遡河魚生け捕り生食計画
▼第二話 


それからというもの、ディートリヒは男ーーイェルンと言うらしいーーによって甲斐甲斐しく世話を焼かれる事になった。時に、ワザワザ裸に剥かれ包帯を替えられたり、手で持てると言うのにスプーン片手にあーんを要求したり、身体のあちこちを濡れた手拭いで拭かれたりと、ディートリヒは羞恥で燃えカスになってしまうと錯覚する程には、お世話をされていたのだった。

「性格が悪いと言われないか」

何度目か分からないあーんの強要に、思い切り顔を顰めたディートリヒがイェルンに問いかけた。

「まぁね!」

嫌味のつもりで言ったはずなのだが、イェルンは何倍もやり手だった。明るい輝かしい程の笑顔でそう言い放たれて、ディートリヒは更に眉間の皺を濃くした。出会ったあの日に見せた、貼り付けたような冷たい笑顔は一体何だったのかと。あの時は親近感すら覚えたし、監視だ何だのと脅されたような気もする。だのに、蓋を開けてみれば、今のこの楽しそうな嫌な笑みは一体何なのかと。ディートリヒは混乱する。今のイェルンは、ディートリヒの最も苦手とする人種のものである。だから余計に、ディートリヒはこの森から一刻も早く出て行きたくなる。

「俺はいつになったら勝手にやらせて貰えるんだ」
「監視だからにそんな日はしばらくこないに決まってるでしょ。それに骨折はね、一番時間かかるんだ。くっつけるだけだったらすぐだよ?でも、ちゃんと根っこまで治すのはそう簡単では無いんだ。だから、ひと月は安静にね」

純粋に疑問として問えば、案外真面目に返されてしまって言葉につまる。こうやって世話を焼かれる事自体慣れていないのに、一から十まで丁寧に(一部意地悪も含まれるが、)面倒を見られてしまうとますます居心地が悪かった。まるで子供のようでは無いかとディートリヒは大きく溜息を吐く。自分の子供の頃なんて、良い思い出など一つもなかったけれども。

この状況に、まるで地に足が付いていないような感覚を覚えてしまって、全く落ち着かない。朝も夜も、世話をしにやってくるイェルンに、ディートリヒはソワソワとしっ放しである。イェルンがまた何かやらかさないか、この家から早く出て行くことはできないか、といつだって考えてしまう。追手が近くにいる事なぞ忘れてしまう程に。

そんなディートリヒの迷子の子供のような様子に、イェルンが実は内心でほくそ笑んでいるだなんて、ディートリヒは露にも思わないのである。









「これならまぁ日常生活くらいなら大丈夫かな。逃げたら部屋に監禁するから」
「……おい」
「動いても大丈夫だけど激しい運動はダメだよ」
「今物騒な言葉が聞こえたんだが……」
「うん、監禁するって言った」
「…………」
「逃げなきゃ良いだけの話しね」
「とっとと放り出せば良いのに」
「場所を知られるのも面倒だしね」
「自意識過剰」
「……やっぱ最初っから部屋に監禁ーー」
「悪かった、言う通りにするからとっとと納得して放り出してくれ」

一部を除いて、包帯やら当て布やらを外していく間、ここ最近で日常になりつつあった軽口を叩く。ディートリヒの予想通り、イェルンという男は大分食わせ者であった。ディートリヒの方がそこそこ年上だというのに毒舌に容赦が無い。イェルン本人も自覚はあるようだが。

おまけに魔法使いときた。それも、相当の使い手だ。他人から土地を丸々覆い隠す魔法は、相当力が無いと出来ない、とディートリヒは聞いたことがあった。だから、この魔法使いからは流石のディートリヒも逃げられないと諦めている。下手な事は考えない。上の者には反抗しない。ディートリヒはそう刷り込まれている。

ディートリヒは、イェルンのものらしき白いシャツと、黒い細身のパンツを身に纏いながら、目の前のイェルンに問うた。

「それで、お前は俺に何をして欲しいんだ?」
「うん?ーーああ、うん、イロイロとね。先ずは湯浴みしてきなよ。その後、このベッドのもの全部洗濯して、ごはん」

極々普通の要求に何とも煮え切らない気分を覚えるのだが、ディートリヒは反論もせず、言われるがままだ。久しぶりの湯浴みをし、洗濯をし、寝室でなく食卓で初めて食事をとる。

