第十七幕


秋島グレッグ観光都市エデカは、綺麗な紅葉を見ることができることで有名な活気のある大都市だ。観光地なだけあって通りには大勢の人が行き交っている。そんな人々の中を掻き分けて走る和装の者がいた。

「すまぬ! 失礼! 通してください!」

何やら必死に駆けて行くその者を、人々は何だ何だと視線を向けて見送っていく。それから暫くして追手と思われる二人が現れた。

「待てェ!」
「止まりなさァァい!」

男と女の二人の海兵だ。彼らもまた必死だった。しかし、和装の者は足が早く、また人の往来が多い為、とうとう見失ってしまった。二人は足を止めると息を切らしながら残念がった。

「はァはァ、あんな上物の刀なんて滅多にお目に掛かれないのに……!」
「たしぎさんにも見せてあげたかったのに……」
「あの人、絶対に喜んでたと思うな」
「えェ、目を爛々と輝かせる顔が頭に浮かぶわ」

たしぎという名の人物を想像した二人は、顔を見合わせるとクツクツと笑った。

「しかし、刀を見せて欲しいと頼んだだけなのに、どうして逃げたんだろう?」
「そうねェ……、何かやましいことをしちゃったとか?」
「うーん、そんな感じの人には見えなかったけどなァ」

二人は首を傾げると和装の者が逃げたであろう方角に視線を向けた。その先には港があるが――。一般人をこれ以上追い掛けるのは流石に悪いと思った二人は諦めて引き返した。

その一方、建屋の一角に身を潜めていた和装の者――カノエが大きく胸を撫で下ろした。
ただの暇潰しに散歩がてら紅葉を見学して、偶々立ち寄った武器屋で二人の海兵から刀を見せろと絡まれて逃げる羽目になるとは思いもしなかった。このまま大人しく船に戻った方が良さそうだと、カノエは周囲を警戒しながら歩き出した。
港町の外れに停泊しているモビー・ディック号の近くまで来ると、買い出しから戻って来た隊員達によって沢山の積荷が置かれているのが見えて、それらの点検を行なっているマルコがいた。
積荷の近くまで差し掛かった時、ふと気配を察知したカノエは条件反射から咄嗟に身体を捻った。
背後から勢い良く飛んで来た人物はカノエの横を通り過ぎ、勢い余って積荷に突っ込んだ。そして、積荷諸共海へと落下して水飛沫が舞った。
ほんの瞬間的にカノエが目にしたのは白ひげマークとオレンジ色のテンガロンハット――で、海に落ちた人物はというと……直ぐにハッとして急ぎ海へと飛び込んだ。

ブクブクブク……――

水泡を抜けた先に見えるのは為す術もなく沈んでいく義弟の姿。腕を掴んで海面へと一気に浮上する。

「ぷはっ! はァはァ、エース、息はしてるか?」
「はァはァ、ま、まさか避けるなんて、はァはァ、そ、想定じでながっだ……」

力無く吐き出された言葉にカノエは溜息を吐いた。

「背後から突然突っ込まれたら反射的に避けてしまうのは仕方が無いではないか」

少し説教染みて言うとエースはニシシと笑った――が、笑みを浮かべたまま顔を青くした。
何とも器用な。しかし、どうしたのだろう? とカノエはエースの視線を辿るようにゆっくりと振り向いてみた。

「あ、」

そこには額に青筋を張って冷たい視線を落とす我らが1番隊隊長の姿があった。

「「お、鬼がいる……」」
「お前ェら、暫く海から上がんじゃねェぞ」
「何故!?」「何でだ!?」
「周りを見りゃあわかるだろうが」
「「……」」

カノエとエースの周りにはバラバラになった積荷が浮いている。折角買って来た品物を台無しにされたのだから、マルコが冷たい態度を取るのは当たり前だった。

「カノエ、悪ィ……」

青い顔をしたままグテッとしているエースの命はカノエ次第だ。エースを抱えながら必死に立ち泳ぎをしている――が、流石に長時間はきつい。しかも着物だから尚のこと。

お、重い……。

このままでは自分も溺れて死んでしまうのではと危機感を抱いた時、見慣れたポンパドール頭の天使(あくまで現時点におけるカノエ視点)が現れた。

「まあまあ悪気は無ェんだから許してやれっての。ほらカノエちゃん、浮輪だ」

怒るマルコを窘めながらサッチが浮輪を海へ投げ入れた。
助かったとばかりにカノエが浮き輪に掴まると、サッチと周辺にいた隊員達によって引き上げられ、無事に海から這い上がることができた。
カノエは濡れた着物の袖を絞りながら力無く横たわるエースに目を向けた。

