03


ここは見覚えのある場所だった。偵察に訪れた時、突然の雷雨に見舞われて降り立った場所がまさにここだ。遠方を見やると白波が打ち寄せる砂浜に幾つかの小船と複数の人影。近海には酷く懐かしい船が停泊していて思わずドクンと心臓が跳ねた。

「もう遠くに行っちまったもんだと思ってたが、有難ェ」

無事に戻れたことに嬉々としているのか、妙に忙しなく跳ねる心臓。それを落ち着かるかのように自ずと胸に手を当て、深呼吸を繰り返してから微笑を零した。そうして足を一歩踏み出そうとした時、ガサッという葉擦れの音を耳にして咄嗟に振り向いた。

「!」

懐かしい顔に目を丸くした。その相手もまた同じように目を大きく見開いて、「マルコ!」と開口一番に声を上げた。

「サッチ……」

サッチは懸想を変えて駆け寄った。そして、マルコの胸倉を掴んだ。

「おい、何し」
「てめェ! 今までどこに居たってんだよ!」
「――ッ……!」

悲痛な表情に気付いたマルコは言葉を飲み込んだ。
『心配掛けさせやがって』――そう訴えていたからだ。

「悪かったよい。けど……、今はまだ話す気にはなれねェんだ……」

離してくれとばかりに胸倉を掴むサッチの手にそっと手を重ねて軽くポンポンと叩いた。しかし、サッチは眉間に皺を寄せて尚も怒鳴った。

「てめェ、どれだけ皆が心配したと思ってンだ!?」
「……」

マルコは無言のままサッチを見つめるだけで反論も抵抗もしなかった。いつもなら「五月蠅ェ。悪かったって言ったろうが、いい加減に離しやがれ!」と、逆ギレしても可笑しくない。――なのに、力尽くで振り払おうとすらしない。
不審に思ったサッチは訝しげな表情を浮かべた。

「お前ェ、マルコ…だよな……?」

僅かに片眉を上げたマルコはフッと笑みを零して小さく頷いた。しかし、それが更なる混乱を与えたのか、サッチは苦悶に似た表情を浮かべるとギリギリと歯軋りをして唇をグッと噛み締めた。

「ハハ、なんつぅ変顔してんだい!」

気持ちが落ち込んでるところで笑わせるなよとばかりにマルコは笑った。

「てめェのせいだってェの!!」

マルコの胸倉を掴んでいた手を乱暴に離してサッチは叫んだ。そんな光景を少し離れたところで見つめる一人の隊員は、マルコが見つかったことを報告しようと踵を返した。

「新人!!」
「!」

背後からサッチに呼ばれて思わず足を止めた。ゆっくり振り向くとサッチが小走りで駆け寄って新人隊員の腕をガシッと掴んだ。

「な、何を――」
「マルコ! こいつもお前を一生懸命探してくれたんだ。礼を言ってやれ!」

サッチはそう言って新人隊員の腕を引っ張った。

「いや、あの、別に大したことは……!」

新人隊員は困惑して首を振った。しかし、サッチは強引にマルコの元へと引き連れた。その一方、マルコは新人隊員を見て少し眉を顰めた。

あー……、誰だっけ……?

白ひげ海賊団の一員として加わった新人の存在をマルコが覚えていないのは無理も無かった。共に過ごす間も無く行方知れずとなったのだから。
直ぐ目の前に立った新人隊員を見つめながら少し目を細める。見覚えがあるような無いような――。

