24


これは一体どういうことだろうかとマルコは困惑していた。
停泊している島で人知れず修行に明け暮れ、深夜帯となった今時分に船に戻って自室に入るといつもと異なる光景が視界に飛び込んだ。自ずと眉間に皺が寄る。眉を顰めて口を一文字に結びながら首を傾げる。
何故に女が自分のベッドの上で眠っているのかを理解に苦しんだ。背中を向けてはいるが明らかに無防備な姿であることは確かだ。
部屋の扉を開けた瞬間に我ながら綺麗な二度見をしたなと思う辺り軽く現実逃避したのだろう。

―― こいつは確か……。

気持ち良さそうに眠る女の顔を覗き込めば見覚えがあり、「あァ」と思わず声を漏らした。この女は以前に船長室前でナース婦長のエミリアと共にいたフィリアだ。

「……ん……」
「!」

マルコの声に反応したのか背中を向けて眠いっていた彼女が寝返りをうった。マルコの方へと身体を向けると胸元が肌蹴て胸が露出した。マルコは瞬間的に目を逸らしたが真面に見てしまい思わずドキンと心臓が跳ねる。

(ちょっと…マルコさん……?)
―― ちっ、違ェよい! 今のは不可抗力だろい!?

悲しいかな男の性故に素直に反応した瞬間、心内に響くマヒロの冷たい声に違った意味でドキンと心臓が跳ねて弁解する。
しかし、どうして彼女はマルコの部屋のベッドで眠っているのか――。マルコはとりあえず起こすことにした。

「おい、起きろよいフィリア」
「…う…ん…? …あ…マル…コ…隊長…?」

真正面からだと色々問題があるので真反対側へとわざわざ回り込み、背中側からフィリアの肩に手を伸ばして揺すり起こした。目が覚めたフィリアは寝惚けているのか直ぐ起き上がる様子は無く、ゆっくりと身体を反転させながらマルコの方へと振り向いた。マルコは咄嗟に顔を背け、明後日の方へ視線を向けつつフィリアの胸元に指を指した。

「悪ィがまず服を直してくれねェか?」
「え?」
「胸元が肌蹴てんだよい」
「あ! や、やだっ!!」

寝ぼけ眼で自身の胸元に視線を落としたフィリアは漸く覚醒したようで、顔を真っ赤にしながら慌てて胸を隠すように両手を交差して身を屈めつついそいそと乱れた衣服を整えた。

「ご、ごめんなさい!」
「い、いや」
「……マルコ隊長」
「……な、何だい?」
「あ、あの……、み、見ました?」
「ッ……」

耳や首まで真っ赤にしながらフィリアは涙目でマルコを見つめて問い掛けた。

―― 聞くか、それを。

マルコは後頭部をガシガシと掻きながらバツの悪い表情を浮かべながら視線を泳がせる。フィリアの表情が妙に扇情的に見えてしまい、マルコは眉間に深い皺を刻むと深い溜息を吐いた。

「あァ、とりあえず……フィリアはどうしておれの部屋のベッドで眠っていたのか、それを教えて欲しいんだがよい」

敢えて自分のペースに引き込んで会話を変えようとマルコが逆にそう問い掛けた。するとフィリアは「えっと……」と記憶を探る様子を見せたが何故自分がここで眠っていたのか記憶が曖昧なようで覚えていないようだ。

「わ、わかりません」
「わからねェってことはねェだろい?」
「ほ、本当にわからないっ…んです」

尻すぼみに声が小さくなるフィリアにマルコは腕を組みながら視線を彷徨わせながらどうしたものかと考えた。
一瞬の沈黙に気まずい空気が流れる。
わからないと一点張りのフィリアは顔を俯かせてしまった。
小さく溜息を吐いたマルコはフィリアの顔を見ようと膝を折って腰を下ろし、フィリアを仰ぎ見た。

「!」
「?」

するとフィリアはマルコと目が合うと途端に慌てるように顔を背けた。マルコはその反応の意味が今一つわからずに首を傾げたが、一つ一つの反応が怪しいとマルコは疑義の目を向ける。