「しかし、何でまた背後から飛び掛かって来るか……」
「カノエが滅法強いってみんなが言うからよ、どんなもんかと思って」
「はァ……、それは訓練の時までお預けだと言ったはずだ」
「ハハ、どうしても待てなくなっちまって。悪ィな」

エースがニシシと笑った。彼が本物の犬であれば『待て』をしつけるのだが……、とカノエは無に近い表情を浮かべてそんなことを思った。
若干ジト目に近い眼差しを向けて来るカノエに、エースはキョトンとして「何だ?」と首を傾げた。
仮に『待て』をしつけるにしても、たぶん犬よりも遥かに手間取りそうだ、なんてことを思った――とは言えない。

「いや、別に……」

カノエがエースから顔を逸らした。その時だった。

ゴンッ!

拳骨が落とされる音に振り向けば、頭にたん瘤を作ったエースが地面に突っ伏していた。

「痛ェな! くそ、何すッ……」

突っ伏した頭をガバッと上げて抗議しようとしたエースだったが、自分に拳骨を与えた人物を見るなりヒクリと頬を引き攣らせて言葉を飲み込んだ。
笑ってはいるが額に青筋を張ったままゴゴゴゴッという音を立てる程に覇気を纏ってエースに凄んでいるのは他の誰でもないマルコだ。

「血気盛んなのは良いが時と場所っつーもんがあるよなァ?」
「お、おう……」

恐怖のあまりにマルコから距離を取ろうとエースは後退る一方、マルコがその分をジリジリと詰め寄っていく。

「積荷なんだがよ……、どう弁償してくれんだい……?」
「!」

エースの目の前にマルコが購入リストをズイッと差し出した。マルコが指を差した先に購入品目と数と金額が記されている――が、それはエースの小遣いだけではとても賄えない高価なものだった。
流石にこれはやばいと血の気を完全に失くしたエースは、ギギギと壊れた人形のように歪に首を動かして視線をカノエに向けた。
まるで命の危機に追いやられた子犬が必死になって助けを求めているかのようだ――等と、暢気に思いながらカノエがマルコの肩に手を置いて「まあまあ」と宥めた。

「避けた先に積荷があって海があるということを知っておきながら咄嗟に避けてしまった私も悪い。ですから私にも同じ罰を与えるのは当然かと」

カノエの言葉にマルコは呆れにも似た溜息を吐いた。

「ったく、お前は本当にエースに甘ェなァ」
「唯一の義弟ですから」

苦笑を零すカノエにエースは眉を顰めた。

「それって結局は弁償代を出さなきゃなんねェってことだよな」
「それは仕方が無いではないか」
「マルコの説得を頼むつもりで助けを求めたってェのに」
「えー……」

不満気にブツブツと零すエースに一人で全額支払うよりはマシではないか、とカノエは不満げなエースに言い返した。

「反省の色……ゼロかよい」
「!?」

エースはマルコにガシッと頭を掴まれた。武装色の覇気をわざわざ纏っている手で掴む――ということは、ギリギリミシミシと蟀谷に激痛が走るわけで。

「いでででででっ!!」
「やっぱりお前ェが一人で支払え!!」
「……」

怒鳴る長男に泣きっ面の末弟を前にして、カノエはもう我関せずだ……と無の境地に立った。だがこの時、カノエ、マルコ、エースの三人は気付いていなかった。
海に落ちて大無しとなった積荷を買い付けた部隊の隊長がこの場に戻って来ていたということに――。
積荷の惨状を見つめて額に青筋を張りながら笑みを浮かべる彼の人から発される絶望的な真っ黒なオーラが辺りの空気を凍り付かせて行く。
身の危険を感じた隊員達がソロリソロリとその場から離れ始めていく。それに気付いたサッチがどうしたのかしらと目を向けた途端にギョッとする。

「さ、さて、おれっちは食材のチェックしねェとなァ……」

巻き添えは御免だとばかりに回れ右をしたサッチは、その場から逃げるように離れた。

「これは一体……、どういうことなんだ……?」
「「「ッ――!?」」」

聞き慣れた男の声に三人は同時にギクッとしてゆっくりと顔を向けた。
カノエと同じ和装ながらも女形の着物を綺麗に着流す美丈夫が、煙管をギリギリと噛み締めながら笑みを浮かべて立っている。涼しい顔を滅多に崩すことの無い綺麗な顔は健在――だが、その額には青筋がはっきりくっきり浮かんでいる。

お、鬼以上……、だ、大魔王がいる!

