花には毒
アニメ3絶望編2話のアレ。若干やらしいのと頭が悪い。夢主はこの話と同じです。
身体の中に大きな爆弾を仕掛けられたような、そんな危うい感覚だった。しかも些細なきっかけさえあればすぐさま爆発してしまうような爆弾なのだから手に負えない。肩を壁につけながら、息を荒くして希望ヶ峰の廊下を進んでいく。まったく氷の覇王と呼ばれた田中眼蛇夢が何たる有様か、と誰に言うでもなく悪態をつきながら、ふらふらとした足取りで半ばひきずるように田中は歩いていた。疼く右腕、そして身体をどうにか抑え込む。
あの教室からようやく出て来れた。周囲に人がいないことが今はとてつもない幸運に感じる。
「この俺様がまさかここまでやられるとはな……」
発熱したように肌が熱かった。田中の身体には今、媚薬が効いている。
そもそもの発端はどこだったのだろうか。考えてみると、今日、学校へ来てしまったことが始まりかもしれない。こんなことになるなら動物たちと飼育小屋で触れ合って一日を過ごしておけばよかったのだ。授業への出席が必要のないこの希望ヶ峰学園で、律儀に毎日学校に通っている今のクラスメイト達が特殊である。そうさせたのは、雪染ちさという副担任の教師に他ならず、ならば彼女に無理やり教室に連れてこられたあの日が分岐点かと思われる。あるいは今日、ゲームで対戦しようと、七海がゲームを持ち込んだことかもしれない。ただ原因は単純明快だった。あの花村が肉じゃがを作り、調理する場にいたずら好きの西園寺がいたことだろう。
クラスメイトが食べた肉じゃがには、76期生の"超高校級の薬剤師"忌村静子の作った媚薬がこれでもかと入っており、まんまと食べてしまったクラスメイト達は媚薬の餌食となったわけだ。勿論のこと、田中もである。
「クソ、屈辱だ……」
悪態をついてみたところでどうにかなるわけではなかった。兎も角、行動を起こすべきなのだ。
まず無難な解決策として頭に上ったのは、寄宿舎へ帰り、一人で何とかするということだった。しかしこの場所から本科の寄宿舎がある南地区まで、この限界ぎりぎりの身体では、正直にいって、そこまでたどり着く可能性は低い。一つの地区だけで普通の高校1個分の敷地面積を持つこの希望ヶ峰はとにかく広いのだ。屈辱的ではあるが、まだ近くのトイレに駆け込んだ方が有意義だろう。屈辱的なので、絶対にしないが。
次に、薬を用意した張本人である忌村静子の元へ、解決策を求めて行くという手もあった。しかし今彼女は教室にいる。教室へ向かうということは他の人間たちもいるということで、田中の今の弱った姿を赤の他人に見せるというのは、やはりプライドが許さない。
じゃあどうするかと言えば最後の手段だ。と言うか田中は最初からこの手しか考えていなかった。校庭の隅、校舎の影に隠れたように建つ、植物園に向かうことだ。
温室植物園。そこには"超高校級の植物学者"であるみょうじなまえという知り合いがいる。田中が特異点と認める女だ。入学当初以来、交友関係にあり田中も度々植物園にいることがある。
最近ようやく学校に通うようになったものの、みょうじは大抵植物園にこもっているし、そこはほぼ絶対に田中以外の人間はいないと言ってもいい。彼女のことが思い浮かんだとき、植物園に生えた植物から忌村静子が薬剤の類を錬成しているという噂をきいたことがあると思い出した。ならば、この媚薬の解毒剤となりうる植物もそこにあるのではないか、と想像することは容易かった。
どういう因果関係があって、媚薬で茹だった田中の頭にみょうじのことが浮かんだのかは知れない。そのあたりのことを考えると羞恥で死にそうになるので考えないようにしている。
どこかふわふわとおぼつかない頭で、校庭を進んでいくと、やがて円筒計の細長い建物が見えた。天井はガラス張りで、ツタに覆われたレンガ壁のそれはみょうじの植物園だ。その隣には田中の飼育小屋もある。
