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 あの日の強い強い輝きを、私は今も鮮明に覚えている。

 いつものように学校近くのコンビニで例のアイスを買い、三駅ぶん電車に揺られながら家路についた。
 冷凍庫を開けると、先ほど買ってきたアイスと同じものが、所狭しと積み上げられている。私はその上に同じ物を丁寧に重ね、ロックアイスも入れた。ひんやりとした冷気が肌に当たり、心地よい。

「ただいま、なまえ。あら、またそれ買ったの?」

 私の帰宅を聞きつけて、母がキッチンに顔を出す。

「うん。美味しいから」
「そんな甘いものばかりじゃ太るわよ」
「大丈夫。毎日、部活で体動かしてるし」

 これ以上詮索されないように、私は足早に二階の自室に向かった。
 部屋の明かりはつけず、デスクライトのみ点灯させる。カバンから鍵を取り出し、机の引き出しの鍵穴へ差し込んだ。
 ふぅっと短い息をつき、そろりと引き出しを開けて、一冊の分厚いアルバムを取り出し机の上に置く。誰にも見られていないはずなのに、いつもこの瞬間だけはどうしても周囲を見回してしまう。部屋は、一片の羽根が落ちても聞こえるんじゃないかというくらい、静寂に包まていた。
 今度は長く息を吐いてから、アルバムを開いた。
 本来、アルバムは、子供の成長記録だったり自分の楽しい思い出を封じ込めるためのものだけれど、これはそれらとは異なる。こうして毎日このアルバムを眺めるのが、私の日課になっていた。
 めくってもめくっても、同じ人物ばかりが登場する。どの写真も、眩しいくらい輝いていた。
 ――成宮鳴。
 それが、このアルバムの主人公だった。



 翌日。私は用意した例の手紙を、こっそり二人の机に入れた。手紙の文面はほぼ同じだけれど、筆跡が異なる。一人の方は極端なクセ字だったので真似るのに骨が折れたものの、どうにか違和感のない出来にはなったと思う。
 他人の名前を勝手に騙り、罪悪感に苛まれたけれど、目的のためには仕方ない。両方の手紙に、「謝りたい」という旨の内容をそれぞれらしく書いた。
 今の時代、連絡方法なんてメールが一般的だとは思うけれど、いつの時代も女の子は手紙を書く行為を愛していると固く信じている。仲の良い友達同士なら、なおのこと。あとはお昼休みを待つだけだ。

 その日のお昼休み。私は指定した空き教室へ向かった。物陰に隠れしばらく様子を窺っていると、最初に副部長の子が、数分後に部長の子がやってきた。
 二人はブラスバンド部で、夏休みに些細なことで仲違いした。そのため、副部長の方は最近部活を休みがちだった。私はそれとなく周囲や本人に話を聞き出し、その情報を得たのだ。
 途切れ途切れに聞こえてくる、二人の会話。それに混ざって、大きく開け放した窓からは、中庭で男子たちがふざけ合う声が入ってくる。
 しばらく息を詰めて耳を澄ましていたけれど、やっと二人の口から「ごめん」の声が漏れた。どうやら仲直りできたらしい。
 ようやく私はほぅっと胸をなでおろし、その場をあとにした。
 心の中で鼻歌を歌いながら廊下を歩き、これまでの二人の身の上を反芻する。
 二人はどうやら同じ人を好きになったらしく、それがわかってからというものお互い気まずくなり、関係がこじれはじめた。二人ともまだ相手に告白をしていないから、可能性は五分五分。まだ結果もわかっていないうちから、仲違いすることなんてないのだ。ちなみに私が書いた手紙のことは、どうやらバレなかったらしい。
 それぞれ部長、副部長を務めるだけあって二人の演奏は素晴らしく、こんなことで部全体の演奏レベルを落とすことになるなんて、愚の骨頂だと思った。
 これであの人も喜んでくれる。
 弾むような足取りで歩いていると、ふと、どこからか視線を感じた。背後を振り返り、目を凝らす。――誰もいない。気のせいかもしれないけれど、何事も用心するに越したことはない。
 廊下には眩いほどの太陽の光で溢れていて、白いタイルの上で影とまだらに踊っている。私は目を細め、全身でそれを浴びた。目が潰れるほどに強い光は、やがて私の全てを焼き尽くすかもしれないけれど、それならそれで、構わない。
 そういえば、あの人に再会した日も、空にはこんな眩しい太陽が昇っていた。



 二年前。中学三年生の春、私はあの日、電車に乗っていた。在籍していた文芸部の部誌の締め切りに追われ、いつもなら休日に部活はないのだけれど、特別に日曜日に学校へ行くことになったのだ。
 私は小、中、高と一貫教育の女子校に通っていて、電車通学だった。
 その日、電車は人身事故の影響で、日曜日の早朝とは思えないほど車内は混み合っていた。
 座れないため吊革を掴み、注意深く目だけで周囲を観察する。緊張のため、全身に嫌な汗をかいていた。
 一ヶ月くらい前から、私は同じ人物に痴漢を受けていた。車両を変えても、時間をずらしても執拗に現れては私を追い詰める。でも、恥ずかしくて誰にも相談できなかった。私は昔から男子が苦手で、大人の男の人となれば殊更だ。
 さすがに今日はいないだろうとたかを括っていたけれど、甘かった。二駅目に電車が停車したところで、乗車してくる人々の波の中に、見知った顔を発見した。
 じっとりとした恐怖が背中を這い寄り、身がすくむ。私の顔を認めた男は下卑た笑いを浮かべ、こちらへ忍び寄ってきた。男が犯行に及ぶ間、私はぎゅっと目を瞑り、歯を食いしばってひたすら堪えるしかなかった。
 これは私じゃない、私じゃないと念じながら心をシャットダウンする。こうしていると、幾分苦痛が和らぐからだ。
 しかしその時だった。なぜか突然、行為がやんだ。

