08


「呪いの類……だとしても、出処を探すのは骨が折れそうだよい」

マルコは大きく息を吐いてかぶりを軽く振った。その時――

 助けて!

「!」

微かに聞こえた声にピクンと反応したマルコは踵を返して大部屋を飛び出した。すると、通路には死した亡者が複数、ゆらりと蠢きながらマルコを見やった。

「あんた、生気があるな」
「生者がいる」
「こっちへ来い」

――死者の世界へ――

いちいち相手にしていられるか、とマルコは地面を強く蹴って彼らの頭上を飛び超えた――が。

「げっ!?」

壁から天井から顔や手足が埋め尽くす程に死者で溢れてマルコに掻き付かんと襲い掛かって来た。

「本当に……、骨が折れる!」

イラッとしたマルコは、拳に溜めた霊波をぶっ放して強行突破した。そうして向かった先は武器庫だ。ドアを開けようと手を伸ばした時、ピタリと止めて後方へ飛び退いた。と同時にドアが静かに開かれる。
マルコは目を見張った。
大きく揺らめく影。頭部は牛か、薄らと黄色く光る目らしきものがマルコを捉えている。
恐怖して震えるレイムを盾にして、三叉槍をレイムの首に当てがいながらマルコを見据える様に、マルコはチッ!と舌打ちをして影を睨み付けた。
呪いの一種。大方そんなところだろう――確かにそう、思う。しかし、相当邪悪なものだ。

「マル…コ…隊長……?」

震える唇を動かしてレイムは声を発した。それにマルコはふっと表情を和らげてレイムに目を向けた。

「な……で……」

何故、どうして、ここに、この世界に、あなたがいるの?
疑問を言葉にできないレイムだったが、それはマルコの胸の内に声となって大きく響いた。
マルコは僅かに口角を上げたが、直ぐに真剣な表情へと変えて影に意識を向けた。

「そいつはおれの“大切な“部下だ」
「!」
「素直に返さねェなら、力尽くで奪うが……どうする?」

両手に青い炎を発して敵意を向けるマルコに、影はレイムに当てがっていた三叉槍を引いた。それと同時にマルコに目掛けてレイムの体を強い力で投げ飛ばした。

「ッ!」

返す為に投げ飛ばした、では無い。明らかに攻撃的なものだ。驚いたレイムは咄嗟に目を瞑ったが、予想した衝撃が無かったことに疑問を抱いて目を開けた。

「!」

マルコが翳した手から発する青い光がレイムの体を包んで宙に浮かしていた。どうやって勢いを相殺したのか、何とも不思議な力だ。ふわりと浮いた体がマルコの腕へと落ちる。呆然としたレイムは、少ししてハッと我に返った。

ちょ、待って、これって、ま、マルコ隊長に横抱きされてる!?

見上げれば間近にあるマルコの顔。その真剣な眼差しが向く先は、三叉槍を持つ影。倣うようにしてレイムが視線を向けると、影の目がゆっくりと細められた。
まるで笑っているかのような気配だ。
それはマルコに対してなのか、レイムに対してなのか、それとも――二人に対してなのか……。どういう意図を含んでのものかはわからない。
影はゆっくりと後退して渦の中へと姿を消した。それと共に渦もスッと消えて武器庫は普段と変わらない様相を取り戻した。

「大丈夫かい?」
「え、あ、はい」

武器庫に目を向けたまま返事をしたレイムはゆっくりと戻して――瞠目した。見下ろすマルコの青い目とバチッと視線が重なる。その距離があまりに近過ぎて、また違った恐怖に襲われて酷く狼狽した。

「あぁぁの、すみません! た、た、立ちます!」
「いや…、たぶん無理だろうよい」
「だ、大丈夫です、から!」

新人の分際で隊長に抱えてもらうなんて烏滸がましいにも程がある。このような姿を1番隊の隊員達に見られでもしたら後でどのような仕打ちが待っているか……。これまで通り気にすることは無いが、決して良い気分にはならない。
そんなレイムの心情を汲んだのか定かでは無いが、片眉を上げたマルコが「じゃあ立ってみろ」とレイムの足を下ろした。そして上半身を支える手も離すとレイムは「あれ…?」と声を漏らしながら力無くペタンと地面に座り込んだ。

た、立てない……、どうして?