「マルコ、ほら、礼を言え! お前の部下だろうが!」
「サッチ隊長! おれはそんな――」

新人隊員がサッチに首を振った時、「お前ェ……」とマルコが口を開いた。

「ッ…!」

新人隊員は思わずヒュッと息を飲み込んでマルコに向き直した。

「名前は?」

マルコの問いに新人隊員の身体が少しビクンと跳ねた。そんな新人隊員の反応に苦笑したサッチが新人隊員の頭に手を置いてボンボンと弾ませた。

「こいつ、名前を教えてくれねェんだ」
「!」

まるでチクる様な言い方だ。新人隊員は勢い良くサッチの方に顔を向けて口をハクハクと開閉を繰り返し、マルコは片眉を上げた。

「名前を教えてくれねェって、どういうことだ?」
「ち、違います! ただ、おれは周りから『新人』って呼ばれてますから、そう答えただけで……!」

新人隊員が慌てて理由を答えると眉を顰めたマルコはサッチに目を向けた。
1番隊の隊員達が末端隊員である新人の名前を真面に呼んだことが無いこと。信用が全く無い不和な関係からそれが生じている等々、サッチは軽く肩を竦めて説明した。

「まあ、気に入らないってとこか」
「気に入らねェだって?」
「ほら、こいつが加わって間無しにどこかの誰かさんが長ェこと行方不明になっちまったからなァ」

最終的に『隊長であるマルコが悪い』と言うかのような責め苦が混じった科白だ。

「それは……」

思わず苦虫を噛み潰した様な表情を浮かべたマルコは、ガシガシと頭を掻くと肩を落として「悪ィ……」とポツリと零した。


その間、新人隊員は二人の間で軽くオロオロしていたが、マルコの謝罪の言葉を耳にして小さく首を振った。

「レイム……。名前は、レイムです」
「あ、そうそう。なんかちょっと聞き慣れねェ変わった名前だったよなァって思ってた」

サッチはスッキリしたとばかりに新人隊員であるレイムの肩に腕を回した。

「えっ、ちょっ……」
「レイム! 改めて宜しくな!」

サッチは意気揚々と挨拶を交わした。しかし、レイムは対照的に「あ、はい」と乾いた返事だけ。

「んまー、淡白!」

サッチはガクリと項垂れた。そんな二人のやり取りを見つめるマルコは、腕を組んで小さく溜息を吐いた。

まるで異世界での出来事が全て嘘だったみてェだ。

ほんの数刻前、異世界で世話になった恩人と惜しむように別れて戻って来たというのに、様々な感情が入り乱れる複雑なこの気持ちを、静かにゆっくりと整理して落ち着かせたかったというのに……。

「サッチ」
「おう、何だ?」
「モビーに戻ってオヤジに報告しねェとよい」
「あー、そうだな」
「あの、おれが先に戻って報告を」
「いや、おれっちが先に戻って報告しとくから、レイムはマルコと一緒にのんびり戻れば良いから」
「え!?」
「先に上司との距離を詰めりゃあ周りも認めてくれるだろうぜ」
「そ、そんな、」
「じゃ、お先に!」
「――あ!」

変に気を遣わなくても!――とレイムがサッチに向けて出した制止の手が虚しく宙を掻く。

「レイム」
「ッ…!」

マルコに呼ばれてハッとしたレイムは、凄い勢いでマルコに向き直して背筋を正した。まるでどこかの海兵隊員のような反応だ。目を丸くしたマルコは噴き出すように笑った。

「ハハッ! そんな緊張すんなよい」
「うっ……、す、すみません」
「まぁ、"人見知り"だから無理もねェか」

片眉を上げながらマルコは穏やかな笑みを浮かべた。

「!」

自分に向けて初めて見せるその表情にレイムは驚いた。
行方不明になる以前のマルコは、レイムに対して疑心を奥に秘めた鋭い目を向けて素っ気も無く厳しい対応をしていた。なのに、今は全てを理解して受け止めてくれるような包容力がある。まるで人が変わったかのように――温かくて、優しい。
酷く戸惑うのは仕方が無いことだ。レイムの心情を汲み取ったマルコは、そっと手を伸ばしてレイムの頭に触れた。ビクンと反応して身を竦ませるレイムに苦笑しながら宥めるように
優しい手付きでくしゃくしゃと撫でる。

