偽日 4/4

4.呼吸のあと
船の上にある居城の中、腕かけに寄りかかって碇槍を携える元親は、 飛び込んできた野郎に目を止め、放っておいた見張りだと気付いて身を乗り出した。 アニキ。と声高な野郎の息が荒い。

「毛利に動きがあったか」
「へい。いよいよ毛利が厳島神社にて、帝を迎える模様」
「いよいよ、天皇の勅許を得るつもりだな」
 元親は頷きながら、渋くうなった。いつの間にか、騒ぎを聞き付けた野郎どもが傍に集まってくる。 それを押し抜けて、立ち上がった。野郎どものいくつかの顔に戸惑いの色が現れ出す。
「止める、中国十カ国をやつらに渡しちゃいけねぇ」
 と、元親が口元くっきり笑い返すと野郎ははたと眉を潜ませた。
「……叙任式、その娘は現れますかい?」
「あぁ、間違いねぇ。今の毛利は、あの男の光と娘の闇で咲かせた花だからな」
 アニキがそう言うなら。と、野郎の一人は軽くうなづき、気を引き締めた。元親は晴れた天を仰ぎ見ると、丸く広がる海の潮荒い風の中で息を吸い込んだ。同じ頃、ゆめは小屋にて白衣と緋袴の巫女装束を取り上げていた。




-*-
 春暖かな日和の折、ふるるかな色の淡さを育んで、花に酔う風はいとけなく甘い。 花弁同士の触れては離つ初々しい口付けは、踊る様な軽やかさで、 厳島神社を歩くゆめをほのかに色付けた。風に上がる温暖な芳香は花の甘さより、奥深い。
 宮島へ戻ってきた元就は、厳島神社の高舞台に天皇を迎えた。 紅幕降りて、祝詞が読み上げられる。 四千条を朝廷に献上する事によって、毛利の所領は安堵され、 安芸・備後、長門の国人領主たちを取りまとめる権限を与えられた。 春めいて穏やかな陽光に頬が染まり、元就は表は地・文とも緯糸の三枚綾地に、 一文字三つ星の紋を、萌葱・濃萌葱の風通様大和錦を付け、 裏は白平絹の袷仕立を着込んでは袖口を広げた。更に萌えぐ袴の裾を着て、御簾の向こうの天皇を見据えたまま、薄らと笑みに色づく頬を満悦に染めた。

 そして同じ刻、高舞台につながる拝殿にてゆめは白い衣に緋の行灯袴を着、巫女と同じくして粛々になりすますとて、 来場者を迎えていた。懐に入れられみぞおちを固く押し戻す短刀の鞘に付く血は既に渇いているものの、未だ生々しく胸を塗らし続けている。 刃が吸い刃が流してきた血たちを想い、最後の震えが上りくるのを、喉で押しとどめるとそっと列を抜けて歩き出した。
 足を止めないゆめの横、丹色の手すりの向こうでは既に咲き染めた花弁が風に乱され、海に散り行っていた。

