にゃんにゃんパニック

 ぱちり。ヒナが目を覚ますと、カーテンの隙間から射し込む太陽光がちょうどヒナの顔を照らしており、その眩しさにヒナは開いたばかりの目を細めた。
 まだぽやぽやとしているヒナは覚醒状態とは言えなかった。今は何時だろうかと、頭だけを動かして時計を確認すると、針はまだ起きるには少し早い時間を示していた。同室のメンバーもまだ寝ているのを確認して、わたしももうちょっと寝よう、とヒナが二度寝に勤しもうと身体を丸めたとき、腰のあたりにふと違和感を覚えた。犬や猫の毛のような感触がそこにあったのだ。ぼやけた思考のままその部分にそっと手を伸ばせば、それこそ猫のしっぽのようなふわふわとした手触りと同時にくすぐったさを感じた。触ってもよくわからず、もう自分の目で確認したほうが早いとヒナが布団をめくると、そこには猫のしっぽのようなものが自分のおしりの上あたりにくっついていた。一瞬思考停止したヒナは、すぐ隣にあるカーテンをそっとよけると、恐る恐る窓ガラスに映った自分の姿を確認して目を疑った。

「にゃ、にゃにこれー!?」

 パニックになってしまったヒナの悲鳴により、同室で眠っていた女性陣が目を覚ます。

「な、何かあったんです!?」
「もう、朝っぱらからうるさいわね」
「ふわぁ……なんじゃ? 虫でも出たのかの〜?」

 一体何事かと、起きてきたエステルたちが窓ガラスを見つめるヒナの後ろ姿を視界に入れると、揃って驚いたように声を上げた。

「ヒナ、どうしたんですその姿? 何かのコスチュームなんです?」
「それまさか、猫耳じゃないでしょうね……?」
「ふむ、ヒナはいつからしっぽが生えておったのじゃ?」
「あらあら、可愛らしいわね」

 あわあわと頭上の猫耳を押さえて青ざめたヒナが「みんにゃ、どうしよう」と呟いた。
 ひとまずヒナを落ち着かせてから話を聞いたエステルたちは、朝起きたら猫になっていたなんて話を信じられないと言いたげだったが、目の前のヒナには本当に猫の耳としっぽが生えているのだ。パティが散々触って確かめたためそれが偽物ではないことは既に証明済みであった。

「そうにゃの……。どうしようリタぁ、これにゃおるのかにゃ」
「うっ」

 元々猫が好きなリタは、猫耳としっぽを携えたヒナを可愛がりたい衝動に駆られるも、困ったように耳としっぽを伏せているヒナはあまりにそういう雰囲気ではないとわかる。うずうずとする気持ちを必死に抑える。

「こ、こんな現象、あたしも初めて見たからわかんないわよ。でも、ヒナがそうなったのには絶対理由があると思う。その原因を突き止めれば元に戻る方法も見つかるはずよ」
「それが簡単に見つかれば苦労はしないんじゃがのう」

 パティが腕を組みながらうーむ、と唸る横で、ジュディスが口を開く。

「ヒナ自身は何か心当たりはないのかしら? 例えば、昨日おかしな物を見たり食べたり、普段と違うことをした、なんてことはない?」

 ジュディスの問いかけに、ヒナは昨日の出来事をひとつずつ思い起こしてみる。そして、思い当たる節があったのか小さく「あっ、もしかして……」と呟いた。

「わたし、猫ちゃんに話しかけられる夢を見たにゃ」
「夢、です?」
「そうにゃ。お散歩してたらすっごく綺麗にゃ白猫がいて、にゃんだかその猫ちゃんが羨ましくにゃって、『猫ちゃんはいいね』って言ったんだにゃ。そしたらその白い猫ちゃんが『あなたも猫になってみたら?』って言って消えちゃう夢だったにゃあ」

 夢で見て起きたら猫になっていた。そんな非現実的な話を信じるのも憚られるものの、他に理由が考えられない以上は信じるしかなかった。
 しかし、信じたところで問題になってくるのは、この姿になってしまったヒナがどうやって過ごすか、だ。今日はとりあえずまだ依頼も予定も決まっていなかったはずなので、ヒナがひとり居なくてもなんとかなるだろう。

「とにかく、あんたは今日この部屋から出ちゃダメだからね!」
「でも……」
「今のヒナは確かにとっても可愛らしい姿だけれど、あまりにも可愛らしすぎて拐おうとしようとするような悪い人たちがいないとも限らないわ」
「わたしもジュディスと同じ意見です! 猫ちゃんの姿だと目立ってしまうと思います。少しの間我慢しましょう、ね? ヒナ?」

