ツギハギ


 早朝のポーラータング号の手術室でローはうつ伏せになった患者を見下ろし能力を発動した。傍に用意していた複数のメスを意のままに操り、患者の背中に痛々しく刻まれた“天駆ける竜の蹄”を切り取る。そこに臀部や大腿部から採皮した皮膚を移植して丁寧に縫合すれば手術は完了だ。ローからすれば、さして難しくもない。手術は滞りなく行われた。
 ローはナマエの麻酔が切れるのを待つ間に片付けを済ませ、能力でナマエを連れて手術室から医務室に移動した。そろそろ目覚めるはずだと時計を見やる。椅子に座って待っていると彼女が身じろぎをした。

「起きたか」
「......?ろーさん...」

 ナマエはぼんやりとした瞳をローに向けた。まだ意識がはっきりしないらしい。ローは彼女が起き上がるのを介助してベッドに座らせた。手指を動かす等簡単な指示を出して意識に問題はないか様子を見る。ナマエが徐々にいつもの調子を取り戻したのでローは手鏡を渡した。

「手術は無事終わった。確認するか?」

 ナマエはこくりと頷き、緊張した面持ちで手鏡を受け取った。ローが彼女の背後に回って二面鏡を開く。そこに映し出された自身の背中を見て彼女は息を呑んだ。

「...っ、な、無くなっています...!」
「腫れも引いて抜糸も済んだらもっとマシな見た目になる。しばらくは辛抱してくれ」
「そんな、これだけでも本当に...本当に嬉しいです。心より感謝申し上げます...!!」

 ナマエは両手で顔を覆って声を振るわせた。指の隙間から零れ落ちた雫が太腿の包帯を濡らす。ローは二面鏡を閉じて手鏡も回収し、彼女の肩に手術衣をかけてやった。小さな頭を見下ろして静かに言う。

「今日は丸一日ここで安静にしとけ。他の奴らには風邪だと言っておく。それで良いな?」
「お気遣いありがとうございます」
「ああ」

 自分が執刀した相手が喜ぶ顔を見るのは医者冥利に尽きる。ローは彼女の礼に短く返事をして部屋を出た。普段よりも早くに起きたことに加え、集中して能力を使ったので疲労を感じている。廊下で偶然すれ違ったイッカクにナマエは風邪だと伝えた後、仮眠をとるために船長室へ戻った。

▽▽▽


 医務室に一人残されたナマエは手持ち無沙汰なので本棚から目にとまった物を一冊拝借した。応急処置の方法について書かれていて勉強になりそうだと思い、そのまま読み始める。
 時間を気にせずに過ごしていたら扉のノックが響いた。ナマエが声をかけると、いつもの白いつなぎに身を包んだイッカクが現れた。

「ナマエ、ご飯持ってきたけど食べれそう?」
「ありがとうございます。いただきます」

 ナマエがハッとして時計を見ると正午過ぎだった。イッカクはいつぞやのベポのようにオーバーテーブルにトレーをのせて彼女の顔をうかがった。

「顔色はそんなに悪くないね。早く治るといいんだけど」

 ナマエが風邪をひいたと思っているのだろう。トレーの上にも消化の良さそうな卵粥とリンゴがのっている。イッカクに後ろめたさを感じたナマエは申し訳なさそうに口を開いた。

「あの...実は...」

 ナマエは今朝の手術について正直に話した。イッカクは驚いていたようだったが、怒ることはなくむしろ嬉しそうに言った。

「病気じゃなくて安心したよ。背中が治ったら服でも買いに行こっか。好きなのなんでも着れるよ」
「ふふっ、そうですね。とびきりセクシーな服に挑戦してみましょうか」
「あはは!良い!」

 すっかり気を許したナマエが冗談を口にしてみるとイッカクは大きく笑った。ナマエが昼食を食べ終えた後も仲良く話をしていると入り口の扉が無遠慮に開いた。よく見慣れた白い帽子が女性陣の目に映る。

「...何やってんだお前ら」
「あ」

 イッカクが間抜けた声を洩らす。ローはつかつかとベッドに歩み寄り、この状況を脳内で整理して問いかけた。

「イッカクは知ってたのか」

 普段の通りの平坦な声と共に見下ろされる。ナマエがどうして良いか分からず固まる一方で、彼と付き合いの長いイッカクは船長が言わんとするところを察して答えた。

「シャワー室で教えてもらいました。女同士なもんで」
「そうか」
「やだ、キャプテンったら。今想像しちゃいました?」
「刻まれたくなかったら出ろ。今から作業がある」
「はーい、すみません!またねナマエ」

 イッカクは物騒な脅しを笑い飛ばし、トレーと空の食器を持って退室した。ナマエが可笑しそうに口元を手で隠す。ローはやれやれといった様子で包帯や薬の準備に取り掛かった。彼が背中を見せるように指示を出せばナマエは大人しく上の手術衣を脱いだ。特に恥じらいもなく白い肌が晒される。信頼されているのは分かるが、女がそう無防備で大丈夫なのかとローは忠告しそうになった。縫い目の状態を確認してから軟膏を塗り、ガーゼで保護して処置を終える。

「背中は痛むか」
「そうですね...でも我慢できるくらいです」
「痛み止めが欲しいときは言え」
「承知しました」

 ナマエはこくりと頷いた。今の所痛み止めを要求する気配はなさそうだ。ローがカルテに書き込みをしている間に彼女は着衣を済ませた。時計を見ればまだまだ夕刻には程遠く、安静を言い渡された室内で何をしようかと悩んでしまう。そんな彼女の胸中を察してかローが立ち上がった。

「...暇だろ。ちょっと手伝え」
「はい。何なりとお申し付けください」

 ローは一旦医務室を出ると新聞やノートを抱えて戻ってきた。ナマエの前に資料を積み上げ、ペン立てを渡す。

「印が入った記事を全部切り取ったら貼り付けといてくれ。日付も書いてくれると助かる」
「かしこまりました」

 ナマエは他にも細かな指示をもらって言われた通りに作業に入った。ローも何かやることがあるらしく、デスクの前に座り難しい顔で本や資料と向き合っいる。
 長らく溜め込まれていたであろう新聞は特定のニュースだけマーカーで囲まれていた。ローは主に戦争中の国々や“王下七武海”、“ドレスローザ”に関する報道に注目しているようだ。これらの情報を収集する理由に全く興味が無いわけではなかったが、ナマエは余計な口出しはせず作業に集中した。仲間にやらせない辺り、そうした詮索を嫌っていると考えられるからだ。ただ単に、仲間に言いつけるほどの仕事ではないという事かもしれないが。ナマエは紙面の裏も確認しながら丁寧に切り取って時系列順にスクラップブックに貼っていく。単調な作業でもついでに新聞を読めるので苦ではなかった。時折目に留まる“ハンコック”や“九蛇海賊団”という文字に口元を緩ませる。古い友人は元気にやっているようだ。
 多少時間はかかったものの資料整理は無事に終わった。ローがスクラップブックをパラパラとめくりながら、彼女の仕事ぶりに満足そうな顔を見せた。それ以来、ローは度々ナマエに事務作業を任せるようになるのであった。
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