結界と人と


街中には魔物との戦闘で怪我を負った人々があちこちに佇んでおり、その手当をしている人も多く見受けられた。
何処を見ても視界には怪我人がいる。そんな状況にエステルは悲しそうに口を開いた。

「怪我をしている人がこんなにいるなんて」
「今、この街は結界が駄目になってんだ。そこを魔物に襲われりゃ、ロクに戦ったことない奴らが怪我するのは避けられねえだろうな」

ユーリの言う通り仕方のないことだとして、どうして怪我を負った人が治療を受けずにいるのだろうと、愚問ではないかと思いつつもエステルはヒナに問い掛ける。

「あの、ヒナ? ハルルに医者は居ないんです?」
「もちろんいるよ! でも、怪我人が多くて手が回ってなかったり、お金がなくてお医者さんに診てもらえない人もいるからね」

枯れてしまったハルルの樹を見上げるヒナと怪我人とを見比べ、この状況をどうにか出来ないのかと考えを巡らせたエステルは、ハッと思いついたように言う。

「フレンにお願いすれば……、騎士団に頼んだら街を守ってくれるんじゃないです?」
「ええと、それがね、何回かお願いしたことがあるみたいなんだけど、忙しいって断られちゃうんだって。だから毎年ギルドにお願いしてる、って聞いたよ」
「そんな。大勢の人が怪我をしているのに」
「……なあ、ギルドに頼んでてもこんな有様になるならそのギルドの奴らは一体何してんだ? 見たとこ、全然それらしい奴が見当たらねぇんだけど」

帝国騎士だけでなくギルドですらもいい加減なのかと、ユーリが少し苛立ちを見せながら問えば、ヒナが慌てて否定をする。

「ううん、いつもはきちんと来てくれるんだよ! 多分、今年はいつもより結界が弱くなるのが早いから、ギルドの人達の準備が間に合わなかったんじゃないかなぁ」
「ふぅん……。まあ何にせよ、早いこと魔物をどうにか出来る連中に来てもらわねえと、このままじゃ怪我人は増える一方だろうな」

怪我人をちらりと見ながら呟いたユーリに、「そうですね……」とエステルはぎゅっと手を握りしめた。

☆☆☆

広場に着くと、先頭を歩いていたヒナが奥の人集りを視界に捉えて「あ、長だ!」と告げた。

「なんだ、意外とあっさり見つかるもんだな。これでフレンの行き先が分かればいいんだが……っておい、エステル!」

長がいる事を確認するなり、ユーリの制止も聞かずに真っ直ぐ人集りへと走って行ったエステルが「あの、わたしにみなさんの手当てをさせてくれませんか?」と長に声を掛ける。
ここに来るまでに何人もの怪我人を目にしてきたが、この広場には怪我人が特に多い。目の前で傷ついている人たちを心優しい彼女はどうしても放っておけなかったのだ。

エステルの申し出を長は二つ返事で了承したものの、やはり治療費を払う事が出来ないからと渋った。

「そんなのいりません」
「なんと……! それは有難い。では、お願いしてもよろしいですかな」
「はい。任せてください」

許可を得たところで早速エステルはすぐ側に居た女性に治癒術を施していく。

そんなエステルの様子を暫く観察するように見つめたまま動かないユーリにヒナが首を傾げながら問いかける。

「ユーリどうしたの? 長のところ行かないの?」
「あ、いや、なんでもねえ。行くぞ」
「? う、うん」

難しい顔をしていた彼は一体何を考えていたのだろうかと思ったが、歩き出したユーリに続くように、ヒナは考えるのをやめて長の元へと向かう。

二人が長にフレンの事を尋ねようとすれば、今度は横から声が掛かった。

「おかえり、ヒナ」
「あ、パパ! ただい、ま」

声を掛けてきた優しそうな男性はどうやらヒナの父親らしい。思わず嬉しそうに返事をしたヒナだったが、その腕に巻かれている痛々しい包帯に気付くと顔色を変えた。

「パパっ怪我してるの!?」
「ああ、さっき魔物と戦っていた時にね。でもこれくらい怪我のうちに入らないさ。心配はいらないよ」
「だ、だめだよっ! 跡が残ったりしたら大変だもん。すぐ治してあげるね」

慌てて治癒術をかけようとするヒナに、父が「ヒナ」と名前を呼んで静止させた。

「気持ちは嬉しいけど先にその荷物を届けてきなさい。店主がヒナの帰りを待っていたよ。治療をするのはその後からでも出来るだろう?」
「あっ……! そうだよね、ごめんなさい……」

大した怪我ではないと聞いてもやはり自分の父親が心配なのだろう。不安げな表情を浮かべるヒナを見かねて、側でやり取りを聞いていたエステルが声を上げた。

「あの、わたしがお父様の手当てをしておきます! そうしたらヒナも安心して荷物を届けに行けますよね? ね?」
「え、エステル……いいの?」
「勿論です! 怪我をしている人を放ってなんておけませんし、ヒナのお父様なら尚更です」
「ありがとうっ!」