 エステルが優しく諭すと、ヒナはこくんと頷いた。さて、次に出てくる問題といえば、ここにいないメンバーにこの状況をどう伝えるかどうか、ということだ。

「私は正直に言ってしまってもいいと思うのだけれど? だって、彼らも信頼できるギルドの仲間でしょう?」
「そりゃあまあそうだけど。おっさんとかほら、見境なさそうだし」
「うちもリタ姐に同感じゃ。おっさんにはヒナを近づけさせてはならんと思うぞ」

 話し合いの結果、ヒナは体調不良だということにしておいて、今日一日は一旦部屋に引きこもってもらうことに決まった。その間、ヒナを除く女性陣が、ヒナを猫化させてしまった原因について調べるということになった。
 意見を出し合っていたらかなり時間がかかってしまった。そろそろ男性陣が痺れをきらして部屋を訪ねてくるかもしれない。支度を整えたエステルたちがいってきます、と言って部屋を出て行く姿を、ヒナは寂しそうにゆらゆらとしっぽを揺らしながら見送った。

***

 エステルたちが宿屋から出ると、ちょうど外から戻ってきたユーリたちが歩いてくるところだった。

「あれ? みんな、ヒナはどうしたの?」
「えぇと、ヒナはちょっと具合が悪いみたいで、その、今日はゆっくり休ませてあげたほうがいいと思ってお部屋で寝ていると思います」
「えぇっ!? ヒナちゃん大丈夫なの!? なんだったらおっさんがつきっきりで看病してあげるわよ!?」
「あんたはそんなこと言ってサボりたいだけでしょーが!」

 いつもと変わらない調子のレイヴンに、リタはバシンと背中を強く叩く。レイヴンは「あだっ!」と言ってから大袈裟に弱々しいそぶりをする。

「もう〜、リタっちってば朝から過激すぎない? おっさんもう老体なんだからもう少し労って欲しいわぁ」
「大丈夫よおっさんはそこらへんの騎士より丈夫だから」
「リタっちもしかして褒めてくれてる!? おっさんうれしい!」
「調子に乗んな!」

 今度は握り拳を作ってみせるリタに、レイヴンは「ひいぃ、リタっちそれは勘弁してよぉ」と情けなく呟いた。
 朝から賑やかなやりとりを見ていたユーリは、近くにいたジュディスに話しかける。

「なあジュディ、そんなに悪いのか。あいつ」
「ふふ、あなたも心配なのね?」
「悪いかよ」

 あなたが見ていてあげたらきっとヒナも安心するんじゃないかしら? とユーリに囁くジュディス。面白がっているようにも見えるジュディスの反応が少し気になるものの、ユーリがヒナのことを心配しているのは事実であり、少し様子を見ておきたい気持ちもあった。

「……ヒナ、部屋で寝てるんだったよな」
「ええ。大人しくしていると思うけれど」
「ちょっと見てくるわ」
「うふふ、頼んだわね」

 ジュディスと別れて、ヒナのいる部屋の前まで来る。もし寝ていたら流石に悪いと思い軽くノックをしながら「ヒナ、起きてるか?」と声をかけると、「ユーリ!?」という声がしたかと思えば、ガタガタ、どすんっという音とヒナの小さな悲鳴が聞こえてきた。

「おいっ、大丈夫かよ」
「あっ! だめにゃ!」

 ヒナが開けないで、と言う前に扉は開かれ、ふたりは顔を見合わせる。ユーリの視界に飛び込んできたヒナは、慌ててベッドに戻ろうとして転んでしまったのかベッドの手前で蹲っており、必死に両手で隠した頭には見慣れない獣の耳。そして、毛が逆立ってぴんと立っていたしっぽが見えた。
 ジュディスの態度はそういうことだったのか、とユーリの頭の中でピースがかっちりとハマっていく。目の前の光景に色々と言いたいことはあれど、まずは自分を落ち着かせるために深呼吸をしてから、ヒナに問いかける。