その間、ディートリヒは文句を一言も言わず漏らさず。完全に仕事モードである。本人に自覚はなかったが、イェルンは当然、不思議に思ったらしい。

「何も聞かないの?」

食卓でパンをちぎりながら、イェルンは突然問うてきた。ディートリヒはそれを一瞬だけ見ると、端的に応える。視線が合わされる事はなかった。

「聞かれたいのか」

話はそれで終わった。主人の不快な事をしない、反抗しない、何も聞かない。破れば痛い目を見る。だから、染み付いてこびりついて中々落ちないーー。



それから、ディートリヒはイェルンに言われるがまま、様々な家事をこなした。
普通の、全くもって疑いようの無い唯の家事である。掃除、洗濯、薪割り、屋根の修理に料理。まごう事なき家事である。ディートリヒは内心、本気で驚いていたが、表に出す事も聞く事もなく、淡々と任務をこなした。難しい事もない、ディートリヒですら自分でいつもやっている事だ。

ただ一つ。
問題があるとすれば、ディートリヒが仕事をするように家事をこなしてしまっている事だ。
イェルンが時折不審気に見てしまう程、彼は全く何事も喋らなかったのだ。失敗で常人が上げるような悲鳴すら上がる事はなく、独り言を漏らす事もなく。気配すら朧げで無心で淡々と仕事を熟す。世の人々が口々に気味が悪い、と口を揃える程には異様な光景だ。
心が無いみたい。
ディートリヒの仕事ぶりは、いつだってそう揶揄された。ベッドで治療を受けていた時の方が、よっぽどお喋りで人間らしかった。


イェルンは、パンを手にしたまま少しだけ何かを考える素振りを見せると、すぐに再び沈黙の食事を再開した。その間が一体何だったのか、ディートリヒがそれを指摘する事は無い。

その後、ディートリヒはイェルンの言葉に従って就寝の支度をした後に、あの寝室で横になった。流石のディートリヒですら、暫くぶりの労働で疲れてはいる。眠りに付くまで直ぐだった。


だが、その日の真夜中。ディートリヒは人の気配で目を覚ます。誰かが傍で動いている。何があっても良いように、ディートリヒは目を瞑ったまま身構えた。

「寝た?」

聞こえてきた覚えのある小さな声に、一気に緊張が緩む。そっと目を開ければ、暗闇の中でイェルンがベッドの横から彼の顔を覗き込んでいるのが見えた。

「起きた」

短的に応えれば、イェルンは声を出す事なく吐息だけで笑って言った。

「ディートリヒ、相手して」
「なーーんむ」

思わず、何の相手だと聞き返そうとしたディートリヒの口を、イェルンの口が塞いだ。流石のディートリヒも目を剥いた。相手ってそういう事かと。

すぐさま入り込んできた舌にすら驚いてしまって、ディートリヒは暫し呆然とする。イェルンのよく動く舌は勝手に口内を掻き回してきて、時折舌を食まれる。それに少しだけ反応してしまうと、度々同じ事をされた。いつの間にやら後頭部に回された手が、ディートリヒの逃げ道を塞いでいる。やけに手慣れている。それはディートリヒの率直な感想だった。

こんな、女には困っていそうにない完璧な男が何故、こんな何処の馬の骨とも分からない壮年の男を求めるのか。ディートリヒは多少狼狽えていた。たとえ数週間程度一緒に過ごしたところで互いの事情なんてさっぱり知らないのに。ディートリヒは当然相手の事は聞かないし、ディートリヒが喋らないのをイェルンも分かっていて聞かない節がある。

だが、それはディートリヒが考えることでは無い。
主人の命には黙って従うまでだ。
主人が気持ちよくなりたいと言うなら喜ばせるだけだ。結論は直ぐに出た。
ディートリヒは、そういった行為もある程度心得ている。ならば仕方無し、とすぐに自分から舌を差し出しにいった。

イェルンは一瞬戸惑うように動きを止めたが、すぐに愛撫は再開した。その眉間には、軽く皺が寄っていたが。要求に応えようとしたのに何が気に食わないのか。ディートリヒは少しだけ疑問に思ったものの、すぐに考えるのをやめてしまった。


舌同士をぬるぬると擦り合わせると気持ちがいい。上顎を刺激させると気持ちがいい。舌を食まれるのさえ、気持ちの良さに変わる。ディートリヒはほぼ無心で、自分から追い求めていった。誰だったか、顔も既に覚えていない人らに教え込まれた知識は、今尚ディートリヒの中でジクジクと疼き続けている。どうせ逃げられないのなら自分もキモチヨクなれた方がマシでしょ?ムカつく笑顔を思い出してしまって、ディートリヒは少しだけ悔しくなった。