「だっさ。いい年して恥ずかしくないワケ?」

 男の子にしては高めで、よく通る声。こんな時なのに、綺麗な声だな、と思った。
 おそるおそる後ろを振り返ると、声の主と思われる同い年くらいの男の子が、痴漢の腕を掴み、それを高々と上げている。男の子は野球のユニフォーム姿で、頭には同色の野球帽、肩にスポーツバッグを掛けていた。

「このおじさん痴漢ですよー。皆さんちゃんと顔覚えといてくださいねー」

 男の子が大声でそう言うと、周囲が一気にざわつきはじめ非難の声がそこここで上がりはじめる。

「次の駅で降りるよ」

 ぴしゃりと言い放たれ、男は観念してうなだれた。

「……あ……」

 私が気が動転して口をパクパクさせている間に、電車は減速しホームに滑り込んでいく。

「あ……、あの……」

 突然のことに言葉が出ない。「ありがとう」って。一言、「ありがとう」ってただそれだけなのに。
 男の子と目が合い、思わずたじろいだ。すると男の子は、そんな私に向かってニカッと笑った。野球帽からわずかに飛び出した色素の薄い髪。同じく茶がかった瞳は、好奇心旺盛そうな輝きを放っていた。
 プシュッという音とともに扉が開くと、男の子は痴漢を引っ張ってホームへ降りる。その時、男の子のスポーツバッグに付いていた何か――フェルトで作られた野球ボール型のマスコットが揺れた。よく見るとそこには、赤い糸で「MEI」と刺繍されていた。
 ――MEI、メイ、めい。名前、もしくはあだ名だろうか。女の子のような名前だな、とぼんやり考えていると、それから瞬く間に扉が閉まり、電車がのろのろ動き出した。
 その瞬間、しまったと思った。
 証言するために、一緒に降りるべきだったのだ。後悔するも後の祭りで、電車はいよいよスピードを上げ走り出す。それからすぐ、勇気を振り絞ってあの駅へ引き返したけれど、あの男の子の姿はどこにもなかった。

 それから数ヶ月後、もう会えないと思っていたあの男の子に、意外な形で再会した。
 その日、友達の弟が野球のシニアチームの試合に出るというので、私も応援に駆り出された。照りつける日射しで蒸し暑く、今年の最高気温を記録した日だ。作り物みたいな青すぎる空には雲ひとつなく、太陽だけが我が物顔で輝いていた。
 私は観戦が初めてだったので、ベンチに座っておとなしく観ていたのだけれど、相手チームにその姿を認めた瞬間、はっと息を飲んだ。
 その男の子がマウンドに上がっただけで、相手チームの応援席にどっと歓声が沸き起こった。

「成宮ー!」
「成宮くーん!」

 口々に応援席から名前が呼ばれ、男の子は軽く手を上げ応える。一見、調子に乗っていると思われそうな振る舞いも、不思議とサマになっていた。
 もしかして、もしかして――。緊張とも高揚ともつかない不思議な胸の高鳴りを感じ、私はその顔をひたすら凝視し続けた。

「鳴ー!」

 その名を聞いた刹那、それは確信に変わった。
 あの時の男の子だ。
 全身の血が暑さでふつふつと沸騰して、体中をすごいスピードで駆け巡っている感覚に襲われた。
 殺人的な熱量をもってじりじり照りつける、真夏の日射し。グラウンドからは熱気が立ち上り、地面は濡れたように蜃気楼でゆらゆら歪んでいる。太陽は次第に、高く、高く。声援はどこか遠くに響いてこだまし、頭がくらくらした。
 男の子――成宮くんが投球姿勢に入ると、周囲は水を打ったように静まり返った。力みのないフォームから放たれるボール。鞭のようにしなる左腕。

「ストラーイク!!」

 たった一球で、グラウンドの空気が変わった。私は応援を忘れ、ただただ彼に見入っていた。
 成宮くんは額の汗を腕で乱暴に拭い、ふーっと息を吐く。
 あいかわらず、野球帽から飛び出した柔らかそうな髪は、強い太陽の光を浴び、茶を通り越して金色に輝いていた。
 ピッチングを重ねるごとに、その輝きはいよいよ増してゆき、目が逸らせなくなる。私はただ圧倒されるばかりで、この感情を何と形容していいのかわからず、ひたすらその姿を、輝きを目に焼き付けていた。
 まるで、全身に無尽蔵なエネルギーを秘めているような人。まるで、他人の光なんか浴びなくても、一人で毅然と輝きを放てるような人。
 太陽みたいだと思った。
 そして――あの日、私は太陽の虜になった。

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