「夢でも見てんのかな、オレ」
「……夢じゃにゃいにゃ」

 ユーリにまで見られてしまったことで、情けない声を出しながらヒナは顔を床に伏せた。ユーリはそんなヒナにゆっくりと近寄った。

「顔あげろよ」
「いやにゃ! 恥ずかしいにゃあ」

 と言うと、先程逆立っていたしっぽをゆらゆらと揺らすヒナ。頭に生えている猫耳も心なしかぺたんとしていた。

「これ、本物なのか?」

 そう呟いたユーリが指先でそっとヒナの猫耳に触れると、いまだ慣れないぞわぞわとした感覚に、ばっと顔を上げたヒナが唸った。

「っはは、やっと顔あげたな」
「あ……!」
「ほら、いつまでそんなとこで寝てんだ」

 ユーリが手を差し出すと、素直に手を取ったヒナがゆっくりと立ち上がるも、落ち着かない様子でそわそわとしている。ユーリが「とりあえずそこ座れよ」とすぐ隣のベッドを指差すと、ヒナはおずおずと腰掛けたので、ユーリも隣にどっかりと座った。
 しばらく沈黙が続いたのち、ユーリが口を開く。

「……なんでそうなったか、聞いてもいいか?」

 極めて優しい声色で問いかけるユーリに、ヒナは小さく「わからにゃいの。朝、起きたらこうにゃってたにゃ」と答えた。心当たりについても、夢で見たということだけしかわからないとヒナが告げると、ユーリは「なるほどな」と呟く。よく見ると、ぎゅっと握り締めたヒナの拳は少し震えていて、ユーリはそっとヒナを抱き寄せた。ユーリのぬくもりに触れたことによって、ヒナの中の不安な気持ちがどんどん溢れ出してくる。

「ユーリぃ……」
「どうした?」
「もし、このまま戻れにゃかったらわたし、どうしたらいいのかにゃぁ」

 弱々しく呟いたヒナは、控えめにユーリの背中に回した手できゅっとユーリの服を握った。

「そんときはオレたちがなんとかしてやるよ」
「なんとか、って?」
「そりゃあまあいろいろあんだろうが、そんなのはなそうなったときに決めりゃいいんだよ」

 あやすようにして、ヒナの背中をとんとんと一定のリズムで叩くユーリは、「それに、ヒナにはオレたちがついてるだろ?」と続けた。

「……うんっ! そうだよね、みんながいたらきっと大丈夫だよね」
「な?」
「えへへ! ユーリ、ありがとにゃ」
「オレは何もしてねぇよ」

 ユーリの言葉に安心した様子のヒナは、ぽかぽかと暖かい陽射しと、ユーリのぬくもりの相乗効果によって眠気が襲ってきたらしい。うとうととしており、さっきまでベッドを撫でるように動いていたしっぽがヒナの身体に沿うように巻きつく。

「眠いか?」
「んん、ちょっとだけ……」
「んじゃ素直に寝てろ。ちゃんとオレが見ててやるから」
「ん」

 眠気がピークに達しているのか、ヒナは返事もままならないままそのままベッドに横になる。ユーリがヒナの丸まった背中を優しく撫でてやれば、すぐにすぅすぅと寝息をたて始めたのだった。

***

 突然ばたんと扉が開け放たれたかと思えば、「ヒナ! 見つかりましたよ!」とエステルたちが戻ってきた。しかし、肝心のヒナはまだすやすやと眠っていた。ヒナの隣で寝転がっていたユーリが、いきなり入ってきたことに驚いて「急に入ってくんなよ! びっくりしたじゃねえか」と言えば、その声に反応してヒナが目を覚ました。

「う、にゃあ……」

 丸まっていた身体をぐっと伸ばして、ぴこぴこと耳を動かすヒナの姿に、ユーリはつい顔を背けてしまう。そんなユーリの様子を目ざとく発見したエステルが嬉しそうに言う。

「珍しい……! ユーリもしかして照れてます?」
「ほっとけ。で、何が見つかったって?」
「そりゃあヒナが猫になった原因よ」

 エステルの後ろから何かを持ちながら現れたリタの言葉に、寝ぼけていたヒナが「え? 見つかったの?」と飛び起きる。確かにリタの手には手のひらくらいの大きさの機械があった。

「それも魔導器か?」
「そう。あたしも色々と原因を考えてみたけど、やっぱり魔導器の影響と考えるのが一番現実的だったのよね」
「リタはとってもすごいんですよ! 魔導器を探すための魔導器を作って、こうして見つけることができたんです!」
「どういうことだそりゃ?」
「ヒナは見た感じおかしな魔導器をつけてる感じはしなかったから、特殊な電波を出すタイプの魔導器かも、って考えたの。で、もしそうなら効き目がある範囲っていうのが絶対あるはずだから、その電波を探せるようにチューニングしながら探せる魔導器を作ったってワケ」