カノエは小さくヒュッと息を吸い込んだ。悲鳴とかどうとかのレベルでは無い。それはエースも同じだった。
怒りが頂点に達しかけているその男を前にして、カノエとエースは慌ててマルコの背中に隠れた。

「ま、マルコ!」
「ああ義兄様ァァ!」
「――は!?」

カノエとエースはマルコの背中を押した。まるで生贄を差し出すかのように。

「ちょ、お前ェら!」

背後でガタガタ震える二人に対して怒鳴りつつも目の前の男から視線を外すことができなかったマルコは苦笑を浮かべるしかなく……。

「い、イゾウ、お、落ち着け」
「あァ、安心しな。おれは今、非常に落ち着いている」
「そ、そうかい。そりゃあ良かったよい」
「しかし、あれは一体全体どういうことか、説明してもらおうじゃないか」

ニコニコと笑顔のまま顎をクイッと動かして指し示すイゾウに、マルコは「あー……」と声を漏らしながら視線を泳がせた。

「買い付け役の当たり籤を引いちまったおれがわざわざオヤジの為に……、あァそうさ、オヤジの為に、夜を徹して漸く買い付けたはずのエデカの名酒『クラワン』を台無しにしちまったこの惨状をなァ」

イゾウからは先程のマルコ以上にズゴゴゴッと凄まじい『怒』のオーラが溢れ出していた。
首謀者であるエースはカノエの袖を掴んで自分自身の前にズイッと引っ張った。それに呼応するかのようにカノエがマルコの袖を掴み、マルコの背中越しにイゾウを見やって恐怖した。

わ、わわわ私が悪いわけでは……!
……。
いや、避けたのは私だ。
……。
いや、しかし、でも、うー、う―……あァァ! い、イゾウ殿が怖過ぎる!

幾度もの死地に赴いて戦い生き抜いてきた天剣の人斬りでさえ、超絶に怒れるイゾウを前にすると恐怖に慄き絶望するとは。
エースが自分を盾にしていることも、マルコの服を掴んでその背中に逃げていることも、何もかも忘れて、ただただカノエは必死だった。
再びチラリと背中越しでイゾウに目を向けるとバチッと視線がかち合った。

ふは!?

ニコッと笑みを浮かべてくれたイゾウではあるが、彼の目にはまさに阿修羅の如く凄まじい殺気が宿っていた。

あ、死んだ。

瞬間的に悟ったカノエはピシッと石化するしかなかった。





恐怖体験から逃れて数刻後――
激怒した笑顔のイゾウにお灸を据えられたエースが甲板上で突っ伏している。まさかの覇気を纏った拳による拳骨。絶望の淵へと追いやられる精神的ショックによって気を失い唸されているのだ。
その隣では正座をして反省するカノエがいた。全くお咎めは無かったものの、何となく自責の念があった為、(勝手に)反省していた。
そんな彼らの元に歩み寄ったマルコがカノエの隣に膝を折って声を掛ける。

「カノエ」
「今は反省中ゆえ、話し掛けないで頂きたい」

目を瞑ったまま返事するカノエに眉間に皺を寄せたマルコは、カノエの側で相変わらず気絶して突っ伏しているエースに目を向けた。

「まったく、手の掛かる義弟だよい」
「義弟とはそういうものかと……」
「話すのかよい」
「話し掛けて来るからです」

目を瞑ったまま素っ気無く返事をするカノエにマルコは微笑した。

「さっきフォッサから聞いたんだが、二人の海兵に追いかけられていたらしいな」
「!」
「何があったんだ?」
「別に何も……ただいま反省中故お答えできません」

相変わらず目を瞑ったままだがマルコからスイッと顔を逸らした。それに片眉を上げたマルコがわざとらしく「あー、そうだ」と大きく声をあげた。

「新人のナースが入ったってエミリアが――」

途端に目をカッと開けたカノエはマルコの服を掴んだ。

「武器屋で偶々出くわして私の刀に興味を持たれた故に声を掛けて来たのです! ただ海軍兵だった故、皆に迷惑を掛けてはいけないと思い咄嗟に逃走をしたまでの事! それをフォッサ殿が目撃されただけかと! 以上です!」