安心したようにふわりと笑顔を咲かせたヒナは「届けたらすぐ戻ってくるからね!」と言うと荷物を抱えてその場を後にした。

広場から目的の店までそれほどの距離はない。それでもヒナはこけないように気を付けながら足早に店へと向かった。

「遅くなっちゃってごめんなさいっ! 荷物届けに来ました!」

店の中へ駆け込み、カウンターで何やら作業をしていた店主の女性の前に行くと、持っていた荷物をそっと置いた。

「ヒナちゃん、待っていたわ! ありがとうね。こんな大荷物、一人で大変だったでしょう?」
「ううん、一緒に行ってくれる人達がいたから一人じゃなかったんだ。だからわたしは平気だよ」
「それなら良かったわ。ヒナちゃんにしか頼めなかったとは言え、一人で行かせちゃったから心配していたのよ」

店主が荷物の中身を確認していく手元を覗き込みながら、ヒナが「材料、これだけあったら大丈夫そう?」と問う。
必要な物を記したメモを見ながら買い物をしたし、一人で持てる限界まで量を買ってきたつもりだったが、もし間違えていたりしたら、と不安がよぎったのだ。

しかしそれは杞憂だったようで、店主が笑顔で返す。

「思っていたより沢山仕入れてくれたから暫く保つと思うわ。本当にありがとうね」
「いえいえ! わたしもお手伝いが出来てよかった」

「さあ、早速薬を作り始めないと」と言って店主がエプロンを結び直してから「そうだ、忘れちゃいけなかったわね」とヒナに封筒を差し出す。

「ほんの気持ちだけど、お礼」
「わわ、こんなに……?」
「私、ヒナちゃんがいてくれて本当に助かったのよ。だから受け取ってもらえないかしら?」
「えと、じゃあ、確かに受け取りました。あの、また何かお手伝い出来ることがあったら言ってね。わたしに出来ることだったら頑張るから!」

「ええ、その時はまたお願いするわね」と言った店主に頭を下げてからヒナは店を出た。

まだ二人ともいるかなあ、と考えながら歩いていたヒナは、ふとある事に気がついた。

「(このあと、二人はどうするんだろう……?)」

ヒナの仕事は、帝都から荷物を持って帰る事。
その仕事はたった今終わった。それはもうユーリ達と共に行動する理由がなくなったということだ。
彼らには彼らのなすべき事があり、たまたま目的地が同じだったからハルルまで一緒に来ただけで。

もしかしたら、長からフレンが何処かへ行ったと聞いて、それを追いかける為に自分が戻った時にはもういないかもしれない。

一旦考え始めると「早く戻らないと」という気持ちと「まだ一緒に居たい」という気持ちがせめぎ合ってヒナの足取りを重くさせた。

しかし、考えている間にも気付けば広場に着いてしまった。

「ヒナ! お帰りなさいです」

ヒナの姿を捉えるなり、にこにことこちらに駆け寄ってくるエステル。暗い表情のままだと、きっと優しい彼女は心配してしまうだろうと、胸の中のもやもやを表に出さないようにヒナは笑った。

「うん、ただいま」
「長に聞いたんだが、フレンの奴、やっぱハルルには居ないってさ」
「フレンは結界を直す魔導士を探しに行ったそうなので、ここで待っていればハルルに戻ってくるんだと思います!」
「そうなんだ。じゃあもうすぐ会えるんだね。よかった」
「はい。それで、フレンが戻ってくるまではこの街に居ようと思うので、わたし達今からハルルの樹を観に行こうって話していたんです。良かったらヒナも一緒にどうです?」
「えっと、でも」

ヒナはそう口ごもって、隣に立つ父親を見上げる。娘からの視線を受けた父は微笑みながら言う。

「いいじゃないか、折角だし行ってきたらどうだい? 私の怪我ならこの通り綺麗に治してもらったから心配は要らないよ」
「パパ……ありがとう。エステル、わたしも一緒に行ってもいいかな?」
「勿論です!」
「ヒナ、私は先に戻っているからね。気にせず楽しんでおいで」
「うんっ!」

ヒナの父はユーリ達に頭を下げてからその場を後にした。
すると、一拍置いてエステルが「ふふっ」と笑みを溢した。

「? エステル?」
「ヒナとお父様は仲良しなんですね。見ていてとても温かい気持ちになりました」
「そ、そうかな? あんまり気にしたことなかったけど、言われてみるとなんだか照れちゃうね」
「いいんじゃねえか? 家族の仲が良いに越した事はねえだろ」
「はい、わたしも仲良しが一番だと思います」
「そうだよね、ありがとう」

そう言ったヒナが、広場近くの橋の上で蹲っているカロルを見つけた。彼は何やら独り言を呟いているようだったが、一人にしておいてやろうぜ、というユーリが言ったものの、ヒナとエステルは心配で顔を見合わせる。

「どうにも助けて欲しいってなったら自分から声掛けてくるさ。それすら出来ねえ奴じゃないだろ、多分」
「そういうものでしょうか?」
「よくわからないけど、カロルから話しかけてくるまでは何もしない方がいいってこと? だよね? じゃあ今はそっとしておこっか」