 研究者とはいえ、ここまでのことを想定し、軽々と実践できるリタは確かに天才と言われるのも肯ける。ヒナはリタの存在に心の底から感謝した。

「リタはやっぱりすごいんだねぇ」
「こんなの朝飯前だわ。……ただムカつくのが、この魔導器の術式を作ったヤツ。相当な勉強不足ね。『範囲内の人間をみんな猫化する』っていう効果にしたかったようだけど、途中で指定を間違えてるみたいなのよね。『特定の誰かひとりを猫化させる』っていう術式になってたのよ。こんなミス普通はありえない」

 説明をしていたリタは、そんなやつに好き勝手されるなんて魔導器が可哀想だ、と憎悪のこもった声で呟く。

「その特定の誰かひとりに当てはまってしまったのが、偶然ヒナだったということなのね」
「そーいうコト」
「原因は分かったのはいいんじゃが、いつ元通りになるかはわからないのかの? はっ! もしかして、ヒナはずっとこのままだったりするのか!?」
「にゃあっ! ぱ、パティ! やめてよぅ!」

 恐ろしいことを口走るパティに対し、しっぽでたしたしとベッドを叩きながら怒るヒナ。すかさずリタは「それについては大丈夫よ」と続けた。

「心配しなくても、この魔導器の術式の効果は今日一日だけに指定されてたから、明日には元に戻ってるはず」
「本当に魔導器はなんでも出来てしまうんですね……!」
「そうよ。だからこそ魔導器は奥が深いの」

 誇らしそうに語ったリタの姿がヒナには神様のように見えたのだった。

***

 ぱちり。ヒナが目を覚ますと、カーテンの隙間から射し込む太陽光なんて気にも留めず、すぐに自分の身体をぺたぺたと触って確かめる。猫耳やしっぽが綺麗さっぱりなくなっていることに気がつくと、ヒナは「元に戻ったー!」と飛びはねた。
 その声で起きてきた女性陣も、同じようにヒナの姿を見て安堵の表情を浮かべる。

「ヒナ、よかったですね!」
「うん! みんなありがとう〜!」

 無事元の姿に戻り、外に出られるようになったことが嬉しいのか、一番に部屋を飛び出したヒナは、扉の先で待っていたユーリたちと鉢合わせた。

「ユーリ、見て見て! わたしちゃんと元に戻れたよ!」

 よほど嬉しいのかくるりとその場で回って見せたヒナを見て、状況を飲み込めない様子のカロルとレイヴンが頭に疑問符を浮かべていた。ユーリがかいつまんで説明をすれば、レイヴンは大袈裟に頭を抱えてからユーリの肩を掴んで揺らした。

「えー!? なんでそんな大事なこと教えてくんなかったの!? 猫耳のヒナちゃんなんてぜーったい可愛いじゃないの! くぅ、おっさんも見たかったー!」
「おいおっさん落ち着けって」
「これが落ち着いていられるわけないじゃない!」

 大興奮のレイヴンを横目に、カロルはヒナに駆け寄る。

「猫の姿のヒナ、ボクもちょっと見たかったけど、無事に元に戻れたならよかったよ! ずっと猫のままじゃいろいろと不便だろうからね」
「わーん! カロルもありがとう!」
「わわっちょっとヒナ!?」

 ヒナが勢いよくカロルを抱きしめると、あわあわと落ち着かない様子のカロルは視線を彷徨わせていた。
 すると、その隣でユーリとレイヴンに向かってリタがすたすたと近づくと声をかけた。

「……本当はちょっと残念なんじゃないの? あんたって猫耳が好きなんでしょ?」
「いや、全然、全く、そんなことはないぞ」
「もう青年ってば、あわよくばそのまま元に戻らなくてもいいとか思っちゃってたりしたんじゃないの〜? でもおっさんはその気持ちよーくわかるぞ!」

 ユーリの肩をバシバシと叩きながら大きく頷くレイヴンの言葉を、否定するでもなくただ目を逸らしたユーリ。普段ならすぐ否定するはずなのにそれをしないところを見るに、つまりは“そういうこと”なのだろう。そんな彼らを温かい目で見守るジュディスと、「バカっぽい」といつものように呟いたリタ、そして、ご機嫌なヒナと戯れるエステルたち。
 いつもの賑やかさの中、不思議な騒動は幕を閉じたのであった。


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