Violinist in Hyrule




外で警備にあたる為、リンクは扉の前で一礼し、姫の部屋を後にする。
その背を見送っていると、不意にゼルダが零した物憂げな吐息に、芳しい香りのする紅茶の湖面が、緩く細波を打った。
そっと彼女の肩を抱くウルボザに、わざと気づいていない素振りで、ダルケルが他愛無い話を続ける。こういう時でも、さり気なく雰囲気を切り替えようとしてくれるのが、彼の良いところである。
私もカップを傾けて、それに相槌を打った。故郷のゴロンシティで行われた、もう今年だけで五回目になる我慢比べ大会の話だ。
しかし、ゼルダの態度は、至って気丈だった。暗澹たる時間を打ち切るように、強張ってこそいるが微笑みさえ浮かべて。

「私の事は、お気になさらないでください。せっかく皆さんで集まったのですから」

ああ、けれど私は、哀しいほどに分かるのだ。
何も為せない無力な己への不安。背に負う人々の命と、果たさねばならぬ天命の重み。

ゲームをしていた頃、彼女の悲観的な性格が、少し苦手だった。
他の歴代ゼルダ達は、誰もが強く賢く美しく、そして何より気高い、高潔な乙女ばかりであったから。
姫巫女の力の発現とは、何をもってそれとするのか。
はっきりした判断材料が、一つも分からないにも関わらず、力が無いということばかり気にする理由が、どうも理解ができなかった。
女神の血を引いて生まれた女児であること。その名をゼルダということ。明確な必要条件は満たされている。
もっと前向きに考えれば生きやすいのにと、思わずにはいられなかった。

ハイラルの女神は、愛し子の涙を拭わんと、遣いを送ったのかもしれない。
ならば私はいくらでも拭おう。絶望に蹲(うずくま)れば手を差し伸べ、責務に俯いた顔を上げさせ、悲観で尻込みする背中を押そう。
彼女のことだ。血の滲むような努力も厭わず、必死に前へ進むのだろう。
だが、それで涙の跡が乾くことはない。

「ね、ゼルダ様。リトの村に行ったら、何しようか」

神々と人間は別のものだ。
本来、交わるべくもない両者が、互いを真に理解することはできない。
そもそも、魔王ガノンドロフが復活したからといって、平和に暮らす無辜の民も、丸ごと海に沈めるような神である。
絶対的な存在として、悠久の時を生きる彼女らに、人の心は分からない。

「ええと、まずは、魔物の様子を尋ねます。ヘブラやタバンタには、特有の気候に順応した魔物がいますから、その被害報告も受けて、国として対応策を練らねばなりません。その後、神獣ヴァ・メドーの調整、リーバルとの相性を確認し――」
「それが終わったら?」
「――えっ?」

虚を突かれた顔をするゼルダに、私は笑みを浮かべてみせた。

「例えばそれが全部終わって、やらなきゃいけない仕事が片付いたら。大切な公務に、一息つける時間ができたなら。ねえ、皆も、リトの村に行ったら何がしたい?」
「そうさなあ、俺ぁ氷を食ってみてぇな! 冷てぇモンは、故郷じゃあ滅多に見ねえ。それに、あの雪山の尾根なんか、特に美味そうだしな」
「私なら羽細工を買いに行くよ。たまに、街に来るリト族の子達が着けていてね。可愛いって評判なんだ。砂漠の夜は冷えるから、きっと重宝するだろう」

ハイラルの大地は、楽しく幸せなもので溢れている。
美しい雪渓を絵に描いてもいい。ピリ辛料理を作ってもいい。木組みの細工物を眺めてもいい。
ただ、爽やかな風に当たるだけでも、きっとかけがえのない時間になる。

「……そうですね。もし、そんなことが、私に許されるのであれば」

ゼルダの深緑の瞳が、緩やかに細まる。
硬く結ばれていた唇から、その呟きはぽろりと溢れた。

「へブラ山で盾サーフィンをしてみたいです」

そうか、盾サーフィン。そうかそうか…… え、本気か?
あの急斜面を小さな板切れ一枚で滑り降りたいと仰る? パラセールもヘルメットも防具も無しで?