「はぁ……、」

どちらからともなく口が離れる。ずっと舌を合わせていたせいで違いに息が荒い。微かに上気した顔すらも美しい目の前の男に、ディートリヒはしばし見惚れる。彼が相手をした中で、これ程完璧な容姿をしている者は居なかった。偶に遭遇した美男子や美女ですらここまでではなかった。お綺麗所の王侯貴族ですら、ここまで精巧な造形の者はいなかった。いっそ感動すら覚える。

何もないディートリヒの中にも、美しいものに対する感慨だけは残されていたらしい。自分の事ながら、彼はその事にも感動を覚えていた。見るのも感動するのも、誰にも邪魔されない、誰にも知られることの無いディートリヒだけのもの。自分だけのもの。

「アンタ、何考えてるのーー?」

ぼうっとするディートリヒを咎めるかのように、イェルンが呟きを漏らした。だがいつだってどこでだって、ディートリヒが応えるのは同じ台詞だ。イェルンにも、何度も言った。

「何も」

ディートリヒがそう応えると、イェルンは微かに眉根を寄せた。一体自分の何が気に食わないのか。ディートリヒは少しだけ疑問に思ってから、その感情は捨てた。

ディートリヒがそのような事しか応えないのを諦めたのか、イェルンは少しだけ口を尖らせると行動を再開したのだった。

再び口を合わせながら、ここでイェルンはディートリヒの上へ乗り上げてきた。ここ数日の間で分かっていた事であったが、イェルンはひょろ長く、そしてディートリヒよりもでかい。体格で言えば鍛えている分、ディートリヒの方がガッチリとしていて大きく見えがちだが、単純な身長だけでいえばイェルンの方が大きいのだ。上に乗り上げられ、動きを封じられて仕舞えば大抵の人間は抵抗出来ない。ディートリヒがその程度で抵抗出来なくなるかどうかは別として。

口付けに気を取られ、ディートリヒはイェルンの手が裾から入り込み直接肌に触れていた事にしばらく気が付けなかった。何か違和感が、と思ったその時にはもう、腹から胸にかけてシャツを捲り上げられてしまっていた。真っ暗な中、月明かりでぼんやりとした輪郭が浮かび上がる。

少しだけサボりはしたが、鍛え抜かれた白い肉体が惜しげもなく晒されている。それがあちこち傷だらけなのは、ここ最近の襲撃によるものだ。崖から落ちたからと言ってつくような自然な傷では無い。普段は隠されているそれが今、月下に晒されていた。

イェルンの手が、傷口に沿って優しく滑っていく。すると、ディートリヒはビクリと反応してしまう。治ったばかりの真新しい傷なんかは特に皮膚が薄く、他の場所に比べて感じ易いと言われている。性感帯に成ってしまう事もあると。それくらい、ディートリヒも知識としては知っていたが、実際に体験するようなことは無かった。前と後ろだけで、大抵のセックスはどうにかなっていたから。

慣れない事に、ディートリヒは弱い。

「っそれ、触るのは……」

触られる度にビクビクとしながら、我慢出来ずにイェルンに訴えた。止めてと言わんばかりに手首を掴んで静止をさせながらだ。
だが。

「だめー」

イェルンは一転、ニンマリと嬉しそうに、意地悪そうに微笑むと、ディートリヒの拘束からサッと抜け出して、再び口付けと愛撫を再開した。これにはディートリヒも堪らない。触られる度にぞわぞわとして、背筋を悪寒のようなものが駆け抜ける。時折、堪え切れない溜息が口から溢れ出る。

「ん、……はッ、」

戸惑うディートリヒを見てイェルンは満足そうに目を細めると、身体をピタリと寄せて脚を絡めた。もう、ディートリヒはその拘束からは逃れられない。それにも気付かず、彼はイェルンの口付けに、繊細なものを撫でるかのような指先に、翻弄されていった。

時折、イェルンは胸の飾りを刺激した。優しく捏ねたりそっと潰したり、周囲の輪郭をぐるりとなぞってみたり。その度にその肌が泡立ち息が乱れる。特に捏ねられるのが良かった。普段は表情の薄いディートリヒも、この時ばかりは顔を取り繕う暇がない。頬を微かに上気させ、情け無く眉尻は下げたまま元に戻る事はなかった。無造作な白髪の下、キツめの印象を与えがちな切れ長の目から雫に濡れた薄い紫が覗く。


実は、その目の色をイェルンは気に入っていたりするのだ。家に入れたのにはまた他の理由もあったのだが、彼は密かに、何処かの古い魔法使いのように取り出して手元に飾って置きたいと思っていたりもする。ディートリヒはそんな想像をされているなんて思っても居ない。イェルン自身も、物騒だし、しかもやろうと思えば出来てしまうから決して言わないのであるが。

