03


船医室に入ると早速部屋の中央にある診療台へマヒロは寝かされた。そこではヒョウ柄のニーハイブーツを履いたナース服の女性達が忙しそうに働いていた。マヒロは横になりながら彼女達の出で立ちに少々驚きつつも息苦しさのせいか大人しく指示を待った。

「マヒロ、悪ィが服を脱がすよい」

マルコはそう言うとマヒロの道着の腰帯に手を伸ばした。

「え、ちょっ、ま、マルコ隊長!?」

マルコの行動に側に居たナースが驚きの声を上げた。それは彼女だけでは無く他のナース達も同様に驚いていることから、恐らく彼女達の知る普段のマルコからは想像し得ない行動なのだろうとマヒロは思った。

腰帯を解いてマヒロのシャツの裾を捲り上げようとするマルコに側にいたナースは顔を赤らめて驚き固まっている。
そんな中、彼女達ナースを取り仕切る者と思われる一人のナースが声を掛けた。

「ジル、固まっていないで輸血の準備よ!」
「は、はい!!」

窘められて慌てて輸血の準備をするジルという名の彼女は、まさか最も堅物だと思っていた1番隊隊長のマルコが何の躊躇いも無く女の衣服を脱がし始めるなど思ってもみなかった。それもまたジルと同様に他のナース達もまるで貴重なものを目撃したように思えた。そんな彼女達の視線を尻目に先程ジルを窘めたナースはテキパキと動き、最後に電伝虫を手に取ってどこかに連絡を入れていた。
その間に衣服を全て脱がされたマヒロはどこを見るでも無く力無くして横になっていたが、手だけはしっかりとマルコの衣服の裾を握っていた。マルコはその手を掴んで握り返すともう片方の手には青い霊気を灯してマヒロの腹部に翳し始め、重点的に調べ始めた。

「あァ、エミリア」
「はい」
「悪ィんだがよい……」
「血抜きと輸血だけを済ませたら全員を部屋から退室させますからご安心を」

マルコに声を掛けられた彼女は電伝虫を元の場所に戻すとこれからの段取りを理解しているのか、明確にそう答えた。マルコは口角を上げて微笑を零して軽く頷くと再び集中し始める。
マヒロの腹部には薄らと黒く小さな班点模様が見え始めているが、ふっと消えたり新たに出てきたりと、まるで生きているかのように模様が変わる。

―― まるで再生と汚染のいたちごっこだよい。

医務室に船医と思われる少し歳を重ねた男が入って来た。そして呼び出したと思われるエミリアが彼に話をし始めると「うむ」と一言だけ返事をすると直ぐに施術の準備に取り掛かった。

「マルコ隊長、腕を……」
「あァ」

ナースがマルコの血を抜く際にマルコは目を瞑って集中し始めた。マヒロはじっとそれを見つめていたが、採取される血に霊気の奔流と青い炎の鼓動を僅かに感じ取った。

―― ただの血じゃ無いんだ……。

ある程度の血を採取し終えると同時にマヒロの身体からは血抜きが行われた。わざと血を輩出させ、チューブを通してポタポタと流れ落ちて行く。その血を見た船医は目を見張ると眉間に皺を寄せた。

「これが毒に汚染された血か」
「あァそうだよい」

鮮血とは程遠く黒く汚れた赤黒い血は、みるみる固体化して赤黒い塊となっていく。

「このようなものは見たことが無い」

船医はしきりにそう何度も呟きながら表情を強張らせ、そして隣で見ていたエミリアも同じ思いなのか口元を手で押さえながら青い顔をしてその血を見つめていた。

「医学では対処できねェ特殊なもんなんだってェこと、理解してくれたかよいナキム」
「……むー……しかし、」
「ナキム船医、どう見てもこれは私達の手でどうにかできるものじゃ無いわ?」
「超常現象って奴ね」

何やら渋る船医にエミリアが首を振りながら認めるしか無いと促す隣で、ジルはどこかウキウキした表情を浮かべてそう言った。するとナキムとエミリアは目をパチクリさせながら顔を見合わせてジルへと顔を向けた。

