目覚め
任務後苗字はすぐに高専の医務室に運び込まれたが、家入による治療が終わってもベッドの上で静かに眠り続けていた。
翌日、五条は一年生を教室に呼び出し、真剣な面持ちで話を始めた。

「十年くらい前、あの子の母親が夫を殺した時、その場にいた名前も殺されかけた。抵抗した結果、九尾狐が完全顕現してしまった。
母親も同じ術式を持ってたけど、暴走した九尾狐には敵わなかったらしい。僕が任務で駆けつけた時には現場に両親の死体が転がってた。
それからすぐに高専で保護したけど、特殊な術式を暴走させたことに加えて死人も出たから、上のジジイ共が黙っちゃいなかった」
「名前さんも俺みたいに秘匿死刑になるとこだったってこと?」
「そうだよ。呪いのような子を生かしておくのは危険だってさ。でも最終的には次暴走したら高専で責任をとるってことで、名前は処分を免れた」
「今回の暴走が上に伝わったらヤバいんじゃないの」
「野薔薇の言う通り...と言いたいけれど、多分これは上が仕組んだシナリオだ」
「...本気で言ってるのか?」
「恵も気づいてたでしょ。最近名前の任務が異様に多かった事。そしてそのほとんどが獣型の呪霊だったって事」
「...っ!!」
「おそらく上は名前の古傷を抉って暴走させて、それを口実に処分するつもりだったんだろう。現場に落ちてた呪物も名前の暴走の起爆剤として用意されたんじゃないかな」
「何よそのクソみたいな話。それが上のやり口なの?」
「あのジジイ共は腐ってるからね。僕はこれからそいつらの所に行くから、名前のことよろしくね」

五条が教室を出ていき、三人はすぐに苗字の見舞いに行った。後ほど話を聞いた二年生もやってきたが、その日苗字が目を覚ますことはなかった。

苗字が眠り続けて、今日で四日が経過した。家入の話ではもうすぐ目覚めるだろう、とのことだ。荷物を持ってくるように頼まれた釘崎が医務室を訪れると、苗字のベッドの傍の椅子に伏黒が腰掛けていた。現在の時刻は消灯間近だ。驚いた釘崎は声をかけた。

「誰かと思えば伏黒じゃない。アンタいつもこんな時間に来てるの?」
「まあな。ていうか何だよその荷物」
「家入さんに頼まれたの。目覚めた後も何日かは医務室で過ごしてもらうから名前さんの服とか持ってきといてって」
「...そうか」
「何よ、そんな顔してたら名前さんに心配されるわよ」
「そうだな」
「伏黒、起きたらすぐ告白しなさいよ」
「なっ...!?」
「術師なんてやってたらいつ会えなくなるか分からないのよ。アンタだってよく分かってるでしょ。いなくなる前に言わないと後悔するよ」
「別に俺は好きでもなんでもな、」
「変な意地張んなよ。こんな夜中にまで心配で見に来てるくせに。まあ、あとはアンタの自由だけど」

釘崎はそう言うと、気を使ったのかすぐに退室した。残された伏黒は、穏やかな寝息をたてる苗字を見て呟いた。

「いなくなる前に、か...」

消灯時間も迫ってきたので立ち上がる。明日も様子を見に来るつもりなので、椅子はそのままにしておく。

___また、古い記憶を掘り出される感覚。飛び交う両親の怒声と自分の泣き声が混じり合う室内。幼い子どもには何があったのか理解できていなかったが、きっと不倫や離婚の類だったのだろう。

「もうお前とは無理だ。やっていけない」
「どうしてよ! 私はアナタのこと、ずっと...」
「ずっと?違うだろお前だって、」
「愛していたのに...私を裏切るのね」
「く、来るなッ! この、化け物がッ」

父の言葉はそれ以上紡がれることは無かった。自分と同じ術式を持つ母が、彼の身体を喰いちぎったからだ。母は血を滴らせながらこちらへゆっくりと歩いてくる。

「やめて、やめてよ...!」
「アンタも同じ血が流れてるなんて」
「いやだ、来ないで!」

殺さなければ殺される。脳内で警報が鳴り響き、本能に訴えかける。反射で相手の首筋に噛み付く寸前、母子は人間に戻った。辺りは白い光で包まれる。

「アナタは私みたいにならないようにね」
「えっ」
「いや、私たち...か。全力で向き合ってくれるなんて、いい子たちじゃない」
「お母さん...?」
「ごめんなさいね。アナタは悪くなかったのに。早く行きなさい。一番会いたい人を待たせたらだめよ」
「え...」

母の真意を掴めないまま、白い光が全てをかき消した。
苗字の意識が浮上し、ゆっくりと目を開ける。見覚えのある天井だ。

「...ここ、は...医務室...か」
「苗字先輩...!」

右手を握られる感覚と共に、伏黒の声が耳に届く。彼の瞳は微かに潤んでいるようにも見える。苗字は手を握り返すと、掠れた声で言った。

「...相当心配かけたみたいだね、ごめん」
「先輩が戻って来てくれて、本当に、良かったです」
「伏黒君のおかげで戻れたんだよ。ありがとう」

伏黒の手に僅かに力が込められる。

「...俺らは呪術師で、いつだって危険と隣合わせで生きてる。そんなこと、分かってたはずなのに、今回の件で改めて思い知らされました。失ってしまったら、何も伝えられない」
「伏黒君...」
「苗字先輩。好きです」
「私も、好きだよ。不器用だけど優しくて、私のことを何度も助けてくれた伏黒君が好き」

苗字の口から紡がれた言葉を聞いた途端、伏黒は思わず彼女を抱き寄せていた。沈黙に耐えかねた彼女が口を開く。

「...意外と大胆なんだね」
「静かにしてください。少しだけ、このまま、」

切に願う彼の声は、無情にも恩師の声によってかき消された。

「恵と名前、おめでとー!!!」
「え、先生! 邪魔しちゃダメだって!」
「だってこのままだと恵が暴走しそうだったし!」
「まあそれは五条に一理あるわね」

急に姿を見せた目隠し野郎と同級生たち。伏黒は苗字から少し離れると、不機嫌な様子で
尋ねる。

「オマエらいつからいた?」
「ごっめん伏黒! 五条先生に呼ばれたからついてったら! 告白直前だった!」
「ちゃんと伝えたのは評価してあげる。やればできるじゃないの」
「あーどうも」
「はーい、じゃあカップル成立のお祝いパーティでもしますか!」
「ちょ、五条先生やめてくださいよ...!」
「名前の復活記念兼ねて一石二鳥だよ! 硝子に頼んでここでしよっか!」

恥ずかしくて黙っていた苗字が必死に五条を止めようとするが、虎杖と釘崎は完全に五条側についてしまい、二対三で白旗をあげることになった。ちなみにカーテンの奥で最初から最後まで聞いていた家入は、パーティに乗じて酒を開けていた。


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