瞬きを繰り返して地面に手を突いて立ち上がろうとするが足に力が全く入らないのだ。
まさか、これが俗に言う”腰を抜かした”ってやつだろうか? レイムが困惑していると再び背中と膝裏にマルコの腕が通されて抱き上げられた。

「よっぽど怖かったんだろうなァ」
「え?」
「恐怖で魂が擦り切れて衰弱してんだ」

だから立てねェんだよい、とレイムを見下ろしながらマルコは言った。

「ッ……!」

不思議なことを言うマルコにレイムは目を見張ってコクリと息を飲み込んだ。

この人はまさか――同じ力を持ってる? いや、違う。行方不明となる前はこのような特異な力を感じることは無かった。それに、どうやってこの世界に来れたのか。”見える”自分でさえ、生者と死者の区切られた世界があるなんて知りもしなかったというのに……。それに――
あの青い光も凄く不思議な力だった。妙に心地が良くて安心できる温もりを感じた。

「早く戻らねェとな。下手すりゃあ二人して死んじまうよい」

くつくつと喉を鳴らして笑ったマルコは、おれの方に頭を寄越せ、とレイムの頭を首筋に寄せて足早に自室を目指した。
トクン、トクン、と柔らかく脈打つ心音はどちらのものか。何だか凄く疲れた。とても眠い。レイムは胸元に置いている手をギュッと握り締めて懸命に起きてようとしたが、マルコの体温と振動があまりに心地が良くて、耐え切れずに瞼を落として眠りへと落ちた。
腕に掛かる重さが少しだけ増したのを感じたマルコは自室の前でレイムの顔を覗き込んだ。

「眠っちまったか……。自力で戻ることはできねェか」

肉体のある自室に入ってベッドに寝かした。”表の世界”と同じ体勢にした方が戻し易い上に、”他者が入り込むのを防ぐ”ことにおいても最善だからだ。そして――

「……?」
「お、目ェ覚めたか」
「マル…コ…隊長……?」

眠りから覚めたレイムは体を起こしたが、寝ぼけ眼を擦りながら依然とぼーっとしている。青白かった顔色は血色が戻って健康そのもの。それは無事に裏から表へ無事に戻って来れた証拠とも言えるが――まだ眠いか? とマルコはレイムの鼻先を軽くつまんだ。

「んがっ!?」

驚いて妙な声を漏らしたレイムが咄嗟に顔を動かした。パッと離れたマルコの手はレイムの頭に移動してくしゃくしゃと撫で、くつくつと笑うマルコに対してカアアと顔を赤くしたレイムは「何するんですか!」と声を張って抗議した。

「そんだけ声が出りゃあ大丈夫だな」
「ん……?」
「戻った時はまだ血の気が無くて反応も薄かったから気が気じゃなかったよい」

眉尻を下げて笑うマルコにレイムは目を丸くした。そんなレイムの反応に「どうした?」とマルコが首を傾げるとレイムはポツリと答えた。

「いえ、今までおれに向けて隊長が笑ってくれたことなんて無かったから、そんな風に笑うんだなァと思って――」
「……」
「――って!? な、何言ってんの”私”! あわわ、すみません! そ、その、気を悪くされたかと思うので、あぁぁやまります! 大変申し訳ありません! ごめんなさい!」

酷く狼狽しながらレイムは勢い良く頭を下げた。以前なら決してこんなこと、思ったとしても口にしたりしなかったはずだ。なのに、どうして――。
急に距離が近くなった気がした……いや、無い。これはただの自分の勘違いだ。だから以前みたいな……いや、もっと酷い、再び死者の世界に送り返されるレベルの雷が落とされるかもしれない。謝ったところで許してはくれない。信用できない新人を、マルコ隊長が簡単に許したりなんか――