「あれー、こちらでもない。えっ、ここでもないし……どうしましょう、迷ってしまいました」
 と、木肌の上を猫の様な軽い足音立てて右へ左へ向きながら駆け抜ける鶴姫に、角から出てきたゆめがぶつかった。
「きゃ、ごめんなさい。慌てて」
「いえ」
 弾ける様に鶴姫が立ちあがるのに、ゆめは座りこんだまま驚いていたかと思うと、やがて気を取り戻して身体をゆっくり起こした。 外気に触れたばかりの花の様に可憐な鶴姫の風が、ふわりと感じられた。 彼女が手を出して起こすのを、ゆめは素直に掴むと袖がまくれて刀傷が現れた。色は似てても、花にならで散らぬ傷あとが引き攣れる。
「あっ、弓が」
 携えていた弓が床を滑って、手すりの向こうかろうじて引っかかりに海面へと落ちそうになっているのを、ゆめは身を乗り出して、左腕の袖をまくって伸ばした力が伝わっておらず、折れ枝の様に先をふらつかせてこれを取り上げ、鶴姫に向くと、
「その、傷……まだ傷みますか」
 痛そうだと、口に出してから鶴姫が覗き込むのにゆめは、はたと気を止めていたかと思うと、ああ、これですか。と小さく頷いた。心配の色にして自分を見る鶴姫の目が深くなっていく。
「いいえ、もう」
 鶴姫の目を避けたかと思うと、口の端が勝手に視界から外れて微笑んだ。鶴姫の光を素直に受く目の反射が視界に差し込むかのように、ゆめは素早く瞬きすると立ち上がっては、弓をゆっくり差し出した。
「あっ、ごめんなさい。弓どうもありがとうございます」
「いえ。叙任式ですか?」
「えぇそうなんです」
「高舞台はこの先を右に曲がるとありますよ」
「あっ、はい。ありがとうございます」
 鶴姫はすくっと下がって弓を丁寧に手取ると、お辞儀して刹那、時間に急き立てられるように背を向けた。 ゆめも春の和らいだ小さな空気を吸い込んで、踵を返して歩きだした。

 鶴姫が駆け続けていると揺れる視界の中、向こうから長い渡りを息せき走る様子の元親がやってきた。
「ああっ、あなたは」
「おぉ、鶴の字、ちょうどいい。なぁ、怪しい奴見なかったか。なんてーか、女だ、女」
 元親は一散に鶴姫の前まで走りくると、
「巫女さん、ですか?」
 怪訝な彼女の声の前を遮ってふうふうとあわただしく言葉を繋げる。言葉の浮かばぬとあれこれ詮索してみるに、不思議そうな鶴姫の顔が向く。
「そう。それで、んー、左の腕に傷のある女だ。誰か気付かなかったか?」
「あっその人なら。さっき」
 向こうへ行きましたよ。と鶴姫は思い当たる節にて話始めると、 おもむろに元親が走ってきた方角を指差した。その言葉にはっと顔を留め鶴姫をじっと窺うと、そいつだ。と、目を張った。
「よし、礼を言うぜ」
「あぁ、高舞台はこっちですよ」
 鶴姫が手を上げて話すも虚しく、元親は踵を返して一散に走り出していた。




-*-
 海は陽光に揺れながら、まどろむ様にゆらゆらと上へ向かっていく。相変わらず凪ぎ、優しく満ちている。  手すりに乗り出しながら波に鉢合う海面と、かつて平家一門が入水した透き通りながらも濃いその懐を覗き見ていた ゆめを、元親はその目に見るなり、自信に満ちた足取りで一気に距離を詰めた。

「おい!あんた」
 足袋が床面を響かせて走りきては海に響く怒号に、きくりと動いた肩は止まって振り向きざま、元親を見止めると大きく目を見開いた。 胸の息継ぎが早に早になって首元に血が上っていくのを見た元親は、この女にてこの犯人であると確信した。
「もう。終ぇだ」
 ゆめの眼差しは元親の不遜な笑みに喰い込んだ。その表情は色々に移り変わって形にならず歪んだかと思えば、頬は赤くて目の尖るまま、 元親を見据えていた。その視線を吸った息で濾した元親は、彼女との距離を詰めるために歩き出した。

