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 きっと俺は、生まれついての振り回され体質なんだろう。実に悲しいことに。
 その怪異の数々に気づいたのは、ほとんど偶然といっていい。気づかなければ、詮索しなければ平和な日常生活が送れていたかもしれないが、「もしも」の話なんて今さら言ってもしょうがない。

 八月下旬、夜。俺は寮を抜け出し、一人コンビニへと向かっていた。まだまだ残暑は厳しいものの、夜になると暑さは幾分マシになっていた。むわりとまとわりつくような熱気は収まり、丸みを帯びたような心地良い風が耳元を滑っていく。
 一年生の夏、俺の所属する稲城実業高校野球部は、準優勝をおさめた。頼れるチームの柱、キャプテンの原田さん率いる今年の稲実は、エースの鳴さんをはじめとする強力なレギュラー陣で構成され、チームの完成度としては非常に高いと言われていた。そんなチームをもってしても頂点を極められなかったのだから、全国のチームのレベルは相当なものだと、一年生ながら痛感した。
 しかし、試合後の先輩たちの表情は悔しさが滲む中にもどこか晴れやかさがあり、ほとんど試合に出られなかった俺としてはそれが嬉しくもあり、少しだけ悔しくもあった。
 俺は一年生でベンチ入りはしていたものの、責任のある場面では当然、黄金バッテリーに託され、俺の出番といえば、ほとんど勝ちが決まった試合でのリリーフの井口さんの女房役としてだった。
 本当は俺も、もっとあの舞台に立ちたかったんだ。
 もちろん、原田さんと比べると俺の実力なんかまだまだで、そんなこと言おうものなら鳴さんにバカにされるだろう。
 だがこれからは、俺は原田さんの後釜として、鳴さんと対等に渡り合っていかなければならない。そのためにはまず練習。俺は今まで以上に練習に打ち込むことを決意した。

 それにしても、なぜこんな遅い時間に俺がこんな所にいるのかというと、話は数十分前に遡る。
 自主練を終え、部屋で夏休みの課題をやっつけていた俺のもとに、いつもの不幸が舞い込んできた。

『樹、アイス食べたい』

 風呂上がりらしき鳴さんは、ドアを開けるなり開口一番こうだ。ワガママ、王様、暴君。自慢じゃないが、俺は鳴さんを例えるための表現には事欠かない。もし先輩じゃなかったらぶん殴る――もちろん、誰であっても俺にそんな勇気はないが――それぐらいのマグマのような怒りを内に携え、その百分の一ほどを小出しにして不満を訴えたわけだが、当然あの鳴さんには通用しなかった。
 知っている、俺が拒否できないことくらい。すげー悔しいことに。
 そんなわけで、俺は寮から一番近いコンビニに到着した。建物が発する煌々とした人工的な光に目を細め、ドアを押し開けると、ひんやりとした空気が体を包んだ。カゴを取り目当てのものを物色する。鳴さんに便乗して同室の先輩たちまで買い物を頼んだものだから、手間が増えてしまった。スナック菓子、ジュース類等を放り込んでから、冷凍庫へ向かう。

「――あった」

 “シェフの気まぐれアイス”
 これは鳴さんが最近ハマっているシロモノで、一個三百円近くする。マットな質感のゴールドのパッケージから、否応なしに高級感が漂っていた。ガリガリくんの方が値段も良心的で美味しいのに、アイスにこだわりのある鳴さんはこれじゃないと満足できないらしい。
 だが、死に筋とでも言うのか。ハーゲンダッツほど高価格なのに、それほどメジャーではなく、おまけに売れている様子もないので今にも店頭から姿を消しそうな商品だ。俺はため息をついてカゴに放り込むと、レジへ向かった。
 レジに並ぶと、ちょうど俺の前にお客さんが一人いて、お金を払っているところだった。
 線の細い女の子。ふんわりとした長い髪を一つに束ね、それが背中で可憐に揺れていた。華奢な体つきに似合いの淡い色のワンピースは膝上丈で、その下にほっそりとした脚が伸びている。
 振り向いたら、きっと美少女に違いない。俺は無意識に確信して、なおもその女の子を観察した。といってもジロジロ見るんじゃ怪しまれるから、時々弁当の方を眺めたり、スマホをいじってみたり。
 もし、アイドルみたいな可愛い子だったら――
 もちろん、そこからマンガやドラマみたいに都合良くロマンスが始まるわけがないことくらいわかっている。だが、妄想するだけならタダだ。
 その時ふと、彼女の脚に目が留まった。色黒というわけではないが、ふくらはぎはほんのり小麦色に焼けていて、わずかに覗く腿は、膝を境にしてびっくりするくらい白い。そのコントラストに、思わずどきりとする。
 同い年くらいに見えるから、きっと部活か何かで焼けたんだろう。そう思うと、不思議と親近感がわいた。
 彼女は袋を受け取り、店員にぺこりと頭を下げると、扉の方へ歩き出した。