「ぷっ…くく…」
「――え…?」

頭を下げたまま目を丸くしたレイムは恐る恐る顔を上げた。バチッとお互いの視線がかち合うと、途端にマルコがフハッと堪え切れずに噴き出して腹を抱えながら笑い始めた。

「凄ェ想像豊かだな! くくっ、そ、それも、マイナス思考のオンパレードと来た。どこまで落ちてくのかと黙ってたら引っ切り無しに悪い方ばかり考えてやがるから」

呼吸を乱して目に涙まで浮かべて笑っているマルコに対してレイムはポカンとした顔で見つめている。

「おれは、何も、くっ…、何も、言ってねェってのに、ハハッ、勝手に一人で百面相しやがるから、」

目元を指で拭いながらそう話すマルコは何だかとても嬉しそうだ。反対にレイムは表情を曇らせた。上司と部下――それも裏切りの前歴を持つ新人――が生意気にも親し気な口の利き方をして不快な気持ちにさせたかもしれないと思って、ただ真面目に、真剣に反省して謝罪をしただけだというのに、どうしてそんなに笑うのかと不快に思った。

「気付いてねェのか?」
「何を…ですか?」

マルコの問いにレイムは無愛想に聞き返した。今まで通りに表情を無くして、淡泊に対応し始める。それにマルコはしょうがねェなと短くフッと息を吐いた。

「本来のお前はそんな無愛想で淡泊な奴じゃあねェだろ」
「何故そう思われるのかわかりませんが――」
「怖くてビビりで泣き虫な”私”……だろよい」

そんでもって寂しがり屋だ、とマルコは言った。レイムは顔を俯かせてギュッと拳を作った。

「…が、わかる…わけ――」
「私の何がわかる。わかるわけない」
「――!?」

明瞭な言葉にならなかったレイムの思いを言い当てるマルコに、レイムはバッと顔を上げた。

「な、んで……」

そんな優しい目を向けてくれたことなんて今まで一度も――誰も――無かったのに。
眉尻を下げたレイムは唇を噛み締めて頭を振った。涙が浮かんで泣きそうになるのを必死に我慢してると、マルコの手が握り締めるレイムの手に重ねられた。

「今ならわかる。だから、頑なに閉じた心を開いてくれねェか?」
「……」
「レイム」
「ッ……」
「もう本当の自分を抑え込むな。嘘で固めた自分で偽り続けるのは終わりにしろ」

マルコはそう言って固く握りしめるレイムの手を取った。一つ、一つ、ゆっくりと指を解して開かせて、そうして緩んだ手をギュッと握手した。

「おれの霊気はお前と同じ青だ」
「れ…いき……?」
「魂が持つエネルギーって言えばわかるか?」

マルコに握られた手を見つめながらレイムは小さく頷いた。
明確に理解はできていない――が、雰囲気的に何となく理解できるといったところだろう、と微笑を口角に浮かべたマルコは話を続けた。

「おれは見える者」
「!」
「触れることもできるし声も聴ける」
「まさか……、そんな嘘――」
「じゃねェ。本当だよい」
「――でも以前は全然」

そんな様子も気配すらも無かったのに……、とレイムは唇を震わせた。それに俯き加減に頷いたマルコがレイムの顔を覗き込むようにして言った。

「行方不明になっている間に開眼したっつったら笑うか?」

開眼って……、とレイムが戸惑い気味に呟いた。マルコは一度視線を外して机を見やりながら「そうだな……」とポツリと呟き、再びレイムに視線を戻した。

おれとお前――
同じ種類の色を持ち似た性質である力を持つ者同士。話せばきっと理解してくれる。そして、必ず信じてくれる。

宴が始まる時間まで、まだ余裕がある。マルコは行方不明となっている間に何が起きたのか、船長室で報告した内容以上を、事細かく詳細に、レイムに話すことにした。
最初こそ疑いの目を持って黙って聞いていたレイムだったが、握り締める手先から不思議と伝わって来るマルコの心に嘘偽りが無いことを感じ取ると、真剣に耳を傾けてマルコのことを信じ始めた。その内に疑問を口にして質問したり驚いたり、ちょっとした笑い話にプッと噴き出したり、と表情豊かに受け答えをするようになっていた。

頑なに閉じていた心がやっと開いた。
本来のレイムが漸く出て来てくれた。

マルコは満足そうに顔をほころばせながら話を続けた。
それでそれで? どうなったの?
マルコの話に夢中で聞き入っていたレイムが続きを催促すると、待て待て落ち着け、凄ェのはここからだ、とマルコは屍鬼との戦いを揚々と語るのだった。

解放

〆栞
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