ひとまず声を掛けないことにしたものの、その間にもカロルがぶつぶつと呟く声が聞こえてきて、ラピードの呆れたような鳴き声とユーリのため息が重なった。

ハルルの樹へ向かって歩いていると、エステルが「そういえば」と話し始めた。

「さっき、本当はもしヒナに断られてしまったらどうしようって思っていたんです」
「ああ、ハルルに住んでるヒナにとっちゃ、ハルルの樹なんて珍しくもないだろうしな」
「ええっ、そんなことないよ! ハルルの樹はいつ見ても飽きないし、お花がたくさん咲いている時期は、お散歩する時に絶対見に来るくらいわたしは大好きだもん!」

一生懸命話すヒナに、エステルが釣られて微笑みながら言う。

「今はこんな姿ですけど、綺麗な花を咲かせたハルルの樹は、きっととても素敵なんでしょうね」
「そりゃあハルルの樹はこの街の自慢だからね! 結界魔導器、っていうのもあるけど、そうじゃなかったとしてもみんな大事にしてると思うなぁ」
「オレ、花はそんなに詳しくねえけど、そこまで言われるとどんなもんなのかちょっと気になるかもな」
「きっとユーリも感動するよ! それくらい本当に綺麗なんだから!」

そして、ハルルの樹へ繋がる坂道を上がるため近くで遊んでいる少年たちの横を通り過ぎようとすると、丁度彼らの会話が耳に入ってきた。

「武器も用意したし、これで魔物と戦えるぞぉ!」
「長も、戦っていいって、言ってくれるね!」
「フレン様みたいに、魔物もやっつけよ〜!」

武器と思しき竹刀を掲げた三人の少年は、声を合わせて「お〜!」と気合いを入れていた。

「あんな子どもまで……。あっ、ヒナ」

彼らを横目に心配そうに呟いたエステルの後ろから、ヒナが少年たちに歩み寄った。

「わあ、かっこいい武器だね?」
「あ、ヒナお姉ちゃん!」
「ふふーん! そうでしょ?」
「ぼくたち、これで魔物をやっつけるんだよ!」

と言うと、少年たちは竹刀を振り回して魔物を倒すような動作をする。ヒナが「そっかぁ、それは頼もしいねぇ」と微笑むと、少年たちは得意げに胸を張った。

「でも、魔物と戦うのはまだ危ないからだめ」
「どうして? この武器があれば魔物なんてけちょんけちょんに出来るのに!」
「結界の外にはね、こーんなに大きな魔物や、とーっても凶暴な魔物がたくさん居るの。それにね、どんなにかっこよくて強い武器を持ってても、騎士さん達みたいにたくさん鍛えてないと、魔物と戦うのはすごく難しいんだよ」

ヒナが大きな身振り手振りで説明をするも、魔物を倒すんだと意気込んでいた少年たちは納得がいかない様子だった。

「ちゃんとぼくたちだって鍛えてるもん!」
「ねえ、じゃあいつになったらぼくたちも戦っていいの?」
「んーっと……、わたしを倒せるようになったら、かな?」

ヒナの提案に「ヒナお姉ちゃんを!?」と驚いた様子の少年たち。驚くという事は、彼らはヒナが人並みに戦えるということを知っているのだろう。

「うん、そうだよ。わたしがもう降参〜! って言うくらいにみんなが強くなったら、きっと長も認めてくれると思うんだよねぇ」
「ええ! だったらもっと鍛えないといけないじゃんか」
「よーし、絶対ぼくたちでやっつけてやるんだから!」
「望むところだよ〜っ! その時までわたしもたくさん鍛えておくからね!」
「そうと決まれば特訓だ!」

再び「おー!」っと声を合わせて意気込んだ子ども達が元気よく走り去るのを、ヒナは「無茶はしちゃだめだからねー!」と手を振りながら見送った。

やりとりを眺めていたユーリ達がヒナの元へと来るなり「色々と大変だな、ヒナも」とユーリが言えば、ヒナは「ううん」と首を左右に振る。

「そんなことないよ。多分あのまま長のところに行ってもわたしと同じようにだめだよって言われるはずなんだけどね。あの年頃の子は勝手に飛び出して行っちゃったりすることもあるし、ちゃんと言っとかなきゃって思っただけだから。だって、もしも本当に魔物と戦おうとして怪我なんてしたら嫌だもん」
「まあ、子どもってのは大人の予想を超える行動をしやがるからな。それで正解だったと思うぜ」
「わたしもユーリと同じ気持ちです、子どもが魔物と戦うのなんて危険すぎます。ヒナが止めてくれてよかったです」
「……ふたりともありがとう」

その場しのぎとも取れるような行動でも、ユーリ達が好意的に捉えてくれたことにヒナは胸を撫で下ろした。

「でも、本当に早く結界が戻ればいいのに。そうすればあの子達が魔物を退治しにいかなくて済みますよね」
「そうだな」

そうして、三人は枯れてしまったハルルの樹を見上げたのだった。



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