「気分が一新できそうですもの!」

ゼルダは華やかな笑みを浮かべる。
どうやら彼女は、スポーツで心機一転するタイプの模様。

「あ! そういえば この間、集団で狩りを行うセツゲンオオカミに関する、新たな研究論文が出たんです。それを生で見る事ができるのですから、ハイキングも良いかもしれませんね」

ハイキングと言ってしまえば、まるで軽い散歩かのような印象を受けるが、行き先は一年中極寒のタバンタ雪原である。
これは余談だが、野生のセツゲンオオカミはもちろん人を襲う。

「秘湯巡りも素敵です。観光地として有名なのはクムの秘湯ですが、ゼッカワミの秘湯付近でも、何やら巨大生物の骨のようなものが発見されたという、興味深い話を耳にしたので」

尚、秘湯のあるヘブラ山は、デスマウンテン、ラネール山と合わせてハイラル三名山と呼ばれ、その美しさと登頂までの過酷さから、登山愛好家の間では、もっぱら "三女神の階段" と言われている。
登れば登るほど近づく女神。それ即ち死。
しかし、ヘブラ山には温泉があり、デスマウンテンにはゴロンシティがあり、ラネール山には知恵の女神を祀った聖泉がある。そのため、不運な遭難者はなかなか減らないらしい。

ゼルダの思いつく案が、予想以上にアクティブなものばかりで、私とダルケルはハラハラしながら目配せする。
しかしそこで動じないのが、流石の女傑ウルボザ。

「それじゃあ、今度 おひい様がゲルドへ来る時には、スナザラシを用意してあげようかね!」

幸福の味のフルーツケーキを一切れ、口へ運ぶと、彼女は快活に頷いた。



数日後。
王家の紋章付き旅行鞄に、真新しい防寒着を詰め込みながら、私は来たる厄災の事を考えていた。
今回の厄災を、仮に犠牲ナシで封印できたとしても、また次にガノンは目覚めてしまう。
厄災の封印は問題の先送りであって、根本的な解決には至っていないのである。
ならば、神獣やガーディアン、シーカータワーといった、数々の兵器が発明された最後の厄災から、これまでの一万年間。
なぜ厄災ガノンは復活しなかったのだろうか。
ずっと一万年周期で現れている、と仮定するにしても、イーガ団然り、一万年前の話など、もはや御伽噺に近い。
そんな物語のような厄災に対抗するためだけに、古のシーカー族は、大掛かりな発明・研究を始めるだろうか。

最近の厄災の扱いを見るに、それは少しばかり無理がある。
現状のハイラルは、まだまだ、占い師が復活を宣言したから準備を始めている、という段階だった。
もしかしたら、大昔の厄災ガノンは毎回途方もない被害を出していて、次こそは、と臥薪嘗胆の思いで発起したのかもしれないが、果たして一万年、それを続けられるのか。
では、厄災は、何の周期も前触れもなく、突如として現れるものなのだろうか。
一万年前の占い師は、今よりもっと早い段階で、復活の予兆に気づいたということだろうか。
まあ、原因が不明である以上、考え続けても仕方のないことではあるが。
私は日記帳を手に取って、パラパラと捲った。

『 "音楽は 清らな力 一雫の 濁り曇りも 全ては怨み" 』

大妖精クチューラから教えられた、世を越えし英傑の詩。
ハイラルに蔓延っている "怨み" といえば、思い当たるのは、怨念として残るガノンや、イーガ団の怨恨だ。
では、"濁り曇り" とは何か。
私が力を上手く使えず、暴れ出したヒノックス。力に目覚めない姫巫女への不安の空気。未知の敵への恐怖心。
そもそも、この前のイーガ団襲撃事件だって、情報の出所が掴めず、城内の不信感が強まっている。
疑いの矛先が、真っ先にとは言わないが、漠然とこちらに向くのは当然で、冷静に考えてみれば、私がスパイだった場合、全ての辻褄が合うのである。
試練を言い訳に勇者を呼び出して、その居場所を伝えて姫巫女暗殺命令を出し、失敗の報告をしに来たイーガ団の配下を見捨てて、厚顔無恥にも姫巫女に取り入ってここへ戻ってきた、そういう間者だと思われかねない。
何なら前日の夜に脱走した。アリバイ証明は大妖精クチューラに頼むしかない。

