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23-13



上の階に到着したタイミングで窓ガラスの破砕音が響いてきた。先に行ったベルモットは壁際に退避しているが私まで出ていくと見つかってしまうため、階段の途中でしゃがむ。パラパラと落ちてくる破片は壁が崩れたためか、かなり派手にやっているようだ。パン、と乾いた音がして銃弾が近くの壁にめり込む。気付けばすぐそこに黒ずくめの長身が迫ってきていた。

「……っ!!」

こちら側に移動してきたジンに見つからないよう、姿勢を極限まで低くする。前は暗くて緊急事態だったので、まじまじとは観察できなかったけど……黒のロングコートに帽子。どのような服を着ても銀色の髪は目立ってしまうのだろうが、黒装束だと余計に危ない人に感じる。しかも元から顔が怖いのに、うっすらと笑みを浮かべているではないか。恐怖以外の何ものでもない。使用銃はベレッタだ。……イタリアンマフィアかな?と勘違いしそうになる。

「…………殺ったか」

銃声が聞こえなくなってしばらく、ジンがそう言って構えを下ろした。
……殺した?まさか……。反対側にいたであろう有川の姿は見えない。
先に撒かれていた煙幕に混じって、粉塵が舞っている。そこにベルモットが近付いてきた。

「……大丈夫?怪我してるみたいだけど……そんなに手練れだったのかしら」
「…………」

弾がかすめたのか、男の黒い袖からは血が滴っている。
有川とベルモットは顔見知りだ。間一髪、顔を合わせなくて良かったのは良かったが……。

「ベルモット……お前か?さっき撃ったのは」
「さっき?」

その言葉にどきりとする。大場を助けるために私が発砲したのをどこかから見ていたか、音を聞いて有川の拳銃とは別のものだと気付いたか……。もうひとりいることを知られたら詰む。ベルモットは粉っぽい辺りの空気を払うように髪を掻き上げると、肩を竦めた。

「…………ええ、見かけない顔がいたから威嚇にね。あなたひとりで来ると思ってたから……なんなの?あの大男は」

私の不安は彼女のその言葉で瞬時に消える。……え?なぜ?階段の途中で身を屈めたまま彼女の背をちらと窺う。奴が倒れた後にやってきたベルモットがあのタイミングで撃てるはずもなく、勘違いしてそう言った、というわけではない。戸惑いつつも話は進んでいく。聞き逃さないように耳を欹てた。

「お前、俺の周りを嗅ぎ回ってやがるな」
「あなたがヘマしないように見てたのよ。……なんて冗談。怖い顔しないで……ラムの命令よ」
「……そんな嘘を吐いて、独断で来たんじゃないだろうな?」
「あら、そんなはずないじゃない。それに途中まではバーボンと一緒だったんだから」
「ああ?……何で奴なんだ」
「知らないけど、気になることがあったみたい。最近協力的すぎて怪しかったから眠らせてきたけど」

バーボン?眠らせた?
…………。
それを聞いた銀髪の男は鼻で笑った。ベルモットがスマホを取り出し、男に見えるように画面を向ける。

「あなたから情報を奪った八坂とかいう男、情報本部の人間だったんでしょう?」
「…………」
「ラムからの命令よ。これが終わったらエージェントを情報本部に向かわせる……あなたはウォッカに頼んでC4を運んでくれるかしら」

その腕じゃね、と暗に示して、ベルモットが言った。
C4……軍用プラスチック爆弾。ラム、というのは先ほどの電話の相手か。情報本部に工作員を向かわせて、さらに爆弾を運ぶ……?
電話を切った直後はあまり乗り気ではないように見えたが、今は笑みすら浮かべている。何となく、ジンの前で余計な感情を見せないようにしているように見えた。

「気に食わねえな。なぜお前が動くことになった?ラムが直接言えばいいことだろうが……」
「あら、裏切り者はどこに潜んでいるか分からない……あなたも心当たりあるんじゃない?最近は組織が敏感になってる。私達も注意しないとね……」
「チッ……時間は」
「今から2時間後」

