始まりの糸
とある土曜日の午後。
今日は学校もバイトも休みで、特に誰かと約束をしているわけでもない千春は自室に引きこもっていた。
1階のリビングからは姉と両親の楽しそうな話し声が聞こえてくるが、そこに千春が混ざった事は一度もない。それが藤村家の日常であり、千春の長年の悩みでもある。
両親は、姉のようには千春を愛してはくれない。昔、姉から聞かされた話によれば、千春は生まれる直前まで男だと思われていて、男女一人ずつの子供に憧れていた両親はとても喜んでいたのに、しばらくして二人目の娘だと知った事。そして、大人しく良い子だった姉に比べ、手がかかる赤ん坊だった事。たったそれだけの理由で両親は千春を酷く嫌った。
この歳になれば幼い頃から感じていた疎外感にも幾分か慣れつつあったが、それでも居心地が悪い事に変わりはない。出来るだけバイトを増やしたり、友達と遊ぶ日を作って家に居ないようにしていたものの、今日はたまたま何の予定もないときた。
さて、どうやって時間を潰そうか。
ふと視線をやった窓の外。そこに広がる空は雲ひとつない晴天で、少しだけ開けた窓からそよそよと優しい風が吹いては千春の髪を撫でた。
こんな天気の良い日はきっと散歩すると気持ちが良いだろうなと思い立ち、ついでに本屋でも寄って時間を潰そうと千春は身支度を始めた。
支度をし階段を降りると、賑やかなリビングを素通りしてそのまま玄関へと向かう。
「(私がどこへ行っても、もしこのまま居なくなってしまっても、この人達は何も気にしないんだろうな)」
折角出かけるのに嫌な事を考えるのはやめようと、頭を横に振って玄関のドアを開けると、そこにはスーツ姿の見知らぬ若い男性が一人立っていた。
「あの、どちら様でしょうか?」
尋ねると、男性は千春の姿をまじまじと見つめてからスッと笑みを浮かべた。
「初めまして、僕は山吹と申します。貴女が、藤村千春さんで間違いないですね?」
山吹と名乗る男性は柔らかい笑顔に親しみやすさを感じる雰囲気だ。しかし、いくら記憶を掘り起こしても全く見覚えがない。彼は何故、自分の事を知っているのか。
「どうして私を知っ」
「あら、お客様? お待たせしてしまってすみませんね〜、何かご用でしょうか?」
玄関先で話しているのが聞こえたようで、リビングから慌てた様子で出てきた母親が千春の言葉を遮る。隣にいる千春には目もくれず、まるでその場に自分と山吹しかいないかのように話しかける。
「初めまして、千春さんのお母様ですね。私は山吹という者です。本日は突然お訪ねして申し訳ありません」
「……この子に何か?」
千春に用があると分かった途端、至極面倒そうに返事をして
「長々と説明するには場所が悪いので単刀直入に申し上げますと、千春さんに審神者になっていただきたいのです」
「審神者? 審神者って確か……幽霊の相手をする仕事だったかしら? あらあら、まるでこの子にぴったりの仕事じゃないですか」
母親は審神者について何か知っているようで、千春を見て馬鹿にするように笑う。
「ええ、彼女には審神者になるために必要な才能があります。我々は彼女のような天才を必要としているのです」
「この子が天才? お化けの相手をするだけなのに? そんなの霊感がある人なら誰でも出来るでしょう? もう山吹さんったら、そんな大袈裟に仰らなくても良いんですよ」
「……ふむ、どうやらお母様は少々勘違いをなさっているようですね。審神者は誰にでも出来る仕事ではなく、才能と、相応の覚悟が必要なんですよ」
至って真剣な顔で説明する山吹だが、千春の母親には全くもって響かないらしい。
「はあ……。まあ、そんな事はどうでも良いんですけれど、本人と話をすれば済むのならどうぞ何処へでも連れて行ってくださいな。私には関係のない事ですから」
棘のある母親の言葉が、視線が、突き刺さる。
千春は目の前でこんなに酷い扱いを受けるのは久しぶりだった。言葉を発したら自分が崩れてしまいそうで、ずっと口を噤んでいた。
「それでは、もし千春さんが審神者になると決断なさった場合、ご家族は許可をしてくださるという事でしょうか?」
「どうぞ好きにしてください。この子が何処で何をしようが私達家族は一切興味ありませんので」
「……そうですか。では私と千春さんで直接お話をさせていただきます。千春さん、今からお時間よろしいですか?」
山吹からの質問に千春は肯定の意を示すように頷いた。それを確認した山吹が再び母親に向き直る。
