secret
「……シェリー、今何時だい?」
テーブルを拭く私の脇で、毛布にくるまったクジャが身体を重そうに起こしながら尋ねる。
「おはよう、クジャ。もう朝だよ。さっき見たときはだいたい十時くらいだったかな。」
「もしかして、僕はずっと此処で寝てたのかい?」
「うん、そう。あんまりぐっすり眠ってるから起こさなかったんだ。朝御飯できてるけど食べる?」
起きる気配のない彼の身体に毛布をかけてやったのも私だ。クジャは腕を天井に向け、猫のように身体を伸ばす。窓のないこの部屋に陽が差すことはない。よって、時間の感覚は完全に失われることになるのだが、現在の彼の清々しい表情は確かに朝を物語っていた。
「ああ、けど後でいい。シェリー、おいで。」
私は彼に誘われるまま、隣に寄り添った。
「久し振りによく眠れたよ。君が目覚めて安心したのかな。心地いい朝だ。」
クッションでも抱くかのように、クジャは私を背中側から大事に抱え込む。寝起きだからなのか、いつもより彼の体温が温かく感じた。
「ならよかった。もし私があのままだったら病気にでもなっちゃいそうね。顔色悪かったもの。」
「そろそろ中毒だよ、困ったものだね。」
頭の横で発せられるほんのり笑いを含んだ朗らかな台詞とは裏腹に、腹部の前に回された腕は身体のラインを辿るように、徐々に私を圧迫する。
「今日みたいに、朝起きたらいつも君がいてくれたら…なんて思うんだ。でも、実質君が僕より早く起きてるなんて奇跡に近い。寧ろ、僕が起こしに行かないと、だ。」
「……今日は?」
「奇跡だね。きっとこれから異変が起きるよ。」
「そんなわけない。」
「…どうかな。」
彼の指先が鎖骨を撫で、吐息が耳に触れた。
「……クジャ?…あのさ、何かしようとしてる?」
薄々とは気付いていたのだが、戯け話を聞かされている間にも私の身体は綺麗に彼に絡めとられて、既に逃げ道は塞がれていた。
「何かって、何だい?」
「何って…」
本当は聞かずとも想像などできている。しかし、彼のわざとらしい笑みには頬を赤らめ、言葉を詰まらせることしかできなかった。世の中は上手くできている。こうなってしまえばこの場の主導権は彼のものだ。最も、この手の類いで私が彼を退け主導権を握った試しなど一度もないが。戸惑っている間にも、彼の唇は肩からうなじ、私の顎先を持ち上げ、喉元へと肌を沿う。
「クジャ…」
「ん?」
彼の返事が空気に溶ける。私を見下ろす切れ長な瞳は優しげだった。力の入れ方を忘れてしまった身体は寄りかかるようにしてクジャに抱かれている。このような状態になる度にいつも思うのだ。この時の私は私のものではなく、彼のものであるのだと。
「そろそろ朝御飯にしようか。君はもう食べたのかい?」
クジャは私の頭を撫で、微笑みかけた。
「まだ……」
暖炉の薪がパチパチと音を立てて燃えている。私は今さっきの余韻が抜けぬまま、自分のものより一回り大きな彼の手を両手で包み込むように握りしめた。
「全く…相変わらず、甘えたがりだねぇ。そういう顔の時は、大抵“もっと”なんだろう。」
***
ヒルダガルデの停まるドッグにて、道化師達は揉めていた。彼らに課された仕事は宮殿内のギミックの動作確認をすること。これから点検するのは、入り口。砂流から牢獄へ入るまでだ。一人はアントリオンを倒し、砂流へ飛び込む。もう一人は閉じ込められた一人を、床の下でマグマの煮立つ小部屋から解放してやらなければならない。道化師達は戦闘があまり好きではなかった。もちろん砂流に飛び込むなんてもっての他だ。よって双方が嫌がるのは前者の作業となる。言い合いに収拾がつかぬまま、かれこれ二〇分ほど経った頃だった。