「毛利筆頭家老殺害・幸松丸派誅殺、安芸武田の寵臣熊谷殺害 ・天野の離反教唆、尼子への諜報 ・大内、尼子の情報流出 ・安芸武田の内紛扇動、滅亡 ・陶の下剋上誘引 ・小早川隆景就任に伴う繁平出家ほう助 ・前田慶次および、吉川興経正室、子息千法師の薬殺 ・厳島にて陶撃破」
 ゆめは元親の口上を、唇を血のなくなるまで噛んだまま聞き遂げたと思うと、ふっと離した。 赤みが戻るのを注意深く見ていた元親が気付いた時には、ひそめた眉を作り、ゆっくりと口を開く。
「知りません、そんな話」
「よく見ろい。……薬籠。やはりあんたが持っていて、俺をはめるための罠を安芸武田に仕掛けたんだな。熊谷の殺したものと一致した薬籠に入っていた薬は、あんたの生まれ城の近くで採れていたものに、明でしか得られないものを混ぜ込んだものだ。明との交易は、港を押さえていた毛利には容易に手に入っただろう」
「明貿易は、大内家もしてます。今や堺の港でも広がって」
「まぁ、焦るなよ。まだ証拠は有る。内通に使ったつう手紙がこれだ、筆跡をよく見ろ。そして、紙からも薬草の反応が出ている。あとは、吉川家の池に落ちていた手ぬぐいか。この染めた色はあんたが使っていた薬草からしか出ない。ようするに、薬を手に入れているあんたにしか出せない色だ。 まぁ、今は血で汚れているがな」
「……」
「あんたは毛利一門だ。あの野郎の元で、これだけの罪を犯したんだろう」
「っそんなの」
 そういってゆめは無理だと知りながら、彼の前から逃げようとすれば、すぐに引き戻された。刀を持って襲いかかる方ではない左手を握られた時点で、 この男は、分かっている。と思った。彼はゆめが左手に刀傷があるのを知って掴んだのだ。二人の視線が深く走っている刀傷に向かう。
「その傷は、武家で稽古に出ていた。そして傷は父親と揉めたときにできたものだ。違うか?」
 ゆめは顎を引き、沈黙にして肯定した。
(やはり、立ちはだかるか。長曾我部)
「何が目的で……毛利が手に入れた十国を狙って?」
 そんなもの関係ねぇ。と、元親が碇槍を向けた。攻められる不安にゆめも息を吸い込んで張った胸に、短刀があるを確かめる。

「あんたらがやった全てを免罪し、奪った所領を戻せ」
「……、所領を返す大内たちはもういない」
 ゆめが喉の奥でひきつれた言葉を、ようやく声にし、絞り出した。
「ならば、天皇に返上し、天領にする。穢れたあんたらが持つ土地じゃない」
「……この中国十国はただ元就の力で得た。それが暗殺や諜殺だからって……、この乱世でそれは智略でしょう」
「そうかい。毛利の野郎を、かばうんだな」
 ゆめは元親に責められて背に手すりが当たるまで退きながらも、ここで元親を毛利家の道から除す事を考えた、前から恐れていた通り、この男の度量は重い。
(いづれ避けきれぬ毛利の妨げとなる)
 まず、殺そうかと思った、殺せるかと迷った。殺せば、幾千万の彼の部下が毛利へと攻め込む。それよりも二度出ぬ様に長曾我部を山陰陽から、この天下から排除すればいい。
 ゆめの薄暗い思案は、恐らく顔に出ていた。その重暗い表情を元親は沈黙しながら見つめていた。 ゆめはふと上げた顔に、元親の海溝秘めた濃い目の合うのに、はっと胸を冷やした。 はっきりと罪を責められながらも、包み浄してくるような澄んだ眼差しに怯み、早くなる鼓動をどうにもできなかった。 本当はずっと恐れていた。罰が当たる事を、すでに自分の命一つでは償いきれないほどの 人間を巻き込み、騙し、殺した。ゆめは黙って、懐から短刀を出すと鞘を抜き捨て、腿の横で握った。 それをみていた元親は、その眼差しをゆっくり下ろし、じゃりと碇槍にのせて一歩を踏み出した。


