34. 晴れた秋空の下(前編)

「いい加減にしろよ、運動部」

 いつも通りの平和な昼休みの教室。
 そんな空気を破るかのように、背後から思いがけずドスの効いた声を浴びせられ、俺たち――俺の机の周りに集まった、同じクラスの野球部員やサッカー部員――は一斉に振り返った。
 その視線の先には、クラス委員の山田が、不機嫌な表情で仁王立ちしていた。
 彼女は"クラス委員”を絵に描いたような勤勉な働きぶりであり、普段の態度は至って真面目。だからその粗暴な言葉遣いに一瞬、本当にそれが彼女から発せられたものなのかと、誰もが疑ったはずだ。
 俺はその態度に驚きつつも尋ねた。

「どうしたんだ?」
「顔すっげぇ怖ぇんだけど......」

 サッカー部の佐藤が続く。
 すると、山田はこちらをギロリと睨みつけて

「あんたたち、文化祭の準備全然手伝ってないでしょ。運動部だからって免除されるとでも思ってんの?」
「え〜、俺らも部活で忙しいんだって。見逃してよ」
「そうそう、大会ねぇ時だって死ぬほど練習してるし」
「準備なんて手伝ってるヒマねぇよ。適当にやっといて」

 口々に飛び交う言葉に、山田が顔を強張らせる。そして次の瞬間、それは一気に爆発した。

「忙しいのはみんな一緒でしょ! 甲子園や国立がそんな偉いわけ?」

 その言葉に、一同は押し黙った。
 野球部をはじめ我が青道高校は部活動、特に運動部が盛んだ。そのため、それらに所属する者は部活に割く時間が多く、学校行事をおろそかにしがちになる。

「ちょっとでも悪いと思うんなら、出し物手伝ってよね」

 俺を含め皆、神妙な面持ちでそれを受け止めた。
 確かに彼女の言い分はもっともで、学校でもクラスでも、運動部はそういったことが免除されるというのは暗黙の了解だったように思う。よくよく考えなくとも、彼女の不満は当然のことだ。
 俺は一つ頷いて口を開いた。

「......わかった。俺は何をすればいい?」
「結城正気か? 俺らのクラスはアレだぞ?!」
「そうだぜ! 人数足りねぇってことは、おそらくアレをやらされっぞ!」

 同じ野球部の槙原が必死の形相で訴えている。
 俺とて、出し物の内容はもちろん把握していた。だが皆、何をそんなに警戒しているのだろうか。確かうちのクラスは喫茶だったはずだ。メニューを作る役にしろ、手順を覚えるのは大変だろうが、慣れればさほど難しくないだろう。それとも教室のセットを作る役か。あいにく放課後は難しいが、休み時間でも当てればいいことだ。いずれにしろ文化祭は明後日。今から早速取りかかる必要がある。

「結城くん。今の言葉確かね? 男に二言はないわね?」
「ああ」
「マジかよ! 俺はやんねーからな!」
「だいたい俺ら普段から鍛えてんだぜ。悲惨なことになんのは目に見えてる」
「だが、俺たちはれっきとしたクラスの一員だ。部活が手伝わない理由にはならない」
「そうだけど......」

 そして、山田は俺を品定めするように見据えた。その瞳がキラリと光る。それを見た瞬間、俺は俺の役割を悟った。

「......源氏名はゆうきちゃん、もしくは哲子ちゃんでもいいわね。どうする?」
「......哲子で、頼む......」
「「そっちかー!!」」



 文化祭当日。一日目は去年と同様、気持ち良いくらいの秋晴れの下、幕を開けた。一日目は青道生のみ、二日目は一般の人にも公開されることになっている。
 教室内は普段とは違う、心地よい熱気に溢れ、誰もが楽しそうに作業していた。立派なセットや衣装に、工夫を凝らしたメニュー。俺たちが野球をしていた間に、こんなにも準備が進んでいたのだと、頭の下がる思いだった。

