faint

あの日から今日でちょうど一週間。予定ではクジャが帰ってくる日だ。香ばしい香りが漂うオーブンから、たった今焼けたばかりのクッキーを取り出しながら、私は彼へと想いをはせる。クジャは本当に帰ってくるのだろうか。期待と不安で朝からずっと落ち着かない。それに…。ふと彼と最後に会った日のことが頭に浮かぶ。彼の切れ長な瞳、甘い声、生暖かい体温、唇の感触…。

「…くちびっ!?」

思わず声を発してしまい、部屋には自分しかいないが慌てて口を抑えた。そのせいで先程、オーブンから取り出したトレイが床に打ちつけられ、ガタンと音を立てる。幸い、トレイはひっくり返ることはなく、床に何個かのクッキーが落ちる程度で済んだので、作り直さなくてもなんとかなりそうだが、全く独りで何をしているのだろうか。はぁ、と溜め息をつき落ちたクッキーを拾い集める。
そもそも彼が悪いのだ。

ーーーいつも、揺さぶるようなことばかり、それにあんなに大事そうに扱うから…

ーーーだからもっと側にいてほしいなんて思ってしまうの。



***




見慣れた屋敷も一週間ぶりともなれば、感覚が少し変わるようで、懐かしくもあり、どこか新鮮さも入り混じった不思議な心地だ。僕が目指しているのは、ある一カ所だけなのだが、こうも広い空間だとその一カ所が特定できなくて困る。最もそういう造りにしたのは自分自身なのだが。
さてはともあれ、一週間前に別れを告げた彼女はどうしているのだろうか。一等最初に向かった彼女の部屋は空だった。彼女のことだから、この時間はまだ寝ている思っていたのだが、クジャの予想は見事に的を外していた。宛もなくさまよっていると、キッチンの辺りから甘い香りが漂ってくる。朝早くだというのに焼菓子でも作っているのだろうか。だとすれば随分な気合いの入れようだ。悪い気はしないが。
そっとキッチンの扉を開いてみれば、シェリーの後ろ姿が視界の隅に写り込む。何時も通りの、柔らかく巻かれた繊細なディムグレーのショートヘア。以前、トレノで購入したウエストの細いワンピースは何処か色やシルエットが給仕服に類似している。何時もと違うのは、調理台を前に俯き、胸下で身体を抱えるように両腕を交差させ、神妙な雰囲気を漂わせていることだ。僕は何を考えることもなく、吸い寄せられるように、彼女の腰に手を回し、後ろから抱き寄せた。

「どうしたんだい?そんなに寂しそうにして。」

***

「クジャ!?」

耳元で囁かれる声に驚き、咄嗟に首を横に捻れば、愉快そうな赴きで此方を覗く待人の顔があった。私はそれを確認すると、すぐに顔を反らす。一週間ぶりに会えて喜ばしいことこの上ないのだが、それ以上に、今さっき耳元で囁かれた彼の甘ったるい声色がねっとりと耳に焼きついて、まともに彼の表情を伺えないのだ。たったあれだけのことだったというのに、指先には軽い痺れのような感触を伴い、心臓は煩いくらいに脈を打っていた。どうやら待人の登場に身体が馬鹿になってしまったらしい。

「シェリー、こっち向いて。」
「だめっ…。」

此方を向かせようと頬に添えられる手をすり抜け、逃れようとすれば、身体ごと彼の胸に拐われる。密着した胸板からはクジャの心音が一拍一拍心地よく響いていた。

「駄目なのかい?」

幼子を諭すかのような振る舞いで私の頭を撫で、苦笑混じりに尋ねるクジャの腕の中で少し落ち着いたのだろう。私は首を左右に振り、背けていた顔を彼へと向けた。熱に浮かされたように頭がぼんやりして、彼の体温に溶かされてしまうのではないかとさえ思う。それもそれで悪くないような気さえする私はもう既に彼に呑まれてしまっているのだろう。

「いい子だね。」

髪に触れる彼の手つきが壊れ物に触るかのようで、いっそう胸が高鳴るのを感じた。

「ただいま。」

唇がそっと触れ合う。

「…これ以上はいやっ。」
「どうして?」

身を捩らせて拒否するも、あっさり懐に引き戻され、シレスティアルブルーの真珠のような瞳が不思議そうに此方を覗く。

「だって…」
「ん?」

口ごもる私にクジャが首を傾げると、絹糸のような銀髪がさらりと頬にかかった。私は彼の胸に顔を埋め、続きの言葉を消え入りそうな声で辿々しく紡ぎ出した。

「…だってこんなことしてたら私、小間使いとしていられなくなっちゃいそうで怖いの。」
「いいよ、小間使いなんかじゃなくても。」
「え…あっ!」

驚いて彼を見上げれば、半ば強引に唇を奪われた。最初こそ彼の胸を叩いてみたりしたものの、徐々に深さを増していく口づけに、いつの間にかなされるがままに没頭していた。

「シェリー、僕の傍にいて。」
「…!?」

交わされる視線からは、到底冗談を言っているようには思えない。

「嫌?」
「…嫌じゃない。」

とてもじゃないが嫌だなんて嘘は吐けなかった。
真剣なムードの中、何を思ったのか、突然クスリと彼は笑った。彼の笑みの意味を解せない私はその様子をぽかんと眺める。

「そんなに可愛い顔されたら我慢できなくなるよ。」

微笑むクジャだが、どういうことなのだろう。いや、若干は分かってはいるのだが自分に言われるものとは想像もしてみなかった。

「何を?」

聞き返せば、“ベッドにでも行ってみるかい?”と意地悪な顔を浮かべられ、ようやく実感の沸いた私は赤面する。

「まぁ、そのうちおいしく頂くよ。今日はこれくらいにしといてあげる。」

再び唇が合わさり、同時に私の思考回路も途切れる。

「やっぱり、ちょっとくらいならいいかな。」

つうっと引く糸を余所に呟かれる一言に危機感を抱き、私が後ずさるのを確認すると、クジャは満足そうに冗談だよ。と口角を上げた。




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