その舌に幸せをのせて(七海)
呪術師として働く苗字は長らく人と食事を共にしていない。仕事に明け暮れて時間が無いというのもあったが、そもそも彼女には食事を共にするような人物がいないのだ。正確にはいなくなってしまったのだが。ひとりで何かを飲み込んで胃を満たすだけの行為はどこか虚しさが残る。いつしか彼女は食に無頓着になり、栄養補助食品ばかりの食生活を送るようになった。

最後に自炊をしたのはいつだったか。スーパーの値引きされた惣菜や、コンビニ弁当を買っていた日はまだマシだったのだろうか。思い出せないし、見当もつかない。無心で呪霊を祓って疲れたら寝るという単調な生活を送る毎日だ。

___今日は憧れの先輩である七海と久方ぶりの任務だ。苗字は顔がやつれている自覚はあったので、いつもより気を使って化粧を施したが効果があるのかは謎だった。

任務を終えた彼女は今日も今日とてゼリー飲料を喉に流し込む。一級術師が派遣される任務は当然戦闘も激しかったので珍しく空腹感に襲われた。途中のコンビニでブロックタイプのチョコ味でも買って帰るか、などと彼女がぼんやり考えていたら隣で七海が眉をひそめた。

「苗字さん、長い間禄な食事をとっていないでしょう。明らかに顔色が悪いです」
「そんなことないですよ。ちゃんと食べてます」
「栄養補助食品だけで済ませることはちゃんと食べているうちに入りません」
「...でも、栄養バランスはバッチリですよ」
「食事の目的は栄養を摂る事だけではありません。...この近くに美味しい店があるのですが、今から行きませんか?」
「そんな、七海さんに時間外労働をさせる訳には...」

これまで何度も仕事を共にしてきた苗字は彼が労働を好まないことをよく知っている。わざわざ自分の食事を気遣ってくれていることを申し訳なく感じ、断ろうとしたのだが予想外の言葉で遮られた。

「アナタとの食事が労働な訳がないでしょう。私が望んで誘っているんです」
「そ、それなら、お言葉に甘えて...」

独特なサングラス越しでは七海の表情が上手く読めず、苗字は戸惑いがちに答えた。気を使わせてしまっていないかと心配する彼女とは裏腹に、彼は慣れた様子で店まで案内した。

「わ...!すっごい...!」
「今の時間帯なら予約無しでも入れるはずです」

数分歩いて着いた先は店構えから高級感が漂う焼肉店だった。小洒落た雰囲気の店内は苗字がイメージした焼肉店とはかけ離れていて、久しぶりに食事に金をかけることを改めて実感する。

案内されたテーブル席でそれぞれ好きように肉を焼いていく。苗字は七海と初めて一緒に食事に来たが、作業があるので緊張も解れた。こういう意図があって焼肉店を選んでくれたのかもしれない。きっとタンパク質不足も見抜かれているのだろう。彼女は心の中で相手の気遣いに感謝した。

肉を焼きながら二人で色々な話をする。落ち着いて語り合うのは卒業以来で、どちらも懐かしい気持ちに浸っていた。序盤の内容は主に任務関連だったが、互いに酒が回ってきたところで個人的な話も織り交ぜるようになった。

「七海さんって外食が多いんですか?」
「任務の後は外で済ませることが多いですね。休日は自分で作ることもありますが」
「え、料理するんですか!」
「そんなに驚かなくても。別に凝ったものは作れませんよ」
「いやいや、それでも凄いですよ。私なんてほとんどキッチン使ってないですし。そもそも家だと食べる気も起きないというか...」
「その生活だと体に悪いですから、しっかり食べてください」
「善処します...」
「自炊もできるようにならないと駄目ですよ」
「う...、頑張ってみます」

食事中は勿論七海のサングラスは外されていて、いつもより柔らかい表情を浮かべていた。生真面目な先輩の意外な一面が見られて得をした気分だ。ただし自炊出来ない女だと思われたのは恥ずかしいので、明日から頑張ってみようかと考えた。

苗字はささやかな幸福感で胸が満たされるのを感じながら食事を味わった。今までだって肉を食べたり酒を飲むことなんてあったはずなのに、何もかもが格別に美味しく感じる。その理由は考えずともすぐに分かった。苗字は顔を上げて七海を見つめた。視線に気づいた彼が手を止めて尋ねる。

「...どうしたんですか?」
「人と食べるご飯って、こんなに美味しかったんですね。今まですっかり忘れてました。誘ってくださって、本当にありがとうございます」

苗字は花が咲いたような笑みを浮かべて言った。彼女の顔色は食事前とは比べ物にならないほど良くなっている。その様子を見て安心した七海は優しい声音で提案をした。

「食事は誰かと共にすることで心が満たされるものです。私で良ければ、また美味しい店を紹介しますよ」
「こちらこそ良いんですか? 七海さんお忙しいのに、迷惑じゃないですかね」
「勿論大丈夫ですよ。私は名前さんと出かける口実ができて満足ですから」

七海の視線に射抜かれ一瞬戸惑う苗字だったが、色素の薄い瞳が僅かに潤んでいるのに気がついた。

「もしかして、七海さん酔ってます?」
「いえ、酔っていません」
「だったら、そういう冗談はだめですよ。勘違いしてしまいます」
「...冗談ではなく、本心ですよ。アナタのことが好きですから」
「... ...ずるくないですか、それ。私だって、ずっと...」

苗字が困ったように笑いかけると、七海も緩やかに口角を上げた。
この後別の場所で飲み直しましょうか、と言う七海に彼女はすぐに頷いた。互いの言葉の真意を確かめなくてはいけない。今夜は長くなりそうだ。
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