「......哲、いよいよだな」
「ああ」

 ざわざわ賑わう更衣室で、槙原と視線を交わす。俺も先ほど、準備を終えたところだ。
 我がクラスの出し物、その名も――“冥土喫茶”。まるで冥土、あの世に行ったかのような気分になり、信じがたい体験を約束するというコンセプトらしい。とにもかくにも分類上は喫茶店に属する。ただし、給仕は男子に限る。

「落ち着かねぇな......」
「ああ」
「股間がスースーすんな......」
「ああ」

 槙原の言葉に、俺は深く首肯した。
 あの日、山田に糾弾された俺たち運動部の面々は、若干の諍いはあったものの、結局全員給仕役に落ち着くこととなった。世間には、メイド喫茶なるものが存在するらしい。だがいずれも給仕は女性であり、あえて男性がその格好をするのが、今回の出し物の醍醐味だという。
 どういった経緯で用意されたのかは不明だが、俺たちは今、それぞれの身体のサイズに合った衣装を身につけている。槙原いわく、メイド服と言うものらしい。
 それは、足首まで丈のある黒地のシンプルなワンピースで、首元には白い衿が付いている。その上から、ふんだんにフリルのあしらわれた真っ白なエプロンを付ける。生まれて初めてのスカートは、股から足にかけてかなり心許ない感覚だ。
 着替え終えて教室へと戻った俺たちを、クラスメイトたちの火がついたような笑いが出迎えた。

「ひでぇ! こりゃひでぇ!」
「つかゴツすぎだろ! さすが野球部」
「あっちのサッカー部もなかなかのもんだぜ」

 似合わないのは自分でも重々承知のうえだが仕方あるまい。クラスのためだ。

「おーい! 野球部にウィッグ貸してやって。これじゃあまりにもひどいから」

 どこからともなく声が飛ぶと、衣装係の女子が現れ、俺にそれを手渡した。漆黒の長髪であるそれは、亮介の好むとあるホラー映画の登場人物を思わせる。
 俺はそれをそっと被り顔を上げた。

「どうだ?」
「......あれ?......」
「......なんかちょっとマシになったんじゃね?」
「全然ありあり! 結城くん、長身の美人さんって感じ」

 よくわからないが、受けが悪いよりはマシだろう。ふと隣を見ると、金髪のかつらを被った槙原がいた。

「俺はどうだ?」
「なし!」
「ない!」
「やっぱ男!」
「お前らちょっとは気ぃ遣え!」

俺は、ばっさり切り捨てられて落ち込む槙原の肩をそっと叩いた。




 いよいよ冥土喫茶が開店の時を迎えた。最初はまばらだった客も、昼が近づくにつれ徐々に増え始めてきた。そして、山田の付け焼き刃の指導によるあいさつがなんとか板についてきた頃。

「お帰りなさいませ、お嬢様」

 教室に入ってきたなまえは、俺を見た瞬間、石像のごとく固まった。後ろにいた友達も、なまえと似たりよったりな反応だ。無理もない、なまえには喫茶店としか伝えていなかった。

「......なにその格好......」
「メイドだ」
「髪が伸びてるけど......」
「かつらだ」

 俺たちはしばし見つめ合っていたが、やがてなまえたちは堰を切ったように笑い出した。

「そっ、そんな......そんな大きいメイドさんいないよ〜」
「なまえのお兄さん意外に似合ってます!」
「......案内する」

 俺はお腹を抱えて笑う二人を空いている席へ通す。我がクラスのこの出し物、おもしろいものが見られると密かな噂が広まり、改めて教室を見回すと、席は九割がた埋まっていた。なかなかの大盛況だ。
 最初はこの格好に抵抗を感じていた面々も、今はそれどころではないという風に、慌ただしく走り回っている。