「では、千春さんの件に関してご家族は一切関与しないという事で話を進めさせていただきます。お忙しいところお時間をいただきありがとうございました。失礼致します」
山吹は千春の母親へ深々とお辞儀をした後、千春さんはこちらへ、と立ち尽くしていた千春を玄関先に停めてある車へと促す。
千春が玄関を出ると、その姿を見送ることなく母親によってドアを閉められた。いつもの事だ、一々心を痛めてはキリがない。
山吹が黒いセダンの後部座席の扉を開け「こちらに」と声を掛けると、千春は「失礼します」と軽く頭を下げてから乗り込む。彼は彼女が乗り込んだ事を確認して扉を閉めると、そのまま運転席へと乗り込み車を発進させた。
☆☆☆
それから10分ほど経っただろうか、ぼんやりと車内のテレビを眺めていた千春には細かい時間までは分からなかったが、車が何処かのビルの駐車場で停まった事で目的地に着いたのだと理解した。
「千春さん、気分は大丈夫ですか?」
「あ、えっと、すみません。さっきはお見苦しいところを見せてしまって」
移動中の車内では全く会話がなかった為、少し声が上ずってしまったが、気分は幾らか落ち着いていた。そんな千春に、山吹は彼女の母親と話していた時よりも優しい声色で話す。
「見苦しいだなんて事はないですよ。寧ろ、僕としては話の分かるお母様で助かりました。どうもこの仕事をしていると胡散臭い宗教だなんだと誤解を招いてなかなか話が進まない、なんて事もよくあると聞くので」
「大変なんですね」
「はは、これも大事な仕事ですからね」
山吹が呟いた後、二人の間に暫し沈黙が訪れる。
「それでは中へ案内します。行きましょうか」
「はい」
車を降り、駐車場からエントランスロビーへと移動する。一体どんな所なのかと少々不安ではあったが、そこは何処にでもあるようなオフィスビルだった。
受付を済ませると、千春は山吹から「Cクラス」と書かれた名札ホルダーを受け取り首から下げる。何がCなのかと不思議に思っていれば、千春の様子に気付いた山吹が丁寧に説明をする。
A、B、Cの三段階のクラス分けにより、このビルの中で行動出来る範囲や権限が定められており、最高のAクラスだと関係者しか入れないような場所へも行く事が出来るのだとか。
そんな説明を聞きながら、どんどん進んで行く彼の後ろを追う。
そうして辿り着いた部屋の扉を開けた山吹に、中に入るよう誘導される。恐る恐る入ってみるが普通の会議室のようだった。部屋の中央に正方形のテーブルと、座り心地の良さそうな椅子が4つ。
「どこでもお好きなところに座ってください」
千春は無難に出入り口に一番近い場所に座り、その反対側に山吹が腰を下ろした。
「……あの、山吹さん、先に質問をしてもいいですか?」
山吹が口を開く前に千春が控えめに声を上げた。
「ええ、勿論です。何でも質問してください」
「審神者の素質って何なんですか? 私には一体どんな力があるんですか? どうして、私に素質がある事を山吹さんは知っているんですか?」
「……そうですね。どういう力か、については説明するよりも実際に体験した方が早いと思います。ちょっと今から僕がやってみますね」
千春からの質問に一瞬悩む素振りを見せていた山吹だったが、すぐに後ろの棚から2枚の紙を取り出すと、テーブルの上に置いた。お札のようにも見えるそれは表も裏も真っ白だ。
その内の1枚を千春の前へと差し出すと「見ていてくださいね」と言って山吹は自分の前に置いた紙に両手をかざす。
ポワッと不思議な光が彼の手元に集まったかと思うと、真っ白だった紙が薄い水色に変色した。
「え? 色が……」
「はは、お恥ずかしながら僕ではこれが限界みたいですね。もう少し分かりやすく色が変わってくれたらよかったんですが」
残念そうに言いながら山吹は薄く色付いたその紙をぺらぺらと揺らす。
目の前で起こった現象に驚き、暫く呆けていた千春だったが、促す様にこちらを見やる山吹の視線と、自分の前にも置かれている紙を見るに、もしかすると次は自分の番なのではと悟った。
「今、山吹さんは何を……?」
「特に難しい事はしていませんよ。色を変えてやる、と強く念じてください。やる事はそれだけです」
「……私にも出来るんでしょうか」
「大丈夫ですよ。だって僕が出来たんですから」
「やってみます……!」
大丈夫とは言うものの、その謎の自信は何を根拠にしているのだろうと思いながらも千春は見よう見まねで紙に手をかざし、強く念じた。