「どうしたよい?」

そう問い掛けながらフィリアの肩に触れようと手を伸ばした瞬間、フィリアは慌てるように身を引き、急いでベッドから降りるとマルコに深々と頭を下げながら「ごめんなさい!」と謝罪の弁を残して部屋を出て行った。

「……何だってんだ?」

急に切羽詰まったように焦りを見せたフィリアに面食らったようにただ呆然と見送った形となった。
フィリアの反応がどうにも気になる。
マルコは立ち上がるとソファに腰を下ろして暫く考えた。

(彼女……ひょっとして……)
「ん? ……何だよいマヒロ?」
(……)
「?」

マヒロが何かに気付いたようだが問い掛けても反応が無い。スッと目を瞑って精神に集中したマルコはマヒロに強く問い掛けた。

―― マヒロ、どうしたよい?
(ッ! あ、な、何でも無い!)
―― その反応は何でも無いってェことはねェなァマヒロ?
(うっ……)

問い詰めると声を詰まらせるマヒロの声音が何故かとても弱々しくて、妙に涙声っぽい。

―― ……おい、マヒロ?
(ま、マルコさ〜ん!)
―― な、何を突然そんな情けねェ声を出してんだよいマヒロ。
(浮気者〜!)
―― はァ!? う、浮気なんざしてねェだろい!?
(私よりも大きくて豊満な胸をガン見したじゃない!)
―― だ、だからあれは不可抗力だって言ってんだろい!?

ソファの背凭れに身を預けながらふと目を開けて天井を見つめて溜息を吐く。何故に胸の内側で痴話喧嘩が始まったのか、わけがわからずにマルコは頭を抱えた。

翌日――。

マルコが部屋を開けると待っていたのか廊下にフィリアが立っていてマルコは驚いた。気まずいのかフィリアは顔を俯かせたまま何も言わずに身動き一つしない。

「……何か用かい、フィリア?」

マルコもどう声を掛けるか迷ったがそう声を掛けた。するとフィリアは全身をビクンと弾ませるように反応し、おずおずと顔を上げてマルコに目を向けた。多少涙目で何故か震えているようだった。

―― ビビらせるような声じゃあ無いと思うんだが……。

「……とりあえず話があるなら部屋に入れ」

雰囲気からしてこのまま立ち話で解決できるような状態では無いとマルコは思った。部屋に入れとフィリアに促したがフィリアは一向に動こうとしなかった。

「はァ…、仕方がねェ……」

マルコはポリポリと頬を掻きながら溜息を吐くと廊下に顔を出して左右を確認した。人の気配は無い。そうとわかるとマルコはフィリアの腕を掴んで無理矢理に部屋へと引き入れた。フィリアの腕を掴んだ際にフィリアが「キャッ!」と小さく悲鳴を上げたがマルコは気にも留めなかった。何故ならこの状況を他の隊長連中に見られたくなかったからだ。島に停泊している間、船に残る者は少ないが念の為だ。

「何か飲むかい? と言っても、コーヒーぐらいしか無いが」
「あ、い、いえ」
「あァ、そこに座れ」
「ッ……」

フィリアにソファに座るように促すとフィリアはおずおずとソファに腰を掛けた。マルコはローテーブルを挟んで真向いに椅子を置き、そこに腰を下ろして腕を組みつつフィリアに目を向けた。しかしフィリアは相変わらず顔を俯かせたままで一向にマルコと顔を合わせようとしない。

「昨晩のことについて何か思い出したのかよい?」
「……」

マルコの質問に何の反応も見せないフィリアに流石に少し苛つき始めたマルコは溜息を吐いて視線を外し、フィリアが自ら喋り出すのを待つことにした。暫くの間、どちらとも言葉を発することは無く、部屋はとても静かで、時計の秒針の音だけがカチッ…コチッ…と大きく鳴っていた。