「「……」」
「そう捉えた方がシンプルで一番ですよ」
「私もそう思います」
「私も」
「「「超常現象です」」」

何か言いたげなナキムとエミリアに対して他のナース達が口々にジルに賛同するように答えた。そんな彼女達にマルコはマヒロの腹部を診ながら思わず苦笑を零した。

―― ジルはハルタと仲が良いからなァ。オカルト好きがこんなところで役に立つとはねい。

先程マルコから採取した血をマヒロへと輸血を開始する。マルコの血がマヒロの体内へと流れ込むのをマヒロは意識が混濁し始める中で感じていた。

―― 不思議……どうして? ……凄く温かくて…気持ちが良い。

ドクン…ドクン…と、腕から全身へと振動するかのように脈打ちながら広がって行く。すると息苦しさは和らぎ、痛みに伴い重くなった身体は徐々に痛みが薄れて軽くなり、面白いように楽になっていった。そして血抜きと輸血が終るとマルコは針を刺していた腕に青い炎を纏い、更に指先にも青い炎を灯してマヒロの腕の刺していた箇所を撫でて傷を消した。それを見たナキムやエミリアを始めナース達はまた驚いて目を見張った。
悪魔の実の能力による再生の力は能力者であるマルコ自身にしか効果が無いはずだ。しかし、当たり前のようにその能力でマヒロの傷を塞ぐのだから驚かないわけが無い。

「ありがとよい。じゃあ悪ィが」
「う、うむ、わしらは出ていくよ。後は全て任せて本当に構わんのじゃな?」
「よい」
「では、私達はこのままオヤジ様の健診をしに船長室に行きます。終わりましたら電伝虫からでもご連絡ください」
「わかったよい」

エミリアがそう告げるとナキムとナース達は船医室から出て行き、マルコとマヒロの二人だけとなった。マヒロはマルコへと視線を移すとマルコと視線がかち合った。するとマルコがふっと微笑を零してマヒロの額に手を置き、ゆるりとした手付きで頭を撫でた。

「不安かい?」
「ううん」
「身体はどうだい? 少しは楽になってくれてりゃ良いが、まだ辛ェかよい?」
「大丈夫……」
「じゃあ、一気に浄化して治していくよい」
「……はい」

マルコはそう言うと立ち上がり、マヒロの額に置いた手ともう片方の手を腹部に置いて青い炎を灯した。するとマヒロの身体からもまるで呼応するかのように青い炎が突然に舞い上がってマヒロの全身を包んでいった。マヒロは視界に映る青い焔に「綺麗」と思わず感嘆の声を漏らした。それを聞いたマルコは目を細め、クツリと喉を鳴らして小さく笑った。

「マヒロ」
「ん…、何?」
「お前ェも十分綺麗だよい」
「!? こ、こんな時に、そ、そんなこと言わなくても……!」
「ハハッ、そう思うから素直に言ったんだが」
「マルコさん」
「何だい?」
「私の中に残してくれたあなたの不死鳥の力、……返さないとダメ?」
「いや、良いよい。返せって言ったところでそいつは嫌がって戻って来ねェだろうからよい」
「え?」
「マヒロを守りたい。そう思ってんだ。それに、それはおれの意志でもあるからよい」
「ッ……」

マルコの言葉にマヒロは声を詰まらせ、思わず泣きそうな表情を浮かべた。

「相変わらず、マヒロは泣き虫だよい」

マルコはそう言って額に置いていた手でマヒロの頬を軽く撫でた。するとマヒロはくすぐったそうに少し顔を動かし、涙を流しながら笑みを浮かべた。
そして――。
時間を掛けてゆっくりと治療を施された身体は嘘のように回復し、これまでとは掛け離れて身体が軽くなり全身に流れる霊気が細部に至るまで繊細に感じることができた。際限無く沸々と霊気が漲ってくるような気さえする。マヒロは不思議そうな表情を浮かべ、何度もパチクリと瞬きを繰り返しながら両手に握り拳を作り、開いたり閉じたりを繰り返してじっと見つめた。

「……凄い。……凄い!」
「屍鬼の毒は全部浄化したからよい、完全に回復したろい?」
「はい! どんどん力が漲って来るし、身体も軽く感じます。やっと戻って来たって感じで嬉しい!」

屍鬼の毒に侵される前の状態に漸く戻ったことを心底から喜ぶマヒロの笑顔を見たマルコは優しい微笑を零してポンッとマヒロの頭に手を置いてクシャリと撫でた。

―― 漸く、いつものマヒロに会えたなァ。

「おかえりマヒロ」
「!」

修行から戻るとマルコが必ず出迎えて声を掛けてくれていた。その時と同じ言葉に、表情に、マヒロは少し目を丸くすると少々はにかむような笑みを零してコクリと頷いた。

「ただいま、マルコさん。……ありがとう」

とても嬉しくて、懐かしくて温かい気持ちになる。もう二度と無いと思っていたこの瞬間を、またこうして感じることができることにマヒロは心が打ち震える程に喜び、素直な気持ちを込めてマルコに応えた。するとマルコはマヒロの頭に触れる手で優しくポンポンッと軽く弾ませて立ち上がり戸棚の方へと足を向けた。そして戸棚に置かれていたあるものに手を伸ばしたそれを見たマヒロは笑みを浮かべたまま軽く停止した。

―― な、何あれ……? カタツムリ?

