくなった私達は歳が近いという事もあって仲良くなるのが早かった。
カカシは口は悪いが良い人だ。だけど、これ以上の関係を持つ事はないだろう。日が経つにつれ、この前の居酒屋からの帰り道に起きた熱くなった頬や胸の高鳴りはやはり酒のせいだと確信した。

私はほっと胸を撫で下ろす。愛だの恋だの振り回されるのは嫌だったから。これ以上何かに悩まされるのは御免だった。

「何かあったの?」
「え?」
「チフユが誘うなんて珍しいから」

マグカップを返すのは口実でしょ?言いたげに目をやる。カカシはなんでもお見通しだな。私はまだ湯気の立つ梅酒にふぅと息を吹き掛けて冷ます。頭では言ってしまおうかどうしようかと悩んでいた。

言ってしまえば楽だけど。…楽だけど、言ってどうする。

「言ってみれば?言ってしまえば案外と小さな悩みかもよ?この前みたいに」

皮肉交じりの言葉は彼なりの優しさだ。カカシはいつもそうやって私を誘導してくれる。強制ではなく何気ない優しさで。その優しさに寄り掛かってもいいのだろうか。打ち明けてもいいのだろうか。目を閉じて深く息を吸い込んだ。空気は変わらず冷たい。

「父から手紙が届いたの。今度三人で会おうって。父は嫌いだし顔なんて見たくもない。けど、久しぶりに家族みんなで会えると思うと嬉しくなる自分もいて」

一体何をしたいのか自分が自分で分からない。私は胸にあるモヤモヤとしたものを正直に打ち明けた。カカシは私の拙い言葉で理解出来ただろうか。返答を待つこの時間が長く感じて気休めに温くなり掛けた梅酒をひと口飲み込んだ。じんわりと喉の奥に溶け込み胃に流れ、冷えた身体が熱くなる。

「いいんじゃない?嬉しくなっても。というか、嬉しいって思うって事はまた家族に戻りたいって事なんじゃないの」

淡々と返された言葉は私にとっては納得できない答えだった。元に戻りたいのか、私は。確かに幼い頃は家族三人で遊びに行ったり楽しい思い出はたくさんあった。その頃は父も母も私もみんな笑顔で煌めいていたし、今でもたまに楽しかった思い出が夢に出てくる事もしばしばある。
今回も久しぶりに家族みんなで会える事に嬉しく思う自分もいたわけで。すると、これってやっぱり、

「そうなのかも」

本当はまたあの頃のように戻りたいのかも。言葉にすればますます腑に落ちてゆく自分がいた。父は憎いがあの頃には戻りたい。わがままな願望は私の中でどんどん膨れてゆく。

「ぶつける相手がまだ生きているんだからどうにでもなるでしょ」

カカシの放った声は低く、重く。決して軽はずみで言ったような言葉ではなかった。

「死んだら終わりだよ。いなくなってからこうしてあげれば良かった。ああ言ってあげれば良かった。そんなこと、後悔しても相手がいないのだから仕方ないのにね」

自嘲気味に笑い、そう口にするカカシは誰かに詫びているような気がして。横にいるカカシの顔を見ると左目の痛々しい傷が月に照らされて浮かんだ。その傷にも何か悲しい記憶があるのだろうか。
聞く事は容易いが、聞いて受け止めるほどの器量を私には持ち合わせていない。
今は当たり前にこうして話しているが、カカシは忍だ。一般人の自分よりも彼は命の尊さを重く受け止めて生きているのだろう。生温い環境で暮らす私と日々命と向き合うカカシはやはり別世界の人間だ。

「後悔しないように生きるにはどうすれば良いのかな」

ポツリと唇から漏れた言葉はただなんとなく思った言葉だった。カカシは口元を隠しているので目を見て表情を読み取らなくてはいけない。でも、なんとなく、その目は悲しく笑った気がした。

「オレだって、そんなの分からない。でも、分かるのはチフユの両親は生きているんだから自分の力で変えられる可能性は十分にあるってことでしょ」

柄にもなく励ましてくれるカカシの優しい言葉がすとんと胸に落ちた。そうか。私が変えればいいのか。また戻れるかな。あの頃のように。澄んだ今宵の空は星が輝いて見えて、あんな風に煌めいていた日がいつか来ればいいなぁなんて思った。

「カカシ、ありがとう。私、頑張ってみる」
「まぁ、気負いしない程度に頑張ってね」

礼を口にすればいつもの意地悪なカカシに戻っていて、カカシの手に持っていたマグカップは気付けば空になっていた。いつの間に飲んでいたのだろう。カカシの顔をせっかく見られるいい機会だったのにな。
梅酒でほろ酔いになった私は悩みが解決した事で気分も良くなり、お気に入りの曲を口ずさんだ。

「…その曲、」
「カカシもよく口ずさんでるよね」
「聞こえてたの?」
「もちろん」

まさか私に聞かれていたとは思わなかったのだろう。驚いて私を見ているカカシに構わず言葉を続けた。

「たまにカカシの部屋から聞こえてきたんだ。この曲、結構昔の曲だよね?私も好きだったから覚えてるの」
「へぇ、そう」

へぇ、そうって。素っ気ない返事のカカシに少しだけ不満を抱き、横目でカカシを盗み見た。相変わらず布で口元を隠しているので表情は読み取れないが、耳が少しだけ赤い気がした。これ、前にも見たなと思いつつ鼻歌を聞かれたことがそんなに恥ずかしかったのかとカカシの耳の赤さに驚いた。

「よく父親が鼻歌で歌っていた曲だから自然と口に出るのかも」

ポツリと小さく言葉を発して遠くを見つめた。
初めてカカシの口から父親というフレーズを耳にしてある疑問が浮かぶ。カカシのお父さんってどういう人なんだろう。単純に思った事をそのまま口にした。

「カカシのお父さんってやっぱりカカシと同じく忍をしているの?」
「父さんは忍だったけど、死んだよ」

そう口にしたカカシは変わらず遠くを見つめていて、その目に映っているのは住宅の明かりでも星空でもない何かを見つめているような気がした。
何も気遣う事なくカカシに聞いてしまった自分を悔いた。私だって父の事を聞かれるのは嫌なのに。

「ごめん。聞かれるの嫌だったよね」
「別に。慣れてるし」
「そっか」

ようやく返せた言葉はそれで、いつまで経っても相手の心を理解する事が出来ない自分が最低で嫌になる。

身近に死があったからこそカカシは私に相手が生きているのだからどうにでもなると言ったのだ。ようやくカカシの言葉を理解して胸がぎゅっと締め付けられるように苦しくなった。


カカシにはたくさん助けられているのに何もしてあげられなくてごめんね。


心の中で謝って、私はカカシのお父さんがよく鼻歌で歌っていたと言った曲を再び口ずさんだ。
私の鼻歌を止める事もなくただ黙って聴いているカカシの隣にいて、初めて同じ世界にいられた気がした。


弱さを知った





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