きっと忘れられない日に

 とある宿屋の一室で、ヒナはひとりぽつんとテーブルで頬杖をついていた。思い詰めているのか、どこかぼんやりとした様子のヒナは「みんな忘れちゃってるんだろうなあ」と呟くと、椅子に座っていることでゆるく伸ばされた足先をゆらゆらと遊ばせながらテーブルに突っ伏した。
 普段は明るく笑顔を絶やすことのないヒナが珍しく落ち込んでいるのにはきちんと理由があった。というのも、今日がヒナの誕生日だというのに朝から誰にもおめでとうと言ってもらえなかったからだった。それどころか、ギルドのメンバーはみんな用事があると言って仕事や買い出しに出掛けてしまったのだ。
 誕生日だから盛大に祝ってほしいなどと厚かましいことは一切考えていなかったが、ただおめでとうと言ってもらえるだけで十分だったのに、たったひとことすらももらえなかったことがヒナは寂しかった。そのうえ、ヒナは自分が祝ってもらえるものだと勝手に期待しておいて、祝われなかったからと落ち込んでいる自分に対してももやもやするという負の連鎖を引き起こしてしまっていた。
 しかし、いくらヒナが考えたところでもう既にみんなは出かけてしまっているし、忙しいのだから忘れてしまうのも仕方のないことだとも思う気持ちはあった。とはいえ、どうしても拭えきれない寂しさを消化するために、こうなったら自分で自分をお祝いしちゃおう! と開き直ったヒナは、早速ひとりでこっそりケーキを食べに行こうと思い立った。テーブルに預けていた上体を起こしたヒナが背中をそらしながらぐっと大きく伸びをしてみれば、もう彼女の頭の中にはどんなケーキを食べようかな、という思考で埋め尽くされていた。
 そんなとき、部屋の扉をコンコン、と控えめにノックする音が聞こえてきて、誰か帰ってきたのかな? とヒナは首を傾げた。

「あのぅ、こちらに、ギルドの方がいらっしゃると聞いたのですが……、どなたかいませんか?」

 続いて聞こえてきたのは女性の声。発言の内容から来客だと気づいたヒナは「はーい!」と返事をしてから慌てて立ち上がると、ぱたぱたと扉に駆け寄る。ヒナが「おまたせしました!」とゆっくり扉を開けた先に立っていたのは大人しそうな女性で、ヒナが姿を現したことにほっとしているようだった。

「よかった、誰もいないのかと思っていました……」
「ちょうどわたしが最後のひとりだったのでギリギリセーフでした! 今日はなにかご用ですか?」
「実は、今朝うちの猫のメアリーが逃げ出してしまって、まだ戻って来てないんです。ずっと家の中で過ごしてた子だから、今あの子がどうしてるのか心配で心配で……。良かったら一緒に探していただけませんか?」

 よほど心配なのだろう、女性は俯きがちで不安そうな表情をしていた。心配でたまらないといった女性の気持ちを察したヒナが「わかりました」と言えば、女性「ほ、本当ですか?」と顔をあげた。

「ギルドって、こんな依頼でも受けてくれるんですか? 私依頼をするなんて初めてで……」
「もちろん! わたしたちのギルド・凛々の明星は、大きな依頼からちょっとした依頼までいろんな依頼を受けてきてて、迷子の猫ちゃん探しの依頼も実は何回かやったことがあるんですよ!」
「わあっ、とても頼もしいですっ……!」
「それに、目の前で困ってる人がいたら放っておけないですもん。だから、わたしも一緒にメアリーちゃんを探させてくださいっ」

 安心させるように依頼主の女性の手をぎゅっと握ったヒナが力強く言えば、不安そうにしていた依頼主は「ありがとうございますっ……!」とほんの少し表情を和らげたように見えた。
 依頼を受けるにあたって、メアリーの特徴や好きそうな場所などの情報を依頼主から聞いたヒナは、早くメアリーちゃんを見つけてあげて、そのあとでゆっくりケーキを食べよう! と意気込むと、依頼主とともに宿屋をあとにした。

***

 街の人に聞き込みをしたり、猫の隠れそうな場所を手当たり次第に探し回った結果、捜索を始めてからそこそこの時間が経った頃、ヒナはようやくメアリーを発見した。
 ヒナは今までの迷子の犬や猫を捕まえる依頼を受けたときのことを振り返り、どの子たちもすぐに逃げてしまうため、見つけてから捕まえるまでにかなり時間がかかっていたことを思い出す。正直なところ、今回もここからが長期戦になるだろうと覚悟していたのだが、ヒナが想定していたよりもかなり短い時間でメアリーを捕まえることに成功した。