すると、先程の彼と同じように自分の手元が淡い光に包まれて紙がうっすら色付き始めた。
30秒も経てばその紙は本当に真っ白だったのかと思うほど、まるで絵の具を塗りたくったかのような深い緑に色付いていた。
「……本当に変わるなんて」
色付いた紙を手に取り隅から隅まで眺める千春に、山吹は笑みを向けた。
「流石です千春さん。これが貴女の力です。あ! 念の為に言っておくと貴女を騙す為に小細工をしている、なんて事はないですからね!」
「そんな、疑ってなんかいませんっ!」
「信じていただきありがとうございます。どうしてもこの仕事をしていると詐欺師だのと言われてしまう事があるので、受け入れてくださると話しやすくて助かります。……さて、この紙について説明をしても?」
紙を2枚とも回収した山吹は千春に問いかける。もう千春は緊張なんて忘れていた。お願いします、と言えば山吹は静かに頷く。
「まずこの紙は『霊力測定札』と呼ばれる物です。まあ、そのままの意味なんですが、霊力の高さを測定する為のお札ですね。そしてさっき僕たちがしたように、霊力を注ぐとその霊力の高さに応じて色が変わる、というものです」
山吹が言うには、色は大きく分けて4色。低い順から青・緑・黄・赤まであり、それぞれの色の中でも色が薄いと霊力が低く、濃いと高い、ということらしい。
「千春さんの場合は濃い緑なので霊力は丁度平均あたりですね。そして、審神者になる為に必要な霊力は最低でも緑から、と決まっているので、千春さんには十分に審神者になる素質があるという事です」
審神者になれるのは緑から、という話に千春は先程の彼の札の色を思い出す。
「山吹さんはその、審神者ではないんですか?」
「僕は薄い水色だったでしょう? 殆ど無いにも等しいこの程度の霊力だと審神者になることはできないんです。だからこうして補佐の仕事をやっているんですよ」
「そうだったんですね……。なんだかすみません」
「いえ、お気になさらず。審神者にはなれなくても、僕に出来ることは山程ありますから」
と言った後で小さく「寧ろ板挟みで審神者より大変かもしれないです」と呟いた山吹だったが、幸いにも千春には聞かれていないようだった。
「……とまあ、ここまでは理解していただけましたか?」
「なんとなく、ですけど……」
「今はそれでもいいんです。あとは、どうして僕が素質がある事を知っているか、でしたね。千春さん、今年の4月頃に学校で健康診断があったでしょう?」
「はい、ありました」
「その時、指先と手首に機械を付けませんでしたか? 脈拍を測るため、という名目で」
2ヶ月ほど前の記憶を思い出していくと、確かにそんな機械を付けられた記憶がある。千春が頷けば、それが霊力を探知する機械ですよ、と告げられた。
「若い子達はある日突然力を開花させる事が多いので、毎年必ず行う健康診断で一緒に霊力を測ると、効率良く才能のある人を見つけられるんです。勿論学校側にも協力してもらっています。実際このやり方を導入してからかなりの人数の審神者を増やす事が出来ているんですよ」
「なるほど……そういう事だったんですね。何も気にせずに検査を受けていました」
「意識されない方が良いんです。性質上あまり目立ってしまうのは良くないので」
他に気になることは?という山吹の問いに千春は首を横に振った。
「では次は僕からの質問です。千春さんは、審神者という職業について、どの程度ご存知ですか?」
「私も噂でしか聞いたことがないので、それが本当かどうかは分からなくて」
「それでも結構ですよ」
「ええと、神様に仕える仕事だとか、特別な人間しか就職できないとか、あとは……ずっと家に帰れないとか、でしょうか」
思い出すように言った千春の言葉に、山吹は概ねその通りです、と告げた。
「そうですね、では簡単に説明をしましょうか。まず、審神者となる者には『物の心を励起する技』があります。眠っている物の想い、心を目覚めさせることで、自ら戦う力を与え、振るわせるように出来る、んです。これが素質にあたります」
簡単にとは言うものの、思っていたよりもかなり難しい話になりそうだと、千春は必死に耳を傾ける。
「審神者は、眠っている刀の心を目覚めさせ、人の形を与える事で付喪神となった存在――刀剣男士と共に、歴史に干渉し未来を変えようとする歴史修正主義者を名乗る者達と戦うのが仕事です」
「え、あの……私が戦うんですか?」