「ご注文は」

 席に着いた二人からの好奇の目が少々痛い。少しでも他のきっかけがあれば、また爆発的な笑いが起こりそうな雰囲気が漂っている。

「じゃあ、このメイドさん手作りクッキーと紅茶を二つずつ」
「了解した」

 注文を伝えに踵を返した俺の背中へ、なまえは思い出したように「あっ!」と声をかけた。

「哲子ちゃんがんばって!」

 俺は危うく何もないところで躓きそうになった。
 しばらくすると、入口に見慣れた三人を発見したので、例の対応で出迎える。

「お帰りなさいませ、ご主人様」

 三人は俺を見てしばし硬直したあと、やはりと言うべきかどっと爆笑した。

「んだよ哲その格好ー! つか、ご主人様って」
「なかなかおもしろいね、それ」
「うがうが!」
「......案内する」

 俺は、純、亮介、増子を席へ案内するため周りを見渡したが、残念ながら教室内は満席だった。だが、純たちの姿を認めたなまえが手を振り

「相席でもいいよ」

 と言ったので、そのまま席へ通す。
 依然として、皆のぶしつけな視線が容赦なく俺を襲った。

「ご注文は」
「やっぱすげーな、そのカッコ」
「よくそんなサイズあったよね」
「ああ、俺も驚いた」
「哲ちゃんそのかつら似合ってるよ」
「......そうか」

 皆、好き好きに意見を交わしている。
 俺は何気なく亮介の小さな桜色頭に視線を落とした。

「亮介の方がこういうの似合うんじゃないか?」
「......哲。その格好の写メ、野球部全員に送るよ?」
「小湊さんほら! 哲ちゃん天然だから!」

 不穏に口の端を上げる亮介をなまえが懸命に制する。俺は何かおかしなことを言っただろうか。
 すると、なまえは改めて俺をじっと見つめて恥ずかしそうに呟いた。

「......私も、ちょっとだけその格好してみたいかも」
「あ? なまえ、メイドってガラじゃねーだろ」

 純がカラカラと笑い飛ばしたので、なまえが「そうですけど......」とむくれる。

「純って少女マンガ読んでるわりに、時々びっくりするほどデリカシーないよね」
「うが......」
「んだよ」
「まぁまぁ! ちょっと思っただけですから」

 その後、なまえたちに注文の品を運び終えたところで客足は一旦落ち着き、俺はやっと一息つくことができた。
 いつ呼ばれてもいいように、盆を抱え客の様子を窺いながら立っていると、山田がつつと俺の方へ近づいてきた。

「結城くん、一旦お疲れ様」
「ああ、山田もお疲れ様」
「......ね、アレいいの?」

 と、山田はなまえたちの席へ控えめに視線を向ける。

「何がだ?」
「だって結城くんの彼女、ヒゲと仲良さそうにしてるよ」
「あれは妹だ」
「妹?!」

 驚いた山田が素っ頓狂な声を上げる。それからしげしげと眺めたあと、

「ふぅん。じゃあ妹さん、ヒゲに結構なついてるのね」
「山田の目からもそう見えるか?」
「まぁね」

 俺たちはしばらくの間並んで立っていたが、唐突に山田が、ねぇ、と呟いた。

「......この間はごめんね」
「何のことだ?」
「『甲子園がそんなに偉いの?』って言ったこと」

 ああ、と俺は得心した。

「結城くんたちは修学旅行にも行けなかったのに、その気持ちも考えないで」

 そうだ、俺たちは昨年自身が危惧した通り、甲子園にも届かず修学旅行にも行けなかった。全ては力が足りなかったせいだ。込み上げる苦い思いを一旦ぐっと飲み下し、俺は山田の方を向いた。

「まだ来年の夏がある。それまで俺たちは死に物狂いで練習を続ける。夢のままでは、絶対に終わらせない」

 山田はつかの間、ぼぅと俺の顔を見つめたあと、気まずそうに視線を逸らした。

「わかってるわよ。結城くんたちががんばってることなんて。でも、たまにでいいからクラスのことも手伝ってよね!」
「ああ。山田もずっと応援に来てくれてありがとう」
「なっ?!」
「野球部の応援、ほとんど来てくれていただろう?」

 山田は一瞬、言葉に詰まり

「がんばってる人を応援するのは当然のことでしょ!」

 と真っ赤な顔をしながら廊下へと駆け出してしまった。
 何か怒っているのか、今日は亮介に続き俺は二度も失言してしまったらしい。ただ山田の怒った原因だけは、何度考えてもわからなかった。





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