マルコが受話器のようなものを手に取るとそれは突然『がちゃっ』と声に出して反応した。

―― えっ!? が、がちゃって言った!?

マルコの手元にあるそれは『電伝虫』だ。この世界では連絡手段として極一般的に用いられる通信アイテムだ。カタツムリの形をしているそれは勿論『生きている』のだが、マヒロの世界では決してあり得ないものだ。それをマヒロは傍から不思議そうな表情を浮かべて凝視する。その視線に気付いたマルコは片眉を上げつつ若干首を傾げたが、「あァ」と小さく声を漏らして納得した。

―― マヒロの世界では確か『携帯電話』っつったかねい。そりゃ電伝虫は珍しいだろうない。

異世界に滞在している時の自分と立場が逆転していることにマルコは少しおかしく思って小さく笑った。すると「はい」と通信が通じてエミリアの声が聞こえるとマルコは治療が無事に終わったことを告げた。そしてマヒロを連れて部屋に戻ることも伝えた。

「わかりました。あ、使用した器具はそのままにしておいて構いませんので」
「わかった。ありがとなエミリア」
「ふふ、少しでもお役に立てて光栄ですわ」

こうして連絡を終えるとマルコはマヒロを連れて自室へと戻った。そして部屋に戻るなりマヒロは「やっと自由よ」と喜びの声を上げながらキングサイズのベッドへとダイブをし、シーツに包まって嬉しそうに笑った。

「子供みてェだよい」

マルコはやれやれとばかりに苦笑を浮かべてそう言うと、嬉しそうに笑っていたマヒロがマルコに背中を向けたままピタリと動きを止め、何故か突然に「ずどーん」と音がしそうな程に暗い影を背負って項垂れた。
明るい空気が一転して奈落の底へと落ちたかのように暗く重たい空気へと変わったことに流石にマルコも驚いて頬をヒクリと引き攣らせた。

「お、おい、マヒロ? ど、どうしたよい?」
「うぅ……、どうせ、どうせ……私は子供みたいに幼いわよ!!」

シーツをギュッと握り締めてマヒロは急に不機嫌に嘆き始めた。マルコは突然のことに呆気に取られて何が何だかわからなかったのだが、マヒロのその言葉に思い当たる節があったのかピンと来て「あ…」と声を漏らした。

「……あれか、ここに来るまでの間に子供扱いされ続けて来たってェところかねい」
「……」

ポンッと手を叩いてそう言ったマルコにマヒロはゆっくりと振り向いてジト目で睨んだ。

―― 図星だよい。

恨みがましい目で見つめられたマルコは気まずげに視線を外してガシガシと頭を掻き、「コホンッ!」とわざとらしく咳払いをしながら仕事机へと脚を向けて椅子に腰を下ろした。マルコを目で追っていたマヒロはマルコが着席した仕事机の書類の山を見止め、恨みがましい目を一転して目を丸くした。

「お仕事ですか?」
「ん…、あァ、そうだよい」

マルコが机上にある沢山の書類に手を伸ばして目を通し始め、マヒロは興味を引かれたようにベッドから降りて側へと歩み寄った。そして机上にある沢山の書類の中から一枚を手に取って視線を落とした。

「海賊なのに……書類?」
「千六百人もの大所帯となると物資やら何やら色々と報告書が必要になってくるんだよい。1番から16番隊まで各隊それぞれ任務が与えて物資状況やら色々とこうして書類にして報告が上がって来るんだよい。それをおれが取り纏めてるってェわけなんだが、何せおれ達は海賊だ。簡単な報告書でも色々と穴があって不備が多くて進まねェのが現状でよい、ちっとも終わらねェんだよい」
「マルコさんが一人で全部を取り仕切っているの?」
「取り纏め役だからなァ……っつぅか、誰も書類仕事なんざやりたがらねェから、仕方が無くだよい」

机に肘を突いた手に顎を乗せて溜息を吐くマルコにマヒロは唖然としながら机上に広がる書類の山を見つめた。全て英字で書かれているそれにマヒロは眉間に皺を寄せ、細かい数字の羅列を見ると眩暈がしそうになった。

「よ、読めないし、……全くわからない」
「そう言えば英語っつったか、からっきしダメだっつってたな?」
「えェ、全く読めません」
「……よくそれで……この世界を渡り歩いて来たなァ。色々と不便だったんじゃねェのか?」
「ハハ……、私も本当にそう思います。殆ど運任せで――」

ここに至るまでの旅路は色々とあり過ぎて、どこから話せば良いかとマヒロは苦笑を浮かべながら考えた。

「あ、」
「え?」

突然マルコが何かを思い出したかのように声を漏らし、席を立って備え付けの戸棚へと向かい、そこから一枚の紙を手にしてマヒロの前に差し出した。それはマヒロの手配書だ。自分の手配書を受け取ったマヒロは首を傾げながらマルコに視線を戻すとマルコは何やら難しく眉を顰めている。

「な、何でしょう?」
「この『麗しの漆黒拳士マヒロ』ってなァどういう意味だ? 手配書が配られることになった経緯を説明してくれねェか?」

マルコはずいっとマヒロの目の前に顔を寄せてそう問い詰めた。

「……」

しかし、マヒロは返事は愚かうんともすんとも言わずに軽く停止していて中々答えず、マルコは不思議に思って少し首を傾げた。

―― どうしたよい?