「いえ、殆どの場合戦場に赴くのは刀剣男士のみです。審神者は本丸で状況を確認しつつ、現地で戦う部隊への指示を出す事が主な役割ですね。ですから審神者が命の危機に晒される事は滅多なことがない限りはあり得ません」
「なるほど……」
戦う術なんて全く身につけていないと思ったがどうやら実際に戦うのは自分ではないらしい。とは言え指示を出すだけでも果たして自分に出来るのかどうか分からない。
更に山吹は説明を続ける。
「じゃあ次ですね、『神様に仕える仕事』というのは付喪神である刀剣男士と共に生活する事からでしょう。実際には審神者は刀剣男士の持ち主、要するに主ですから、仕えているのは刀剣男士側です。とは言え彼等は付喪神。神格が低いと言っても神である事に変わりは無いので、何かのきっかけで力関係が逆転してしまうと、本来は主であるはずの審神者が刀剣男士に仕える側に回ってしまう、というケースも無くはないです」
ここで嘘を言っても仕方がないと、山吹は不安そうな千春の表情を見ながらも話すのをやめない。これこそが自分の仕事なのだ。
審神者になるのにはそれなりの覚悟がいる。中途半端な気持ちで出来る仕事ではない事や、不幸な目にあってきた審神者の話を、自分は沢山見聞きしてきた。
だから彼女にも真実を伝えた上で、審神者になるかどうかを決めて欲しいと考えていた。
「そして『特別な人間にしかなれない』と言うのは霊力や素質がなければ審神者として認められない為ですね。僕が審神者になる事が出来ない理由がこれに当てはまります。それから『ずっと家に帰れない』事についてです。審神者は活動拠点となる本丸での生活を強いられる為ですね。時の政府が管理する施設への外出はある程度自由ですが、現世、つまりこの時代のこの場所に戻るには許可が必要となるからです」
「……そういう事だったんですね」
審神者という職業については、ネットで調べても詳しくは出てこない。何が本当で何が嘘かも分からない以上、怪しい宗教ではないかと言う説もあるくらいだった。
千春はそこまでの山吹の話を聞いて、暫し黙り込んだ。
「……千春さんは怖いですか? 審神者になるのが」
「やっぱり思ってたのよりずっと大変そうで……」
突然、特別な力があるとか、審神者になれと言われてもしっくりこないのが本心だった。
それでも、千春が山吹の持ってきたこの話を頭から拒否しないのには理由があった。
家で邪魔者扱いされている千春が、居心地の悪い家を出られる上に就職もできるなんていう夢のような話に興味が湧くのも無理はなかった。
しかし不安であるのもまた事実。二つ返事で審神者になりますと言いきれる程の覚悟は千春にはまだなかった。
「少し、考える時間をいただいてもいいですか?」
「勿論。今すぐにとは言いません。その言葉をいただけただけでも有難いくらいですよ」
じゃあこれを渡しておきますね、と言って差し出されたのは山吹の名刺だ。
ふう、と小さく一息ついた山吹が腕時計をちらりと見やる。
「今日はこの辺りで終わりにしておきましょう。どんな小さなことでも気になったら連絡をしてくださって構いませんので。詳しい内容についてはまた千春さんがその気になってからでも遅くはないでしょう。あと、出来ればこの話はご内密にお願いします。話をしても良いのはご家族だけ、という決まりでして」
千春は分かりました、と返すと、山吹は立ち上がって深く頭を下げる。
「千春さん、今日はわざわざお時間をいただきありがとうございました」
「いえ、こちらこそありがとうございます」
自宅まで送っていきましょう、と言った山吹に、千春は首を横に振った。
「私元々出掛ける予定だったので、ビルの外までで大丈夫です」
「分かりました。そういえば千春さん玄関に居ましたもんね」
「はい、支度ができていたので丁度よかったです」
他愛もない話をしながらビルの入口まで来たところで「それでは、良い返事をお待ちしてます。お気をつけて」とにこやかな山吹に送り出された。
彼に頭を下げて歩き出した千春は、目的地へ向かいながらぼんやりと考える。
まさか夢だったのではないかと思う程には実感が湧かない。
しかし、ポケットにある彼の名刺や、目の前で緑色に色付いた霊力測定札が、それが夢ではない事を物語っていた。
「……審神者、かあ」
ぽつりと呟いた千春の声は雑踏にかき消された。
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