「なぁあんた……何でだ? 何でここまでしたんだ」
 深い嘆息と同情のこもった声に、ゆめは目の前の男の情の深さを知った。 何度も思っていた、あの風来坊の時も、そして今も。 近習についたのが元就でなく、風来坊だったら、陽の下並び明るく暮らしただろう。 この男だったら、海の明るさに揃い目を細めていた。
 元就でなければ、ここまでやらなかった。 元就でなければ、ここまでさせられなかった。 元就でなければ、ここまでできなかった。命を活かすことはできなかった。
ゆめはゆっくり喉をならして、目に涙の張るままに口を開くと震える唇を噛んで、元親を見据えた。
「……、中国を安泰させるため」
「それでずっと、毛利の野郎の言う事を聞いてきたってのか」
「私も、そう望むから」
「疑問を持たなかったのか」
「……それでも」
 息絶える言葉が小さくなるのを元親が覗き込めば、彼の雄々しい髪が潮風に一薙ぎした。
「あんたはもう死んでる。毛利家を広げても、名声を得るのは毛利の野郎ばかり。奴の権力増大の為に、ずっとこき使われてたんだぞ? あんたは影だ。ずっと、そうやって飼い殺しにされていたんだ」
 背で響く海鳴りが身に迫る様に強く大きく広がってきた。 受け入れがたかった。認めたくないのに、納得している。 涙がもう喉下まで来ていて、焼け付くように苦しく、ひどく渇いて痛い。変化を認めながらも元親はゆめを見て続けた。
「誰も本当のあんたを知らない。仲良くなった小早川を裏切り、自分を慕う吉川の家臣を殺し合わせる」
「……っ」
「毛利、毛利っていうが、道中同じだった前田の風来坊や仲良くなった奴らより、本当に毛利家の方が大事だったのか」
「……」
 ゆめが口をかむのを反応として、あとはひたすら表情を歪ませていると、丹色の手すりを撫ぜる様にして歩んできだ元親が前に立ちはだかった。 彼の身体は、目の前にある心臓は、何をぶつけても倒れそうにない壁だった。思わず後ろに退がるゆめの目から盛りきれなくなった涙が一つ球の様に転がった。
「生きていけなかった、から」
 元就がいなければ、歩いてこれなかった。と瞬いた。
 元親の表情が寄り添って歪む、見るゆめもまた、心の歪みに表情を染ませていた。 何でだ……。という、声が喉に引っ掛かるようで、聞くゆめの胸もいたんだ。

「何で、そんな生き方しか出来なかったんだ」
「でも……それでも」
 元就ばかり知っていて、元就に殺されて、生かされて、飼い殺しされる。あとは誰も知らない。そんな不安定な中を生きてきた。 知り合った人も元就の一声で何もかもなかったかのように殺し、そして、自分を知る人はまたいなくなる。 何度も夢に見て、裁かれる。しかし、元就に囲い込まれた生活で、彼に存在を認めてもらい自分の立ち位置を確かめるには、悪事に手を染め続けて自分を消し潰さなければ、出来なかった。
 小早川や、吉川、慶次が今になって鮮やかに浮かんだ、そして 今目の前の元親も自分の存在を認め、理解しようとしてくれている、世の中には様々な人が要ると知っていた、もっと早く出会えたら。 あの家督争いを止められたなら。安芸武田を、前田慶次を殺さなかったら。小早川を吉川を……。
 心音潰れる思いを、積み上げてきては瓦礫と潰してきた過去をゆめは見つめていた。
 それでも、元就は光を与えてくれた、たった一人の日輪だった。
 明日へと昇ることをやめない、 たった一つの希望だった。

