Line of demarcation 3
柴田の頼んだビールの泡は最初に注がれた時より少なくなり、あつあつだったおでんからの湯気は少ししか出ていない。
課長にどやされた花金に、何故見知らぬ男にまで説教を食らわなければならないのか。仕事の失敗を屋台の親父に聞いて貰う為に来たはずなのに、夕飯を邪魔された挙句、何故酔っ払いに絡まれているんだろうか。
言い表しようのない不満が、柴田の腹の辺りに溜まっていく。
「良哉」
女の声に対峙していた二人は振り返った。黒のスーツにピンクのシャツ。男のようにネクタイはつけておらず、ボタンはラフに二つはずれていて、胸元のシルバーのアクセサリーが覗いている。落ち着いた黒のヒールが地面とぶつかりこつこつと高い音をならす。女は巻き毛の長い茶色の髪を左右に振りながら、足早に走ってくるところだった。
「良哉、こんなところで何してるの、さき帰ってご飯作っといてって言ったでしょ?」
少し強い女の口調、気の強そうな女で自分の好みではないなとどうでもいいことを考え、柴田は女から男の方に視線を戻した。先ほどから絡んでくるこの酒飲みの名前は良哉というらしい。
「ああ、悪かった悪かった。でも花金くらい外で食べないか?」
「あなた昨日もそれ言ってなかった?」
目に見えて言葉に詰まった良哉という男に、柴田は妙な快感を覚えた。女の登場で怒りはそれたが、この酒飲みの納得のいかない行動が否めなかったのも確かだ。
男のそれもいつものことなのか、女は細長く呆れた息を吐いた。
酒飲みにいくらいくらいっても、馬の耳に念仏。それは万国共通の言葉であり、ここでも例外ではないらしい。
女は男から視線を離し、隣に座っていた柴田に目を移した。さりげなく柴田を上から下まで見回すところを見ると、女でもエリートクラスのOLに入るのではないだろうか。
「ごめんなさいね。この人、酒が入ると収集付かなくて……」
全くだ。と柴田は大いに頷きたいところであったが、何とかその衝動を押さえ込んだ。代わりにポケットから煙草を取り出し、銜えて火をつける。
「あ、煙草のことでなんかグチグチ言われなかった?」
「言われました。何で煙草を吸っているのかとか」
「ここでもやったのね」
女は頭を抱えた。
当人の男はいつの間にか机に突っ伏していびきをかいている。女の整った顔立ちは、目元に刻まれた隈もあってか少し老いてみえた。
「本当にごめんなさい。ああ、もうホントどうしよう」
「いや、別にいいですよ」
「本当にごめんなさいね。今度何かお詫び入れますから、名前と電話番号教えてくれるかしら」
出来るエリートはここが違うのだろうか。問題があってもすぐに対処できる、頭脳と器量がある。それも相手が不快に感じていたところを綺麗に包み込み、かつ最善の方法でその場を納めることが出来る。
それが凡人とエリートと呼ばれる人種を分ける決定的な何かなのだろうか。
もしそうなのだとしたら、柴田はこの先あまり出世もなく人生を終えていくのだろうと女の顔を見ながらぼんやりと考えた。
「どうしたの? 私の顔に何か付いてる?」
「いえ」
煙草の入っているポケットとは別のほうに手を伸ばし、名刺の入っている入れ物から名刺を引き出すと、女に渡した。女はそれを受け取り、代わりに自分の名刺を差し出す。
柴田は受け取った名刺を見流し、ポケットに入れた。