―― おれに何か話があるから会いに来たんじゃねェのかよい。

無音の空間が続く中、フィリアに度々視線を寄越しながらマルコは昨晩のことを思い起こした。ほぼマヒロとの痴話喧嘩が主体となってしまった記憶しか残っていない。納得できない思いが胸中に広がる。眉を潜めつつ片手を顎に軽く触れながら小さな溜め息を吐くが、マルコはフィリアの言葉を待った。
その時、フィリアは漸くゆっくりと顔を上げてマルコに視線を向けた。そして深く息を吐くと意を決したように口を動かそうとした。フィリアの目は戸惑いと羞恥心が入り混じった複雑な色を模しているようだったが、フィリアの口から発せられた言葉によってマルコはそれに気を向けることができなかった。

「好き」

たった一言。ただその言葉のみを告げたフィリアは顔を真っ赤にしながら涙目になりつつ再び俯いた。一方マルコは思ってもみなかった言葉に虚を突かれたようで、目をパチクリとさせながら固まっていた。

―― は…? い、今…、す、好きって言ったか…?

「フィリア…、おれの聞き間違いじゃあ無けりゃ……」
「好きです。私はマルコ隊長のことが……好きなの」
「ッ!?」

膝の上に置いた両手はギュッと拳を作り、声を震わせながらフィリアははっきりとそう言った。マルコは言葉を飲み込んで喉仏を上下に動かし絶句する。するとフィリアは顔を上げてマルコを見つめた。

「好き」
「ッ……」

今度は真面に真っ直ぐ目を見つめて真剣に告白をする。フィリアの顔は真っ赤で涙目なのは相変わらずだが、それでも意を決した『覚悟』にも似た目をしていると印象付けた。

「ずっと、ずっと悩んでいました。だってマルコ隊長には『想い人』がいるって知っていましたから。だから何度も諦めようと思っていました。どうすればキッパリと諦めることができるのか、ナースの先輩方にも相談したりして色々と考えました。でも、考えれば考える程、私はマルコ隊長が好きなんだって……、そう自覚して、余計に好きにッ……なっていました」

フィリアの言葉にマルコは何も言えずに困惑した表情を浮かべることしかできなかった。どうあってもマルコがフィリアの気持ちに応えてやれないことをフィリアは知った上で告白して来たのだ。

「マルコ隊長は覚えていないかもしれないですけど、ずっと以前に私はマルコ隊長に救われたことがあったんですよ?」
「……おれに?」
「複数の男にレイプされそうになっていたところを助けてくれたんです」

フィリアは胸元に手を置いてギュッと握り締めた。少し苦し気で、悲しく寂し気な表情を浮かべている。一方、フィリアの話を聞いたマルコは確かにそんなことがあったと薄らいだ記憶を呼び起こした。
過去に複数の男が一人の女を襲っているところに偶々通り掛かって助けたことがある。衣服が無残に破かれて裸同然だった女に自分の衣服を肩から掛けてやろうとしたが、怯え切った彼女は混乱して暴れ出した為に咄嗟に抱き締めて「落ち着け」と宥めた記憶も確かにある。だがまさかあの時の女が目の前にいるフィリアだとは思いもしなかった。

「とても温かくて優しい……不思議と落ち着いた。あの時のことはとても怖くて思い出したくない記憶のはずなのに、何度も何度も思い出して、思い出す度に、胸がドキドキして苦しくなって……。この船に乗船した時、助けてくれたマルコ隊長がいることに気付いて素性を知った時は流石に驚きましたけど」
「……助けてくれたのが海賊でショックだったかい?」
「いいえ! マルコ隊長の姿を見た時、私は初めてあなたのことが好きなのだとわかったんです」

ポロポロと瞳から溢れ出した涙がフィリアの頬を伝い落ちて行く。フィリアは涙を拭いながら笑みを浮かべてみせた。相変わらず寂し気ではあったが、どこかすっきりしたとでも言いたげな表情で、マルコは片眉を上げると「そうか……」と小さく頷いた。

「フィリア、おれは」
「安心してください」
「何?」
「私はこの島で降りようと決めていましたから」
「!」
「ただ、降りる前にこの『想い』だけは伝えようと思ったんです。でも嫌われたらと思うと怖くて……。だから昨晩、お酒の力を借りて告白しようと思って沢山飲んで部屋を訪ねたんです。記憶が曖昧だったのはそのせいで……」