ドアノブを回し、ノックもせずに扉をあける。
「みょうじ!」
鍵があいていたということは彼女はいるのだ。内心ほっとしつつ、ジャングルを思わせる背の高い植物が鬱蒼と生え茂っている植物園の奥に向かって、声をはりあげる。
「た、田中くん。どうしたの……?」
葉がささやかに揺れた音のような小さな声が返ってくる。白衣に、長い髪、不必要なほどおどおどした態度。みょうじなまえがびっくりした様子で奥の研究室から出てくる。
「一刻の猶予もない!今すぐ貴様の秘められし力を解放するといい……俺様がやられる前にな。貴様にいつ影響が出るとも限らん」
「い、いつにも増して意味わかんないよ! どういうこと!」
田中は一息つき、どこから説明したものか、そもそも説明するほどの猶予が自分の理性に残されているのかどうかを脳で計算しながら、結局あったことをそのまま簡潔に伝えることにした。忌村静子の作った薬。花村の食事。今こうして息絶え絶えになって植物園に来たこと。全てを聞き終わる前に、察したらしいみょうじが、普段より三割増しであたふたと手を空中でさまよわせた。
「あ、ああ、忌村さんってば。あの草をそんなことに使うなんて……すごくすごく強力な催淫作用のある草なのに……」
「原因は貴様か!」
ここにも事件の原因となる人物がいたとは思わなかった。いや、むしろ元凶ではないか。彼女は顔を赤くして首を振る。
「忌村さんが個人で楽しむ分だと思ってて! 他人に言うことでもないし!」
「理由はどうでもいい! 兎も角今すぐ解毒剤を作れ。あるんだろう、その手の植物が」
「う、うん。待ってて。すぐに用意してくる!」
道中でジョウロに足をつまずきながら小走りで奥に向かうみょうじ。白衣の裾を見送ると、田中はそろそろまずくなってきた理性をひっぱたきながら、植物園の中にあるベンチに腰をおろした。はあ、と息を吐き、ストールをゆるめた。身体が熱い。強力な催淫作用というのも間違いではないのだろう。田中はさほど食事を口にはいれていないので症状としては軽い方なのかもしれない、これでも。みょうじのことであるから害になるような草花を渡すことはないだろうが、あの忌村がどういう分量で薬を錬成したのかは不明である。第一みょうじも、あのマッドサイエンティストと名高い薬剤師にそんな危険なものを渡すとは、中々にどうかしている。案外同類なのかもしれない。
「お待たせしました、田中くん!」
下半身に集まりつつある熱から目を逸らすため、意識的に思考を散らしていると、ぱたぱたとサンダルを鳴らしてみょうじが戻ってきた。手にはコップが握られており、その中は得体の知れない濁った液体で満ちている。田中はやや嫌な予感がしはじめていた。
「えっとね、これは作用を抑える効果のある植物で、あの、薬にする時間がないからただ水に溶かしただけで、すっごいまずいと思うんだけど……」
見ればわかる。しかも、さほど溶けてもおらず、まずそうな塊が液体の表面に浮いている。見た目だけだと、水に溶いたボンドと並べても違いがわかる自信はなかった。あの女の料理とどちらがまずいだろうと一瞬脳内で天秤にかけてみたところ、1gの差でこちらに軍配が上がる。
「仕方あるまい……」
覚悟を決め、田中はベンチから立ち上がろうとした。だが、本当に限界とみえて、視界がゆらゆら揺らぎはじめている。目の奥と、下腹部が熱い。下半身がどうなっているのかみょうじに気づかれないように意識しながら、カップを手にとろうとする。しかし、ぶれた視界だ。田中の指はうまくコップを握ることができず、中身をそのままこぼしてしまった。
「あっ」