あまりの勢いにマルコは思わず仰け反りかけた。

「そ、そうかい。わ、わかったから落ち着け」

マルコが苦笑を浮かべて言うとカノエは両手を甲板に突いて地面に額を擦り付けるように頭を下げた。

「お、おい、カノエ、何を――」
「極刑だけはご勘弁を!!」
「――……お、う……」

悲痛な叫びを上げるカノエにマルコは顔を引き攣らせた。船医室に放り込んだ罰は効果絶大どころかこれはもうトラウマの域だ。

「お願いです義兄様ァ〜……」

顔を上げて必死に懇願するカノエの目には涙まで浮かんでいる。マルコは落ち着かせようとカノエの頭に手を置いてくしゃくしゃと撫でた。

「わかった、さっきのは冗談だよい」
「うぅ……、本当に?」

どんだけ嫌なんだ……。

目を潤ませて確認の言葉を投げ掛けるカノエに、若干ヒクリと頬を引き攣らせながら苦笑を零したマルコはコクリと頷いた。

「もう日没だ。気温も下がってきたから部屋に戻れ」

エースの腕を掴んで肩に担いだマルコがそれだけ言うと船内へと入って行く。マルコを見送ったカノエは、マルコに撫でられた頭に触れると顔を俯かせながら微笑を零して「はい……」と小さな声で返事した。

「いつの間にかしおらしい反応するようになったもんだな」
「ハッ!?」

積荷の影から姿を現したイゾウにカノエは顔を真っ赤にした――と思ったら直ぐに青くしてと表情の変化の忙しなく、動揺が酷いな、とイゾウは笑った。

「もう怒ってねェよ」
「う……」
「マルコが代わって買い付けて来るって言ってくれたんでな」

カノエの隣に移動して腰を下ろしたイゾウは、煙管を口にしてプカリと紫煙を吐いた。

「丁度良い機会だ。お前も自責の念があって反省するくらいならマルコと一緒に買い付けに行って来ると良い」
「え!?」
「なあ、カノエ?」
「ッ……!?」

驚くカノエに対してイゾウが究極の笑みを浮かべた。ゾクリと悪寒を感じたカノエは、この人には絶対に逆らってはいけない! と危機管理精神局けら発する危険信号により黙ってコクリと頷くしかなかった。

「マルコが悪いわけじゃあないにも関わらず可愛い義妹と義弟に代わって義兄が責任を負うってのはどうかと思っていたんだが」
「!」
「――カノエが行くなら解決だ」

イゾウは満足そうにカンラカンラと笑うとカノエの頭をくしゃくしゃと撫でた。

「そろそろ女であることを自覚して素直に求めても良い頃合いだな」
「へ……!?」
「二人きりで出掛けるのは久しぶりだろう?」
「あ、……は、い」
「まあ、安心したよ」
「安心?」

首を傾げるカノエを尻目に立ち上がったイゾウは、煙管を欄干に叩いて灰を海に落とした。

「お前達二人は互いに負けず劣らず堅物で不器用な似た者同士だ。おれはお似合いだと思ってる」
「!」

ニコッと笑みを浮かべたイゾウは、酒の買い付けは宜しくな、と言葉を残してその場を離れた。

「ハルタ! おれも同行するよ!」
「いいよ!」

少し後でイゾウの声が聞こえて来た。ハルタと共に船を下りて街へと繰り出すのだろう。
暫くポカンとしていたカノエは、クシャクシャになった髪を手で直しながら立ち上がると、漸くその場を離れて船内に入りマルコの部屋へと向かった。

自責の念があって反省するくらいなら――イゾウはそう言ったが、普段から理由も無しにマルコと二人きりで出掛けるなんてまずしないカノエに、わざわざ理由を添えて機会を与えてくれたのだろう。イゾウの義兄心に背中を押されたような気がして、気恥ずかしい半面、とても嬉しく、有り難くも思った。
無意識に笑みを浮かべて角を曲がると出会い頭に誰かとぶつかった。普段なら避けられるものを、気持ちがそぞろとなっているのか気配に気付けなかった。

「失敬!」

咄嗟に声を掛けたカノエは目を丸くした。ナース服に身を包んだ見慣れない女が尻餅をついて目に涙を浮かべながら声をあげた。

「痛ァ〜い!」
「す、す、スミマセン……」

打ち付けた臀部を撫でる彼女に、カノエは手を差し伸べつつもカチコチの言葉で視線を斜め上に泳がせた。

む、胸の谷間を真面に見てしまった。な、何故にボタンをしっかり止めぬのだ!?