「私いいこと思いついたかも。」
「また悪知恵が働いたか?お前、きっと悪魔の素質あるぜ。」
少女とクマのぬいぐるみが魔方陣の方から此方へと向かってくる。
「お困りみたいね、手伝ってあげよっか?」
にんまりと笑ってみせる元メイドの彼女は、華奢な外見に似つかず、幼少からベアトリクスから剣を習っており、二、三年前にアレクサンドリアで行われた剣技の大会ではベアトリクス、スタイナーに続き三位という成績を納めている。
“でもその代わり、ちょっと協力してもらいたいことがあるんだよね。”
道化師達は彼女の申し出に頷いた。
***
「うっわ、人の裏側って知るものじゃないのね。」
「これから、深々と知ることになる。下手すればもっと過激なやつをな。」
ディアボロスと私は拷問室の扉を開けたところだった。まず、目についたのは拘束台、それから鞭。日頃暮らしていた屋敷の一部にこんな部屋があったと考えると複雑な気持ちにさせられる。通りでクジャが此方側には行くなと言うわけだ。
“恐らく材料があるとしたらこの部屋でおじゃる。”
“隈無く探すでごじゃる。”
「監視システムは問題なし、と。」
私達は砂流に飛び込むところから、ギミックを一つ一つ確認しつつ、ついでに道化師達には監視システムの音声と映像に異常がないかを見てもらっている。これで彼らの手間が大幅に省けるというわけだ。しかし、監視システムに関しては、クジャが使う分ならば魔法で補えてしまう為、さほど重要ではないらしい。だから、点検が終わり次第拝借してしまう予定だ。何せ、クジャが言うには取り外せば宮殿の外でも使える優れものなのだ。ちなみにこれは道化師達からの伝え聞きだ。
「ところでこの人形…?は何?」
総勢七名ほどの中には知っている顔も含まれている。まるで生きたように呼吸をしており、少しばかり気味が悪い。
“クジャ様に作れと言われたでおじゃる。”
“クジャ様に作れと言われたでごじゃる。”
ゾーンとソーンが同時にほぼ同じ返答を口にする。ここまでタイミングを揃えられるのは、双子だからなのだろうか。ある種、才能なのではないかとさえ思えてくる。
「これって私の分も作れたりする?」
「それはいいぜ、シェリー!」
“…できなくはないでおじゃる。”
“けど、後でバレたら怒られるでごじゃる。”
「大丈夫、時既に遅しだから。」
“でも、どうせシェリーはお咎めなしでおじゃる。”
“クジャ様はシェリーに甘すぎるでごじゃるよ。”
「あっこれじゃない?」
「間違いねえ、それだな。」
道化二人が文句を言う最中、棚の中から目当ての物らしき物を見つける。ディアボロスは私の手から瓶をひったくると確かにと頷いた。
「じゃ、残りはあと一つだね。」
“シェリー、人の話を聞くでおじゃる!”
“シェリー、人の話を聞くでごじゃる!”
監視システムを通して響く声に、“聞いてたよ、できるんでしょ?”と返し私は再び棚を物色し始めた。
***
《白々しいな、シェリー。》
「(なんだ、起きてたの?)」
《途中からだがな。》
昨日、クジャからウイユヴェールの話を聞いたあの時から今さっきクジャと朝御飯を済ませて部屋を出てくるまで、ディアボロスは私の中にいた。召喚獣も睡眠をとる習慣はあるらしく、反応がなかったので寝ているかと思ったのだが、全く不便な身体である。
「(でもね、白々しいのはクジャも一緒。異変、本当に起きちゃうかもね。)」
《異変?》
「(何でもない。そろそろ、お出かけの準備しとかないと。)」
《ヒルダの魔法薬、忘れるなよ。》
「(分かってる。)」
私は武器やら何やらを飛空艇に運ぶべく、自室へと足を進めた。