ハニートラップを仕掛ける

※CIA諜報員の協力者
※自分から危険を冒して情報を入手することはほとんどない、一般人




鏡に映る自分の姿を見つめて、ナナシは必死で冷静になろうとしていた。シャワーコックを捻ってお湯を止めると、ガラス張りの広い浴室はしんと静まり返る。……大変なことになってしまった。

今回の件、嫌な予感はしていたのだ。いつものCIA諜報員からではなく、その上司がいきなりナナシに電話してきたのが3日前。内容は「指示するバーに行って、ある男から情報を受け取れ」というもの。いつもナナシに指示を出してくる男は任務で怪我をして入院してしまい、どうしても代わりに受け取る人間が必要なのだそうだ。他に指定されたのは服装と、男に声をかける時の言葉。そう、その時点で何かがおかしいことに気付くべきだった。



「……はい?」

不思議そうに振り向いた男はそれはもう滅多にお目にかかれないほどの超絶なイケメンだった。事前にバーの名前と、男が座る位置だけを聞いていたナナシは、整った容姿にびっくりして固まってしまう。金髪に碧眼、褐色肌の男は、ナナシの顔と服装をじっと見て、ああ、と納得したように頷いた。

「あなたですか。……一杯いかがですか?」
「い、いえ……結構です」

早く帰りたいナナシが頭を振ると、男は分かりましたと言ってチェックを済ませた。立ち上がって上着を羽織る男の背に、ナナシは戸惑いがちに声を掛ける。

「あの……ここでじゃないんですか?」
「え?」
「その、情報を……」

一瞬きょとんと目を見開いた男は、ややして口元に笑みを浮かべた。

「そうですね……人に聞かれるとまずいですし、盗聴器があるかもしれません。場所を移動してもいいですか?」
「……分かりました」


素直に頷いたナナシを助手席に乗せ、白のスポーツカーが夜の道路を走る。暗闇に浮かび上がるメーターパネルにぼんやりと照らされた男の顔をナナシがちらりと横目で伺うと、前を見ているのに視線に気付いたらしい男が口を開いた。

「それにしても、あなたのような若い女性が来るとは思いませんでした」
「……え?」
「自分の失態をこんな形で償おうなんて、彼も悪い事を考えますね」

至極、愉快そうに呟いた男の横顔を、ナナシは信じられないものを見るような顔で見つめる。失態、償い。何のことだか分からない。

「……な、何の、話ですか?」

前を見たままハンドルを握る男は、何も答えなかった。



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