「お前を知ろうともせずに疑ってばかりで悪かったよい」
「え!?」
「ごめんな」
「そ、んな……、だって、それは――」

元々は襲撃した側の海賊の一味で、偶々白ひげの目に止まって声が掛かっただけで、世界最強と称される海賊団の一員にしてもらえるならと仲間だったはずの一味をあっさりと裏切って寝返った身なのだ。容易に信用できないのも、いつ何をするかと疑い警戒するのも、至極当然のこと。

「間違ってない。マルコ隊長は間違っていません」
「……」
「おれみたいな経緯で一員になった奴を直ぐに仲間だと受け入れるなんて、簡単にできないことぐらい理解してます」

おれだって敬遠しますよ、とレイムは何とか笑みを浮かべる。しかし、それは何ともぎこちない。無理をしているとわかる程に。

「謝らないでください。それこそ間違いかと」
「……そうかい」

モビー・ディック号が停泊している海辺に続く森の道をレイムは足早に歩き始めた。
これ以上はあまり話したくないとでも言いたげな空気を纏うレイムの背中に、マルコは頭をカリカリと掻いて、やれやれと軽く溜息を吐いてレイムの後に続いた。
暫く無言のまま歩いていたが「なあ、レイム」とマルコは声を掛けた。突き進む足をそのままにレイムが振り向いた。
その表情はあまり良いものでは無い。無表情のように見えるが、妙に苛立っているのを感じる。

話したくないから?
いや、違う。
これは――

マルコは目を細めた。

ここは嫌だ。気持ちが悪い。早く離れたい。一刻でも早く、遠くへ――死にたくない。

はっきりとした声が流れて来た。隊長と二人きりだから緊張して嫌だというのでは無い。
何かを感じ取って嫌といった様子だ。
片眉を僅かに上げたマルコは、レイムから顔を逸らしてどこを見るでも無く少しだけ間を取った。
に関しては後々落ち着いた頃で良いとして、とりあえず先にはっきりしておくことがある――と、ふっと小さく息を吐いて「言うべきかどうか迷ったんだが」と前置きを口にして話を切り出した。

「周りの奴らから舐められねェようにってのはわかるよい。でも、」

急にまた何の話ですかと浮かない顔をしたレイムがマルコを見つめると、逸らしていた顔をレイムに向けたマルコは口端を少し上げて言った。

「――男のふりは、ちょっと似合わねェかもなァ」
「!?」

大きく目を見開いたレイムはピタッと完全に足を止めると叫んだ。

「な、何で!」

わなわなと震え始めて焦燥に駆られるレイムの反応から見るに、それは今の今まで誰にも『女であること』をばれたことが無かったという証拠そのもの。
白ひげ海賊団の一員になっても男として上手く隠し通せていた。現に行方不明となる前のマルコもレイムを『男』として認識していたはず。

どうして?

酷く動揺して狼狽えるレイムは、マルコから一歩二歩と後ずさった。

「まあ落ち着けよい」
「だ、て…」

震える唇を動かして消え入りそうな声を漏らすレイムに、なるだけ柔らかい声音で話すよう心掛けてマルコは続けた。

「以前のおれなら見抜けなかった。だが、何でも直ぐにわかっちまうんだよい」
「何…で…も……?」
「女だとばれたからって悪いようにはしねェ。だから、」

言葉を切ったマルコはレイムを真っ直ぐ見据えると、強くはっきりとした口調で言った。

 ――おれを信じろ――

「!」

目を見張るレイムに口端を上げて微笑を浮かべたマルコは、「よし、じゃあ行くか」と歩き出した。その背中をレイムは呆然として見つめる。

――まさかそんな言葉をくれるなんて――

僅かに眉尻を下げてギュッと唇を噛み締めた。
行方不明となっていた間、本当に何があったのだろう。家族と認めた者以外にはとても厳しく警戒心の塊のような鬼隊長といった印象でしかなかったのに……。

「レイム!」
「え…?」
「突っ立ってねェで早く来いよい!」
「あ、は、はい!」

ハッとして軽く頭を振ったレイムは、急いでマルコの後を追った。

変化

〆栞
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