37. 優しい沈黙(前編)

 朝から雪がちらついていた。窓の外は綿毛のような雪がふわふわ舞い、景色は全体に白っぽく、雪のせいでやんわり明るく見えた。どこか暖かささえ感じる雪景色。
 午前中に母と買い物を済ませ、現在は台所で材料を切ったり、お鍋を出したりして準備をしているところだった。
 今日は12月30日。哲ちゃんたちの長い長い冬合宿がついに終わりを迎えた。23日から始まった合宿は、例年通りの過酷なものだった。ランニング、バッティング、素振り、ノックにサーキット、ウエイト、などなど、体力作りがメインであり、試合ができないぶんとことんストイックに追い込むことになる。先日、散歩がてらグラウンドを見に行った時には、それはもう部員たちが死に物狂いで練習に励んでいた。
 そんな中、提案したのは母だった。

「おじゃましまーす!」

 夕方。複数の威勢の良い声が玄関に響いた。
 哲ちゃんが出ていきみんなを出迎える。
 ぞろぞろと居間に入ってきたのは、純さん、小湊さん、増子さん、御幸くん、倉持くん。全員、合宿の疲れは残っているものの、今まで自由時間だったため十分に休息をとったのか、どこかすっきりした顔をしていた。
 今日は母の提案により、部員たちを家に呼んで鍋パーティーをすることになったのだ。キャプテンなんだからそれらしく振舞いなさいということらしい。
 みんなが「お世話になります!」とこれまたいかにも体育会系の勢いで言うと、母は早速手を洗うように促した。全体的にみんなソワソワしていて落ち着きがない。いつもは寮生活だから、家というものが懐かしいのかもしれない。もの珍しそうに室内を見回している。
 当たり前だけれど全員私服姿であり、私もなんだか新鮮な気持ちだった。
 私は廊下を歩く御幸くんに声をかけた。

「そういえばなんで御幸くんと倉持くんがいるの?」
「あー、なんか丹波さんたちが都合悪くなってさ。たまたまそこに居合わせた俺らにお鉢が回ってきたってワケ」
「へぇ、そっか」

 来るのが二年生だけと聞いていたので不思議だったのだ。それならと私は納得する。
 ほどなくして座卓を囲うようにして六人が席に着き、準備が整った。そこには鍋の他にサラダや唐揚げ、ポテトなどつまめるものが並ぶ。各々がコップを手に持ち、飢えた目で料理を見つめ、今か今かと待ちわびていた。増子さんのお腹の虫は元気よく鳴りっぱなし。
 小湊さんが隣に座る哲ちゃんへ視線をやる。

「哲、乾杯のあいさつしなよ」
「む? あいさつか。……よし」

 わずかに沈黙したあと、哲ちゃんはコップを高々と掲げた。

「俺達は誰だ……?」

 全員が締まった顔つきで「王者青道!!」と声を張りあげる。すると一瞬その場がしんとなり、みんなすぐ我に返った。

「誰よりも汗を」
「おい、コラァ哲!! 誰が試合前の掛け声しろっつったよ!!」

 純さんが噛みつくように吠えた。

「違うのか……?」
「あいかわらずの天然っぷりだね。思わず言っちゃったじゃん」
「ヒャハハハ! やっぱ哲さんサイコーッスね!」

 合宿の緊張感はどこへやら、とても和やかな雰囲気で結城家主催による鍋パーティーは幕を開けたのだった。

 お鍋は、その人の性格がよく出ると思う。哲ちゃんがいる手前の鍋は、食材が順番通り投入され、彩り良く盛られていた。ここのメンバーは哲ちゃん、小湊さん、増子さん。鍋奉行よろしく哲ちゃんが「白滝は肉から離して」とか「材料を入れたら中火に」とか解説を交えつつ細やかに世話をしていた。
 対する奥の鍋はというと――

「テメェら、先輩のためにおいし〜い鍋用意してくれんだろーな?」

 純さんがニヤリと口の端を上げふんぞり返る。

「はは、当たり前ッスよ! えーっと……」

 倉持くんは苦笑いしながら野菜の入ったボールを手にしている。その視線は、材料と鍋をせわしなく行き来して、見るからに焦っているのがわかった。
 御幸くんはあてにできないだろう。ここは助け舟を出すかと私が立ち上がった時、倉持くんの向かいからすっと腕が伸びた。