「――あ」

 その顔を見た瞬間、つい声が漏れた。
 声に反応した彼女が、くるりとこちらを向く。するとわずかにだが、その肩がびくりと震えた気がした。

「多田野くん? びっくりした」
「あっ、えーと、なまえさん。……こんばんは」
「こんばんは。まさかこんなところで会うなんてね」

 なまえさんは、花が綻ぶような微笑みを浮かべた。

「買い出し?」
「はい、先輩たちに使われまくりです」
「みんな容赦ないなぁ」
「特にワガママエース様が……」

 ああ、と頷いたなまえさんは笑みを深くした。
 その手に持つやや大きめの袋はずしりと重そうで、表面にはわずかに水滴がついていた。
 何買ったんだろう。
 安い好奇心に突き動かされ、ちらりと袋に視線をやる。
 その様子がバレバレだったのか、なまえさんは袋の中身を取り上げた。その手には、ゴールドのパッケージのカップアイス。

「このアイス、最近ハマってて」
「へぇ、奇遇です。それ鳴さんも好きなんですよ」
「ああ、そうなの」

 なまえさんは平坦な声色で呟き、カップを戻す。

「じゃあね。夜も遅いし気をつけて」
「……あ、なまえさんも」

 その時、背後から急かすような男性の咳払いが聞こえた。俺ははっとして会計の続きへ向かう。
 店員がのんびりとした手つきで商品をスキャンしていくのを眺めながら、俺は先ほどの偶然について思いを巡らせていた。店員がガサリとアイスのカップをレジ袋に入れる。
 鳴さん以外にも、あのバカ高いアイスを買う物好きがいるんだな。
 そんなことを考えながらレジ袋を受け取っていると、

「多田野?」

 今度はレジの奥から知っている顔が出てきた。
 今日は知り合いによく会う日だ。

「山田? お前、ここでバイトしてんの?」
「おう、夏休みからやってんだよ」

 山田は同じクラスの男子で、席が近いため割と仲が良い。

「へぇ、バイトかぁ……」

 羨ましくないと言えば嘘になる。俺だって、高校生らしくバイトをしてみたいと思ったことは一度や二度ではない。自分で自由に使える金があれば、欲しいマンガやゲームが容易く手に入る。だけど今の俺は、もっと野球がうまくなりたいし、全国制覇だってしたい。稲実ならその夢が叶うと、本気で思っている。
 会計をしている店員が咎めるような視線を送ってきたので、山田は俺の腕を掴み、トイレの扉の前まで引っ張っていった。

「つーかそれより! お前、さっきの美少女と知り合いか?!」
「え? ああ、まぁ」
「誰?!」
「部活のマネージャー。一コ先輩の」
「まさか謎の美少女が同じ学校とは! 灯台元暗しだな!!」

 山田は興奮ぎみに鼻の穴を膨らませている。

「なんだよ? なまえさんがどうしたんだ?」

 だが今度は先ほどとは打って変わり、山田は声を潜め周囲を窺った。

「なぁ……ここだけの話なんだけど」

 と俺の肩に腕を回し、更に声を低くする。

「……あの子、実は殺人鬼なんじゃないかって店で噂してたんだよ」
「殺人鬼?!」
「ばかっ、声がでけぇ」
「わ、悪ぃ……」

 別に悪くないのについ謝ってしまった。真夏に怪談話はつきものだが、もうすぐ秋を迎えようとしている今、そんな話は寒気がするというよりかえって白々しい。

「――で、なんでお前はなまえさんのこと殺人鬼って思ったわけ?」

 山田は待ってましたとばかりに、それらしく神妙な面持ちを作った。ここが暗闇で、山田が顎の下から懐中電灯を不気味に照らしてくれたらまさに完璧だ。

「最初は二週間くらい前だったかなぁ……」

 山田がとつとつと語り始めた話を要約するとこうだ。
 最初に彼女と接触したのは、店長だったらしい。
 彼女はその日、例のアイスクリームを五個と、ロックアイスを一袋購入した。その時、彼女はこう言ったらしい。