ちゅ、という音を立てながらようやく口が離された時には、2人とも息が上がってしまっていた。溢れ出た唾液がてらてらと口を濡らして、イェルンもディートリヒも興奮を覚えている。それも、いつも以上に。何故かなんて分からない。後腐れないからかも知れないし、此処を出てしまえば二度と会わないかもしれない。けれど2人は互いに、この行為をやめられないところまできてしまっていた。

次にイェルンは、ディートリヒの胸に口を寄せ、同時に軟く兆していたディートリヒのペニスを服の上からなぞる。途端、分かりやすく彼の身体が震え息が乱れる。それが分かっているのかどうなのか、ディートリヒはイェルンから顔を背けるように横を向いた。

「んっ、……ふ、うぅ、」

時折、抑え切れなかった声が漏れ出る。ディートリヒは横を向いたまま、両腕を顔の前でクロスして、自身を襲う快楽の波を受け流している。ディートリヒは混乱していた。こんな、挿れても挿れられてもいないのに、ただの触れ合いの延長のはずなのに。服の上からだというのに、痺れるような快感があった。身体がひくつくのを抑えられない。

「あッ、はぁ……!」

ずっと服の上からだった刺激がとうとう直接触られる所までくると、ディートリヒはビクッと身体を震わせ声を上げた。イェルンの愛撫にすっかり感じ入っていて、全身が性感帯になってしまったかのようにどこを触られても良かった。ペニスの先端を弄られると大袈裟に身体を跳ねさせて益々どろどろになったし、乳首も吸われると身体の震えは一段と大きくなった。

ようやく乳首から口を離したかと思うと、イェルンはどろどろに溶けきった彼を見て舌舐めずりしながら、さっさと彼の下肢を剥いていった。そのまま左の脚を折り曲げ、ディートリヒ自身の先走りで既に濡れそぼっているそこに、指を一本ずつ中に挿入していった。既に力は抜け切っていて、ずっぷりと指が呑み込まれていく。指先を折り曲げながらくにくにと動かしていく。まずは、周りを解すように肉壁を掻き分けていく。

「んんっ……!」

二本、三本、とゆっくり増やしながら滑りを伴ったそれが、壁を擦っていく。それが時折前立腺を掠めると、一際大きく身体が震え声が漏れた。それが必至に押し殺したような声で、その事実がますますイェルンを煽っていく。

「ん、……っふぁ、あ、ぅ、ンッ、んんぅーーッ!」

イェルンがすっかり立ち上がったディートリヒのペニスを掻き上げながら何度か前立腺を擦ると、ディートリヒはくぐもった声を上げ、精液を吹き上げながら果てた。間も無くずるりと抜け出て行った指にすら感じ入って、快感の余韻にビクビクと身体が震えた。目元を両腕で隠しながら、上がった息を整えるように口を微かに開いている。その口端からは溢れ出た唾液が垂れてテラテラと微かに光っていた。扇情的なその様に、イェルンが舌舐めずりしている。

次にイェルンは、彼の胸辺りまで散った精液をディートリヒの身体に塗り広げていった。ぬるぬるとした感覚に、ディートリヒは背筋を震わせる。次にイェルンは、ディートリヒのクロスした両腕を掴み顔から外させて、剥き出しになっている耳へ顔を近づけた。すっかり弛緩している身体では、抵抗などできなかった。両腕をベッドに縫い付ける体勢で、ディートリヒの耳元で押し殺したような声が聞こえる。普段の彼からは想像できない、酷く甘い、囁くような猫撫で声だった。

「ねぇ、気持ち良い?ディートリヒ?」
「ッ!ーーは、」

その声音にすら感じてしまって、ディートリヒは背筋を微かに震わす。喋る度、吐息が耳に吹きかかってゾクゾクとする。イェルンは構わずに続けた。

「僕もヤバいくらい、気持ち良くってさ。ほら、こうするだけでめちゃくちゃ良いよね」

いつの間にか下肢の服を脱ぎ去っていたイェルンが、ディートリヒのペニスに己のものを重ね、更に身体を密着させる。そのまま、身体を擦り付けるようにゆっくりと腰を揺らした。

「っ、ふ、……!」
「はぁー……、ヌルヌルしてて気持ち良いね。さっさと突っ込んで擦ってイくのも良いけどさ、こういうのも、良いよね。イけそうでイけないの。ねぇ、ディートリヒはどこまで我慢できる?」

それはそれは嫌らしい顔で、イェルンは微笑んだのだった。


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