「マヒロ?」

マルコが声を掛けるとマヒロは「ハッ」と何かを思い出したように表情を一転し「そうだった!」と叫び、マルコは更に眉間に皺を寄せて不審な表情を浮かべた。

「そうよ! 何なのよこの肩書き! 麗しって何!? 意味がわからない!」
「……よい?」
「マカロニ……! そうよマカロニよ! あいつの仕業でこんな手配書が作られたの! 私は何も悪いことなんてしてないのに!」
「い、いや、わかんねェよいマヒロ。順を追って説明してくれねェと……、マカロニってなァ誰だよい?」
「うぅ…、じ、実は――」

マヒロはこの手配書が出る切っ掛けとなった一連の騒動をマルコに話した。するとマルコは目を丸くして唖然として固まり、マヒロが手にしている手配書に視線を落として間を置いた。すると「ぷっ」と噴き出して腹を抱えて盛大に笑い出した。

「あっはははっ! 何だよいそりゃあ! 軟派された結果の手配書なんて初めて聞いたよい!」
「も、もう! 笑い事じゃないですよ!!」
「じゃあついでに聞くが、この後で追加された5000ベリーは何だ?」
「こ、これは、海軍本部で赤い男と喧嘩したその腹いせかと……」
「へェ、海軍本部で……海軍ほんっ!? はァ!?」

笑いながらマヒロの言葉を追うように呟いたマルコはピタリと動きを止め、驚愕した面持ちへと変えて盛大に驚きの声を上げた。そのマルコの反応にマヒロは多少「ひィッ!?」と声を漏らして恐れ慄いて身を引いた。

―― や、やっぱりまずかったのかな!?
―― 海軍本部で赤い男ってなァ……赤犬じゃねェか!? 赤犬相手に喧嘩したってェのかよい!?

「よし、わかった。もっと詳しく説明しやがれマヒロ」
「いえっさー」

呆れを通り越して厳しい面持ちを浮かべながら説明を求めるマルコにマヒロは冷や汗を流しながら全てを話した。そしてその説明を聞いたマルコの眉間には更に深い皺が刻み込まれて難しい表情を浮かべさせ、説明が終ると同時にマルコはガクリと頭を落として項垂れた。

「マジかよい? 海軍大将の赤犬に向かってお前ェ……」
「はは……は……、や、やっぱり、あの人って海賊にとって一番厄介な人だったんですね……」
「それにまさかガープの世話にまでなっていたなんてよい……」

マルコはマヒロの手配書に再び視線を落とした。
5000ベリーの文字を見つめながら「赤犬ってなァ案外小さい男なんだな」と思った。

喧嘩した相手に対する腹いせの5000ベリー。

海軍大将の赤犬サカズキがした小さな報復にマルコは何とも言えない気分になっていた。そして後日、マルコがそのことを白ひげに話すと白ひげは腹を抱えて盛大に爆笑したという。
これ以降、白ひげ海賊団では赤犬サカズキは『器の小さい女々しい報復をする男』というレッテルを貼り、嘲笑するネタとなるのは仕方が無いことだった。そして、そんな情報が巡り巡って海軍本部へと辿り着き、赤犬サカズキの耳に入ると怒り狂ったのは言うまでも無い。

「おんどれあの女ァ!! やはり海賊と繋がりが有りおったか!! それも白ひげ海賊団とはのう、舐めくさりおって!!」

拳を握り絞めて怒りに打ち震えるサカズキは、部下を呼び寄せて新たな手配書の作成を命じた。それから更に後日、マヒロの手配書が刷新されて再度配布された。

その懸賞金額は『2億5000ベリー』だ。

「だから……、何で5000ベリーはそのままなんだよい?」

新たに手配されたマヒロの懸賞金を見つめながらマルコはポツリと呟いた。
この『5000ベリー』の拘りが何なのか、特に意味は無いのだろうがこの微妙な数字が何とも不快な気分にさせる。人の心理を突いてのものなのか、ただ単に訂正が面倒臭いだけなのか、それは赤犬サカズキにしかわからない。

手配書の真実

〆栞
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