『あのアイス、あまり売ってないので買えてよかったです。大好きなんです、すごく』

 ちょうどその頃、店長は売れ行きの悪かった“シェフの気まぐれアイス”の発注を止め、ほか商品を検討していたところだったという。しかし彼女の笑顔にやられた店長は、引き続き例のアイスを仕入れたらしい。

「それからだよ。三日に一度くらいかな、彼女が来るの。そんで他の商品には目もくれず、あのアイス何個かとロックアイスを必ず買ってくんだ。店長なんて、『お嬢ちゃんのために仕入れちゃうぞー』とかデレデレ言ったらしいし」
「へぇー……」

 先ほどは気づかなかったが、ロックアイスも買ってたのか。家族がお酒でも飲むんだろうか。
 なまえさんの奇妙な行動は確かに謎だが、普通に考えれば彼女、もしくは彼女とその家族があのアイスのファンで、ただ買いに来ているだけだろう。その奇行と怪談がどう結びつくっていうんだ。
 山田は疑り深い視線を送る俺に、なおも言葉を続ける。

「いいか? 例えばアイスはただのカムフラージュで、実は家に死体があって、腐らせないために氷買ってるとかな……」
「まさか。普通、そこはドライアイスじゃないか? 下手なサスペンスじゃあるまいし」

 山田は俺の言葉を無視して、

「でも、なーんかミステリアスな雰囲気だしさぁ、何かあると思わねぇ?」

 そう言って、にへーっと不気味に笑った。その顔に思わずゾーッとしていると、

「わーー!!」

 背後から大きな声がして振り向くと、大学生くらいの女性の店員が茶目っ気たっぷりに笑っている。
 先程の怪談話に突然の大声で、俺の心臓は飛び上がった。

「こーら山田くん! また友達にそんなくだらない作り話してるわけ?」
「作り話じゃねぇっすよ! でも本当の話にちょっとスパイス加えるだけで面白くなるっしょ?」
「もうっ、そんなとこで油売ってないでちゃっちゃと仕事に戻る!」
「へーい」

 山田はへらへらと返事すると、俺の顔を見てぷっと吹き出した。

「多田野、マジで怖がってやんの」
「なっ、別に怖くねーよ!」
「美少女が殺人鬼ってギャップがあっていいと思うんだけどなー。お前そんなん好きだろ?」
「おい、語弊があるぞ。美少女は好きだけど殺人鬼は――」
「ちったぁ涼しくなったか? 」
「……まぁ、多少は」

 苦笑混じりに呟くと、山田は踵を返してレジへ向かった。

「じゃあな、また新学期!」
「おー」

 その時、俺はふと思い立って「山田!」と呼び止めた。

「なぁ、さっきのって殺人鬼ってのは抜きにして、なまえさんの行動は本当の話?」

 レジに客が並び始めたため山田はぞんざいに「おー」とだけ応え、仕事に戻った。
 俺は手元のレジ袋にそっと視線を落とす。

「なまえさんが殺人鬼って……発想が飛躍しすぎだろ」

 ぽつりとひとりごちて笑った。
 みょうじなまえ先輩。二年生。我が稲実野球部の女子マネージャーだ。
 女の子らしいふんわりとした雰囲気をまとい、小動物を思わせる顔立ち、華奢な体つきはどこか庇護欲を掻き立てる。楚々として控えめな性格で、部内、ひいては校内でも可愛いと評されるほどだが、不思議と浮いた話は聞こえてこない。部員とももちろん会話はするが、元来大人しい性格なのか、自分から積極的に話しかけたりはしなかった。だが、愛想が悪いというわけでもない。
 先ほどすぐに気がつかなかったのは、私服だったからだろう。明日になれば俺は普通に挨拶するつもりだし、ここで偶然出会ったからといってなまえさんと親密な関係になるのを夢見るほど、俺の頭はおめでたくない。第一、なまえさんなんて高嶺の花すぎる。
 ただ、ほんの些細なこと――あの時、なまえさんの肩がびくりと震えたことだけが、少しだけ引っかかった。それに、どこか思いつめたような目をしていた気がする。
 その後、無駄話に付き合ったせいで寮へ戻る頃にはアイスが半分ほど溶けていて、俺は暴君の罵声を存分に浴びることになるのだった。

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