フィリアは苦笑染みた照れ笑いを浮かべて頭を掻きながらそう言うと、「成程ねい」と、マルコは納得したように頷いた。

「マルコ隊長は外出されて不在でしたから、戻られるのを待とうと思って……。でも待っている内にお酒が回ってここで眠ってしまったみたいです。本当にご迷惑をお掛けしてしまい申し訳ありませんでした」

フィリアは深く頭を下げてマルコに謝罪した。

「あー、いや、理由が理由だからよい、そう何度も謝らなくて良いよい」

ガシガシと後頭部を掻きながらマルコはそう言った。

「お前ェの気持ちには応えてやれねェが……、好意を持ってくれたことは有難く受け取るよい」
「!」
「ありがとな、フィリア」
「ッ…マルコ…隊長……」

苦笑を浮かべてマルコがそう言うとフィリアはまた目に涙を溜めてポロポロと零していった。止め処無く溢れるフィリアの涙にマルコは席を立つとフィリアの隣へと腰掛けて涙を拭おうと手を伸ばした。するとフィリアは顔を真っ赤にさせて少し狼狽えた。

「ククッ…、お前ェも分かり易い女だねい」
「ッ……」

マルコが笑ってそう言うとフィリアは声を飲み込んで顔を俯かせた。

「……あ、あの」
「ん?」
「マルコ隊長、一度だけ…私の我儘を聞いてくれませんか?」
「我儘?」

突然のフィリアの頼みにマルコはキョトンとした。

「何だい?」
「……マルコ隊長に大切な人がいることは知っています。でも、でも、私は船を降りたら、マルコ隊長とはもう会えなくなりますから、だから、だから……」
「フィリア?」

震える声音を振り絞るかのように言葉を紡ぐフィリアにマルコは顔を覗き込もうとしたが、次の瞬間にまたしても停止することになる。

「一度だけで良い。私を抱き締めて……キスして…ほしいの……」
「ッ!?」

フィリアは零れる涙を拭いつつ力無い声でそう言った。ピシッと一瞬だけ石化したマルコは次に手を徐に動かして口元を覆い、眉間に皺を寄せるとフィリアから視線を外して目を瞑りながら静かに溜息を吐いた。

―― な、何だよいそりゃ……。できねェ。そんなことをしたらお前ェ…余計に……。

「フィリア、おれを諦める気があるならそういうことはしねェ方が良いんじゃねェのか?」
「わ、わかってます! わかって……ます」

身体を震わせたフィリアは両手で顔を塞ぐと嗚咽を漏らして本格的に泣き出した。片やマルコは益々困惑して完全に頭を抱えた。
とりあえず今は泣き止んでもらわなくては真面に話ができない。
そう思ったマルコはフィリアの背中に手を回して軽く摩ってやるとフィリアの身体がビクンと跳ねた。

「落ち着けよいフィリア」
「……」
「その、お前ェの気持ちは嬉しいんだが、さっきも言ったがおれはそれに応えてやれねェんだ。それにこれから先におれよりも良い男が出て来てそいつを好きになるかもしれねェだろい? キスはその時の為に大事に取っておいた方が良いよい」
「ッ…マル…コ…隊長……」
「自分を安売りすんじゃねェ。もっと自分を大事にしろよいフィリア」

マルコはそう言うとフィリアの背中を撫でていた手を後頭部へと移動させてポンポンッと軽く叩いてクシャリと撫でて笑ってやると、フィリアは眉尻を下げると再び顔を俯かせ、膝の上に置いた手をギュッと握り締めた。

―― はァ…。こういう時の慰めとなる良い言葉なんてェのはサッチなら一杯持ってんだろうなァ。

落ちた気持ちを掬い上げてやれるような良い言葉が浮かばないマルコは視線を明後日の方向へ向けながらそう思って小さく溜息を吐く。
大人しいフィリアがまさかこの後に強硬に出るとは予想だにしていないマルコは完全に油断しきっていた。

好き

〆栞
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