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24-14





遠くに潮騒を聴く庭に火の粉が散った。

積年のともいうべき、嘆きのような諫言が耳に煩い。なぜ死んだ。ではなく、面倒な仕事を残して逝ったことに対する文句というところがなんとも電話の相手らしい。

『何だ、死人が電話をかけてきたというのに疑いもしないのか?ははは!失礼なやつめ……仮に俺が生きていたら100を超えてしまうぞ』

「死んだことは理解しているが、電話を掛けてこないと断言はできない……貴方はそういう不気味なところがあった」。そんな失礼なことを数十年ぶりの会話で真っ先に言われては、思わず声をあげて笑ってしまう。
用意していた自身を証明する言葉はどうやら必要ないようだった。相手は一言交わしただけで、紛れもなくこちらが本人であると確信を抱いている。

『……俺はこれで成仏するさ。本当はこうして出てくるつもりもなかったんだが……人生の全てをーーに捧げて孤独に死んだ男への、手向けにしてはもらえないだろうか』

パチリと弾ける音で声がかき消される。それでも相手には伝わったようだ。もう時間がない。もうじきここは燃え尽きるのだろう。かつて緑に溢れていた小さな庭はオレンジに染まっている。

『黒の組織といったか……通称らしいが……知っているか?今すぐに伝えてほしいことがある。……お前が出世していてくれて助かったよ』

視界の端から端に踊る炎。ところどころを黒点のような虫食い模様に変え、じりじりと空間を侵食していく。不思議と恐怖というものは感じていなかった。何せ自分はかつてこの庭で死んだから、とっくに死を受け入れていた。ただし別の怖さはある。「私」がいなくなることは果たして、彼らの……彼の世界にどんな影響を与えるのだろうと。
そのような考えはこれまでに抱いたことがなかった。自分ひとりが欠けたところで、せいぜい身を置いている組織の椅子がひとつ空席になるくらいのものだと思っていたからだ。そしておそらくこのような考えだったから、あのとき彼女は橋の上から身を投げたのだ。たったひとりが欠けて変わってしまう世界があるなどとは、想像していなかった。

『その前に、ある男を我々の仲間として迎え入れたい。まあこの世にはいないんだが……問題ないだろう?俺だって死んでいるんだからな。……いや、そこは突っ込んでくれ……』
ここに立っているのは亡霊だ。亡者と現世を繋いでしまえば取り返しのつかないことが起こる、ずっとそう考えていた。けれど蓋を開けてみたらどうだ。亡霊と「私」は異なる存在である。はじめから、過去の男が「私」に介在する余地などなかったのだ。男は変わりゆく世界をおそれて、自分が自分でなくなる恐怖から逃れ、「私」にかつての己のようであれと囁き、しがみついていただけだった。

『八坂というんだ……俺の大切な友人だよ』

己の意思で姿を変え、環境を変え……すべて偽って生きてきたからこそ、他者に染められるように変わることはおそろしかった。
……とまあ、格好の良い表現をしたものだが、ひらたく言ってしまえば、つまり「私」は信念を曲げた。新しく出会った世界のために。どうすれば最善か。もとより、結末が分かりきっていることに悩める細やかな心の持ち主でもない。自分が過去にした選択はどれも間違いだったとは思っていない。
「私」が記憶を持ったまま生を受けたのは謎だが、記憶の有無はさておき人は何度も生まれ変わるのだろうか。生まれ落ちて、新しい世界を見つけるたびに泣き声をあげるのだろうか。
もしまた記憶を持って生まれ変わるのなら……と考えるところだが、できることならばここで死ぬのは自分だけにして、「私」は彼の元へ戻してやりたい。殊勝なことだ。死の間際に、散々してやられた男のことを考えるなどとは。

……』

小さく弾ける焔の音はいつの間にか耳に届かなくなっていた。
すっかり緑の消えた世界で、燃え尽きて灰になった風景が黒い幕のように辺りを覆い、やがてゆっくりと崩れ落ちる。
その向こうに現れた闇の中へと進みながら、覚えのある足下の感触を踏みしめ、瞼を下ろした。






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