弓張月で惑わせて


 青空の下、ポーラータング号が海面に浮上し帆を張って進んでいたところ、近くにいた海賊船から攻撃を仕掛けられた。当然ハートの海賊団はすぐさま戦闘体制をとって応戦する。海戦を得意とする彼らは海へと飛び込み、素早く敵船を取り囲んだ。船に風穴を開けて侵入し、沈んでしまう前に宝を奪う。ナマエは獣人型に変身して驚異的な跳躍力で甲板に飛び移り、格闘を繰り広げた。武装色で硬化した肉体から放たれる打撃は船を破壊しながら敵を圧倒する。
 海側から登ったシャチやペンギン、ベポも参戦して瞬く間に敵を伸した。船長が手を下すまでもなく勝利を収めたハートの海賊団は金品を抱えてポーラータング号に帰還した。

 甲板の上に各々が奪ってきた物を山積みにする。小さな宝石や大きな肉の塊まで、皆が好き放題持ってきたものが集められた。ナマエも敵船から奪ってきたベリーの袋や酒樽を置いた。奪った食糧や酒は平等に船の食糧庫行きになるが、その他の収穫物は個人に分配される。全員で収穫物を取り囲んで話し合いをする最中、シャチがナマエの肩を叩いた。

「ナマエは今回もすごかったな」
「ありがとうございます。ですが私は皆さんのように海戦はできないので、」
「適材適所!これはお前の手柄だ!」

 シャチは謙遜するナマエを遮ってベリーが入った袋をバシバシ叩き、その袋を彼女の目の前に押しやった。

「て事でこれはナマエの取り分ね」
「こ、これは多すぎます!」
「気にしないの!貰えるもんは貰っとくのが一番よ」

 やり取りを見ていたイッカクが豪快に笑って言った。彼女の手には、換金すればかなりの額になりそうな宝飾品が握られている。他の船員(クルー)にも背中を押されたナマエは有り難く大金を頂戴することにした。

▽▽▽


 一旦航路で戦闘を挟んだにも関わらず、ポーラータング号は陽が高い間に次の島に辿り着くことができた。船員(クルー)達はいつものように役割分担を済ませて上陸していった。ナマエは運良く当番を免れてフリーとなったので、先刻得た報酬を持って街へ繰り出すことにした。戦闘で汚れたつなぎを脱いでシャツワンピースに身を包み、甲板から軽やかに飛び降りる。久しぶりに踏んだ地面の感触と綿素材の服を通る風の心地に気分が上がった。
 ナマエが気の向くままに街を歩いていたら市場が行われているのが目に入ったので興味津々で足を踏み入れた。店員達がそれぞれの売り場に積み上げられた新鮮な野菜や果物を指して通行人に声をかけている。ナマエは途中通りかかったジューススタンドでこの島の特産だという果物のスムージーを頼んでみたり、野菜屋のオリジナルサンドを買ってみたり、初めての市場を堪能した。その後服や生活雑貨の店をまわり買い物を満喫していたらあっという間に日が暮れた。

「そろそろ帰ろうかな」

 オレンジと紫が混じる空を見上げて呟く。船内が息苦しいとは思わないが、誰にも気を遣わずに自由な行動をするのはかなり久しぶりで開放的だった。数年前の放浪していた期間の思い出がふと蘇り、自分にはこうした一人の時間も必要なのかもしれない、と今更ながらに思う。とはいえ今日は充分過ぎるほどリフレッシュ出来たのでナマエは上機嫌にポーラータング号への帰路についた。
 街の中心部から離れるにつれて周囲には酒屋が増えた。時折すれ違う男性から嫌な視線を感じて少しだけ足早になる。歩き続けていると視界の端に見覚えのある帽子と刀が映った。思わず足を止めると、数メートル前方にある店の前で白い肌を惜しげもなく晒すワンピース姿の女性がローに絡んでいた。ナマエには2人が話す内容は聞こえないが、ローが明らかに不機嫌そうな顔をしているのは分かる。

「ねえ貴方、この辺の人じゃないでしょう?一緒に飲まない?」
「...」

 くっきりと化粧を施した目がローの顔を下から覗き込む。肩に手を添えて距離を縮めているのは確信犯だろう。彼が鋭い眼差しで眉間の皺を深くしても、女性はどこか余裕のある態度で微笑み、少し背伸びをしてローの耳に口を寄せた。ウェーブのかかった長い茶髪が彼の頬を掠る。

「つれないわね。...なんなら、ホテルに直行でも良いのよ」

 ローはこうもストレートな誘いに感心はしたが、乗る気は毛頭無い。これ以上しつこく食い下がられても面倒なので振り払ってやろうかと思っていたところ、唐突に聞き慣れた声が割り込んだ。

「ここにいらっしゃったんですね」
「...探した」

 ローは見知らぬ女性を躱してナマエの隣に立ち、細い腰にするりと腕を回した。見せつけるように引き寄せ、口端を吊り上げる。

「これで分かっただろ。さっさと帰ってくれ」

 女性は悔しそうに顔を歪めると踵を返してどこかへ姿を消した。ローと密着していたナマエは少し焦って一歩離れると軽く頭を下げた。

「す、すみません。ローさんがお困りのように見えたので...差し出がましい真似をしてしまいました」
「そんな事はない。助かった」

 先の不機嫌さはどこへやら、普段の表情に戻ったローを見てナマエは胸を撫で下ろした。深呼吸をして少しだけ早くなった鼓動を落ち着かせる。愛刀以外にローの手荷物が見当たらないので尋ねた。

