つぎはもっとステキな夢を

 どれだけ走っても、距離があいた隙を見て物陰に隠れても、どこからかやってきてはずっとあとを追いかけてくる黒い影。
 そしてまた、ヒナは自分の隠れている場所に少しずつ影が近付いてくる気配を感じた。段々と呻き声が迫ってくる恐怖に、涙がぽろぽろと溢れ出すのを止められない。やめて、こないで、といくら願おうともヒナのお願いを聞き入れてくれる相手ではない。
 ついにヒナの目の前に姿を現した黒くて大きな影。サァッと青ざめた表情のヒナは「誰かたすけてよぉ……っ」と声を絞りだしたところで、意識が途絶えた。

 ハッとして勢いよく目を開ける。一番に視界に入ったのは見慣れた天井。不安を煽る不気味な呻き声も、じわじわと自分を追い詰める黒い影も、頬を濡らしていた涙の跡もない。信じられないほどリアルだったが、あれは夢だったのだ。
 さっきまで自分の見ていたものが夢だったという実感がなかなか湧かないヒナは、乱れた呼吸を整えながらゆっくりと上半身を起こすと、心臓がバクバクと大きな音を立て、身体中に嫌な汗をかいていることに気がついた。
 何度かゆっくりと深呼吸をして少し落ち着いてきたところで、ヒナはどうしようかと頭を抱えた。すぐ寝てしまうとまた同じ夢の続きを見てしまいそうな気がして、とてもではないが眠れる状態ではなくなってしまったのだ。そもそもの話、恐怖で眠気も吹き飛んでしまっていた。
 気分を紛らわせるために外の風でも浴びに行こうと思い立ち、ヒナがそっとベッドから降りて静かに部屋を出ようとすると、微かな物音を敏感に察知したのか、扉の近くで丸くなって眠っていたはずのラピードが首を起こした状態でヒナを凝視していた。

「ラピード……? ごめんね、起こしちゃった?」

 ヒナが尋ねるも、ラピードはじっとヒナを見つめたまま動かない。しばらく見つめ合いながら、ヒナは以前ユーリが、ラピードは犬というよりもラピードという生き物なんだと言っていたことを思い出した。確かに、ラピードは戦闘も任せられる上に、察しも良く下手をすれば人間よりも気遣いの出来る性格をしている。そんな彼が今何を考えているのだろうかとヒナは思考を巡らせる。

「どこ行くの、ってききたいのかな? うーんと、ちょっと外の空気吸って来るだけだよ」

 眠っているみんなを起こさないようにと、なるべく小さな声で話すヒナ。それでも耳のいいラピードは充分聞き取れているようで、のそりと立ち上がった。

「……もしかしてついて来てくれるの?」

 ヒナの問いかけに答えるように、尻尾を一振りして肯定の意を示したラピード。ヒナとしても、正直なところさっきの今なのでひとりで夜の庭を歩くことに少し抵抗があった。この場はありがたく甘えることにしてラピードとともに部屋を出た。

「ふぅ、風が気持ちいいねぇ」

 ひとりと一匹分の足音が響く中、ヒナとラピードがやって来たのは宿の中庭。庭の中心には一本だけ大きな木が生えており、その根元をぐるりと囲むようにベンチが置いてある。宿屋のほとんどの人が寝静まっている時間ということもあり、もちろん中庭にはヒナとラピード以外の人影はない。ヒナが適当なベンチに腰掛けると、ヒナの足元でラピードが伏せの姿勢をとり、ひとつ大きなあくびをした。

「ごめんねラピード。眠たいよね?」

 言いながらヒナはラピードの背中をそっと撫でると、ラピードは小さく返事をするように喉を鳴らした。
 ふと、ラピードの耳がぴこぴこと動いたかと思えば、伏せていた顔を上げてとある一点を見つめ始めた。こんな時間だ、自分たち以外には誰もいないはずなのに、一体ラピードには何が聞こえてたのだろうか? ヒナの脳裏に、ついさっき見たばかりの夢の内容がちらついてしまう。まさか正夢だったりしないよね、ときゅっと自分の両手を握った。大丈夫。ちゃんと魔導器もあるし、隣にラピードもいる。ひとりじゃない。と自分に言い聞かせる。
 再び恐怖に思考が支配されそうになりながら、ラピードの見つめる先を自分の目で確認するべきかどうかを迷っていれば、ついにザクッと地面を踏みしめる音が聞こえた。これは気のせいなんかではない。確実に何かがいる!
 恐怖のあまり、ぴしりと固まって動けなくなってしまったヒナが、極めてか細い声で「ら、らぴ……」と足元の彼に助けを求めようとすれば、聞こえてきたのは呆れたような人の声。