「よぅし、つかまえたー!」

 ヒナがメアリーをしっかりと抱きかかえると、メアリーは特に怪我をしている様子もなくけろっとしており、ヒナはほっと胸を撫でおろした。
 ふたりで手分けをして探していたため、あらかじめ決めておいた待ち合わせ場所でヒナが待っていると、人混みの中からこちらへ向かって歩いてきた依頼主が、ヒナの腕の中のメアリーを見つけて駆け足で近づいてきた。メアリーも同じように依頼主を視認すると、ヒナの腕から逃れようとじたばたと暴れだした。

「わ、わっ、まってメアリー! だめだよ! 落ちちゃうからっ!」

 ヒナの制止も虚しく、するりと腕から抜けだしたメアリーは、ちょうど合流した依頼主に向かって飛びかかる。

「っ、メアリーっ! どこも怪我してない? あぁ、本当によかった……っ! もう勝手に家から出ちゃダメだからね」

 時間が遅くなったことで諦めかけていたのか、涙を流しながらメアリーを愛おしそうに抱きしめる依頼主と、短くみゃあと鳴いては依頼主にすり寄るメアリー。そんな仲睦まじいふたりの姿を見て、ヒナは「無事に見つかってよかったです」と微笑んだ。

「本当に、本当にありがとうございました……!」

 依頼主が深々とお辞儀をしてメアリーとともに立ち去っていくのを見送ったヒナは、すっかり日が落ちて薄暗くなってしまった空を見上げた。
 結構な時間が経ってしまったことで、もう当初の予定であったケーキを食べに行くというヒナの野望は残念ながら達成出来そうになかった。もし運良くケーキ店が開いていたとしても、恐らく売れ残ってしまった商品くらいしか並んでいないだろう。ヒナは、せっかくの誕生日なのに食べられるケーキの選択肢が少ないなんていやだしなあ、とうなだれた。

「はぁ……食べたかったなあ」
「何をだよ?」
「ひゃぁっ! ゆ、ユーリ!?」

 独り言のつもりの呟きに対して、まさか返事をされるなんて予想もしていなかったヒナは思わず飛び上がった。ヒナの反応にくつくつと笑いながらユーリが「そんなに驚くことねえだろ」と言えば、「だ、だってユーリが急に声かけてくるからいけないんだもん」と、どきどきとうるさい心臓のあたりを押さえながらヒナは弱々しく言い返した。

「でも、ユーリはどうしてここにいるの? 確か今日は依頼を受けてたはずだよね?」
「ん、あぁ。依頼なんてとっくの昔に終わっちまったからな。散歩してたんだよ、散歩」
「こんな時間に? お散歩?」
「オレが散歩してちゃ悪いかよ」
「ううん! そんなことはないよっ」
「まあ、んなことよりさっきお前言ってたろ。何か食べてぇもんがあるって?」

 どうやらヒナの発言が気になるらしいユーリの問いかけに、いつもはわざわざ聞いてきたりしないのに、とヒナは不思議に思いながらも、今更隠すことでもないか、と素直に打ち明けることにした。

「あのね、今日、わたしの誕生日だったからね、ひとりでこっそりケーキを食べに行こうと思ってたんだけど、依頼を受けてたらこんな時間になっちゃって、もうお店にあんまりケーキ残ってないだろうなぁって思って……。だからね、ケーキが食べたかったなあって思ってたんだよ。えへへ」
「ふぅん?」

 少しだけ寂しそうに言ったヒナ。ユーリはその回答に何を思ったのか、ヒナの顔の高さまで手に持っていた紙袋を見せつけるように持ち上げると、「じゃあヒナ、この袋の中に何が入ってるか当ててみ?」と言った。ヒナの目線では紙袋の中身までは見えないものの、ユーリの持つ紙袋のデザインには見覚えがある。ヒナも何度か利用したことのある店のロゴが大きく印刷された紙袋は、そこそこ有名なケーキ屋のものであることを表していた。ということは、だ。袋の中に入っているものといったら……。