 ゆめの胸が引き絞られ、却って張り裂けるようだった。ここにきてどうしようもない。そうおもっていると、 元親は床から碇槍を引き、その目をゆめに向けると耳を疑うほど柔和に、ざらついては緩やかに、言葉を零した。
「なら、言えよ」
「え?」
「ここまで毛利の為にやったんだって、毛利が大事だからだって、あの野郎に言ってやれ」
「……っ、っな」
 あいつは知らねぇ。と、元親は口ぶり重く言い募ったかと思うと、ゆめに向かった。
「俺は知ってる、あんたがやってきたこと全てを。だから堂々と言え、俺も伝えてやる。あんたは大事な奴の為に命をかけてやってきたって」
「……」
「毛利を大きくするため、一人の人間を幸せにするためにここまで何でもやったんだって」
 ゆめは手に持った短刀を握りしめていた。元親の腕が伸びたと思えば、ゆめの身体ごと自分に引き寄せた。元親の腕の緊迫した感じは、 自分に危機が及ぶのを危惧したのではなく、自身を傷つけることへの危惧であるように思えた。 寄せられて、思わずもたれかかった胸には海岸の潮風の様な匂いがした。
「……そん、な、事……」
「それでも、あんたがやったんだろう」
 彼の熱い吐息が空気を淀ませ、ゆめの頬をかすめる。頬を固めて、涙をこらえた。
「言いやがれ!」
 耳下で厚く響く声に、ゆめの目が涙に盛った。元親を捉えていたかと思うと、くっと喉に耐え、俯いた。 零れる涙が元親の裸胸で潰れた。全部の力が抜けて落ちて、短刀が落ち、 支えのないうちに、彼に抱きしめられた。 元親の腕の強い中で、却ってそれはゆめの思い通りに彼の腕から離れ、ただ光が消えるように抜け溶けた。
「元就は私の、日輪だから」
 離れては心配そうに右目が見上げた元親の前でゆめはそう言って微笑んだ。 そして、口を結んで鞘を拾い上げると、短刀を目で探した。鞘に納めるのかと元親がこれを拾い上げ、柄を向けて手渡そうとした時、 ゆめは元親の手ごと引きずり寄せたかと思うと、その胸に身体ごとぶつかった。

「なに……!」
 離れた元親に血が着いている、見る間に広がっていく。直ぐに反応するが、痛みはない。 気付くと、ゆめの白衣が真っ赤になっている。下から下から濡れ出でるそれは徐々に黒く淀んで、広がっていく。元親が声をかけようとすると、 一気に頬元から血の気を無く、代わりに見開いた目が血走ったのに、元親は眉を開いた。
「あんたっ」
 ゆめは霞がかる様子で震わせた刃先を迷わせては、胸に刺した。刀が肌から離れた瞬間、力を失った体が元親の見る前で血を拭いて、床へずずりと落ちていく。 また短刀を抜き出し、喉元へ持ってこようとするのを、元親は力づくで止め、震えるゆめの手を引ずり上げた。 ゆめの身体は、咲き誇る牡丹の様に朱に染み、咲き散って流れる血液が、海へと流れ落ちていく。
「おい、あんた何でっ。何でだ?」
 元親は驚きに眼だけをまっ平に開いて、遠のくゆめを見つめた、 黒目が波打っては、ゆらりゆらりと膜を引く。元親の顔をすうと遠く見たかと思うと 後は事切れるまで苦しみに悶え続けた。元親は、如何を問うこと以外出来なかった。









-*-
「おぉい、毛利!」
 元親がいら出しばしって回廊を行くと、角から儀式を終えた元就が、色段の変わり緑の威腹巻に着替え、袖の広きを緩めて歩いていた。 元親は彼の視界に目いっぱい近づくと、踏みしめて留まった。
「てめぇだけは許さねぇ!この外道が」
 元就は身に迫る元親へ、眉に苛立ちをひそめて返すと、胡乱気なため息をついた。
「ふん、小島の少将が何をいきがっている」
「あんた……、この女を知っているだろう」
 元親の声深き怒りに、元就は彼が指差すとおりに目を向け、変わり果てたゆめを見た、 元親が注意深く様子に見る中をくぐり、彼に向き直る頃には透けた目を向けている。
「知らぬな」
「しらばっくれるな、この女は仲間だろう」
「何の話だ」
「あんたは何も感じないのか」
 ゆめの血がかかった部分の熱く元親は詰め寄った。芯の通った元就の表情に変化はない。
「幸松丸も尼子も、小早川も、吉川も陶もあんたがけしかけてやらせたんだろう」
「何を言う。拠でもあるのか」
 日も影も沁み込ませる海溝よりも冷えた目が、驚くほどに揺らがない。真っすぐに澄む元就の声が、彼の激昂に油となって注いだ。
「大有りだ、俺はあんたを許さねぇ」
「ふん。言いがかりぞ」
「とぼけるんじゃねぇ! そんな口先ばかりが通じると思うな」
 口で云い争っていると、やがて毛利の軍兵と天皇の親兵が来て二人を囲み始めた。
 元就は横目で親兵を見止めるとさくりと息を吸い、彼らに聞こえるようにゆっくり話し出した。
「つまり、この巫女は貴様が殺したということだな」
「何!」
 元親が怒って掴みかかろうとすると親兵が慌てて止めに来た、元就は胸ぐらを掴ませるままにして、 彼らの心配を誘うと、焦りに言葉を散らす親兵へと、ゆっくり首を回した。