「おいおい、何やってんだよ。こんな時間に」

 なんと、声の主はユーリだった。すたすたと近づいてきたユーリがベンチに座るヒナの隣に腰をおろすと、てっきり寝ているとばかり思っていたユーリの突然の登場に、ヒナはきょとんとした顔で問いかける。

「……あ、れ? ユーリ? ほんもの、だよね?」
「どう見たってオレ以外の誰でもねえだろ。勝手に偽物扱いすんなって」
「で、でもっ、どうしてここにいるの?」
「そりゃあこっちのセリフだよ。起きたら誰かさんが居ねえから探しにきたんだろ」

なるべく音を立てずに出てきたつもりだったが、起こしてしまっていたのかと思ったヒナが慌てて謝ると、さほど気にしていない様子のユーリは「別に、たまたま目が覚めただけだろ。他の連中はぐっすり夢の中みたいだったし、気にすんな」と言う。ユーリの言葉にヒナはほっと胸を撫で下ろした。自分のせいで他のメンバーまで起きてしまった、なんてことになっていたらあまりに申し訳なさすぎるからだ。そうでなくとも既にユーリとラピードには罪悪感があるというのに。

「で、ヒナはなんでこんなとこでラピードにお守りされてんのかね」

 ユーリの口から出てきた“お守り”という言葉に反応したヒナは、反射的に「お守りなんてひどいよ!」と言おうとしてグッと口をつぐむ。明らかに自分を気遣い付き添ってくれたであろう先程のラピードの様子と、今の状態を客観的に見ればお守りとも言えなくはない。
 言葉に詰まってしまったヒナは、少し悩むそぶりを見せてから「……聞いても笑わない?」と恐る恐る尋ねる。
 二十歳をすぎた大人が怖い夢を見て寝られなくなっただなんて、子どもっぽいと馬鹿にされてしまうのではないかと思ったのだ。しかし、ヒナの心配をよそに、ユーリは「笑わねえよ」と言ってから不安そうなヒナの頭をぽすぽすと撫でた。

「えへへ、ありがとう。……あのね、たいした理由じゃないんだけど、さっきちょっと怖い夢を見ちゃってね、その」
「怖くて寝られなくなったっつーわけか」

 ユーリの発言を肯定するようにヒナはコクリと頷くと、気分転換のために庭に出てきたことと、部屋を出るときにラピードがついてきてくれたことを伝えた。
 ヒナの話を聞いたユーリは「んじゃ、眠くなるまでなんか話すか」と言うと、そっとヒナの手を握った。いつもであれば、手を握るという行為は少し恥ずかしいと感じるヒナも、今はそうもいっていられなかった。心に渦巻いているもやもやをなんとか吹き飛ばしたかったのだ。
現に、今こうして手と手が触れ合っているだけでも、いくらか気持ちは和らいでいた。ラピードが来てくれたことももちろん心強かったが、ユーリの存在はそれだけでヒナの心を穏やかにさせるのだ。
 しばらくそのままの状態でぽつりぽつりと会話を交わしていると、ヒナはふと、あれだけ怖かったはずなのに、今はほとんどその気持ちが薄れていることに気がついた。恐ろしい夢の中とは違い、今はひとりぼっちではないからか、優しく繋がれた手のぬくもりによる安心感なのかはヒナにはわからなかったが、今なら眠っても大丈夫。そんな気がした。
 強張っていたヒナの表情がやわらかくなったことに気づいて、ユーリが「まだ寝れそうにないか?」と問いかけた。

「ううん、もう平気みたい。ユーリとラピードのおかげだよ。ありがとう!」
「そりゃあよかった。ま、落ち着いたってんならそろそろ部屋戻ろうぜ。あんま夜更かししてたら明日起きられなくなっちまう」
「ふふ、そうだね」

今度こそみんなを起こさないようにしないと、と言ったヒナとユーリは、部屋に戻るべく立ち上がり、ユーリがいつのまにか眠っていたラピードの名前を呼ぶ。くぁっ、とあくびをして起き上がったラピードはいまだ手が繋がれたままのふたりのあとに続くのだった。


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