「もしかして……これってケーキ?」
「お、正解。っはは、ヒナには簡単すぎたかね」
「え? どういうこと?」

 ヒナの頭の中は混乱を極めていた。ユーリは今日がヒナの誕生日だと知らないはずなのに、今目の前にいるユーリはヒナにケーキを見せつけている。これはたちの悪いいやがらせなのか、それとも自惚れてしまってもいいのだろうか? と思考が巡る。
 ひとりで百面相を披露するヒナがよほど面白いのか、フッと笑ってからユーリは「どういうことって、そりゃあヒナの誕生日ケーキだろ?」と告げてから、驚いた表情を見せるヒナへ向けてさらに続けた。

「ついでに言うと、こん中にもう一個別のモンが入ってるんだが、そっちは流石にわからねえだろうな」
「もう一つ? ケーキじゃないってこと?」
「あぁ、気になるか?」

 先程から焦らすように問いかけてくるユーリの言葉に引っかかりを覚えるものの、ヒナにもほんの少し好奇心が芽生えたようで「ちょっと気になる、かも」と答えると、ユーリは紙袋の中から小さな箱を取り出してヒナに手渡した。受け取った小箱はケーキの入った箱の上に乗せられていたからかほんのりと冷たいものの、ヒナが箱に耳を当てて中の音を聞いたり、振ってみたりしたところで、全くと言っていいほど中身の見当がつかなかった。

「うぅ、わかんないよぅ」
「じゃあ開けて中身見てみろよ」
「えぇっ! 見ちゃってもいいの?」
「まあ、お前のだからな」

 ヒナがゆっくりとリボンを解いて箱を開けると、中に入っていたのは雪の代わりに花びらが舞う仕様になっているスノードームだった。そっと傾けると、ドーム内でひらひらと舞い踊る桃色の花びらたち。その様子はどことなくヒナが住んでいたハルルを連想させた。

「わあっ……! すっごくかわいいっ!」
「っはは、気に入ってくれたんならオレも珍しく悩んだ甲斐があったってもんだ」

 ユーリの言葉にヒナはドームを覗き込んでいた顔を上げて、きらきらとした瞳でユーリを見つめた。

「も、もしかして、これってユーリが選んでくれたの?」
「当たり前だろ。オレからのプレゼントなんだから」
「うれしいっ……! ありがとうっ!」
「そりゃよかった」
「ふふふっ! わたし、ずっと大切にするねっ!」

 そう言って、ヒナはスノードームを永遠に眺めていたい気持ちを抑えながら大事そうに小箱に戻すと、ユーリが差し出した紙袋にそっと戻した。

「わたし、てっきりみんなわたしの誕生日のこと忘れちゃってるんだー! なんて、すごく失礼なこと考えちゃってたのに。申し訳ないなあ」

 まさか誕生日を覚えていてくれたとは思わず、嬉しさのあまり涙が出てしまいそうになるのをぐっと堪えるヒナを見て、ユーリが「忘れるわけねえだろ」とヒナの頭に手のひらを乗せてからわしゃわしゃと勢いよく動かした。ユーリの手によって、いつも丁寧に時間をかけて整えられているヒナの柔らかな髪の毛がどんどん乱れていく。

「わっ、まってっ! ユーリっ! そんなに強く撫でたらぼさぼさになっちゃうよ!」
「泣き虫にはちょうどいいんだよ」

 おらおらとヒナの頭を撫で回していたユーリの手がようやく離れると、ぼさぼさになった髪の毛をなんとかしなければ、と意識が傾いたのか、ついさっきまで決壊寸前だったヒナの涙は少しだけ引っ込んだようだった。代わりに「もう、ユーリのばかっ」と小さく頬を膨らませながら慌てて髪を整えていく。
 ユーリは「悪かったって」と言うと、すっかり元通りになったヒナの頭を今度は優しくぽんぽんと撫でた。これでは流石に文句は言えない。ヒナはただただされるがままの状態で恥ずかしさから言葉にならない声を漏らしていた。

「でも、ヒナにバレないようにいろいろ準備すんの大変だったぜ」
「そうなの? わたしなんて全然わからなかったし、みんなちゃんと隠せててすごいよ!」

 ヒナはえへへ、と顔を綻ばせる。近くの時計をちらりと横目で確認したユーリはヒナに手を差し出しながら言う。

「じゃ、そろそろ行くか。多分もう準備して待ってるはずだ。肝心の主役がいないんじゃ始まらねぇからな」
「うんっ!」

 ユーリの手に、ヒナがそっと手を重ねると、ふたりはすっかり夜の装いに切り替わった街の中、みんなが待つ宿屋へと向かった。


[ 15/17 ]

[*prev] [next#]

[しおりを挟む]

back




人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -