ダメ男を演じる安室透が陥落するまで

琥珀色の中で溶け出した氷がカランと音を立てた。

「バーボン、あなた恋人を作りなさい」
「……は?」

グラスを置く、ただそれだけの所作が美しく見えるのはさすが女優といったところだろう。眼鏡をかけて一応の変装はしているものの、バーのカウンター席に堂々と座る彼女のプラチナブロンドの髪は目立っている。本国に比べて知名度に差があるためか、ここ日本では比較的自由に過ごせるようだ。

「聞いたでしょう? 今度の任務の話」
「……ええ、場所は会員制のラウンジでしたよね」

次回の仕事の話だ。組織の取引相手が指定したラウンジは紹介制で、いわゆる一見さんお断りの高級ラウンジだった。それだけならよくあるタイプだが、そのラウンジは特定の曜日のみ、もうひとつの条件が追加される。「恋人」と一緒でなくては入れない、というものだ。
普段よりも客入りが制限されるのと、男女の組み合わせの方が衆目を欺けるという理由で先方が指定してきたらしい。
バーボンは訝しく思い隣に座るベルモットの横顔を見つめる。

「別に、あなたと僕で入れば良いのでは?」
「残念。私はボスに頼まれた用事があるのよ……一旦戻らないと」

そっけなくそう言ったベルモットは任務自体に参加する気がないようだ。
取引相手とはもう何度もやり取りをしている、いわば馴染みであった。取引きはひとりでも十分にこなせる内容のため、恋人という条件のためにわざわざ変装してまで出たくないのが本音だろう。仕事を押し付けられようとしていることに気づいたバーボンは剣呑に目を細めたが、そんなことで動じる女ではない。

「それじゃ、迎えが来てるから私は行くけど……頑張っていい女を捕まえることね」
「…………」

バーの薄暗さに浮かび上がるルージュが笑みをかたどって、すぐにプラチナブロンドの向こうに見えなくなる。バーボンの反応をまるで意に介さず、背を向けた彼女はヒールを鳴らしてその場から去っていった。



「…………はぁ」

組織内でコードネームを持つ者はごく少数、基本的には対等な関係だ。ただしベルモットはボスと直接コンタクトできる特別な存在で、こうしてバーボンが折れなければならないこともある。今回は諦めて「恋人」を探す必要がありそうだ。
しかし、組織内のネームドの女性に借りをつくるのは避けたい。ならば本業である警察組織から連れてくるか、と考えたが、万が一何かが起きて恋人役の女性の身元を調べられてはまずいことになる。

「仕方がない……」

ラウンジに入ってしまえば別行動で構わないのだ、とにかく当日に一緒に入場できれば良い。適当に女性に声をかけてついてきてもらおう、とバーボンは思考を巡らせる。だが勧誘や詐欺を疑われて通報されても困るので、友達程度には仲良くなる必要があるか……。
面倒なことになった。女性との出会いを求めたことがないため、どこで探せば良いか見当がつかない。自分のグラスに指で触れ、溶けかけの氷が浮いた波立つ液体を見つめる。バーといえば女性客がひとりで来ることもあるが、そんなに都合よく目の前に現れるはずが……

「……もちろん別れました。信じられない、まさか二股かけられてたなんて!」
「ん?」

怒りとも悲しみともつかない声がカウンター席から聞こえてきて、バーボンは顔を横に向けた。三つ向こうの椅子に座り、ひとりの女が項垂れるようにしてグラスを持っている。常連なのか、正面にいるマスターが愚痴を聞いているようだ。

「聞き分けが良すぎてつまらないって言われたけど、私だって言わなかっただけで寂しかったのに。だいたい帰ってくる時間を聞いただけなのにいつもうるさそうにして……何様だと思う?」
「……あれは」

会話を聞くに恋人と別れたばかりの傷心の女だ。あまりのタイミングの良さにぽかんと口を開けて見ていたバーボンにまずマスターが気づいて、やがて女も視線を向けてくる。ばちりと目が合い、そして。

「はわっ……!」

はわ? マスターと同時に瞬きをしたバーボンを信じられないものを見るような目で見て、女は唇を震わせた。

「天使みたいな……お兄さんがそこに……ま、ま、マスター、わたし起きてる?」
「落ち着いて、お客さんが困ってますよ」

すると、ヒートアップしていたらしい女は一気に大人しくなって「うるさくしてすみません……」と呟き正面に向き直った。顔は赤く、だいぶ酔っている様子だ。元彼の愚痴を言っていたことが急に恥ずかしくなったのだろうか。
何にせよこれを逃すバーボンではない。自分のグラスを持って椅子三つぶんの距離を詰める。そして、つとめて優しげな声を出した。

「こんばんは」
「ひっ……話しかけてきた!?」

薄い肩がビクッと跳ねる。隣、いいですか? と首を傾げると、おそるおそる頷いたので腰を下ろした。そこまで男慣れしている感じではないな、と女を観察する。素面では逆に警戒されてしまいそうだ。

「失礼かと思いましたが、話が聞こえてしまって……」
「す、すみません、つい大きな声を」
「駆け引きが苦手なので単刀直入に言うんですけど」
「……へっ……?」
「僕とか、どうですか?」

眉を下げ、バーボンは自信なさげな表情を作って女を覗き込む。
驚きに見開かれたまるい目が、店内の少ない明かりを吸いこんできらきらと綺麗だった。



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