「まずは肉と魚だろ。こん中じゃ――ダシの出る鶏肉だな」

 御幸くんが慣れた手つきで、沸騰した鍋に鶏肉を投入しはじめた。

「次に根菜類……」
「ちょっ、おい!」
「ん?」

 迷いなくレンコンを投入する御幸くんに、倉持くんが詰め寄る。

「お前ってもしや料理男子……?」
「あー、なんつーかまぁやる機会があったってだけ」
「ふーん。すっげー意外なんだけど」
「オラ倉持! 先輩のコップ空だぞ空!」

 純さんが倉持くんに向けてコップを揺らす。すると倉持くんは「ハイ!」と元気のいい返事をしたあと、俊敏な動きでファンタをコップについだ。まるで先輩の酌に忙しい新入社員のようだ。
 私は料理を運びながら、みんなの楽しげな様子にどこかわくわくしていた。

 その後も私は食材を運んだり、食器を下げたりと忙しく動きまわっていた。
 それにしてもみんなよく食べる。寮での「必ず3杯以上食べる事」は強制みたいだが、もう胃がそれに慣れてしまっているのか、とどまるところを知らない食欲だ。哲ちゃんは普段は通いだから、こうやってみんなで食卓を囲むことができてどこかうれしそうに見える。
 私が食器を下げていると、純さんがこちらを向いて言った。

「おい、なまえも動いてばっかいねぇで食えよ」
「あ、今日はみなさんがお客さんなので、同じテーブルにつくわけには……」
「客ったって俺らだろ。――おい哲!」

 純さんの声に気づいた哲ちゃんが、微笑んでうなずいた。

「いーってよ。座れ」
「あ、すいません……」
「つーか、そんなもの欲しそうな顔で鍋見られてもなぁ」

 御幸くんは私を見て、意地悪なニヤニヤ笑いを浮かべた。

「なまえさっき腹の虫鳴ってたぞ。増子さんじゃねぇんだからよ」
「ちょっ、倉持くん!」
「はっはっはっ! 腹の虫って!」
「もー!」

 乙女の恥をさらした倉持くんには、小湊さん直伝のチョップを食らわしてやる。
 こうして私はそのお言葉に甘え、そのまま純さんの向かいに座った。

「よし、食え」

 純さんは豪快に具を大盛りにした鉢をよこす。私は鉢の中の緑色の塊を見た途端、げ、と焦った。

「あ、ありがとうございます。……でも、春菊ちょっと苦手で……」
「ああ?! 好き嫌いせずにちゃんと食え!!」
「……は、はい」

 私は苦手な春菊を大量の白滝と一緒に呑みこんで、先に処理した。ほぼ噛んでいない。近くの皿がいくつか空いたので、重ねて端に寄せる。そして食事を再開しようとした時、なぜかまだ鉢に春菊が残っていることに気付いた。私は首をかしげながらも、また苦労しながら呑み込む。向かいを見ると、純さんのコップが空だったので飲み物をついだ。それから再び鉢に視線を戻すと――

「……え……」

 緑。またあの緑が鉢の中に沈んでいた。まさか、春菊みずから鉢の中へ飛び込むなんてありえないから、こんな子供じみたことをするのは奴しかいない。すぐにぴんときた私は隣を見た。すると奴は、何食わぬ顔で御幸くんとしゃべっている。確信を抱いた私は、鼻息も荒く鍋から大量の春菊をすくい、奴の鉢へと放り込んだ。
 奴が会話を終え視線を戻した時、隣で息をのむ気配がした。

「テメェ、コラ……いい度胸じゃねーか。あ?」
「なんのことですか倉持さん」

 私は素知らぬふりで鍋をつつく。

「人の鉢に勝手に入れてんじゃねーよ」
「それは倉持くんじゃん!」
「あ? なんのことだか」

 あくまでも知らぬ存ぜぬを貫き通す倉持くんにむっとし、再びチョップをお見舞いする。

「っ痛ぇ! やんのかコラ!」
「受けて立つ!」

 倉持くんが座卓にガチャンと鉢を置き、私がファイティングポーズをとった瞬間――、脳天にびしりと、鋭い痛みが走った。

「「いたっ!」」

 隣の倉持くんも私同様、あまりの痛みに頭を押さえる。
 おそるおそる振り返るとそこには、手刀を構えて笑みを浮かべる小湊さん。本家本元の小湊チョップの威力は、私のなんかとは桁違いだ。

「二人とも、食べ物で遊ばない」
「亮さん……」
「小湊さん……」
「それから、火のそばでふざけるの禁止」

 小湊さんが仏のような微笑みで私たちを諭すけれど、その裏に般若が隠れていることは歴然だった。

「「すいませんでした」」

 私たちは全く同じタイミングで頭を下げ、おとなしく長いものに巻かれた。



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