試練をやっとこさ一つ達成した、ニューフェイス英傑 ○○に、後ろ盾は存在しなかった。
いや、厳密にはハイラルの女神という、あらゆる意味で超越した存在が後ろ盾なのだが、何せ超越し過ぎて常人には知覚できないので、実質いないのと同義である。
私はこの耳でその声を聞いた上に実際この世界まで飛ばされたので、ハイラルの女神の存在を確信している。しかし、彼女らの運命の采配は一切信用していない。
ハイラルの運命を変えろ、と私に使命を課すのは、厄災ガノンをワンパン出来る力を授けてからにしてくれ。

「何よりまずは、リトの村に行ってからの計画を立てよう」

魔物の被害報告は兎も角、神獣ヴァ・メドーの調整には参加したい。
内装の記憶違いがある可能性や、またカースガノン殲滅後、神獣がどのくらい戦闘に参加できるのかを、確認する必要があるからである。
特に、メドーは飛行型で、長距離の移動に向いている他、方角の目印にもなる。
唯一の懸念すべき点としては、ラネール山から恐ろしく遠い事だ。
この前カカリコ村へ行くという話をした時、余裕を保って夜に飛ばない場合でも二日で行ける、とリーバルは言っていたが、ラネール山までの距離はその三倍ある。
例え彼が、早朝からトップスピードで飛んだとしても、その分の疲労を蓄積したまま、視界の悪い夕方以降の戦いを強いられるであろうことは明白である。
やはり、効率的な移動手段として、シーカーストーンの機能を復活させるべきだろうか。
しかし無闇にタワーを起動してしまえば、アッカレ砦や軍の演習場、駐屯地など、ハイラルの重要な建造物が巻き込まれ、破壊されてしまう。百年後のように、塔の上へ取り残されてしまう人もいるだろう。
何事もタイミングが大切である。それを如何にして作り出すのかが問題なのだが。

ヴァ・メドーの他は、へブラの大妖精の泉を参拝したかった。
もれなく崖登りをしなければならないのが憂鬱なのだが、誰かリトの方に移動を頼めないだろうか。私にボルダリングの心得はない。
とはいえ、残る二つと比べると、この大妖精の泉は、ずっと行きやすい場所にある。
アッカレも城下町から遠いというだけで、本当に厄介なのはゲルド地方の泉である。
砂漠を突っ切った先、マップの外れにあるその場所へは、到底 生半可な覚悟では辿り着けないだろう。
それでも、世を越えし英傑の詩は、必ず聞いておくべき価値がある。

後は、広いリリトト湖を越えられる、飛行型のガーディアンやウィズローブが襲ってきた際に、非戦闘員や負傷者が隠れられる場所の確認と、それらの対処法を戦士達に教えることだ。
今までの経験で、各ウィズローブの弱点くらいは知っていそうだが、ガーディアンともなれば、そうはいかない。どんなに硬い装甲を狙っても、矢の無駄になってしまう。
そもそも、それらと戦わなければならなくなるとは、誰も思っていないだろう。
想定している敵は魔物のみ。故に、彼らは負けた。
であれば、今回は当然、それを改善する。

最近、人々の避難経路の確保や兵の配置、そしてイーガ団の事ばかり考えていたせいで、肝心のガノン討伐計画は穴だらけだった。
これはいけない。万が一の事が無いように、作戦は綿密に立てたい。
被害は出来る限り少なく、だがイレギュラーが生じないよう大まかな流れは原作に沿わせて、最終的には平和な結末を迎えられるように。

天井の幾何学模様を眺めて、私は一人、大きな溜息を吐いた。





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