液体はそのままみょうじにかかった。白衣と、その下の制服のブラウスに思いきりかかってしまう。どろり、という効果音がつくような粘性の強い液体はみょうじの身体からなかなかこぼれおちることがなく、ゆっくりゆっくりと下に伝っていく。田中はそれをぼんやりと見つめていた。あまりのことに頭が機能を停止したのだ。彼女にかかった液体。濡れて透けたブラウスの胸元。からん、とコップが地に転がる。
その時、ばちっと何か火花のようなものが目の奥ではじけた気がした。
次に意識がはっきりしたとき、みょうじは地面に倒れていて。そこに覆い被さるようにして田中は彼女の手を押さえつけていた。こんなに彼女の顔が近くにあることは初めてだったので、素直に驚いてしまった。白い肌。ぱちぱちと瞬きする目の形。
「田中くん。駄目だよ。正気をとりもどして、ね……?」
みょうじは、様子のおかしい田中に、願うようにして声をかけている。
夢を見ているかのように視界がぼやけている。思考も同じだった。ただ花の香りがする、ということが田中にはわかった。無論植物園なのだからいつもしているのだが、今日のものは違ったのだ。多分みょうじ自身の香りなのだろう。元々もっていた香りか、あるいはずっと草花と共に暮らしてきたから彼女に香りがうつったのかもしれない。
「みょうじ……」
熱っぽい息が自分の口からもれる。耳元に息が吹きかかり、みょうじはくすぐったそうに身をよじった。
「こら、田中くん。先輩の言うことはちゃんと聞かないと……」
「聞かないと、何だ」
「えっと考えてなかった……。とにかく、今君は正常じゃないんだよ。また解毒剤を用意するから、手を離してほしいんだけど」
「我慢できない」
細い腕をおさえる力を強める。少し、痛そうに眉をひそめた顔さえも可愛らしかった。今にも、彼女の放つ花のにおいに誘われそうになっている。
「ご、ごめん。わたしのせいだよね……」
口をきく余裕もない。ごくっとみょうじが唾を飲み込む音がした。そうして彼女はわかった、と力強く言い、田中と目を合わせてきた。
「元はといえばわたしのせいだし、わ、わたしがなんとかしてあげるから……」
「……は?」
一瞬、我に返る。
間の抜けた声が口からこぼれ出た。そして次に紡がれた台詞に今度こそ田中は言葉を失った。
「わたし、田中くんになら……何されてもいい、し……」
また目の奥で、激しいほどの火花が散る。そうして、次の瞬間、世界が暗転した。
目を開けた。気がつくと、田中は仰向けに寝転がっていた。ガラス天井から入る日光に、うっと目を細める。よかった、とみょうじがこちらをのぞきこんで嬉しそうな声をだした。
「君、急に鼻血を出して倒れたんだよ! 今から先生を呼ぼうと思ってて……」
「鼻血……?」
手を鼻の下にそわせると、乾いた血のかけらみたいなものが確かに指についた。それから、彼女の持つハンカチにも赤い点がついている。上体だけでも起き上がろうとするとあわててとめられた。
「一応じっとしていた方がいいよ。血はとまってるし、気絶している間に媚薬の効果はもう切れたみたいだけどね」
田中ははっとした。媚薬。ここに来た経緯をようやく思い出したのだ。
「俺様は、気絶していた、のか?」
「うん。少しの間だけね」
それよりも、だ。自分は彼女に何かとんでもないことをしていなかっただろうか。しかし現実味がない。彼女にかかってしまった得体の知れない液体はきれいさっぱり消えている。着替えたのだろうか。いや今までのことは全て、気絶している間に見ていた夢だったのかもしれない。
「どの時点で気絶した……?」
植物園に来てからのことが全て己の妄想であったのなら、羞恥で舌をかみ切るところだが、かと言って現実だとしても、どのようにみょうじの顔を見たらいいのかわからない。
どこから夢だったのか。どこまでが現実だったのか。
そう尋ねてみても、みょうじは顔を赤くして首を振るだけで答えてはくれない。ただ確固としてわかるのは今も彼女からは花の香りがしていて、それがとてもいい香りだということだけだった。