昼下がりの中庭で伏黒と狐化した苗字が訓練に勤しんでいた。最近の修行の成果なのか、九尾狐の体躯は以前よりも倍近く大きい。二人までなら背中に乗せることができるだろう。同様に牙や爪も大きく鋭くなっていて、手を抜けば確実に怪我をするに違いない。伏黒は遠慮なく呪具や式神を用いて迎え撃った。
何戦か終えて息を荒らげた1人と1匹はその場に座り込んだ。休憩のついでに伏黒は激しい動きで乱れてしまった尾花色の毛並みに手を伸ばして、丁寧に梳き始めた。気持ちが良いのか苗字は彼の伸ばされた足の上に頭をのせた。
陽の光の下で穏やかに過ごしていると校舎の方から虎杖と釘崎がやってきた。中庭に佇む獣と少年を見て虎杖が素直な感想を口にする。

「伏黒...もののけ姫みたいだな」
「アンタの口から分かる映画のタイトルが出てくるとは思わなかったわ」
「ツッコミそこ??」
「俺はもののけ姫じゃねえ」

しかめっ面の伏黒の傍で苗字が尻尾を揺らしながら笑った。

「『黙れ小僧!』的な感じのアレね」
「そうそれ! ていうか名前さん、そんなにデカくなれるんだな」
「私の術式は着ぐるみみたいなものだからね。呪力を使えば大きくなれるんだよ」
「なるほどなあ。爪とか牙使うならデカい方がいいもんな」

虎杖はしゃがみこんで、まじまじと苗字の姿を見た。この前まで玉犬より少し大きいサイズだったのにと思っていると上から釘崎の声がかかった。

「虎杖、早く用件済ませないと伏黒に睨み殺されそうよ」
「別に睨んでないだろ」

否定する伏黒に向かって悪いな、と一言断りを入れて虎杖は手に持っていたプリントを広げた。

「この課題なんだけどさ、名前さんちょっと教えてくれない?」
「オマエそれ終わってなかったのか」
「私も終わってないわよ。自分だけ一抜けしやがって」

釘崎が呆れ顔の伏黒をジロリと睨んだ。しかしこの課題の提出期限は一昨日なので彼は悪くない。むしろ優等生である。苗字はプリントにざっと目を通して口を開いた。

「ああこれ、私も一年の時にやったやつだ。資料室で調べるのが手っ取り早いよ。案内しようか?」
「え、いいの?」
「全然いいよー。野薔薇ちゃんもまだなら今から皆で行こう」
「ありがとう、助かるわ」
「恵君もせっかくだから手伝いにおいで」
「...っす」

___かくして4人は高専内にある資料室へと向かった。初めて訪れた虎杖と釘崎は埃っぽい室内に驚いたようだ。彼らはケホケホと咳をしながら目当ての資料を探し始めた。古びた図鑑や冊子をいくつか本棚から抜き出し机に広げてレポートをまとめていく。苗字は虎杖達の作業に積極的に加わり手助けをした。その光景を横目に伏黒は読書をしつつ、呼ばれたら加勢する程度に協力する。
とある図鑑のページをめくった時、虎杖の手が止まった。

「え、九尾の狐って特級仮想怨霊だったの?」
「ああ、それは特定のやつだけだよ。九尾の狐って日本だけじゃなくて中国とか色んなとこに伝説が残っててね。そのうちの一つから偶然派生したのが苗字家の術式なんだ。私は呪いじゃないから安心して」
「さすがにそれは分かってるって!」
「ははっ、ごめんごめん! 別に気にしないからいいのに」

資料室に苗字の楽しそうな声が響く。虎杖はからかわれながらも課題を進めた。彼らは1冊の図鑑を共有しているので当たり前だが距離が近い。仲が良い先輩後輩の様子は一見すると微笑ましいものだが、この場にはそれが気に食わない者もいた。別の資料を眺めていた釘崎は、隣で読書をしている伏黒がいつにもまして仏頂面になっている事に気づき肘で小突いた。

「伏黒、男の嫉妬は見苦しいわよ」
「別にしてねえよ」
「嘘ばっかり。さっきから眉間の皺がマリアナ海溝並よ」
「それ顔面抉れてんだろ」

アンタって本当素直じゃないんだから、と言いながら釘崎は課題に戻った。虎杖達の会話に釘崎も加わり、3人は課題の総仕上げに入る。伏黒は若干の疎外感を抱いたが、釘崎にまた何か指摘されるのは癪なので手元の文庫本に集中した。
暫く経った頃、虎杖がペンを置いて大きく伸びをした。釘崎も晴れやかな顔で図鑑をパタンと閉じる。

「っしゃー終わった! 名前さんありがとな!」
「私も無事に終ったわ! 助かりましたー!」
「お役に立てて良かったよ。また何かあったらいつでも言ってね」
「じゃあ俺ら提出してくるんで、お先に失礼しマース」

虎杖達は課題の束を持ってその場から去った。バタンと扉が閉じられた音を最後に資料室に静けさが訪れる。苗字は座っている伏黒の顔を覗き込んだ。

「待たせてごめんね、恵君は課題終わってるのに」
「別にいいっすよ」
「...本当に?」
「...虎杖と話してばかりなのは、気になりましたけど」
「言うと思った。恵君の顔、すごかったよ」
「は、」

伏黒が何かを言う前に、苗字は右手で彼の頬を緩くつねった。意外にも柔らかいそこを引いて口角を上げてやると、されるがままになっていた彼に手をはらわれた。不機嫌そうな顔も可愛いと感じてしまうのは自分だけだろうか。苗字はそう考えながらもう一度彼の頬に触れた。

「心配しなくても私の中では恵君が一番なのに」
「そういうこと、サラッと言わないでくださいよ」

頬に宛てがわれた手から甘く痺れるような感覚に支配される。伏黒はなんだかやられっぱなしである気がしたが、白旗を上げることしか出来なかった。彼が余裕のある苗字に勝つのはまだまだ先のことになりそうだ。


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