ラムという人物の疑惑が確証に変わったことで、情報本部に攻撃を仕掛けるという決断が下された。DIHに出し抜かれていたジンは不機嫌を隠しもしない。それはそうだろう。自身は渦中にいたにもかかわらず、これまで情報本部の存在に気付かなかった。しかも、そこをラムに利用されたとあっては。……ジンが色々なことに気付けなかったのはほとんど有川のせいな気もする。さっきは本人だと知らずに銃撃戦を繰り広げていたが、むしろこのまま知らない方が良いのかもしれない……。

「外に警察がいるみたいだけど……迎えを待つ?」
「…………」

ベルモットが作業着の上着を脱ぎ捨てた。まずい、移動されたら止める手立てがなくなる。とにかく場所を変えようと考えたところで、さっきよりも煙の臭いが強くなっていることに気付いた。焼け焦げたようなそれに違和感を覚え、視線を巡らせる。そこで目に飛び込んできたのは炎だった。銃撃戦で剥き出しになった配線に引火でもしたか。もしくは痕跡を消し去るため、「誰か」が火を放った可能性もある。
ふたりの意識が火元に向けられたため、私は素早く階段を上りきり、通路側に体を滑り込ませる。……すごいスリルだ。スパイ映画みたい。冗談を言っている場合ではない。防火扉は何らかの衝撃で捻じ曲げられ、使い物にならなくなっている。

「お前、今日ここで他の人間に会ったか?」
「他の人間?ああ……会ったけど?」

話しながらジンがこちらに歩いてきて、慌てて近くの部屋に入る。中にはすでに煙が充満していた。

「さて、どうするか……」

ここを出て体勢を立て直してからでは遅い。ジンとベルモットはすぐ動くだろう。それに建物の外には警察がいる。すぐに突破できるとは限らない。
……今、このタイミングしかない。これを逃せば組織がDIHに攻撃を仕掛ける……その前に実行しなければ。完全に予想外の伏兵、ラムとやらのせいだ。

そうこうしているうちに火の手は部屋にまで伸びてきている。時折遠くで響いてくる何かが破裂する音は粉塵による小規模な爆発だろう。
廊下側の壁に耳を押し当て、ジンがこちらに来ていないことを確認すると、スマホを取り出してロックを解除した。
登録されていない電話番号にかけるためにキーパッド画面に切り替え、番号をタップする。
エリアコード631。それ以降に続く7桁の数字……。
メモも何も残っていないけれど、ずっと覚えている番号。生まれた時から記憶の奥底にしまいこまれていた、10桁の数字。

「…………」

スマホの通話ボタンを押すのはさすがに指が震えた。
実際にかけたことはもちろんない。私は前の世の記憶を持って生まれた、そう認識して生きてきたけれど、これからしようとしていることでその繋がりを絶ってしまうことになるかもしれない……何故なら、繋がらないかもしれないから。
私がかつて生きた世界は現実だったか……。これまで、そこを疑ったことはなかった。過去の自分と交わる機会はどうせ来ないと考えていたからだ。
もしかしたらこの世の理を無視する危険な行為なのかもしれない。けど、何も知らせずに私を新しい世界に放り込んだのだから、これくらいは許してもらおう。誰に対しての言い訳なのか分からないけれど。

「…………」

呼び出し音が鳴る間に、ポケットから取り出したそれをマイクみたいに口の前に持ってくる。コナン君がいつも身に付けている蝶ネクタイだ。既にダイヤルは合わせてある。

視界の端がオレンジに染まる。
不思議だ。前があんなに穏やかな終わりだったのに、今世がこれだなんて。あんなことをして楽に死んだから、死をやり直せってことだったらどうしよう。つい弱気になってそんなことを考えた。

私の生涯は、なんて。一言で表そうとしても言葉が思いつかない。

「………………」

長い、途方もなく長く聞こえるコール音のあとに、相手が応答した。聞こえてきた声に自然と口元が緩む。
そして私は炎の中で、今は異国の言葉となったその言語で相手に語りかける。

『久しぶりだな……俺を覚えているか?』

沈黙のあと、電話の向こうから伝わってきたのは驚愕と、歓喜。
最後に言葉を交わしたのはいつだったか……何十年と空白の時が流れていても、相手の顔が目の前に思い浮かぶようだった。

『頼みがある』

頬に火の粉が弾けて、チリチリと皮膚の表面を焦がした。目を閉じて、畝るような自身の鼓動を感じる。ああ、ここに生きている。
庭に生えそろうオリーブの茂みが、炎の中で青々として揺れていた。



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