「この後は船に戻られますか?」
「いや、今日はこのまま飲みに行くつもりだった。その辺の店にペンギン達が集まってるはずだ」
「そうなんですね。楽しんできてください」
「...お前は行かないのか」

 ローが不満あり気に言う。ナマエは想定外の質問が飛んできて、考えていた事を正直に答えた。

「私は船に戻ろうかと」
「何でだ。今日は見張り番じゃなかっただろ」
「そうですが、もう買い物は終わったので帰って本でも読もうかと...」

 夕食は帰って適当にキッチンで作ればいいと考えていたナマエはきょとんとした顔で答える。対するローは彼女の生真面目な返答を暇だと勝手に解釈して淡々と告げた。

「じゃあ今夜は俺に付き合え」
「わ、私ですか?」
「他に誰がいる」

 戸惑うナマエを見下ろして琥珀色の瞳が呆れを示す。彼女はせっかくの誘いを無下にするのも駄目だと思い直して頷いた。

「私で良ければお供します」
「行くぞ」

 ローは目を細めると身を翻して歩き出した。その後ろにナマエもついていく。二人で外食に行くなど初めての経験で、ナマエは今更ながら緊張してきた。

▽▽▽


 昼間市場が行われていた場所は酒屋が出店して夜市に変わっていた。半月の光と暖色の街灯が辺りを照らし、露店が並ぶ合間に空樽のテーブルや椅子が置かれて飲食できるスペースになっている。
 ローとナマエは酒と串焼きを購入し、店から近い席に着いた。静かに乾杯をしてナマエは度数の低い果実酒をゆっくり喉に流し込み、向かいのローはビールを呷った。ローは彼女が酒を飲んでいるところを初めて見た気がした。

「酒は苦手か?」
「いえ、あまり飲んだ経験が無いもので...自分の限界が分からないんです」
「もし潰れたら担いで帰ってやる」
「それは心強いですね」

 血色の良くなった顔でふわりと笑うナマエからは警戒心が微塵も感じられない。他の人間に騙されやしないかとローはやや呆れたが、見た目とは裏腹に戦闘力が高いのを思い出す。串焼きに手を伸ばしながら彼女の戦いぶりに言及した。

「そういえば昼間の戦闘は中々だった」
「お褒めに預かり光栄です」
「この前のワニ狩りで武装色を使ってたが、見聞色も使えるのか」
「はい。まだ有効範囲は狭いですが」
「十分だ。ウチの船員(クルー)にも教えてやってくれ」
「ペンギンさんとシャチさんなら手合わせする事があるんですけど、飲み込みが早いですよ」
「やっぱり、あいつらはセンスあるんだな」

 酒を飲んでも顔色ひとつ変えないローだったが、ペンギンとシャチの名前が出ると僅かに目を細めた。それに気づいたナマエは微笑ましく思う。

「ベポさんから聞いたのですが、ローさん達は“北の海”(ノースブルー)から旅を続けているんですよね」
「そうだ。旗揚げから何年も経った」

 ナマエの言葉を聞いてローは懐かしむように目を伏せた。彼女の知らない過去にはきっと壮大な冒険譚があるのだろう。酒で喉を潤しているローを見ながら、ナマエは静かに尋ねた。

「やはり目的は“ひとつなぎの大秘宝”(ワンピース)ですか」
「まァそうだな」

 一旦相槌を打ったローはジョッキを置いてナマエの目を真っ直ぐ見つめた。琥珀色の瞳はどこか闘志を宿しているようだ。

「だが...おれの個人的な本懐は別にある」
 
 首を傾げるナマエに構わず、ローは言葉を続ける。

「お前の名にも“D”が付いていたな」
「ええ」
「“D”はまた必ず嵐を呼ぶ......“神の天敵”だそうだ」
「...?」
「おれの大好きだった人がそう言ってた」

 淡々と告げられた言葉がナマエの耳朶を打った。彼の表情と口ぶりから、件の人物はもう近くにいないことが察せられたが、海の彼方にいるのか、はたまた故人なのかは見当がつかない。ナマエは、初めて“D”と名乗った時に反応を示したのはそういうことかと合点がいくも、役に立てそうに無いことを心苦しく思った。

「申し訳ありませんが、私は“D”について本当に何も知りません」
「それは別に構わねェ。ただおれは...お前の名前を聞いた時に、気まぐれでこの船に乗せてやろうと思っただけだ」

 ローはフッと表情緩めた。ナマエを一瞥し、何事もなかったかのように串焼きに齧り付く。今日の彼はやけに口数が多い上に曖昧な話し方をする。ナマエは真意を測りかねないまま小首を傾げた。

「ローさん、酔ってます?」
「どうだかな」

 返答を濁した彼はどこか楽しそうにも見えた。ナマエとて、これくらいの量では酔わないだろうと気づいているが、それ以上の追求はやめて何やら機嫌が良さそうな彼と飲みの席を楽しむことにした。
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