彼女がカノエの手を掴んだことで力を入れて引き上げる――が、彼女の着こなしがあまりにも刺激が強くて直視できなくて、カノエの視線は泳ぎっぱなしな上、顔が頗る赤い。
そんなカノエを不思議そうに見つめる彼女はクツリと楽し気に笑った。

「あはは! 先輩方の仰っていた通りですね!」
「で、では、これにて、」
「あ、待ってカノエさん!」
「――ま、まだ何か……?」
「私、三日前にこの船のナースとして仲間入りしましたケイティです! 宜しくお願いします!」

自己紹介をしながらケイティと名乗った彼女は、丁寧に頭を下げてカノエに挨拶をした。顔を上げるとニコリと笑うその笑顔はとても可愛らしく人当たりの良さそうな娘に思えた。

「あ、あァ、私はタチバナカノエと申す」

ケイティに釣られるようにカノエも丁寧に頭を下げて挨拶を返した。目をパチクリとさせたケイティは、カノエを頭から足の爪先まで観察するように見つめて「ふぅん」と声を漏らした。

「……?」

カノエが不思議そうに首を傾げるとケイティはハッとして笑った。

「ごめんなさい。和服姿の人って珍しくって……。確かイゾウ隊長も和服なんですよね?」
「え? えェ、イゾウ隊長は女性の着物を上手に着流しておられます。私は着物に袴で男性の着こなし方ですが……」
「イゾウ隊長は男性なのに女性の着物? カノエさんは確か女性ですよね? なのに男性の着物? 何だかあべこべですね」

ケイティが不思議そうに言うとカノエは苦笑を浮かべた。

「ふふ、カノエさんっていい人みたいで良かった〜! やっぱり海賊船なだけあって強面の人が多いからちょっとビクビクしてたんだけど、カノエさんみたいな人がいると心強くって安心しました!」
「は、ハハハ……、そ、それは良かった。わ、私はその――」
「仲良くしてくださいね!」
「――ハイ!」

ケイティはカノエの手を両手で掴むとニコリと笑いながら首をコテンと倒した。若くて可愛らしいお似合いの仕草に中てられたカノエは無条件に了解してしまった。
この船のナースは破廉恥な姿(あくまでもカノエ視点)格好をしているが、殆どは大人のお姉様といった雰囲気で落ち着いた女性ばかりだった。
しかし、ケイティは溌剌とした所謂『ギャル』と呼ばれるタイプの女性に類する。幕末のあの時代にこのようなキャピキャピとした娘――ギャルと呼ばれる種の女は存在しない。故に、カノエにとってはまさに新人類との出会いのようなもので大いに戸惑った。

「じゃあ失礼します! またお話してくださいね?」
「ハイ!」

ケイティが眩い天使(あくまでもカノエ視点)のような笑顔を見せながら手を振ると、カノエはカチコチとぎこちのない動きで手を振って見送った。

「ま、まだまだ知らないことだらけであるな……」

異世界の未知なるものと遭遇した、そんな気分だ――とそれはそれは深い溜息を吐いた。

「ああいうタイプの女は初めてか?」
「え?」

聞き慣れた声に振り向くと、手で口元を覆いながら肩を震わせているマルコがいた。

「な、何故、笑って」
「お前の軽快な返事がツボっちまった」
「――……ただ返事をしただけなのに」
「片言的になァ」
「う……」

ナース服の着こなしからして問題な上に、何と言えば良いのか、幕末から今日に至るまで、あのような女子がどのような部類に属するものなのか、頭の中の辞書を必死に捲ったが載っていないのだから例えようが無い。

「し、仕方がないではないか……」

カノエは顔を赤くしながら唇を尖らせてボソリと零した。片眉を上げたマルコはカノエの腕をポンポンと叩いた。不満顔のまま見上げるカノエにマルコは言った。
付き合え――と。

「な、何故付き合えと!?」

驚いて素っ頓狂な声をあげたカノエに一瞬だけキョトンとしたマルコはプッと噴き出して「あァ違う、そうじゃねェ」と笑いながら首を振った。

「酒の買い付けに、だ」
「あ、そ、そっち」
「未知との遭遇に動揺し過ぎだろうよい」

くつくつと笑うマルコにカノエはさらに顔を赤く染めてガクリと項垂れた。
その為にマルコの元に訪れようと船内に戻って来たのだ。しかし、未知との遭遇とやらでその目的が一瞬にして吹っ飛んだのは……――己の未熟さ故だ!と胸の内でカノエは嘆き悔しんだ。

「じゃあ、行くよい」
「……はい……」
「元気ねェな。さっきの片言返事は」
「はい!」

暫くネタになるなと笑うマルコと、やめてくださらぬか!?と顔を赤くして抗議するカノエは、共に下船して夜の街へと出掛けることとなった。


〆栞
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