「元就様。これはっ、如何なされました?」
「この男が、巫女を殺した」
「なんだと!」
 元親は元就を握りつぶさんと締め上げた手で突き放しては、眉間に深いしわを寄せて、声を荒げた。 構わず元就はゆめの身体近くに臥していた短刀に目をやり、親兵達の興味を誘導した。
「おぉ……これは」
しゃがみこみ短刀の柄を静かに握りこめると、血の浮き滴る刃を右へ左へまわした。
「これは、我がずっと探していた毛利家の短刀ぞ。……長曾我部。貴様が盗んでいたのだな。そして、 この巫女殺しを毛利の仕業にしようと企んだ」
「おいおい、よくもそんな嘘をしゃあしゃあとつけるな」
 反論虚しく、周りの親兵が一気に元親に対して敵対心を持つ空気に代わった。元就はその様子をじっくりと目におさめたかと思うと、満悦を含んだ彼にだけ向かう酷薄な表情の下で言葉を紡いだ。

「この賊をつれて行け」
「おおい、何をする! 俺の話を聞きやがれ」
 親兵が掴みかかった元親は振り払うにも、何十跳ね返しては、何百。何百跳ね返しては、何千と、 大牙をむく兵あまたに取り押さえられては如何も出来ず、反論の怒声と共に引きずられて遠くなっていく。
 元就は心配の声をかける親兵に返さず、ただ短刀を胸に入れ一足進めると、元就の影を映すゆめをじっと目の中に入れた。 目を閉じ、頬に浮かべているゆめの表情は、いつどれもの彼女であり、いつどれの彼女でもなかった。 それを見透ける元就の方が、却って水の様に表情なく目は冷え抜いて結晶していた。
「元就様」
 と、親兵が寄ってきて、元就と同じに立ち死体に目を落とした。物言わぬ元就の波紋に押されて、黙って元就を見つめた。 元就は親兵と同じものを見ているが、その思い違って彼の胸中は黒かった。 すぐに、運ばせましょう。と、血の匂いにしかめつらする親兵一人を無視して、元就は歩みこむとゆめの流血につま先を付けた。

「海に捨て置く」
 うろたえる親兵に先んじて、元就は亡きがらを抱き上げた。一瞬温もりがあるゆめを見下ろしたまま、荒れる程に暗い血の匂いにむせび込み上げてきても、その目をそらさなかった。
 やがて、小舟が用意され満ちる潮の水面を運ばれてきた。元就は柵を超えてゆめを舟上へと手放し、瀬戸内海へと押し出した。海が深くなるにつれ、棘した小舟の穴からしわじわと包み込むように海水が入っては、 もう元就の目の遠い所で二、三十重の波に揺らいで少しずつ深く薄くなって海の色へ消えていった。
 元就は反射する海の照りへと顔を染ませていたかと思うと、高舞台に戻るため一人光の指す道へ白い影を落としていった。
 回廊の先には、元親が連れ去られている。

 元就は一度も振り返らなかった。




-完-




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